春風はユニコーンと共に
龍川凡流
第1章 寂しがりのユニコーン
第1章 寂しがりのユニコーン01
深い霧が立ち込める森、そこに一つの影があった。雌馬の身体に獅子の尾、そして額に伸びる一角……そう、ユニコーンだ。ただ、彼女は我々が想像するユニコーン程立派な体躯ではなく、普通の馬よりもずっと小柄だ。それこそ無垢な処女と目線を合わせられる程に。その体色は雪のように白く、サファイアのような鬣には桃色のメッシュが流れていた。瞳はどの宝石にも負けない程に澄みきっており、額に伸びる角は金色に輝き、薄暗い森を明るく照らし出していた。彼女の名前は
ユニコーンが一体何処で、誰に産み落とされるのかは、学者たちが永遠に頭を悩ませる謎の一つだ。森……果ては自然そのものがユニコーンを生み出している……。そんな荒唐無稽な説を唱える衒学者もいる。
ユニコーン達は森を駆け回る中で、その足元に温もりを生み出している。それは春の陽気であり、あらゆる生命に生気を齎すのだ。故にユニコーンの住まう森には冬は訪れず、終わらない春が続いているのだ。そして春の陽気は何も森を温かく保つだけではない。卑しい病魔や森を腐らせる魔物を寄せ付けないという効果もあったのだ。故に森の植物たちは皆元気に育ち、そこに住まう生き物達も活気に溢れていた。しかし当のユニコーンらに自らが春の陽気を生み出し、森を保護しているという自覚はない。それはサフィーもまた同様だ。ただ気の気ままに森を駆け回り、綺麗な泉で喉を潤し、日が暮れれば眠る。このサイクルを彼女は何十年もずっと続けていた。サフィーはそれを別に退屈だとも思っていなかった。何より毎日少しずつ背を伸ばしていく草木や、そこに集う生き物たちの営みを眺めることに彼女が飽きることはなかった。
この森は人里から離れている為、人間が迷い込むこと自体そうそう起きない。しかし何十年の月日があれば、そんなレアケースも度々起きるものだ。そんな見慣れぬ訪問者に、サフィーは興味津々であった。なので彼女は自分の森に人が迷い込めば、自ら進んで彼らの前に姿を露わにする。
サフィーを目にした人間達は、皆揃ってその美しさに呆気に取られることになる。当然だ、ユニコーンは人が目視するには余りにも美しすぎるのだ。故に彼女を目にした人間達は皆揃って棒立ちとなる。ユニコーンに遭遇したという事実に思考が追いつかないのだ。ユニコーンを目視した時点で、ただの人間達は彼らの放つ“魔法”に中てられてしまっているのだ。そんな哀れな人間達を、サフィーは取って喰おうなどとはしない。ただ彼らの導き手となり、森の外まで案内するのだ。ユニコーンの一角は、薄暗い森の中では神秘的な灯となり、歩き疲れた人間達を導くのに最適だったのだ。サフィーのこの行動には、人に向ける情愛以外の意味もあった。彼ら人間を放っておけば、まず間違いなく暗闇で目を光らせている獣の餌食になってしまうだろう。そんな人の味を覚えた獣は、いずれ森と人の境界を乱す存在になってしまう。それはサフィーにとっても不本意なことだ。だからこそ、彼女は迷い込んだ人間を森の外まで誘導する。そのおかげで、この森で人が死ぬことは一度たりともなかった。故に生き延びた人々はみんな揃って、その森で体験した一部始終を語り継いでいった。
『あの森にはユニコーンがいる』
中にはそんな噂を聞きつけて、ユニコーンを捕えようとする密猟者もいた。だが、彼らがサフィーをその手に収めることは終ぞなかった。彼女の神秘性をその目に焼き付けてしまっては、猟銃の引き金を引くことさえ叶わないのだから。
そんな日々が続いたある日、サフィーは胸に
「……はぁ、何なのでしょう。この……胸に泥が溜まってしまったような気分は……?」
それは人のいう“孤独”というものであった。だが、彼女にはそれが分からない。ユニコーンは皆ひとりぼっちで生きていく。仲間で群れることも、互いを愛し合うことも彼らはしない。そんなユニコーンのサフィーが孤独を感じることなど、本来有り得ない話なのだ。
「どうにも気分が沈んでしまうわ……。私、疲れているのかしら?」
小さな溜息と共に、彼女は足を曲げて座り込む。ふと空を見上げると、木々の間から細やかな星々が地上を見下ろしていた。
「……お星さま、お星さま?貴方に相談があるのです。どうか聞いてはくれませんか?」
――星からの返答はない。
だが、サフィーは構わず質問を投げかけた。
「私は今、胸に何かしこりのような
――やはり星からの返答はない。
「お星さま?お星さま……。『自分で考えなさい』ということですか?……ハァ、お星様は厳しいお方ですね……」
サフィーは星に答えを問うことを諦め、自身の知恵を絞ることにした。しかし、結局自分一人では胸に募る“
「……本当、何なのでしょうか?これは……」
胸に絶妙な引っ掛かりを残したまま、彼女は眠りについた。
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