スラッガーな彼女は甲子園の夢を見るか

遊佐東吾

第1話 アーチスト

 ナツのスイングはいつだって美しい。

 単なる打撃練習にもかかわらず、ついタケルはナツに見惚れてしまう。

 そんなタケルの視線の先で、最速150キロに設定されたマシンが投じる球をいとも簡単にナツは捉える。余韻が残る金属バットの甲高い打球音ではなく、木製ならではの乾いた音とともに。


 左打席から放たれた、強烈な逆回転のスピンがかかった打球はぐんぐん伸びて防護ネットのはるか上を越えていく。

 それもグラウンドの周囲に張り巡らされている通常の防護ネットではない。

 あまりにナツの打球が飛びすぎるせいで近隣の民家から苦情が相次いでいたため、わざわざ別により高く設置された通称ナツネットをまるであざ笑うかのように越えていくのだ。

 滞空時間の長い、重力に逆らったボールが彼方へと消える。


「どうぞ、こちらで御覧になっていてください」


 一塁側ベンチの前まで案内してきた二人の男性に対して、タケルは深々とお辞儀をした。ナツへの取材のために訪れた地元紙の記者とカメラマンの組み合わせだ。

 彼らには何としても心証のいい記事を書いてもらわなければならない。それがタケルの、ひいては実郷みさと学園高校としての願いだった。

 そのために今日の案内役をタケルは自ら買って出ていた。


「ありがとう。しかし噂通りというか噂以上というべきか、すごい打球だね。いやはや、驚かされる」


 先ほど新井場と名乗った四十がらみの記者は半ば呆れたような笑いを浮かべながら、メモを取りつつもナツの打撃練習から目を離さない。

 傍らでファインダー越しにナツの姿を見つめているカメラマンに、新井場が確認を求めるように声を掛けた。


「溝渕くんはどうみる?」


「──本物ですよ、間違いなく。フォームにまるで無駄な力が入ってないし、ぶれることもない。今まで高校野球の取材を長くやってきたおかげで逸材と呼ばれた選手もたくさん見てきましたけど、これほどの子はそうそういませんね」


 興奮気味にそう口にしながら溝渕カメラマンはずっとシャッターを切り続けている。同感だ、とばかりに新井場は大きく頷いた。


「やはり、将野くんのコメントは本心だったんだろうなあ。これほど飛ばせるバッターは確かにセンバツにはいなかったからね。半信半疑、いや正直言えば一信九疑でさえなかったけれども、いざ目の当たりにしてみれば納得せざるを得ないよ」


 話題に出た将野隆宏にはタケルも感謝していた。

 先の選抜大会で決勝までの全試合を一人で投げ抜き、九里谷中央高校を準優勝へと導いた剛腕将野。

 惜しくも決勝戦では打線の援護なく0―1で敗れたが、試合中に怪我をした右足首から出血し、靴下を赤く染めながらもマウンドを守る姿は感動と同時に議論も引き起こした。

 そしてもうひとつ、将野は問題ともいえる発言を大会終了直後に残していた。


「甲子園はそれほどでもない。あいつよりすごい打者はおらんかった」


 ほとんどのメディアでは表立って報道されることはなかったが、そのコメントを知った者たちは当然ながら「あいつ」の正体探しを始めることとなる。

 県予選、秋季地区ブロック大会、選抜大会のいずれにおいても力で相手を制圧してきた将野がいったい誰に打たれたというのか。

 九里谷中央の練習試合の戦績にまで手を広げて調べてみればすぐにわかることだ。同じ県内のノーシード校である実郷学園相手に乱打戦を演じたあげく、三本ものホームランを浴びていたことが。

 その三本はいずれも将野から同じ選手が放ったものだということが。

 遅かれ早かれ、世間はナツの存在を知る。


「圧力や規制を打ち破るには騒ぎを大きくしてやればええ。つけた火が大きけりゃ大きいほど向こうも無視できなくなるからな」


 煙草をくゆらせながらそう言っていたのは墨井監督だ。

 ここまでは監督の思惑通りなんだろうなあ、とタケルは煮ても焼いても食えない人柄とは裏腹に好々爺然としている墨井の風貌を思い浮かべた。


 ただの一球たりとも打ち損じることなくナツが打撃練習を終え、バッティングケージから外へと出てくる。

 タケルとしてはどこまでも飛んでいくようなナツの打球が好きなのだが、ネット越えばかりだとまた学校側から小言をもらうのは間違いなかった。それとなく注意する必要はあるだろう。

 ナツの手綱を取る御者にして世話焼き係がタケルだというのは、部内における暗黙の了解だ。

 汗を拭くタオルを手にとったタケルは、新井場記者と溝渕カメラマンに一礼した。


「すぐにこちらへ連れてきますので、失礼します」


 飼い主に向かって走る忠犬のごとく、タケルは一目散にナツのところへと駆け寄っていく。彼と目があったナツがヘルメットを脱いだ。

 そこに現れたのはタケルたちと同じやや伸びた坊主頭ではなく、短くカットされてはいるが綺麗な黒髪だった。

 遠目からではわからないが、近づけばわずかながら胸の膨らみも確認できる。

 魚塚奈月、愛称はナツ。高校二年生、182センチ。

 タケルより7センチほど高くはあったが、それでも歴とした女子だ。

 そして、高等学校野球連盟は公式戦への女子の出場を認めていない。プレーヤーとしての参加が認められているのは、あくまで女子限定の大会だけである。

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