第四章 愛は定め 9
「月白ちゃんは無事ですよ。少し暴れられましたので、ちょっとだけお仕置きしましたが、怪我はさせていません」
黒檀は馬を下りると、その尻を叩いて立ち去らせた。
「何故? と、聞いてよろしいか?」
それは露草が黒檀を交わした契約についてだろう。
あの燃え盛る黄都で露草は黒檀に契約を持ちかけた。
月白を安全な場所まで連れて行く代わりに、自分と戦え、と。
「私は宝玉捜索の任を受けています」
「そう、でしたか。しかし宝玉は――」
「月白ちゃんに生まれ変わった。そうですよね」
黒檀の言葉を遮って露草が言った言葉に黒檀はしばし押し黙った。
それからようやく口を開く。
「どうしてそう、思われるのですか?」
「だって、辻褄が合うじゃありませんか。四十年前、勇者様は旅の途中で邪神を宝玉に封じたと報告しています。一方でそのために宝玉は失われた、と。しかし実際には黒檀様がそれを託されて旅から離脱されています。ということは、邪神を封じたことで宝玉は使えなくなったんでしょう。魔王討伐の切り札ではなくなった。けれど、それだけの力を封じた宝玉は狐族に返還するわけにも行かなくなった。狐族は宝玉に封じた邪神の力を利用できるかもしれないから。だから黒檀様は勇者様から、宝玉を隠し、守るようにお願いされたのではありませんか?」
黒檀は肯定も否定もしなかった。
まだ話は終わりではない。
「黒檀様は故郷の煌土国に戻ってきたものの、人里での生活では宝玉を隠し切れないと考え、田舎の山中に住処を求めた。そうして辿り着いたのが翠嶺郷の奥深くだったのでしょう。しばらくはそれでよかった。しかし十年程前に黒檀様は子を拾い、翠嶺郷に相談に行かれましたね。あんな山中に子を捨てる者がおりますでしょうか? それも八大種族のどの種族とも特徴の異なる子どもを。ではその子はどこから来たのか。それは黒檀様自身が仰いましたね。宝玉は失われた、と。正確には、宝玉は宝玉では無くなった、のではないですか? 月白ちゃんは宝玉に封じられた邪神の命が受肉した子。というのが私の推理です」
黒檀はしばらく考え込む様子を見せた。
そして肯定も否定もしなかった。
「それで、露草さんはそう考えた上でどうするつもりなのですか?」
「月白ちゃんを連れて行きます。依頼主のところに。それが私の仕事ですから」
「では何故ここで待ったのですか? 私との約束など反故にして依頼を果たしても良かったのでは?」
「いけませんか? 仕事の途中に私事を挟むのは? 私はどうしても貴方を、黒檀様、貴方を殺して私だけのものにしたいのです」
今度ばかりは黒檀も言葉に詰まったようだった。
その姿を見て心を擽られた露草は微笑んだ。
「若い女からの愛の告白ですよ」
「露草さん、私は貴方を好ましく思っています。月白に初めて会った時にその体調を心配し、その後も香染の娘を救うために現れた。黄都では月白を守って、ここまで連れてきてくださった。貴方には恩がある」
「そう感じてくださっているならどうぞ私と殺し合ってくださいな。それこそ究極の愛ではありませんか。私が貴方を殺して私のものにするか。貴方が私を殺して貴方のものにするか。どちらかです」
理解されるとは思っていない。
だが理解して貰えたなら嬉しい。
露草は自分が普通ではないことをある程度自覚している。
少なくとも普通の人間は本当の愛を知らないのだ。と思っている。
「共に生きる、ではいけませんか? 変な話ですが、貴方が男性だったら月白の連れ合いに望んだかもしれません。でも貴方は女性ですから、月白の姉のようになっていただけたらと思ったのです」
黒檀からの好意は、そうなるように計画していたとは言え、嬉しかった。
そうなるように計画していたからこそ嬉しかった部分もある。
しかし、
「それじゃあ、ですね、私が満足、できないんです。今も貴方は月白のことばかりではないですか。今だけは私のことだけを考えてくださいませ。私も貴方しか目に入りませんから。そして互いのことに一杯になったお互いを永遠にしましょ?」
「貴方は恩人です。恩人を斬れと?」
黒檀は真っ当な人だ。
普通の人間だ。
その強さは常人から隔絶し、宝玉を守るために人生を掛けた異常者だが、心根は常人のそれだ。
だから黒檀の答えはある程度予想していた。
「ではこうしましょう。私は月白ちゃんを狐族のところに連れて行って事情を説明します。たとえ月白ちゃんを連れて行けなくとも、狐族へと情報を提供しましょう。さあ私を止めるには斬るしかありませんよ」
露草が本気で言っているのが分かったのだろう。
ようやく黒檀は腰に提げた刀に手をやった。
「条件があります。私が死んだら、月白の面倒を最後まで見てやってほしい」
「月白ちゃんがそれを望むとも思えませんが?」
「それでもです」
「承知しました。貴方は私と一緒になるのですから、それも当然ですね」
条件を付けたのであれば、それが満たされたなら同意するという意味だ。
黒檀は露草との殺し合いに同意した。
「いざ」
「いざ」
「尋常に」
「愛し合いましょう」
先に動いたのは露草。
右に向かって駆けだした。
黒檀の背後に回り込もうと、ぐるっと円を描くように走る。
黒檀は首でこそ追ってくるものの、姿勢は変えない。
ただ刀の柄を掴んで、いつでも抜ける姿勢を維持している。
じりじりと距離を詰めながら露草は黒檀の背後を通り抜ける。
黒檀の首が回りきらなくなって、彼は首を逆方向に回そうと振り返った。
何故そのようなことを?
普通に体をこちらに向ければいいだけの話だ。
だが黒檀の視界はいま露草を捉えていない。
攻め時だ。
露草は小刀を抜き、地面を蹴って黒檀へと方向転換した。
黒檀の首が回って、露草を再び捉えようとしたところで、いや、それよりも一瞬早く、露草は違和感に気付いた。
黒檀の姿勢がわずかに変わっている。
あれほど左腕の肘を上げていただろうか?
そう思った途端に跳んでいた。横に。
乾いた破裂音がして、黒檀の着物が風も無いのにはためいた。
露草がいた場所付近を銃弾が引き裂いていく。
懐に入れた銃をそのまま撃ったのだろう。
衣服が銃声をある程度、吸収したのは幸いだった。
そうでなければ露草は硬直するくらい驚いたかもしれない。
もしも露草が猫族を相手に普通の銃を使うのであればさらに接近してから、隠さずに使う。
命中しなくとも銃声で怯ませられるからだ。
黒檀は猫族相手に銃を使ったことがあまりないのだろう。
山中に隠れ潜んでいたのだから、大戦にも参加していないのだろうし、当然かもしれない。
問題は銃が単発か、連発できるかだ。
銃に慣れてはいないのだろうが、その駆け引きのことは分かっているようで、黒檀は銃を懐に隠したままにする。
これで露草は常に黒檀の銃のことを気にしながら戦わなければならなくなった。
ならば走り続けるしかない。
一縷から鋼線を引きながら右へ。
月白に使ったのと同じ布石だが、月白との一幕を黒檀は見ていない。
黒檀の間合いより少し外を回る。
先ほどとは違い黒檀は露草を正面に捉えるように体の向きを変える。
銃は単発式なのかもしれないし、そう思わせる欺瞞かも知れない。
様子見に間合いに踏み込んだ瞬間、居合の一閃が薙ぎ払われた。
露草は身を低くして躱す。
鉛丹から黒檀の居合の鋭さを聞いていなければ胴を寸断されていたかもしれない。
もう一歩前に踏み出して露草は体を引き起こしつつ小刀を振るう。
黒檀は一歩引いてそれを躱した。
返す刀が露草を襲い、露草はそれを返す刃で受け止める。
予想よりもはるかに重くて、露草は立っていられなかった。
右側に倒れ、そのまま転がり、黒檀から距離を取った。
再び右回りに走り出す。
黒檀は刀を正眼に構えた。
露草の反撃がそれなりに脅威だったのだろう。
露草は回転半径を広げる。
二周、三周、時折半径を縮めて重圧を与え、そしてまた広げる。
四周、五周、本当は七周は欲しいところだが、これ以上は気付かれる。
そう思った露草は鋼線の先を括り付けた家屋と逆側に到達したところで一縷の巻き取り機構を作動させた。
鋼線が巻き取られ、黒檀を囲っていた五周の鋼線が引き絞られる。
その瞬間、黒檀は体を低くすることで一週目を避け、残りは刀を踏み台のように跳び上がって拘束を避けた。
刀だけが鋼線に巻き取られ、中空に浮いた。
まさか!?
鋼線は近付いて目を凝らさなければ見えないほどに細い。
鋼線そのものに気付いていたはずはない。
黒檀がわかったのは露草の不自然な移動と、巻き取り音だけのはずだ。
それだけで何かが巻き付いてくると予測して、実行したのか?
露草は一縷から鋼線を切り離すと、後ろに下がる。
避けられるとは思っていなかったので、動揺を落ち着かせるだけの時間が必要だったからだ。
黒檀は落ちた刀を取り上げて追ってくる。
一縷から切り離された鋼線を刀から外すのは簡単だっただろう。
一縷を捨てるべきか?
いや、まだ早い。まだ使える。
当たり前のことだが、この一縷はキュウの作ったものではない。
別の蜥蜴族に壊れた一縷を提供して、最初は模倣品を、今では改良品を作ってもらっている。
静寂にしても同じだ。
これらの構造は蜥蜴族をも唸らせ、キュウが特別であることを露草は誇りに思ったものだ。
露草は廃屋の一つに飛び込んで、走り抜けた。
黒檀も追って廃屋に入る。
その瞬間に廃屋は崩れ落ちた。
露草があらかじめ柱に仕掛けていたからだ。
屋根が落ち、もうもうと砂煙が上がった。
いくらか遅れて、それを破るように黒檀が跳びだしてくる。
廃屋に入った瞬間、罠に気付き、後ろに下がった。
そうとしか思えない。
草むらに隠したトラバサミも、廃屋と廃屋の間に張った鋼線も躱された。
黒檀はまるで仕掛けた側のように罠を見破ってくる。
傷の一つでも負ってくれればいいものを、すべて完璧に避けてしまう。
罠が完全に尽きるまで罠を試すのは良くない賭けだ。
伏せた手札は、どんなに効果が薄かろうと多い方がいい。
今は随所に罠が張ってあると黒檀に意識させた。
それで満足しておくべきだ。
露草はまだ罠の残っている周辺で足を止めた。
すぐに黒檀は追いついてくる。
「追いかけっこは終わりですか?」
走って疲れてくれればいいのだが、黒檀の呼吸は乱れていない。
この年齢で、どのように鍛えればそうなるというのか。
「はい。ここからは第二幕です。楽しく踊りましょう。黒檀様」
露草は小刀を構え、黒檀に向けて真正面から向かっていった。
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