花束

 体の揺れを感じて目を覚ますと、夜景が左から右へ流れつづけている。

 月曜日から得意先の接待があり、その帰り道、電車に乗り込んだところで眠ってしまったようだ。

 不用心限りない話である。


 見渡すと、乗客はロングシートに坐っている私ひとりであった。

 アナウンスが流れているが、なかなか耳に入って来ない。

 またウトウトとしだした時に、いま停車しようとしている駅で降りなければならないことに気づき、私は急いで立ちあがった。

 そして、忘れ物がないかとシートに目を落としたところ、ユリの花束が置かれていた。

 買った記憶も貰った憶えもなかったが、思い出す余裕がなかったので、とりあえず花束を手に取り、電車から降りた。


 改札口を出て、アパートまで歩いていると、花束が邪魔になってきた。

 とっさに持って来てしまったが、おそらく私のものではない。

 接待する側が花をもらうことなどはないし、私に花を飾るような趣味はなかった。

 ロングシートのとなりに坐っていた乗客が、忘れて行ったのだろう。

 私のように酔っていたのかもしれない。


 「そのままにしておけばよかった」とつぶやいた際に、街路灯に照らされている電柱が目に入った。

 私はいやらしい笑みを浮かべながら、「これはいい」と電柱のわきに、ユリの花束を置いた。

 電柱の下に花束があると、そこで交通事故でもあったように見えてくる。

 「ちょっとさみしいな」と、少し物足りなさを感じた私は、胸ポケットからタバコの箱を取り出し、花の横に添えた。

 少し離れて電柱の様子をながめたあと、私はひとつうなづいた。


 火曜日の朝、会社へ向かうために、くだんの電柱前を通ったところ、私の置いた花束とタバコの横に、缶コーヒーが並べてあった。

 勘違いした誰かが置いたのだろう。

「冗談が過ぎたかな?」

 花束とタバコを片付けるべきなのだろうが、これから混雑する電車に乗らなければならない身なので、悪いと思いつつも立ち去った。


 翌日、電柱の前を確認すると、花が増え、缶ビールが添えられていた。

「ちょっと気味の悪い話になって来たな」

 不安を抱きつつ、その日も職場へ向けて足を速めた。


 電柱の前の供え物は毎朝増えて行き、そう簡単に撤去できない量になってきた。

 意を決した私は、日曜日の早朝、ゴミ袋を片手に電柱へ向かった。

 他人が備えたものを勝手に片付けてよいのかは分からなかったが、これ以上、放置しておくわけにもいかなかった。


 電柱の前には、色とりどりの花と各種の飲み物、お菓子に、タバコ、雑誌などが並べられていた。

 それらをワゴンに積んで新幹線に乗り込めば、そのまま商売になりそうなぐらいの量があった。

 枯れた花はなく、缶やペットボトルも整頓されていたので、だれかが掃除をしているのだろう。


 というようなことを考えていた最中、老人が電柱に近づき、腰を落として、合掌をはじめた。

 老人が読経を終えるのを待ってから、私はたずねた。

「あの、すみません。ここで何かあったんですか?」

 私の方へ振り返ると、老人は教えてくれた。

「月曜日の深夜に轢き逃げがありましてな。ちょうど、あなたくらいの年頃の男性が亡くなったそうです」

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