第39話 また気軽に来なさい
俺と柊がカラオケで盛り上がっていたときに、親父はパプリカとオクラのサラダを作っていたらしい。茹でた後の粗熱を取ってから、冷蔵庫で一時間ほど寝かせていたとは。そこまでして、カラフルな見た目を柊に楽しんでもらいたかったんだろうな。
俺がサラダを盛りつけている間、おかんはタコときゅうりのすり流しをものの五分で完成させた。
夕食の献立を分担する手際のよさはさすがだな。先に帰宅していた優位性を利用する親父と、もらいもののグレープフルーツから作ったポン酢をすり流しに使おうとひらめくおかん。二人とも、最初から手際がよかった訳ではない。外食代を削って推し活にお金を注ぎ込むタイプのオタクが、超進化を遂げただけだ。努力を重ねたオタクの底力に、恐ろしさを感じる。
「仕事着に匂いが移ってしまいますわね。雪、あなたがメイン料理を担当なさい」
解凍された肉の塊に、思わず歓声を上げた。
「やった。ラム肉のステーキじゃん!」
焼き加減を俺好みにできるのはありがたい。だが、喜んだのは一瞬だった。
焼き上がるまで熱い思いをしろと? 四人分もあるのに。
抗議の声は出せなかった。
「逃げられた!」
おかんは忽然と消えていた。ささっとシャワーを浴びに行ったに違いない。
親父は戻ってきそうにないから、俺がやるしかないな。俺も一応、ちょっといい服を着ていたんだけど。柊は文句を言わずに新品の服で料理していたっけ。俺も腹をくくらなきゃいけないかな。
「よし。気合入れて焼くか!」
柊に生焼けの肉を食べさせるなんてことがあったらいけない。死にかけたときのイケボを聞いてみたいという、願望に負けるなよ。
「焼き目を見ただけでも、美味しいって言わせたいな」
アニメの飯テロシーンで目は肥えているはずだ。何人ものスタッフが関わっている作画の綺麗さと、プロの料理人でもない素人の腕前のどちらが上か。答えは分かりきっている。
変なアレンジは加えず、火力と焼き時間を守ろう。それが俺にできる最善の策だ。
「いい匂いがすると思ったら、雪が作ってくれてたんだ」
「しゅっ……う……」
いつしか少女漫画のコマの中に入り込んでいたのか。柊が眩しい。
背後に立つなよ。驚いて手も一緒に焼いてしまいかねないぞ。それで冷やすために手を握られて、気づいたら唇も近づく展開が見え見えなんだよ。
てか、いい匂いって。言い方を考えろよな。俺自身の匂いのことを言われたのかと思って、ちょっとビビったわ。
「綺麗な焼き目。レジンで永久保存してもいい?」
「いい訳あるか。美味そうに見えるんだったら、食べてくれよ」
ドン引きはしなかった。他人事とは思えない。
何でも保存したがるのはオタクの悪い癖だな。俺もユイリィから料理を振る舞ってもらえたら、大事にしたい気持ちと味わいたい気持ちで葛藤しそうだもん。
「それが雪の望みなら」
いちいち絵になるセリフを囁くな。創作意欲を掻き立てられた両親が、とんでもない熱量でラノベや漫画を生み出すぞ。
案の定、リビングで「あれで付き合っていないのが信じられませんわね」と言い合っていた。まさか俺の中途半端な対応も、創作意欲を燃え上がらせる燃料になっているのか? やだ、このお家。帰りたい。
肉をテーブルに運ぶと、おかんが柊から席に座らせようとした。
「柊くん、おかけになって」
「柊はこっちだ。俺が正面にいた方がいいだろ。俺の両親にガン見されながら食事がしたいって言うんなら止めねーけど」
そんなことないよとも、助かったとも言わなかった。だが、俺には分かる。正面の席に腰を下ろしたことが、柊の出した答え。俺と両親の板挟みになって困るなんて事態は、避けられているはずだ。
「わたくしが柊くんの隣に座ってもよろしいかしら。あなたが座ったら、お酌を頼むのでなくって?」
親父は照れていた。
「お恥ずかしい限りで」
そこはびしっと否定してほしかったな。
「今すぐにはできませんが、お酒が飲めるようになったらお酌させてください」
柊よ、模範解答を叩き出さなくていいんだ。そのうち柊を神として崇めかねない。
「大人になった柊くんと飲むのが楽しみだよ。お酒がなくても今日は楽しかったがね。我が家は他担も大歓迎だ。柊くんがよければ、また気軽に来なさい。雪も喜ぶ」
「一番喜ぶのは親父じゃん」
「同率一位でよかろう」
「わたくしも入ってますわよね?」
おかんまで熱烈な歓迎ムードに加わるのかよ。恥ずかしい。
食事の席で喧嘩するのはよくないと思い、不満を抑えた。柊を家に上げたこと自体に後悔はしていないからな。あらぬ誤解をさせて傷つけるより、俺が恥ずかしい思いに耐える方を選ぶ。
柊を駅まで送ろうとしたとき、予想よりも身軽だったことに驚かされた。
「うちの親父から、プラモデルをもらったんじゃなかったのか?」
『たくさん珍しいコレクションを見せてもらったけど。プラモデル歴の浅い俺がいただくなんて、おこがましいよヾノ。ÒㅅÓ)ノシ』
「そうか? 柊がほしいって言ったら、プレミア価格の等身大アクリルスタンドでも譲りそうだぞ」
『傾国の美女じゃあるまいし、そんな無理なお願いしないよ(> <。)』
柊は新しくスマホに文字を打ち込んだ。
『俺がほしいのは、ものじゃないし』
まさか、俺がまるごとほしいなんて言うんじゃねーだろうな。やめてくれ、ただでさえ柊主演の中国マフィアものの供給で脳を焼かれているんだ。指で書いた尊死のダイイングメッセージが見えなかったのかよ。一家全員の悲惨な姿が。
「ねぇ、雪」
「まっ……まだ、心の準備がっ」
制止しようとした柊は、そのままの勢いでまくしたてる。
「今度の週末にある花火大会。俺と行こうよ」
「……はい?」
なぜだ。
なぜ人混みの中を歩いてまで、花火を見に行かなきゃならんのだ。
俺が口を開く前に、柊は誘った理由を説明した。
「花火大会に出店するキッチンカーで、紅葉ちゃんがバイトするんだって。友達のバイトしてるとこ、見に行かなくていいの?」
「そんな楽しそうなイベントがあるなんて、全然聞かされてないぞ! 絶対行く!」
紅葉は完全犯罪に向いてないな。柊が汐亜と繋がっているんだから、俺の耳に入ってくることは予想できただろうに。
隠し事ができないツンデレ。字面だけでも癒されるなぁ。
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