第2章 終わらない冬04

 不死鳥の翼は曇る世界でも煌めき、周囲の雪氷を溶かしていく。まるでそれ自体が太陽そのものであるかのようだった。


「あ、ありがとうございます……」


全身の痛みも漸く治まり、サフィーは足を震わせながら立ち上がった。


「礼には及びませんよ、若き一角獣。それよりも、何処か怪我はありませんか?」


「えぇ、何とか……」


サフィーは身体を震って悪霊達に付けられた霜と雪を掃うと、眼前に佇む不死鳥へと目を移した。全身から美しい輝きを放つその姿に思わず見惚れてしまいそうになるが、その瞳から差す冷たさを彼女は見逃さなかった。それは邪悪なものでなくとも、決して善意とは言えない……人がいう『下心』と言えるものであった。故にサフィーは思わず不死鳥とは距離を取ってしまった。


「それは良かった。私とて、仲間が傷つくのを見過ごすことは出来ませんからね」


「仲間……ですか?」


「えぇ、或いは“友達”と称する方が良いでしょうか?」


「え……?」


不死鳥は目を細めて、自身から離れるサフィーを見下すように首を伸ばす。その言葉遣いは柔和ではあったが、その奥にある種の欺瞞が潜んでいた。


「……貴方と私がいつから友達になったと?」


「おや?不満ですか?この私と友達であることは……」


「いえ、そういう訳ではないのですが……。何故、初対面の貴方と私が友達であるのかが知りたいのです。私はまだ、貴方の名前も知らないのに……」


「フフフ、ユニコーンはそんな些細なことを気にするのですか?私は不死鳥、永遠に世界ここにあり続けるもの。それ以上の形容は必要ありません」


「は、はぁ……」


サフィーは訝しげに首を縦に振る。不死鳥は相も変わらず微笑みを浮かべていたが、やはり彼女には却ってそれが怪しく思えたのだ。ただ、根拠も無く疑うのも心苦しいので、取り敢えずサフィーはかの不死鳥に疑問を投げかけることにした。


「で、では、何故貴方と私と言えるのですか?私達は初対面でしょう?これまで会ったことも、言葉を交わしたこともありませんでしたし……」


「おや?何故そのような野暮な質問をするのですか?」


「問いには答えで返して欲しいのですが……」


「あらあら、随分と手厳しいことで」


不死鳥の視線が鋭さを増す。外面では余裕な態度を崩さずとも、内心では腹立たしく思っていることがサフィーにはバレバレであった。


「……すみません、少々意地悪なことを言ってしまいましたね」


「いえいえ、貴方の皮肉など全く気にしていませんよ。それよりも……私が貴方を“友達”と呼ぶ理由を知りたいのですよね?」


「は、はい……」


「単純な話ですよ、私と貴方は同じ“幻獣”だから……それだけですよ」


「……えぇ?」


余りにも乾いた返答にサフィーも思わず目を丸くする。


「いえ、友達ってそういうものではないでしょう?もっとこう……お話をして、親睦を深めていった相手こそ友達と言える存在ではないのでしょうか?」


「……はぁ、実に人間らしい浅ましい考えを覚えてしまったようですね」


唐突に不死鳥がサフィーの間近まで嘴を寄せる。それと同時に放たれる冷徹な眼光は小柄なユニコーンの身を一瞬で竦ませた。


「良く聞きなさい、幼き一角獣よ。これを機に人と関わるのはおやめなさい。貴方は未熟ゆえ、人間の騙る“友達”という言葉に惑わされているのです」


「い、いえ、私は惑わされてなんて――」


「あれは耳障りの良いことしか教えなかったのでしょうが、あの言葉は人間が作り上げる虚構の一つです。それを信じ込んでしまっていては、いずれ貴方の身を滅ぼしますよ。そう、先程のように……」


先程とは打って変わって、不死鳥は高圧的な態度でサフィーを問い詰める。彼女は幻獣とは唯一絶対の存在であり、他の生物と同じ立場に立つことなど許されないという考えを持っていた。故にサフィーがアリトンと友情を育み、繋がりを深くしていたことを快く思っていなかったのだ。


「私の身を案じてくれているのならば感謝します。ですが、私にも成さねばならないことがあるのです。さようなら――」


「そうはいきませんよ」


不死鳥はその場を去ろうとするサフィーの前に立ち塞がる。翼の炎は怒りに燃えるかのように大きくなり、今この場だけは夏のように暑くなっていた。


「……⁉貴方は……貴方は一体何がしたいのですか⁉」


「貴方を正気に戻したいのです。貴方はあの害意と馴れ合って以降、どんどん幻獣としての誇りを失っている。一角獣よ、早く森へお帰りなさい。このまま堕落の道を進めば、やがて畜生へと堕ちてしまいますよ?」


「……私は……私はそれでも構いません。それで彼との尊い絆が護られるのであれば……!」


不死鳥から幾ら脅し文句を聞かされても、サフィーの意思は揺るぎない。


「……これは……重症ですね……」


不死鳥は熱気を溜息として吐き出したので、サフィーは慌てて足を引っ込める。それが着弾した地面は軽く焼き焦げ、煤が風に煽られて舞い上がる。


「……貴方、森はお好きで?」


「え、何故急にそんなことを――」


「お 好 き で?」


不死鳥が嘴を突き刺さんといわんばかりに顔を寄せてくる。だが既にサフィーはそんな安い威圧には慣れてしまっており、見下されないように気丈な態度で返す。


「……えぇ、好きですよ」


「フフフ、そうでしょうそうでしょう……。この地もかつては緑豊かな大地でした。ですが人間達が木を一本残らず切り倒し、あの下品な黄金を作るためだけの場所にしてしまったのです。そのせいでこの地を追いやられた動物達の数たるや……。あぁ、可哀そう……可哀そうに……」


わざとらしい不死鳥の身振りに、サフィーは眉をひそめる。


「……言いたいことがあるなら、ハッキリと言ったらどうですか?」


「ここまで言っても分からないのですか?まったく、貴方には読解力はダチョウ並みですね。――人間何ぞ、世界の癌なのですよ!己が為にしか生きられず、他者を駆逐し、荒し回る下郎!この大地から一片も残らず消え去るべきなのですよ!」


「……その中にも、清き心を持った者もいます。貴方のように地上を見下ろすことしか出来ない方は知らないでしょうけど」


「知っていますよ?貴方にあの首飾りを渡した男のことを言いたいのでしょう?確か名前は……」


「アリトン」


サフィーがすっと答える。それを聞いた不死鳥は澄んだ音色で高笑いを上げる。


「……失礼、確かにそんな呼び方でしたね。貴方はあの人間を純粋で真水のようなものだと思い込んでいますが、どうせそれも一皮剝けば薄汚い泥が露わになることでしょうよ」


「実際に彼の内を覗いてみたのですか?」


「いいえ。しかし、人間なんぞ所詮そんなものですよ。わざわざ生皮を剥いで確かめなくても分かること……」


「……何故、そう決めつけられるのですか?」


この時には、サフィーから不死鳥に対する畏怖の念が完全に消え失せていた。今彼女の前に立っているのは、幻獣という立場に胡坐をかいた、傲岸不遜な猛禽でしかない。


「……失礼ですが、貴方のような方と話すことはもうありません。そこを退いてください」


「ならば、貴方は早く自分の森へ帰りなさい」


「それは出来ません。私には使命があります!この不可思議な冬を終わらせ、数多の命を救うという使命が!」


「そんなもの見捨ててしまいなさい!それで我々幻獣の尊厳が守られるのならば!」


「何故そんなことを言えるのですか⁉」


サフィーは怒りのあまり、その角で不死鳥を刺し貫きそうになるが、寸での所で堪える。不死鳥は相も変わらず余裕な態度を崩しはしないが、全身から放たれる陽炎は着実に勢いを増している。


「何故そんなことって……フフッ、この世界はすべてが収束するものです。そして人間の愚かさもまた収束するのですよ。そしてこの冬がその結果というもの。これは紛れもない人間が齎した災厄なのですよ。それに巻き込まれてしまった動植物達は気の毒ですが……人間がこの大地から消え失せるならば、必要な犠牲であったといえるものですよ」


「この冬が……人が招いた災厄……?」


「えぇ、その通り。『霜の王』……それが現れてから世界は少しずつ凍り付き始めています。ですが幻獣である私達には関係の無いこと……。それが満足し、消え失せるまで待ち続ければ良いのです。さぁ幼き一角獣、貴方のあるべき場所へ帰りなさい。そして人間が人っ子一人残らず消えた後、また会えることを期待していますよ――」


不死鳥はそう言い残し、再び大空の果てへと去ろうとした。その下ではサフィーには先の悲劇が霞のように蘇る。アリトンとの友情の証を奪い取ったあの仮面の男の姿が、サフィーの眼前に鮮明と浮かび上がり、そして消えていくのだ。


(あれが……あの人が霜の王なのかもしれない……。不死鳥はこの世界を雪氷で包む者の名を知っていた……もっと詳しいことも知っているかもしれないわ!)


そう考えた時、サフィーの体は既に動いていた。


「待って!」


サフィーは10メートル以上飛び上がり、不死鳥の孔雀の如く美しい尾に噛みついた。


「な、何をッ!!!」


思わぬ重石を付けられた不死鳥はバランスを崩し、そのままサフィーと共に地上に真っ逆さまに墜落してしまった。この時、不死鳥は始めてその身に土を付けられることとなってしまった。


「……何故、こんなことを?」


不死鳥から隠しきれない怒りが熱となって吹き出し、周りの景色が陽炎で歪む。だがサフィーがそれに臆することはない。


「手荒な真似をしてしまったことは謝らせてください。ですが、貴方はこの世界を冬で包む者の名を知っていた。霜の王と言いましたよね?その者は何者なのですか?今、何処にいるのですか?」


「……そんなことの為に、私をこの大地に叩き落としたと……?」


燃え滾る不死鳥が、サフィー眼前に迫る。そこから放たれる熱気は彼女の鬣を燃やしかねない程の威力だ。


「……えぇ、知っていますよ。ですが貴方に教える義理はありません」


「どうしてですか?私と貴方は友達……なのでしょう?友達ならばお互い助け合うものですよ――」


「痴れ者めが!!!」


不死鳥の炎は最高潮に達する。もはやこの場は夏を通り越し、火口ではないのかと勘違いする程に気温が上昇していた。だが、それでもサフィーは恐れを見せず、気丈な態度を崩さなかった。彼女にとっては、目の前に立ちはだかる不死鳥よりも、世界が冬のまま滞ることの方が恐ろしいのだ。


「貴方が私をどう呼ぼうが構いません。ですが、霜の王のことを教えるまで、貴方をこの場から飛び立たせるわけにはいきません……!」


「この……一角獣……!」


不死鳥はこれまでの生涯の中で、ここまで怒りに駆られたことは一度たりともなかった。そしてこのまま激情のままに目の前の小柄なユニコーンを焼き殺しかけたが、自身が低俗な殺しに身を汚しかけたことに気づき、大いに自身を恥じることになる。


(……何をやっているのですか、私は……!殺しなど、下等な存在の行うことでしょう!高貴なるこの私がしてよいことではない……!)


サフィーはこの間も不死鳥の目を一点に見つめていた。その瞳は澄みきり、使命感に満ち溢れていた。それを見た不死鳥は漸く重い腰を上げることになった。


「この先、ここからもっと北に氷の城がある筈です。そこに霜の王が隠れ潜んでいます。あの悪霊、ウェンディゴ達もそれの下部です。彼らがいる限り、世界に春がやって来ることはないでしょうね……」


不死鳥が翼で北を静かに指し示す。その先からは、確かに止めどない寒風が流れてきていた。


「なるほど……つまり彼らを止めることが出来れば、このおかしな冬も終わりを告げると?」


「まぁ、そういうことになりますね。……行くのですか?かの者の立つ地へ……?」


「……えぇ、この世界に春を取り戻す……その為に森を飛び出したのですから!」


「そうですか……ならば、十分にお気を付けて。私から言えることはそれだけです」


「フフフ、お気遣いありがとうございます、不死鳥のお姉さま」


サフィーは感謝の微笑みを投げかけ、北に向かって走り始めた。不死鳥はその場に立ち止まり、彼女の影が地平線の先へ消えるまで眺めていた。


「行きなさい幼き一角獣……数多の人間と出会い、そして失望しなさい……」







※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「ちょっと貴方!何をそんなにはしゃいで……って、えぇ⁉」


「見てくれよ!雪が!あの忌々しい雪がみんな溶けちまったんだ!稲も潰れちまってるが無事な奴もいる!神は俺達のことを見捨ててなかったんだなぁ~ハハハ!!!」


不死鳥が去った後、稲畑にのしかかった雪は皆溶け落ちていた。その様をみた畑の持ち主である男は、まるで子供のように跳ね回りながら歓声を上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る