第28話 特別な人(萌歌side)
光るものが好きだった。手持ち花火セットについていたケミカルライトブレスレット。魔法少女に変身できるコンパクトミラー。
小学校に入学するときに選んだ筆箱もしかり。マグネットで留まる両面開きの筆箱自体は、物珍しいものではない。整列していた五本の鉛筆を転がし、休み時間の度にバトルを繰り広げるのは日常茶飯事だった。それでも私の筆箱には、男女問わず寄ってきた。斜めに傾ければスパンコールの天の川を作り、誰もが動かしたくなったからだ。
学年が上がるにつれて、両開きの筆箱は減っていった。化粧ポーチをペンケース代わりにしたり、スポーツブランドのものを選んだりする人が増えた。
裂けたビニールをテープで繋ぎ止めてまで使うのは、中学年で私しかいなくなる。
新しく同じクラスになった女の子達から、くすくすと笑い声が上がった。
「
「しかも、今どき鉛筆って。ティアラとかリボン柄とか、昔は持ってたけど。私のシャーペンと交換してあげる。上にあるダイヤが可愛くない?」
ノックする部分は、お金持ちの夫人が付けるような大粒の指輪に見えた。ただし、実際に宝石は使われていない。ダイヤと呼んでいたのは透明なアクリルビーズで、本物の輝きには遠く及ばなかった。
優しくしてあげた自分が可愛いと言わんばかりに、私の筆箱から新品の鉛筆を抜き出す。
勝手に触らないでよ。私は嫌々使っているなんて、一言も口にしていないじゃない。邪魔なビーズがついているシャーペンをもらっても困る。筆箱に入り切らないのを分かっていて、あげようとしているんでしょうけど。
扇子があったら、即座に手を払い除けていた。おほほと微笑しながら。
現代日本でむやみに力を奮えば、問題行動として先生に呼び出される。
思い出して。私が好きな魔法少女は、こういうときに何て言っていたっけ。
『これは、おばあちゃんにプレゼントしてもらったものなの。残念だけど、あなたにあげられないわ。ほかにほしいものはないの? それを一緒に叶えてあげる』
自分の意思をはっきりと伝え、相手に納得してもらえるまで話し合っていた。
画面越しで聞いたときはかっこよく思えたのに、今の状況では使えそうにないセリフだ。私みたいに可愛いもので武装しなくても、周りの人に好かれるオーラを持った人が選べる言葉だった。持たざる者は、牙を立てる勇気もない。
私は無難に笑い、シャーペンを握りしめた。
「ありがとう。大切にするね」
悪夢はまだ終わらなかった。
「これでうちら友達だね」
「うちは香りつき消しゴムをあげる」
望んでいないものが押しつけられる。チョコレートの香りに顔を背けると、教室は新しい友達と文房具を交換する女子で溢れていた。
この先ずっと、本音を押し殺して過ごしていかないといけないのかな。
私の心は濁っていく。
何かを渡さないと近づけない関係は、友達ではない。国語の時間でそう勉強したはずだった。
言えばよかった。もらわなくても困らない。友達の皮を被った泥棒なんか、付き合いきれないと。
流れに身を任せるしかなかった私に、勇気は芽生えなかった。記憶の中にあるヒロインの声をトレースする。
「わぁ。いい香り」
これが幼稚ではない持ち物なんだね。覚えたよ。もう馬鹿にされたくないから。
私が可愛いと思ったものを笑うのなら、学校には持って行かない。家と休日だけで楽しむ。もらったシャーペンは、戒めとして愛用することにした。
それ以来、学校は窮屈な場所になった。中学で特別な声と出会うまでは。
「小森さん。シャーペン、落ちてたよ」
たったそれだけのセリフが、ASMRを聴いているかような充実感を呼び起こす。拾ってくれたお礼の言葉は、喉に刺さって抜けなかった。
「それ以上、私に近づかないでほしい」
じゃないと、耳が溶ける。
今まで虐げられてきた経験は、貴崎くんに愛されるために必要な儀式だったと信じてしまう。
貴崎くんは機嫌を悪くする素振りを見せなかった。まばたきした睫毛から、小さな星がいくつも飛ぶ。
「近づかないでって……四月いっぱいは、席替えをしないんじゃないかな? それまでは小森さんの前の席だよ」
「じゃあ、なるべく話さないで。頭が痛くなる。それくらい、貴崎くんの声はやばい……」
次は貴崎くんから遠くの席がいい。至近距離でイケボを浴びない席。でも、私が離れたばかりに、ほかの子が好きになってもらったら困る。私が貴崎くんの行動を制御しなきゃ。
気をつけるよと言ってから、両手を合わせた貴崎くんは可愛かった。
背中を向けたことを確認し、ペンケースからメモを一枚出す。朝学活で配布されたクラスだよりを見ながら、書き慣れない漢字を写した。ダイヤのビーズがついたノックボタンを外し、書いたばかりのメモ用紙を入れる。初めて好きになった人の名前は、誰にも知られる訳にはいかなかった。
他クラスの友達に「貴崎くんの声はやばい。聞いたら呪われるよ」と愚痴を言い、前後の席でのペアワークの音読は「近づきすぎ」と諭し続けた。イケボで囁かれたら好きにさせられる。イケボ聞きたさで休み時間の度に他クラスから押し寄せて来たら、貴崎くんの喉が心配だ。私は心を鬼にして、貴崎くんの日常を守った。
そのかいあって、四月が終わるころには貴崎くんの顔から笑顔が消え、誰かに話しかけられない限り無言でいることが増えた。シャーペンを拾ってくれたときの笑顔とイケボの記憶は、いつまでも薄れない。私だけが知っていたらいい。恋を知らない無垢な頬が、動いていたころを。
卒業して離れ離れになっても、私がきっと迎えに行ってあげる。連絡先は知らないけれど、運命の赤い糸が導いてくれる。そんな希望を持っていた。
文化祭に行った日、よりによって目の前でキスされるなんて思わなかった。絶望した。また好きなものを奪われた衝撃で、動けなかった。私の思いを否定した女の子も、貴崎くんも許せない。
しょっぱいものを食べていたら甘いものを食べたくなるように、クール系彼女より可愛い系の同級生を魅力的に感じる周期がやって来るはず。見てなさいよと、意気込んだ。キスしたくなるお姫様に、絶対変身するんだから。
手も繋いでいなかった。
まだ彼女になっていないのは好都合ね。柊くんが返事を待っているのなら、奪ってもいいでしょ。
前みたいに、がっつかないようにすれば落とせる。
「いたいた! しゅーく……うっ?」
目の前に立ちふさがったのは、ショートウルフの男の子だった。こんがり日焼けした体育会系の子に見下ろされるとすごみがある。
「こんにちはー。小森さん、だよね?」
「だっ、誰よ。あんた」
「柊の友人の早川だ。あの二人に付きまとうのは、やめてくれないか?」
あんたの背中のせいで、貴崎くんが見えないじゃない。
離れようにも、早川のフットワークが軽いせいで逃げ切れなかった。その才能はサッカーに生かしなさいよ。
「言いがかりはやめて。私が叫んだら、困るのはあんたよ? 誰かがカメラを向けるかも。普通の学校生活を送りたかったら、黙っていた方が身のためじゃない?」
一度ネットに晒された情報は、見ず知らずの人へ回っていく。最悪、退学だってありえる。分かったら、さっさと道を譲ることね。
「確かに俺のしていることは、きみにとって邪魔かもしれない。でも、俺らも困っているんだよ。また柊に危害を加えるんじゃないかって」
「危害なんてかけてない」
「うちの文化祭に来ていたときの、目撃者の証言がある。きみは目立ちすぎたんだよ。裏で何て言われたか知ってる? メイラ似の美少女彼女に喧嘩を売った、あたおかさんだってさ」
誰が異常者よ。私は普通のことしか望んでいない。
「頑張って下の名前で呼んだ同級生に、変な若者言葉でまとめないでよ」
「あたおかだろ。今日も待ち伏せしちゃってさ。そのせいで、こっちは部活から帰ったばっかりだったのに、佐原に呼ばれて張り込みを手伝わされたんだ。また汗だくだよ」
知ったこっちゃない。そんな事情。
かっとなって口を滑らせた。
「好きな人にかっこよくいてほしいって思っちゃ駄目なの? ランダムで手に入らなかったグッズを中古ショップまで言って探したり、交換してもらえないか検索したりする姿は、全然かっこよくない……」
早川の肩を小突く。
友人の悪口を言っているのに、嫌な顔一つしていない。もっと本音をぶつけていいと言わんばかりに。最後まで出し切っていいのね?
「もっと前に告白して、貴崎くんにフラれたかったよ。あんなもの見せつけられたくなかった。キスも手繋ぎも」
また一緒にイベント行こうなと話す女の子へ、貴崎くんは可愛い顔文字を返してあげているのだろう。もう私のことは視界に入らない。あの子しか見ていないもの。
ここにとどまってもつらいだけだ。初対面の人に涙を見せたくない。
「これで私の初恋はおしまい。もう貴崎くんにも、あの子にも近づかない。だから、あなたも帰ったら?」
「そうする。気をつけて帰れよ」
遠くなる早川の腕を掴む。至近距離だと分かりにくかったが、そこそこいいパーツ持ってるんじゃ。
「俺はマネキンか何かなのか?」
「いいから、じっとしてて。サイズが測れない」
捨てきれずにいた執事服を少し直せば、この人に似合う気がする。執事服以外のコスプレも着こなせそう。
出会ってしまった。私の手で輝かせたい宝石の原石を。
「ねぇ。コスプレに興味ある? 連絡先、交換したい」
「ない! スカートは履かないからな!」
言い終わらないうちに早川は走り出してしまう。
文化部だと思って手加減しているのかな。これでも中学のときは陸上部で長距離を走っていたの。ちゃんとしたシューズじゃなくても脚力には自信あるのよ。
行き交う人の隙間を駆け抜けた。
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