第六話 商人・朱
こんっと窓を叩く音がして威龍は目を覚ました。
寝台に座ってはいるがいつの間にか眠っていたようだった。慌てて雛を見ると幸せそうに眠っていてほっと息を吐く。
叩かれた窓を見ると哉珂がいた。雛を抱いたまま窓を開ける。
「おはよう、哉珂。大丈夫だった? 風邪ひいてない?」
「大丈夫だよ。出て来い。神官が起きてくる前に、安全な場所を確保したい」
「飛んで集落探してこようか? 俺この街早く出たい」
「分かってるよ。でも雛は長時間の飛行に堪えられないだろう。知り合いと連絡が取れたからそいつのとこに行こう」
「あ、昨日飛んで来た鷹? 獣人だよね」
「見てたのか。俺が約束の日時に華理へ来なかったから探しに来たんだ。服着て出て来い」
「部屋はこのままでいいよね。上着貼り付けちゃったし」
威龍は脱いでいた服を素早く着た。雛を抱き上げ哉珂に渡すと、自分も窓からぴょんと外に出る。
寅の刻ではないだろうがまだ少し暗い。教会の中も静かで、誰も歩いていない。
「教会の中はあんな厳重にしてるのに外は随分と無防備だね」
「いるよ。その辺にいる猫は全部獣人で、あれが警備員なんだ。侵入者が気を抜くから捕まえやすくなる」
「えっ、そうなんだ。それは賢いかも。人間が考えたのかな」
人間は獣の特性を生かした仕事を考えたとはよく言うが、これもその一つだろう。
(獣人は獣の力が特別って感覚無いからな。言われればなるほどって思うけど)
ほんの些細な事だが、そういう細かさが人間の凄さなのだろう。
哉珂に連れられて街に出ると、当初泊まっていた客桟とは真逆へと向かっていた。
高台どころか谷間に向かっていくようで、どんどん下の方へ降りて行く。
小道を抜け裏道に入るとほとんど人気が無く不安になったが、ふいに一軒の建物が目に飛び込んで来た。
薄暗い中で煌々と灯りが点き、浮かび上がる建物は全て朱塗りだ。
黄金の装飾はとても一般家庭では調達できない豪華さで、敷地のあちこちで山積みにされている荷の中身が気になるところだ。
「趣味悪い屋敷だろ。無駄金を使いすぎだ。作った奴の気が知れない」
「商人なら見栄も必要だよ。隊商は馬車がみすぼらしいだけで客が来ないし」
「そりゃあ商人ならそうだがな。こいつはそういうんじゃないんだ」
「あ、違うんだ。哉珂の商人仲間なのかと思ってた。何してる人?」
「職業で言えば商人ではあるが、俺は政治家だと思ってるよ」
「はあ……」
哉珂は慣れた手つきで扉を開け、入り組んだ廊下を迷わず進んでいく。
小部屋がたくさんあるが、どこも荷物が山積みだった。
高級な外観に反して用途はどの部屋も倉庫のようだったが、真っすぐ進むと正面に大きな扉が見えてきた。
黒塗りの滑らかな扉はやはり黄金の装飾があり、明らかに特別な部屋だ。
うかつに触ってはいけないように思えたが、それにもかかわらず哉珂はどんどんと乱暴に叩いた。
「俺だ!」
「どうぞ。開いてるよ」
中から男の声がした。それは高く涼やかで、荷物まみれの建物に住んでいるとは思えないほど繊細な声だ。聞くだけで妙に緊張して思わず背筋が伸びる。
けれど哉珂は無遠慮で、入ると伝える事もせずばんっと扉を開けた。
そこにいたのは哉珂と同じ歳くらいの眼鏡をかけた有翼人の青年だった。
青年の隣には少年が二人立っている。黒髪の少年は威龍と同じ歳くらいで、少年は亜麻色の髪をした有翼人の男児を抱っこしていた。男児は雛よりも大きく、五、六歳だ。
「有翼人! 雛! 雛と同じ有翼人だぞ!」
「いらっしゃい。僕は
「単なる腐れ縁。雇い主みたいなもんだ」
朱はたおやかに微笑んだ。髪は日の光のように明るくふわりと柔らかで、上品な美貌は世の女性を釘付けにするだろう。
同性の威龍から見ても美しい男性である事はよく分かる。眼鏡姿はとても知的で、かちゃりと正す仕草すら美しい。
威龍は思わずたじろぎ一瞬呆けたが、慌ててぺこりと頭を下げた。
「威龍です。急に押しかけてすみません」
「聞いてるよ。色々大変だったようだね」
「はい。あの、有翼人がこんな街に来て平気なんですか?」
「あはは。別に羽民教は悪者じゃないよ。それに僕らは《
「専門店なんてあるんですか⁉」
「うん。中央と北じゃ天一を知らない人はいないね」
「え、す、凄い商人なんですね、朱さん」
ほうと威龍が息を吐くと、朱は目を丸くして愉快そうに笑って黒髪の少年の肩を抱く。
「経営してるのは僕じゃなくてこの子だよ」
「えっ」
「商品作ってるのは抱っこされてる小さい子」
「えっ」
朱が視線をやったのは黒髪の少年にべったりしがみ付き、よしよしと頭を撫でられている亜麻色の髪の少年だった。
人前で姿勢を正す事すらしないのはどう見ても甘やかされて育った子供で、とても人気店の商品考案者には見えない。
こんな若い二人が人気店を率いるとは到底思えなかった。
からかわれているのだろうかと朱に視線を戻すが、変わらずにこやかな笑顔だ。
「えっと、じゃあ朱さんは何してるんですか? 代表、とか?」
「天一の総責任者が来れないから代理兼保護者。子供というだけで侮る馬鹿が多くてね」
「へえ……」
憂炎のような立ち位置なのだろうか。
それでも少年達が店を作ったことに変わりはない。経営など経験が無い威龍には想像もつかず、思わずじっと黒髪の少年を見つめた。
すると黒髪の少年はにこりと微笑んでくれる。
「俺は薄珂。こっちは弟の立珂。その子は弟? 名前は?」
「雛。捨て子だったから弟にした。よろしく」
「哉珂と一緒じゃうるさかったでしょ。すぐ兄貴風吹かせて商売どうこう語るから」
「あ、ああ、いや。あれ? もしかして哉珂の兄弟?」
「兄弟ではないが身内だ。薄珂が伝達に来てくれた鳥獣人だぞ」
「鳥⁉ 俺もだよ! 俺は鴉だ! 鷹は強いんだろ⁉ どんな飛び方で」
「ちょいちょい。威龍そういうの後。朱の話が先だ」
「あ、ご、ごめん」
同じ種族で歳も同じくらいの子供に会うのは初めてで興奮したが、哉珂にぺんっと軽く叩かれた。楽しそうに笑っている朱へ向き直る。
「しばらくしたら華理から迎えの馬車が来るから一緒に行こう。それまではここを使って良い」
「本当ですか⁉ 有難うございます! よかった。あいつら気味悪くて」
「教会には僕が断りを入れておくから安心して良いよ。挨拶も行かなくていい」
「え、でもそれじゃ朱さんが掴まるよ」
「あはは。哉珂に相当脅かされたんだね。大丈夫。僕は商談しに来たんだ。事前に約束を取り付けてる」
「商談?」
「そう。そろそろ行かなきゃいけないから。薄珂、後よろしく」
「うん。行ってらっしゃい」
朱は大きな鞄を持つと、ひらひらと手を振り部屋を出て行った。
威龍は羽民教教徒も教会も恐ろしく思うほど気味が悪かったが、全く躊躇していない。
それが慣れなのか自信なのかは分からないが、やはり心配になる。
「大丈夫かな……」
「大丈夫だよ。あいつに有翼人としての価値はないからな」
「ああ、大人は駄目なんだっけ」
「そうそう。放っておけ。それより」
「おきがえしよう!」
「え?」
ぴょんと飛びついて来たのは立珂と呼ばれた亜麻色の髪の有翼人の少年だった。
目をきらきらと輝かせ、手にはいつの間にやらたくさんの服を持っている。
「有翼人の赤ちゃんはこれがいいよ! おせなかすずしいし羽のつけねがいたくないし足までくるんてできるの! おむつはこれだよ! ぺたんってするからかんたんだよ! 薄珂がかんがえたの!」
「え? 何? 何て?」
「落ち着け立珂」
ふんふんと鼻息荒く興奮している弟を諫め、薄珂はよしよしと立珂を撫でた。
立珂は嬉しそうくふくふと笑い、じゃれる姿からは仲の良さが窺える。
「雛の服、それ良くないから着替えた方が良いよ。そっちの寝台に寝かせて」
「え、う、うん」
威龍は案内されるがままに寝台へ雛を横にすると、薄珂は雛の服を脱がせて慣れた手つきで身体を調べていく。羽を持ちあげると、ああ、と息を吐いた。
「やっぱり汗疹が酷いな。立珂、少し扇いでくれ」
「はあい!」
「威龍これ覚えて。有翼人の羽は保温性が高いから本人も体温が高くなる。それに羽がくすぐる辺りは掻きむしって汗疹と皮膚病になるんだ」
薄珂が羽を持ちあげて見えてきた雛の背はぷつぷつと赤くなっていた。
明らかに皮膚に異常が起きている。
「こんなになってたのか⁉」
「うん。赤ちゃんは皮膚が弱いから気を付けないと。立珂、服選んでくれるか?」
「もうえらんだよ! 羽がとってもきれいな青だから白が良いとおもうの! そのまえにみずあびしたい! びしゃってわしゃわしゃするのとどっちがいい⁉」
「わしゃわしゃ?」
「落ち着け立珂」
立珂は相変わらず目をきらきらと輝かせて鼻息を荒くしている。そんな弟を薄珂はひょいと抱っこした。
「威龍も服を変えた方が良い。有翼人の家族専用服があるんだ」
「え、そうなの?」
「うん。その前に風呂に入ろうか。雛は洗ってあげないと。こっち」
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