第八話 貴賓薄珂

 迎えの馬車が来るのには数日かかるらしく、朱は忙しなく出入りを繰り返した。

 姿を見ない事が多く、逆に薄珂と立珂は一日中家にいた。食料はたっぷりと持ち込まれていて、井戸があるので生活には困らない。

 屋敷内には様々な商品があるため退屈することも無かった。

 薄珂は鞄や服、見るだけでは何だか分からない品をずらりと並べてくれる。


「鞄は腰下げがいいよ。有翼人の子供は十歳くらいまでは抱っこする事多いから」

「十歳なら歩けるだろ。抱っこで過ごすのなんて今のうちだけじゃないか?」

「普通はね。でも有翼人の子供は風に飛ばされるんだ。羽が風に煽られるんだよ」

「えっ」

「立珂は特に羽が大きいからよく転ぶ。赤ん坊専用の台車もあるけど抱っこが一番だよ。威龍は筋肉ありそうだから大丈夫かな」

「うん。荷運びしてたから持ったり抱えたりは得意。雛は綿みたいに軽い」

「なら鞄は絶対に腰下げだね。体幹がぶれないし片手で物を取り出せる。あとこれ腕に付けると良いよ」


 薄珂は自分の両腕を見せた。二の腕に小さな袋を革の帯で結び付けている。袋は釦で開閉できるようだった。


「何だこれ。袋にしては小さすぎる気がするけど……」

「これは袋じゃなくて財布なんだ。小銭を入れて腕に結んでおけば、店の人にここから取って貰える。そうすれば抱っこしたまま買い物できるんだ」

「あ、なるほど。いいじゃん。地味だけど便利だ。これもお前の店の商品?」

「そうだよ。有翼人の家族用商品は俺が考えてる。周りがどれだけの事をしてあげられるかで有翼人は生活水準が大きく変わる」

「そっか。そうだよな。それに雛はまだ赤ちゃんだし、俺がいないと駄目だもんな」

「赤ちゃんって面から言うと、赤ちゃんを世話する側の人にはこれが人気だよ」


 薄珂は二着の服を引っ張り出した。一つは女性用で一つは男性用だが、どちらも腰から細長い布の装飾がたくさん付いている。ふわりと舞う様子はとても上品だ。


「綺麗だけど世話しにくくないか? ひらひらがどっかに引っかかって取れそうだ」

「うん。これは取れるんだ。というか取って使うんだ」


 薄珂は細長い布を少し強めに引っ張ると、布はぷつんと簡単に腰から外れた。

 しかし布は妙な形をしていた。完全な長方形ではなく、腰に付いていた上部と裾の部分だけが広くなっている。よく見ると中央は内側に弧を描くようにくぼんでいる。


「何だこれ。使うって何に使うんだ? 有翼人に特別な物なのか?」

「これ自体は種族問わず赤ちゃんが使う物なんだ。使ってみた方が早いかな。雛を布の上に座らせてみて」


 威龍は言われたままに雛を座らせると、薄珂は先ほどの布を雛に巻き始めた。

 上下端の広くなっている場所は雛のぴったりお腹辺りに届き、端に付いていた小さな釦で四隅を止めた。

 その完成形を見て、ようやく威龍はこの布が何なのかを理解した。


「おむつだ! 布のおむつになった!」

「そう。有翼人の親は常に抱っこだから荷物を持てないんだ。でも赤ちゃんは絶対おむつが必要だから、なら服にしてどんどん使い捨てれば良いかなって」

「この布使い捨てるのか? 薄くて伸びる生地って珍しいじゃないか。高いだろ」

「その辺はどうとでもなるんだ、うちの店は。これが結構人気。見た目は立珂がこだわってお洒落に作ったから子持ちじゃない人も買うよ」


 おむつを服にするという発想も、それをお洒落な見た目に仕上げたのも凄い事だ。

 だが商品の開発と経営は別だ。

 立珂が過ごしやすい服や立珂を世話する自分が欲しい商品を思いつくのはまだ分かるが、売上や原価などは隊商育ちの威龍だって簡単じゃない。

 だから憂炎や大人たちは販売現場よりも仕入れや販促を考える事に時間をかける。

 複数名が集まって意見を出し合い、それでようやく隊商の本心が固まり動き出す。

 薄珂はそれを一人でやっているということだ。それも中央と北へ拡大なんて、全国を動き回る隊商にだって簡単じゃない。

 同じような歳でありながら自分より一段も二段も上にいる薄珂の成果に、威龍は息をのんで恐る恐る訊ねた。


「なあ。店の経営はどうやって始めたんだ? 俺は隊商育ちで皆とやってたんだ」

「俺は天一の店主に弟子入りしたんだよ。そこから俺と立珂で有翼人店を拡大した」

「拡大ってどうやって? 店を増やしたのか?」

「増やしたのは顧客。そうすれば支援者が増えて出資者が付く。そしたら出資者が店を用意してくれるよ」

「店作ってくれる奴なんて普通いないぞ。何十年営業続けてる隊商だってそんな縁は簡単じゃない。どうやって縁を作ったんだ? 隊商で回ったのか?」

「まさか。客の方から来てもらうんだよ」

「それはどうやって知ってもらうんだ? 隊商は出先で営業するけど、お前は行かないんだろ? 知ってくれなきゃ来てはくれないだろ」

「それも支援者にやってもらった。俺は全国行脚する劇団と、蛍宮って国の皇太子に頼んだんだ」

「皇太子⁉ は⁉ 皇太子って皇族の皇太子⁉ 国の一番偉い奴⁉」

「うん。権力者は一人握っとくと良いよ。色々便利――っと、助かるから」


 便利と言ったのを威龍は聞き逃さなかった。それは『頼んだ』のではなく、薄珂が利用しているということではないのか。


「お前何しれっと言ってるんだよ。皇太子なんてそう簡単に会えるもんじゃない」

「まあそうだよね。ならまずは戸部を掴むと良いよ。戸部分かる? 宮廷でお金を管理する部署。あっちにとって俺が有意義な存在であれば宮廷の予算を割いてくれる。あとは愛嬌。立珂の可愛さで大体は乗り切れるんだ」


 さらりと当然のように言って、薄珂はにこりと微笑んだ。

 威龍が想像していた経験談の遥か上を行き、参考になるような話ではなかった。

 しかも締めくくりは弟の愛らしさとは意味が分からない。威龍は完全に混乱した。


(何なんだこいつ。相当偉い奴なんじゃないのか? じゃなきゃ皇太子と会うなんて無理だろ。それこそこいつ自身がどっかの皇子でもない限り)


 よく見れば今着ている服も商品である服も、生地はとても上等な物ばかりだった。

 これだけの物を仕入れるなんて憂炎の隊商では考えられない。

 それほどの規模に成り上がりたいと常々言っていたが、それは夢のまた夢であまりにも非現実的だ。隊商では酒の肴の笑い話でしかなく、仕入れも高級店のある区画には立ち寄らない。

 だが皇太子と縁があるのなら、高級店の方から薄珂と縁を持ちたがるだろう。

 威龍は緊張でごくりと喉を鳴らしたが、薄珂はまるで大したことのない日常会話のように流し、ぽんっと手を叩いた。


「そういや威龍は仕事探してるって聞いたんだけど、本当?」

「え、は、はい!」

「何で急に敬語なの」

「いや、なんとなく……」

「何それ。いらないよ。実はうち職員募集してるんだ。有翼人に理解があって現場を動き回ってくれる人。威龍どう?」

「えっ⁉ 雇ってくれるのか⁉ あ、けど俺隊商育ちで荷運びしかやったこと無いんだ。薄珂みたいに自分一人で商売するような頭は無くて……」

「頼みたいのは荷運びと書簡配達だよ。華理って宮廷と街の高低差が凄いから移動だけで一苦労なんだ。ニ足歩行だと大変だから俺が飛んで運ぶけど、これがかなり時間取られて困ってるんだよね」

「……待ってくれ。宮廷で働いてんのお前って」

「ううん。働いてるのは俺自身の店。宮廷が俺の顧客なんだ。あ、仕事中は宮廷が雛を預かってくれるよ。俺も立珂を預けてる」

「へ? 宮廷が? 何で?」

「取引き条件にしてるんだ。立珂専用の有翼人侍女がいるから一緒に見てくれるよ」


 つうっと冷や汗が流れた。けろりと言い放っている内容は取引先相手への福利厚生としてはあまりにも充実しすぎている。

 だがそれを宮廷が良しとするのなら、そうしてでも繋がっておきたいほどの何かが薄珂にあるという事だ。


(なんだこいつ。完璧国のお偉いさんじゃないか。何でそんな奴がこんな所に……)


 どくどくと動悸が激しくなるが、薄珂はどうかな、と無垢な眼差しで首をかしげている。銅一を節約する威龍にとって宮廷生活なんて異次元だ。それが専用侍女に面倒を見て貰えるなんて、節約とは無縁どころか真逆だ。

 こんな縁は人生で二度はない。威龍はがしっと両手で薄珂の手を握りしめた。


「やります! やらせてください! お願いします!」

「よかった、助かるよ。敬語いらないって」

「あ、うん」


 想像だにしなかった良縁を手に入れ、いつの間にか高級子供服に身を包んでいる雛をぎゅっと抱きしめた。


*


 薄珂への接し方に迷い初めて翌日、朝食中に朱が数個の書簡を抱えて姿を現した。

 昨日も遅くまで帰ってこなかったが、その全てが薄珂の代理で動いているのだと思うと薄珂自身の忙しさも相当なものだろう。


「薄珂。これ届けてもらってもいいかな。羽民教教徒の家だから僕は行けないんだ」

 朱はごろごろと書簡を転がした。行先を書いた小さな紙を薄珂に渡すと、これはここ、これはこっち、と説明をしている。

「分かった。じゃあ立珂見ててね」

「俺! 俺行くよ! 薄珂の代わりに行ってくる!」

「あ、じゃあ一緒に行こう。雛の日用品揃えてないだろ」

「え⁉ でもお前まずいだろ!」

「何が?」

「何って!」


 薄珂の代わりにと立候補したというのに、薄珂はきょとんと首をかしげている。


(お前はお偉いさんなんだろ! 変な奴に狙われたらどーすんだよ!)


 皇太子だの宮廷だのと直接かかわり、しかも類稀な鷹獣人だ。きっとこの人目を忍んでいるかのような建物だって薄珂の身を守るために違いない。

 それなのに本人が出歩いて良いわけがない。止めてくれと哉珂に目線で訴えるが、ふああと欠伸をする始末だ。


「書簡受けに投函でいいからね。教会には君らに手出したらどうなるか覚えとけよ★って言っといたから大丈夫」

「あ、は、はい。有難うございます。でも薄珂は、その」

「俺だって配達くらいできる。あ、雛は連れて行った方が良いよ。赤ちゃんは親が傍にいないだけで羽変色するから。立珂はお留守番だ。目付けられたら厄介だからな」

「はあい! まってる! はやくかえってきてね!」


 結局誰一人として薄珂を止める者はおらず、威龍と薄珂は笑顔で送り出された。

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