災厄の魔石の噂

「全く、何処も変わんねえな……」


 キャンプ広場に着くと、ヴァンは呆れを露わに溜息を吐いた。

 ヴァンが先輩方の防波堤になってくれていたことに気付いていたクィンは、実感を込めて「お疲れさまです」と返した。

 

「ねえヴァン、森の先には妖精郷とギルディアくらいしか大きな街がないのに、この森はたくさんの人が通っているのね」

「ああ。ギルディアは冒険者ギルドが作った街だからな。エレミアからの依頼も安定してあるし、なによりこっちは西大陸ほど魔石の影響もねえしな」

「魔石の……」


 ヴァンの口から魔石という言葉が出た途端、ミアの表情がほの暗く沈んだ。


「災厄の魔石の影響があちこちで出ているっていうのは、ほんとうなのね……」

「俺が見たのはほんの一部だが、国に影響が出てるところもあったぜ」

「そう……それなら、ティンダーリア崩壊も、やっぱり……」

「そういうことになるな」


 災厄の魔石。

 ティンダーリア王家が代々封じてきた、世界をも滅ぼしかねない魔力と『願い』のこもった強大な魔石の封印が解かれたという噂は、数十年ほど前からじわじわと侵蝕するように世界を覆っていた。

 その噂が単なる酒の肴ではないと世間が気付いたときには、魔石に汚染されて陥落している都市も存在しており、いまでは残された無事な都市と国とが協力して魔石の侵蝕を抑えている状況である。

 封印の地であるティンダーリアに近ければ近いほど侵蝕が深いとされ、大陸が違うこの近辺はまだ平和を保てている。が、この頃は海を渡って魔骸や大型魔獣が襲ってくることも増えてきたと話す者もいる。

 魔石自体は魔力を帯びた鉱石というだけで、害のあるものではない。しかし、強い魔力を持った魔石に歪んだ願いを込めればそれは忽ち脅威になる。更に、汚染された魔石が魔法種族ではない生き物の体に取り憑けば、魔骸と呼ばれる理性も自我もない怪物――――魔骸に変じることになる。


「ヴァンは、魔骸も見たことがあるの?」

「一度だけな。即席の討伐隊に組み込まれて相手したが、二度と御免だぜ。だいたいあれは封印の血筋じゃなきゃ、倒すことはできねえんだろ?」

「え、ええ……そうね。ティンダーリア王家の女性だけが使える詩魔法で浄化しないことには……」


 クィンの視線を感じながらミアが話していると、ガサリと背後の枝葉が揺れる音が聞こえて、ミアはハッと顔を上げた。其処には見知らぬ労働者風の男が酒瓶を片手に立っていた。


「面白そうな話してんじゃねーかぁ。魔骸討伐だってぇ?」


 酒気まみれの男はふらついた足取りで近付き、ミアたちの輪から少しばかり離れたところの木の根元にどかりと腰を下ろした。その仕草は、半ば尻餅をついたようでもあり、殆ど前後不覚といって差し支えない有様だ。


「あんなもんに手ぇ出すヤツは馬鹿だぁ、馬鹿ぁ! どんだけぶっ飛ばしても死にやしねぇ、焼こうが刻もうがすーぐ復活しちまう、文字通りの化けもんなんだぁ!」


 酒瓶を振り上げ、酔っ払い特有の周囲を憚らない大声でわめき立てる男に、ミアは心底困惑し、ヴァンは面倒だと言いたげな顔を隠しもせず眉を顰め、クィンはミアに近付けば切り捨てることも辞さない構えで見据えている。


「あんなのはなぁ! 人類の敵ぃ! 世界の敵なんだぁ! てんだーれあだか何だか知らねえがぁ、封印すんならしゃんとしとけってんだぁ!」

「あーっ!」


 三者三様の視線をお構いなしに男が更に喚くと、先ほど男が現れた小道から新たな訪問者が姿を現した。


「やーっと見つけた! もう、探したんですよ!」


 そう言いながら男の傍に膝をつく人物は、アイボリーのようなほぼ白に近い金髪をふわりとした丸いシルエットに短くカットした髪と若草色の瞳を持ち、穏やかそうな面差しをした青年だった。眉を下げて困ったように「もう、勝手にいなくならないでくださいよ」と言いながら腕を取ると、酔っ払いを肩に担ぐ。


「すみません。うちの者が失礼しました」


 男に肩を貸しながら、青年がミアたちに小さく一礼する。


「僕はアフティ、こっちはモナクといいます。暫く此方の大陸でお世話になるので、何処かでまたお会いしたら、そのときは改めてお詫びさせてください」


 アフティと名乗った青年は、今一度お辞儀をすると「もう、余所様に迷惑かけたらだめじゃないですか」などと声をかけながら、ふらつく男を半ば引きずるようにして小道を戻っていった。

 男はまだブツブツと何事か呟いていたが、それも次第に聞こえなくなる。

 突然現れて突然去った二人の後ろ姿を呆然と眺め、道の先に消えるまで見送ると、ミアはホッと息を吐いた。


「あのおじさま、大丈夫かしら……」

「まあ、たぶんツレがいんなら平気だろ。出来れば二度と目を離さないでもらいてえところだが」


 気を取り直してキャンプの準備を進め、一行は漸く人心地ついた。

 第一広場のときと違いテントもなければ草地に布を敷いただけの簡素な寝床だが、それでもミアは楽しそうにしていた。


「同じ大陸にある森なのに、妖精郷とは全然違うのね」

「そうですね。妖精郷は特殊な結界で護られた神聖な森ですから、どちらかというとエルフの郷に近いかも知れません」

「エルフの郷って別大陸の大森林くらい大きな森にあるのよね? とても綺麗な種族だって聞いたわ。向こうに渡れば会えるかしら」


 夢見心地で語るミアの視界外で、クィンとヴァンは一瞬目を合わせた。

 エルフとヒュメンの領地争いという、魔石の影響が起きそうなネタが数百年前からある地域であるため、美しい森が害されていないかどうかという不安は大きい。

 ヴァンが此方の大陸に渡る前は、ローベリアというエルフの森にほど近い国に少々きな臭い噂があった程度だったが。


「二人とも、どうしたの?」

「ああ、いや。俺がこっち来る前に、ローベリアが遺跡の第六階層へ潜るかどうかの話をしててな。廃棄物も増えるだろうし、揉めてねえといいなと思ってよ」

「確か、数百年前にエルフの森をわざわざ派手に切り拓いて、大陸の南側に処理場を作ったのでしたか。アフティカともそれでだいぶ争論になったと聞きました」

「そうだったわ……あちらの魔法種族は人間ヒュメンと仲があまり良くないのよね」


 異大陸は、災厄の魔石がなくとも争いが絶えない地域であることを、ミアも座学で教わっていた。旅をする以上は、余所の地域に無頓着ではいられない。無知であるがゆえに、いらぬ諍いを起こすわけにもいかない。耳を塞ぎたくなるような昏い事実も叩き込まれてきたが、それでもこの目で見るまでは信じたくない気持ちがあった。


「まあ、いまからあれこれ考えても仕方ねえ。まずはエレミアの王城で渡航許可証をもらわねえとな」

「そうでした。最近では魔獣が海を渡ってくるようになっているせいか、西大陸への許可証発行数が落ちているとか」

「この頃は、定期船の往復でさえ危険になっちまったからな。ある程度の戦闘練度が求められるようになったのさ。アンタは問題なさそうだが、嬢ちゃんが心配だな」

「わたし?」


 首を傾げるミアに、ヴァンはゆるりと頷いた。


「向こうじゃさっきみたいな戦い方は出来ねえと思ったほうがいい。嬢ちゃんも自衛手段がなきゃ生きていけねえ世界だ。二人とも、森を出るまでに覚悟を決めときな」

「……そうね。この先は、教本のように優しい道ばかりではないもの」


 きっと、色々なことがいままで通りでは行かなくなる。

 何処かまだ現実味がなかったことも、考えなければならないのだ。ミアはクィンに誘われるまま膝枕の体勢になると、静かに目を閉じた。

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