セップ島の民話 -Ceplantales-

セップ島の不思議な話 -Fairytales of Cepland-

第1話 『人形王子』



 昔むかしの話である。


 まだセップ島に紅の国も碧の国も生まれていないほどの昔。

 ふたりの魔女の住まうエーテルの森の果てに、小さくもそれなりに豊かな国があった。四方を囲むエーテルの森は深く、ただ一本の街道が森の内と外を結び、森にいる不思議な獣と魔女たちが、小さな国を守っていた。

 その国には心優しい王様がいたが、王様は長年連れ添ったお妃様を病で失って、悲しみに暮れていた。不幸にも二人の間には子供が生まれなかったので、喪が明けて王様は弟にこう仰った。


「お前が国を治めてはくれないか」


 王様の弟は首を振った。

 王様の弟はたしかに国を治める臣として有能だった。だから、王様以外に王として相応しいものがいないことを、誰よりも理解していた。


「兄よ、あなたに落ち度があれば私は王の椅子を奪ったでしょう。だが、あなたは良き王で、枯れた余生を送るにはまだ早い。あなたが彼女を深く愛していたのは誰もが知っているが、もしも心の傷がわずかでも癒えたときには、新しい妃を迎えてみてはどうだろう」


 弟が言うように、王様は亡くなったお妃様を深く愛していた。

 だから彼の言葉に王様は驚いたが、消沈する王様を案じていた他の大臣達の勧めもあって、森の向こうの遠い国から来た姫と結ばれることとなった。

 ところが、やってきた姫様はとても若かった。王様も決して年寄りではなかったがお姫様とは親子ほどの歳の差があったので、お姫様を前に王様は心をひどく痛めた。王様は城に仕えている若く優秀な騎士を紹介し、この者ならば君と釣り合いも取れるだろうと、姫様との婚儀を取りやめることさえ提案した。だが若い姫様は首を振った。


「やさしい王様」


 長い旅で疲れていただろうに、お姫様は愛らしい笑顔で王様の提案を退けた。お姫様は王様と歳が離れていたことは最初から知っていたし、ほかにも王様のことをたくさん知っていた。


「あなたが前のお妃様を大切にしてくれたやさしさを、わたしにも少しだけでもいいからわけてくださいませ」


 お姫様は王様を一目見たときから、彼のことが好きになっていた。騙されたわけでも打算でもなく、王様のことが好きになったので、王様と結ばれたい。お姫様は王様の手をそっと握り、亡くなったお妃様のように静かに微笑んだ。




◇◇◇




 こうして王様は、あたらしいお妃を迎えた。

 小さな国の民は新しいお妃様を祝福し、お妃様もこの国を好きになった。エーテルの森に囲まれた小さな国はとても静かで美しく、平和だった。ほどなくしてお妃様は子供を身篭り、お世継ぎが生まれるとばかりに王様も民も騎士も喜んだ。

 お妃様も、子に恵まれず世を去った前のお妃様の願いを叶えようと、生まれてくる子供を大切に大切に育てようと心に決めた。

 幾つかの季節が変わる。

 季節が移るごとに、森の不思議な動物や人々が、健やかなお子様が生まれてきますようにと贈り物を届けてきた。それらは森の木の実だったり、手縫いの産着だったり、つつましく暮らす民の思いがこもったすばらしい品で、王様もお后様もとても喜んだ。

 そうしてお妃様のおなかが目に見えて大きくなった頃。

 エーテルの森の街道を抜けて、小さな国に風変わりな商人がやってきた。その商人は道化のような極彩色の衣装に身を包み、孔雀の羽根で飾った豪華な帽子を目深にかぶっていた。商人は王様を褒め称える言葉をひとしきり述べた後、たくさんの宝物を並べた。

 南の海で採った黒水晶のような珊瑚の首飾り、北の果てより決して解けない氷を削りだして生み出した透明なナイフ、木の皮を叩いて漉いた巻紙、羽毛のひとつひとつまで削りだした猛禽が羽ばたく図柄の黄金鏡。どれもこれも、この国どころか世界中のどこだろうとお目にかかることのないすばらしい宝物だった。


「これはすごい」


 王様は珍しい宝物を前に驚いたが、残念そうに答えた。


「私の国は決して貧しくはない。だが、これほどの宝を買い集められるほど、私は豊かではない」


 小さな国には、国力が小さいだけの理由と現実がある。国にもそれなりの蓄えはあったが、商人が持ってきたような宝物を買い求められるほどではない。お妃様も国の実情を知っていたので、王様のなんとも申し訳なさそうな顔に心を痛めた。そんな二人に、商人はひとつの宝石箱を取り出して開けてみせた。

 まばゆい光が、宝石箱よりあふれ出す。


「素晴らしい王様、そしてお妃様。新しい命の誕生を祝い、この美しい宝石を差し上げましょう」


 代金など結構です。

 そういって開けられた宝石箱には、色とりどりの、とてもとても大きな宝石が並んでいた。

 紅玉、碧玉、翡翠に琥珀。

 どれもがまばゆく輝いて、お妃様だけでなく家臣達も宝石の美しさに目を奪われた。わずか一粒でも、この国を買って余りあるほどの価値ある宝石ばかりだ。それらを商人は宝石をお妃様に差し出して、好きなものを選んで欲しいと申し出た。


「いやいや、せっかくですから全部差し上げましょう」


 商人は王様達の返答を待たず、笑顔でそう決めると四色の宝石を白金の台座に埋め込んで大きな大きなネックレスを作り出した。そうして暗闇でも色鮮やかに光る四色の宝石はお妃様の胸元で輝きを増し、商人は森を抜けて国を出た。




◇◇◇




 年が明け、お妃様は男の子を産んだ。

 栗色の髪の毛が美しく、可愛らしい男の子だった。しかし王子様は赤子の頃から泣かず、笑わず、人形のように喜怒哀楽を表に出すことはなかった。たとえ転んで膝を擦りむいても、たとえ刃物で手を切って血を流しても、王子様の端正な顔が苦痛に歪むことはない。秋の祭りで道化が踊っても、笑顔を見せることもしない。王様もお妃様も王子様を大事に育てていたが、次第に不安を抱くようになった。

 この子には心が無いのだろうか?

 王子様の美しい顔が、まるで魔物じみたものに見えてくる。家臣や、身の回りを世話する者達も王子を不気味なものとして避けるようになった。いつしか王子様は『人形王子』と呼ばれるようになっていた。


 人形王子が十歳の春。お妃様に二人目の男の子が生まれた。今度の男の子は良く泣き、良く笑い、その笑顔は天使のようだった。家臣達は、二人目の王子こそ国の後継ぎだと騒ぎ出す。


「出来損ないの人形王子に用は無いのです」


 王様の弟まで、そう言い出し始めた。王様もお妃様も人形王子を大切に思っていたが、城に仕える神官が人形王子を悪魔憑きだと騒ぎ始めると庇い続けることが出来なくなっていた。人形王子はそんな両親を見て、小さく頭を下げた。


「お父さん、お母さん。今までありがとうございました。これ以上迷惑をかけることはできません」


 言うと人形王子は城を飛び出し、森の中へと消えていった。




◇◇◇



 

 魔女が住まうという森の奥。

 王子はそこで暮らしていた。疲労で身体が動かなくなれば地面に倒れて眠り、空腹を覚えれば土くれや虫を掴んで飲みこみ飢えを満たす。毒草や腐り水を口にして身体を壊しても王子は表情を変えず、じっと耐えた。


(それでも僕は生きている)


 王子は森の中で生きた。飢えの恐怖も、野の獣への畏怖も王子にはない。森で生きる術をひとつひとつ、彼は自らの身体と引き換えに手に入れる。魔女が住む森は危険も不思議も多く、学ぶものは少なくない。王子は生きることに精一杯だったが、それでも森の不思議は王子の興味をひいた。

 豊かな音色で鳴く虫たち。夜闇の中で色とりどりの光を発する草花や茸。人々が恐れるはずの獣達にさえ、王子は興味を抱いた。月が幾度も満ち欠けし、王子は少しずつ森の『仕組み』を理解する。魔女の森には実に多くの獣がいる、それなのに王子は山鬼に襲われることもなければ国の猟師達に出会うこともない。森に隠れ住む悪党達が焚き火をした跡を見つけても、そこに人の気配がないのだ。


(まるで森の何かが僕を逃がしてくれているようだ)


 王子は孤独だった。だがそれで痛める心が王子にはない。誰かが自分の近くにいることを感じた王子だが、焦る気持ちも浮かばない。王子は色々のことを考え、それが何の解決にもならないことに気がついた。

 自分が生きていて、父と母が喜ぶことはない。弟は自分のように心を失ってはいない。民も臣も、国を愛し盛り立てようとしている。他所の国ともそれなりに上手くやっているから戦争の心配だってないし、王子の故郷は小さな国だからわざわざ危険な森を越えて攻める者もいないはずだ。

 否。自分が生きていることで父も母も苦しんでいた。遠くより名医を呼び寄せ、優れた祈祷師を招き、心を持たない自分を癒そうとして……結局は失敗に終わった。城仕えの神官の話を信じる訳でもないが、きっと自分は悪魔の子か何かに違いあるまい。


(だから僕は森に来たじゃないか。森に来れば山鬼や悪党達が僕の命を奪ってくれると思って、名前も知らない魔女が僕を殺してくれると思ったから僕は森の中にいるんじゃないのか)


 だが現実はどうだろう。

 空腹を覚えればなんでも口にする意地の汚さ。山鬼に出会う前に森の暮らしに慣れてしまった図々しさ。何かを恥じる気持ちがあれば、今頃は首でもくくって死んでいるだろう。しかしそういう気持ちさえ王子の中には生まれてこない。自分は死ぬために森に入ったはずなのに。


『なんだ、お前は死にたくて森に入っていたのか』


 唐突に。

 王子のすぐ横で声が聞こえた。見れば、悪党とおぼしき連中が荒縄で縛られ蹴転がされている。声の主は、その悪党どもの上で胡座をかいて王子を見上げていた。


「猫?」

『いかにも』


 背筋を伸ばし、猫は頷く。羽根付帽子に真紅のマント。白銀に輝く短剣を腰に差した猫は意識を失っている悪党の頭を尻尾でべしべしと叩き、機嫌良さそうに髭を動かす。


「君は、お化けネコなのか?」

『あのような品性の低い猫妖精どもと一緒にされるのは心外だな』

「では何と呼べばいいのかな」


 特に他意はなく、王子は尋ねた。すると猫は待ってましたと立ち上がり、輝く短剣を天にかざしてこう言った。


『我こそは、偉大なる魔法猫の王にして暁の魔女サージェリカの友人。我こそは、偉大なる【猫の国】を統べるもの。我こそは……』

「それで、名前は?」

『友は我をファルカと呼んでいる』


 あっさりと魔法猫は言う。良い名だと王子は考えた。


「じゃあ僕は何と呼べばいいかな、ネコの王様」

『ファルカで構わんよ、王子』


 こうして一人と一匹は友達になった。




◇◇◇




『国を捨てたのなら、死ぬ理由もあるまい』


 魔法猫は言う。


『森を越えれば海もある。島を飛び出せば大陸もある。お前はたかだか十年ちょっとの人生で、一体なにを悟った気になっていたのだ』


 王子は魔法猫に連れられて、森を越えようとしていた。王子が今まで世界のすべてだと思っていた広い森は、まっすぐ十日も歩けば通り抜けられるような広さだったのだ。


「だから僕を助けてくれたのか」

『いいや。最初、我はお前さんを見捨てようと思ってた』


 では誰が。

 この十日あまり、王子は魔法猫に問い続けた。森で出会った最初の相手という事もあるし、自分を友と呼んでくれた初めての相手でもある。表情の変わらない王子に対しても『賭博師の素質だと思え』と笑う。


「不気味じゃないのか」


 と訊ねれば、


『喋る猫の方が余程不気味だ』


 と返す。なるほどと納得すれば魔法猫はけらけらと笑う。そうやって十日あまり歩き続け、彼らは森の外れに至った。森の外、広がる草原と遠くに見える煉瓦の街並。森に囲まれた小さな国にはなかった、新しい世界だ。


『森を越えたら、まずは着替えだ』

「僕は金を持っていない」

『そんなものは、そのとき考えればいいんだ』


 なんとかなる。魔法猫は一足先に森を抜けて草原に飛び出した、王子は駆け足で森を抜けようとして。

 あと一歩で動きが止まった。足が動かない。手も動かない。森の外より差しこむ光が王子に当たれば、その手が、足が石となる。魔法猫は驚き、王子を森の奥に突き飛ばせば王子の手足は元に戻る。


「僕は、化け物なのか?」


 王子は問うが、魔法猫は答えられなかった。



 

 魔法猫は人形王子に幾つもの魔法を試した。沢山の魔法を猫は知っていたが、王子の身にはなにも起こらない。猫が調べる限り、王子は何の変哲もない人間の少年だ。だから魔法猫はこう言った。


『お前さえ良ければ魔女に会ってみるか?』


 魔女とは森の主だ。暁の魔女は、気が遠くなるくらい昔から森に住んでいたという。国が生まれるよりずっと前、まだ空に大きな大きな木があって神様が降りてきたり追い返されたりした、そんな昔から魔女は森にいるという。


「魔女さんに会ったら、僕の心を取り戻せるのかな?」

『会ってみなければ分からんよ』


 焚き火を前に猫は首を振る。


『魔女は我よりも魔法に長けているが、万能ではない。それに』

「それに?」

『なんとかできるのなら、とうの昔にやっている』


 猫はすっくと立ち上がり、王子が背を預ける木の幹を蹴った。どんっ、と鈍い音がして枝が揺れ、小さな悲鳴と共に上から女が降ってくる。


「……誰?」

『あまりコメントしたくないので察して欲しい』

「ふうん」


 王子は降ってきた女をじっと見た。焚き火の上に降り立ったというのに、女は王子と視線が合ったためか微動だにしない。

 ぱちぱちと。

 肉と皮が焼ける香ばしい匂いが漂う。王子よりわずかに年上の、むしろ少女と呼んだほうが良い女は、己の服と靴が焦げてもお構いなしに王子を見つめ返している。まるで女には炎の熱が通じないような、そんな雰囲気なのだが。


「焦げていますよ」

「っ! 熱ぃっ、熱い熱い熱い熱いっ!!!」


 王子の指摘で初めてその事実を理解したかのように、女は熱さと恥ずかしさで飛び上がるとそのまま走り去ってしまう。やはり、とても熱かったらしい。

 ひどく気まずい沈黙の後、猫は苦笑いした。


『つまり、あれが暁の魔女と呼ばれている女である』


 魔女と呼ばれた女は、どちらかといえば可愛らしい容姿だった。地味な外套に身を包んでいるが、着飾って舞踏会に立てば視線を集めるだろう。


「魔女にドレスは似合わないのよ」


 踏み場もないほどに、荷物を山と積んだ魔女の部屋。整理整頓という言葉を母の胎内に置き忘れたが如き混沌の中、強引に荷物を寄せて椅子を置いて王子と猫が座っている。不機嫌そうな魔女は両足に包帯を巻きつけて、宙に浮く藤椅子に腰掛けていた。


「僕のことを見守ってくれていたのなら、どうして今まで声をかけてくれなかったのですか」

「……」

『部屋を片付けていたから』


 黙る魔女。猫が代わりに答え、その額に樫の杖が飛んで当たる。


『いいか王子、この女は一年近く費やして部屋を片付けていたのだ』


 やれやれと呟く猫。魔女は顔を赤や青にめまぐるしく変えて猫を睨み、気取られないように王子を見る。その王子といえば、城では見たこともないような書物や道具の数々に目を奪われている。


『この部屋を綺麗に片付けようと思えば五年は必要だろうな』

「王子の心を調べるためには色々調査が必要だったのよ」


 言って魔女は机の上から大きく分厚い本を取り出して開く。そこに描かれているのは孔雀の羽根で飾った帽子をかぶる一匹の悪魔の姿。悪魔は宝石箱を持っており、そこには四色に輝く美しい宝石があった。


(お母さんが持っている物に良く似ている)

「宝石の魔人」


 紙をなぞるように、魔女は呟く。


「もっとも無垢な魂を宝石に変えて、それを悲しみと苦しみに満たすことで全てを宝石に飲み込んでしまう、おそろしい悪魔」

「その、悪魔が」

「ええ」魔女は肯いた「あなたのお母様をそそのかした」


 王子は魔女の部屋を飛び出していた。理由は分からないが、自分の内側に生じる何かが彼を動かした。魔女の言葉が正しければ王子の魂を売ったのは誰でもない母だ。しかし母への怨嗟など微塵もなく野の獣のように王子は森の中を駆け抜けて、自分の故郷たる小さな国に戻ろうとして。

 王子は見てしまった。

 彼が生まれ育った小さな国が。その城ごと四色の結晶に飲みこまれて凍り付いていた。鳥も人も獣達も、焚き火の炎や流れ落ちる水さえそのままに、すべてが四色の結晶に包まれている。


「なにが起こったのですか!」


 王子は叫んだ。胸の内に何かが湧き上がるが、目の前の赤い結晶が輝くと一段と増殖し、地面から宝石の柱が突き出してくる。同時に、胸の内に生まれたはずの何かが消えていくのを王子は感じた。


「一体……何が起こったというのですか」

「お妃様は、あなたの心と引き換えに悪魔から宝石を手に入れたのよ」


 空を飛び追って来た魔女が王子の問いに答える。


「騙されたのかもしれない、意図的かもしれない。でもあなたの心は四つの宝石に変わり、この国を飲みこんでいる。あなたが国を飛び出した時からね」


 四色の結晶がどんどん膨らんでいく。魔女は王子を連れて森に逃げ込み、館に戻った。


「あなたの心を取り戻す方法なら、あるのよ」


 魔女は告げる。王子の目を正面から見つめて、静かに。


「あなただけ助かる方法もあるの。とても簡単な方法が」

「国のみんなを、父さんと母さんを救う方法はないのですか」


 迷わずに王子は言った。


『お前を捨てたものを、お前は救うのか』


 猫の言葉に王子は「僕には憎む心もありませんから」と、さらりと返す。魔女は、悪魔を退治するための書物は部屋のどこかにあると言った。


『つまり、五年かけて部屋を掃除して調べろと』

「三人で片付ければ二年もかからないはずです」


 王子はひとり納得し、黙々と部屋の片付けを始めた。




◇◇◇




 掃除を始めて王子は幾つかの発見をした。

 例えば火を吹いて暴れ出す衣装タンスは、手負いのヒグマより恐ろしいこと。

 世間話の好きなヤカンにうっかり話しかけると半日が無駄になってしまうこと。

 魔女が作った家具達は好き勝手に暴れまわるので、一旦片付けてもそれで終わりではない。更に魔女の館には数えきれないほどの部屋と地下室があり、そのどれもが得体の知れない荷物で埋まっていたり謎の生き物の棲息場所と化していた。


「どこに何があるのか、わかってますか?」

「あはははははは」

「ご存知無いのですね」

「……ははは」


 整理整頓を続ける王子の問いに、魔女は笑って誤魔化すしかない。何しろ部屋が荷物で一杯になったら、面倒くさがり屋の魔女は魔法で館をどんどん大きくして部屋を増やしたのだ。今では部屋の数さえ魔女には分からない。


『これでは五年あっても終わらんぞ』


 ホウキに乗った魔法猫がぐるりと館の中を飛びまわり、やれやれと息を吐く。その間も王子は黙々と荷物を片付け、整理し、時折襲ってくる謎の生物や怪しい道具を紙一重で避けて行く。その動きは的確で無駄がなく、魔女が羞恥のあまり無言となるほどの見事さだった。

 王子は精力的に働いた。

 言う事を聞かない家具を蹴散らし増殖する館の地図を作り、館に秩序の言葉を取り戻すべく王子は頑張った。こうして最初の一年が終わる頃、最強の家具『魔法の鏡』と壮絶な死闘の末に打ち破り、王子は館中の家具達に認められるまでとなった。屈強なる家具達を従えた王子は舎弟と化した家具達を前にして、こう命じた。


「次は地下室です」


 王子と家具の軍隊は館の地上を整頓すると、未だ混沌の渦にある地下室に突撃した。




 気が遠くなるくらいの時間をかけて王子が地下の半分を制覇した頃、彼は一冊の奇妙な本を見つけた。それは真っ白な石を薄く薄く切り出し銅と鉄で綴じた大きな本で、見たこともない文字が石版に刻まれている。刻まれた文字には真っ黒な石が埋め込まれ、淡い輝きを放っていた。


(これが悪魔退治に必要な本なのだろうか)


 一人では持ち上げられそうにない石の本を前に王子は唸った。これは書物というよりは石板に近い代物だが、王子は何となくこれがそうだと直感した。


『喜怒哀楽の無い王子よ』


 突然、書が語りだした。家具達は驚いて魔女と猫を呼び出すべく館に戻り、広い地下室には王子と石の本だけが残った。


「いかにも。僕は生まれる前に悪魔に心を奪われた」

『取り戻したいか、自分の心を』


 石の本の問いに、王子は首を振る。


「わからない。でも、父さんと母さんを救い出したいと思う」

『その行為に何の意味がある?』


 石の本は再び問い掛けた。

 王子はしばし沈黙し、やはり首を振った。


「わからない。ならば、あなたは答えを知っているのか?」

『む』

「偉そうな事を言っている以上、僕が納得できる答えを持っているのだな」

『まあ待て、王子よ。物事には論理的な組み立てと会話の順序というものがあってだな、長々とした禅問答の末にそれとなく真実を語るからこそ有り難味というものがあるのだぞ』


 石の本は答えに窮したのか、言葉を濁す。それを聞いた王子はやれやれと息を吐き、きびすを返した。心が無い王子だから表情も変わらず、声の調子もそのままだ。それだけに、王子の態度は石の本の自尊心をひどく傷つける。


「この程度の事に答えてくれないようでは、あなたは悪魔退治の切り札となる書物ではなさそうだ」

『な、なんだとっ』

「ひょっとしたらと思ったのだが、見てくれと能書きだけ一人前だったか。残念だ」


 そうやって騙してくる本が結構多いのだ。

 構えていたホウキと剣を腰に差し、無駄な時間を過ごしてしまったとばかりに王子は立ち去ろうとする。ところが石の本は宙に浮くと王子の正面に回りこみ、ずしんと床にめり込んだ。


『王子よ、第一印象で全てを決定するのは早計だぞ。とりあえず魔女も教えを乞いに来る儂の英知、その素晴らしさを理解してから……』

「いや、無能な本には用無いので」

『む、無能だと! この儂が無能であると!!』


 石の本は蒸気を噴き出し、身震いする。しかし王子は平然とした顔で


「そうじゃないなら証拠を見せてほしいものだ」


 さらりと言ってのけた。


『ならば王子、暁の魔女も知らない儂の真の力を見せてやる!』


 石の本は眩い光に包まれた。

 それより数分後。家具達より事情を聞いて駆け付けた魔女と猫だが、数年かけて探していた石の本はどこにも無い。地下室にいるのは王子だけで、彼は散らかった地下室を片付け終えていた。

 魔女は、石の本がどこにあるのかと訊ねた。

 王子は腰に差していた二本の小剣を引き抜いて魔女に見せる。それぞれ白と黒の石を削り出した細身の小剣で、その表面には件の本に刻まれていた文字がびっしりと浮かんでいる。初めて見る剣に魔女は驚きを隠せない。


「これは」

『おお、魔女か! 儂が役立つことを王子に認めさせるまで同行するからな!!』


 二本の剣は刀身を小刻みに震わせて喋り出す。魔女と猫は呆気にとられて王子を見た。




◇◇◇




 王子は森を進んだ。

 かつては国を追われ、命を捨てるために。しかし今は父母を救うために。白と黒の剣を腰に差し、魔女と猫と共に王子は森を進む。


『我は王子の友だからな』


 猫が笑う。魔女は「特に理由なんて無いわよ。強いて言えば暇だったから」と、頬を膨らませてついてくる。

 魔女の森は既に抜け出していた。そこは琥珀の幹枝に翡翠の葉が生い茂り紅玉の花が咲き碧玉の実を結ぶ宝石の森であり、変わり果てた王子の故郷だった。小川を流れるのは水銀で、ガラス細工の動物達が彼らに襲いかかる。ガラスの牙爪は鋭いナイフのようであり、砕けた身体も地面に散らばれば突き出した鋭い棘となって行く手を塞ぐ。あっという間に地面はガラスの棘だらけになり、王子達は追い詰められてしまう。


『追い詰められたとな?』


 ガラスの動物達を前に、猫は胸を張る。猫は白銀に輝く短剣を引き抜くと、えいやっと叫んでガラスの獣を強く叩く。短剣で強く打ち付けたというのに獣の身体は砕けず、代わりに刀身が縦二つに割れて震え出した。黒曜石のように透き通った猫の毛が逆立ち、人の耳では捉えられない音が宝石の森に響き渡る。

 と。

 ガラスの獣たちは動きを止め、小刻みに震え出した。無理に動こうとすれば全身が砕け、破片は更に細かい砂となって崩れる。地面に刺さったガラスの棘も同じように砂となり、全てのガラスが崩れてから猫の持つ短剣は震えが止まった。


「今のは魔法なのか?」

『その仕組みを知らぬものから見れば、まあ魔法のようなものである』


 王子の問いに、猫は尾を振り楽しそうに答えた。




 宝石の森を更に進むと、目の前に悪魔の手下が現れた。どれも美しい青年で、彼らは魔女を誘惑すべく迫ってくる。


『あなたのために最も美しいドレスを用意しました』


 手下の一人が絹織りの豪華なドレスを差し出した。


『青真珠の首飾りを受け取ってください』


 別の手下は世に二つと無いほど大きく美しい青真珠の首飾りを差し出した。他の手下達も、王侯貴族が見た事もないような美しい装飾品を差し出してくる。


「それで、私に何を望んでいると言うの」


 見た目ならば十六・七の、不機嫌そうに眉を寄せた魔女の言葉に手下たちは『いいえ滅相もない』と芝居がかった口調で叫び、魔女の前で膝を折る。


『あなたほどの偉大な魔女が、あの人形王子ごときに肩入れする理由がわからないのであります。あなたには、もっと相応しい男性がいるではありませんか』


 手下の中で最も美しく、魔女の好みに最も適した美青年が優雅な仕草で魔女の手を取り耳元で囁く。だが魔女は表情を全く変えず、樫の杖を振って館の『扉』を呼び出すと、その入り口を手下たちに開いてみせた。


「私を愛してくれるのなら、私の館を掃除してくださる? 綺麗に片付いたら言う事を聞いてあげるわ」

『その言葉に偽りありませんな?』

「暁の魔女の名にかけて」


 優雅な笑みを浮かべる魔女。ニヤリと笑った悪魔の手下達は一人残らず『扉』をくぐって魔女の屋敷に入り、扉はひとりでに閉じる。

 数秒後。

 暴走する家具達の雄叫びと、悪魔の手下達の絶叫が『扉』を震わせる。絶叫は数分続いたあと静かになり、無気味なほどの沈黙が続く。魔女は何事もなかったかのように『扉』を消し去り、固まって動けない王子と猫を一瞥した。


『……王子、あの魔女には逆らわない方が良いぞ』

「うん」

「そこ、無駄話しないの!」


 こっそり耳打ちしようとした猫の首根っこを掴んで魔女は進み、しばらく後に硬直の解けた王子は彼女達の後を追いかけた。




◇◇◇




 宝石の森を抜け、王子は城に辿りついた。

 四色の宝石は壁となり、行く手を防ぐ。王子が幼い頃に育てられていた白亜の城は極彩色のモザイクで覆われ、見る影もない。前衛的よねと魔女は頬を引きつらせ、趣味が悪いだけだと猫がぼやく。


「この石は僕の喜怒哀楽が封じられたものだよな」


 王子の言葉に、腰に差した白の剣がかたかたと震えて肯定の意思を示す。


「……この救いようのないほどに欠如した美的感覚も、やはり僕の心から生まれたものなのか?」


 猫と魔女は凍りついた。

 黒の剣は、そんなこともあるまいとフォローする。しかし王子は城の壁を指差し、四色の宝石で描かれた【帽子の悪魔】のモザイク画の前に立つ。帽子の悪魔は数々の魔神を従えて、【宇宙樹の神々】とその軍勢を蹴散らす姿が描かれていた。


「こんなものを無意識に飾ってしまうとは、まったくもって度しがたい」


 ぴくり。

 王子の前のモザイク画がわずかに動く。帽子の悪魔、その眉間と頬に青筋が浮かぶ。


「そもそも題材に面白味がない。悪魔が神の軍勢を打ち破るなら、せめて【赤帝】クラスの大物を出さねば。挑発的な題材なのに、土壇場で弱腰なのだ」


 ぴくぴく。

 モザイク画の悪魔、その両目に血管が浮かぶ。牙を剥き出し、頬が痙攣を始める。王子は気付いていないのか、何度も首を振り猫と魔女に意見を求める。


「そうは思わないか?」

『わーっ、わーっ!』「おおおお王子、後ろ後ろーっ!!!」


 王子がモザイク画に背を向けたその時である。

 モザイク画が盛り上がり帽子の悪魔が現れた。憤怒に顔を歪め両手に鋭い鉤爪を生やした悪魔は、王子を切り刻まんと一気に飛び降り。

 王子は一歩動いて悪魔の攻撃を避けた。目標を外し顔面より激突した悪魔の後頭部を踏みつけ、無表情のままぐりぐりと体重を乗せる。軟骨が折れる音と、蛙が潰れるような悲鳴が聞こえて初めて王子は足元の悪魔に気がつく「ふり」をした。


「陰謀好きの悪魔が肉弾戦挑んだら、それはもうオシマイだな」

『ぐ、ぐうう』

「ああ、残念だ。人の言葉を発するならば交渉の余地もあっただろうに」


 踵に力を入れ、さも残念そうな演技で王子は首を振る。


(私の力が封じられている!?)


 帽子の悪魔は困惑した。

 自分の力が王子に通じない。壁抜けすることも、空間を超えて逃げ出すことさえ出来ないのは何故か? 悪魔は焦り、その原因を探ろうとする。必死に顔を上げた悪魔は、白と黒の剣が【それ】ではないかと考えた。もちろん確証は無いが、他に怪しいものはない。


『……私を殺せば、この城は永久にこのままだぞ』


 悪魔は賭けに出た。

 悪魔は王子の喜怒哀楽を奪いはしたが、それ以外の『心』までは奪えなかった。王子が帰還したのは、父母を救い出したいという無意識の『優しさ』が原因ではないかと悪魔は考えている。


『城を、国を元に戻したいのだろう』

「否定はしない」


 普通ならば、ここで足の力は弱くなる。

 ところが王子は足の力を更に強くした。宝石の床に亀裂が生じ、悪魔は悲鳴を上げる。


「交渉というのは」


 悪魔の頬骨が砕けても、王子は眉一つ動かさない。


「対等な立場で初めて成立するものだと思わないか?」

『城も国も元に戻すが、無償では行えない!』

「納得のいく意見だ」


 王子は足を退け、悪魔は安堵の息を漏らす。魔女と猫が身構えるが、王子はそれを制した。


「僕の心を奪い、国と城を飲みこみ、その上で何を望む」

『貴様の腰に差した白と黒の剣を頂きたい……そうすれば国も城も元通りにして、貴様の心も返してやろう』


 悪魔が約束を守るはずがない。

 魔女は叫ぶ。白と黒の剣を手に入れた悪魔は王子を殺し、その魂を奪うに違いないと。


『決めるのは王子だ』


 悪魔は笑う。

 その通りだと猫は頷き、そのヒゲを魔女が引っ張る。


「先にみんなを解放してもらおう、そうすれば剣をくれてやる」


 迷うほどの時間もかけず、王子は答えた。魔女は息を飲み、猫は尻尾を逆立てる。悪魔はしてやったりと指を鳴らしたが、なにも起こらない。


『約束通り、国と城の者を解放したぞ』

「嘘を言え」


 そんなことはないと悪魔は近くにある宝石の柱を指差した。そこでは宝石に閉じ込められた城の兵士が息も出来ずにもがき苦しんでいる。このままでは程なく酸欠で息絶えるのは必死だ。


『さあ。私は約束を果たしたのだ、貴様にもそれを守ってもらおうか』


 卑怯だと猫は考えた。魔女も同じ気持ちだったが、悪魔との『契約』は既に交わされた後なので彼女にも手出しは出来なかった。


『王子、約束を果たせ』


 悪魔はこれ以上ないほどご機嫌な顔で王子に迫る。王子はというと、腰に差していた白と黒の剣を共に抜き悪魔に見せる。刀身に刻まれた不可思議な文字は蒼い光を発し、そこに想像を絶するほどの魔力が蓄えられているのが悪魔には分かった。


「受け取るといい、帽子の悪魔よ」


 王子は二振りの剣を放り投げた。

 剣はゆっくりと弧を描き、回転することもなく悪魔の手元に吸い寄せられる。剣は悪魔の頭上を越えそうになったので、悪魔は胸を反らして手を伸ばし、しっかりと柄を握ろうとした。


(まずは王子を真っ二つにしてやろう)


 そう考えていた。王子が軽がると扱っていたのだから、少しばかり非力な悪魔でも使えるだろうと。悪魔は白と黒の剣を強く握り、それを振りかざそうと胸を張り、

 ばきり。

 嫌な音と共にその背骨が折れた。剣は想像を絶するほどの重量を持ち、その重さで悪魔の身体を真二つに折ったのだ。現実を認識する前に悪魔の背骨が折れ両肩が千切れ、その身体は仰向けに崩れ落ちる。白と黒の剣は一度床の上で『軽く』跳ね、悪魔の頭上で刃を交叉させるとそのまま落ちてくる。

 悲鳴と共に、悪魔は叫んだ。


『や、約束を守るから助けてくれえ!』


 しかし魔女も猫も動かない。二つの刃によって切り刻まれる寸前、悪魔は王子の溜息交じりの台詞を聞く事になる。


「互いに約束を守ったのだから、文句を言われる筋合いはないが?」

『……!!!!』


 罵りの言葉を吐こうとして、帽子の悪魔はその口もろとも十文字に刻まれた。

 悪魔の肉体はそのまま消滅し、国と城を飲みこんでいた宝石も同時に消え去る。魔人は滅びたのだ。宝石に閉じ込められていた人々は今度こそ解放され、全てが元通りになった。

 ただひとつ、王子の心を除いては。




◇◇◇




 国と城が元通りになってから、ほんの少しの時間が過ぎた。


 困惑していた民も臣も次第に落ちつきを取り戻し、何が起こったのかを理解した。お妃様は自らの胸元で輝く四色の宝石を王子に渡し、それらは王子に触れると砕け散って砂となった。


「見た目は何も変わらないわね」


 様子の変化が見られないので首を傾げる魔女。王様もお妃様も、王弟や家臣までもが心配そうに王子を見つめる。当の王子は身体のあちこちを叩いたりつねったりして己の身に起こる変化を確認しようとするが、よくわからない。何しろ暁の魔女がわからないことなのだから、城の賢者が揃ったところでなんの役にも立たない。

 その時だ。


『魔女よ、ちょいと杖を借りるぞ』

「へ?」


 あんた何するのよ、と言おうとして。

 魔女の言葉が終わらぬ内に、魔法猫は樫の杖を掴むと、槍でも扱うがごとく勢い良く振り上げる。

 その杖先に、魔女の長いスカートを引っ掛けて。


「……い」


 時が止まる。

 無駄な肉のついていない、ほっそりとしたふくらはぎ。

 白い太腿。それに可愛らしい下着。

 野暮ったい魔女の服で隠しているのが本当に勿体無いほどの、素晴らしいプロポーションが露となる。王様を含めた男全員が息を飲み「おおおっ」と身を乗り出すのも無理はない。王子はというと、最初は凍りついていたが魔女と視線が合うと火でも噴き出すかのように顔を真っ赤にした。


「……くまさん?」

「!!!!!!!!!!」


 王子の呟きに魔女もまた沸騰し、杖を取り返して猫を打ち倒すと王子の襟元を掴み涙目で睨む。


「み、見たのねっ!?」


 全員が見ているだろうに、魔女は王子だけを責めて何度も揺さぶった。顔を真っ赤にしていた王子は何度も頷くが、それが揺さぶられた結果かどうかはわからない。


「見たのね見たのね見たのね見たのね見たのね見たのね見たのね見たのね見たのねっ!!?」

「ほんの、ちょっとだけ」


 素直に認めると、魔女はくらくらとよろめき三歩退く。解放された王子も頭を何度も揺さぶられたためまっすぐ立つことが出来なかったが、それでも弁解すべく言葉を選び、


「王子のばかあぁっ!」


 そのチャンスを得る前に樫の杖で叩き落された。魔女は泣きながら城を飛び出し森へと帰り、王子は倒れたままそれを見送る。


「魔女は何を怒っていたのだ?」

『……まあ心が戻ったのは確かなのだから、気長にやっていくが良かろう』


 同じく倒れたままの猫が、そんなものだと苦笑した。

 こうして心を取り戻した王子は、民にも臣にも慕われる立派な青年になった。

 優しく、賢く、そして強く。人の心の痛みを知ることの出来る王子は王様を助け、弟達を大切に育てた。国中の誰もが、王子こそ次の王に相応しいと考え、王弟をはじめとする家臣達は王子のために隣国の姫君との縁談話を用意しようとした。

 が。

 王子は苦笑し、見合い話を全て断わった。そのような余裕はありませんからと王子は国を盛りたて、わずか数年で今まで以上に豊かな国を作り上げた。偉大な知を有す白の剣と黒の剣、魔法猫の王ファルカが王子を助け様々な難問を解決に導く。どうしても困難な出来事には、暁の魔女が力を貸した。王様は、もはや自分は必要ないと考え王子に全てを譲ろうと思い始め、

 それから数年が経った。




◇◇◇




 生まれてくる弟妹達が健やかに育った頃、王は人形王子を前にこう言った。


「我が子よ、お前にこの国を任せたい」

「お断りします、父さん」


 至極あっさりと言ったので、王様も臣も王子の言葉を聞き間違えた。だから王様は喜びの表情を浮かべて玉座より腰を浮かせ、そのままの姿勢で固まってしまう。


「今、なんと?」

「王位を継ぐ気はありませんと申し上げたのです」


 間が空いた。


「魔女か、やはり?」

「まあ半分くらいは」


 照れもせず王子は頷く。王様は、魔女を妃に迎えても問題はないんだぞと説得するが王子は首を振る。


「海を見たいと思っています」

「海を見た後はどうするのだ」

「海を越えましょう」


 王子は白と黒の剣を腰に差し、王様に一礼すると城を出た。城の門では猫と魔女が待っており、二人と一匹は森に囲まれた国を去る。




 海を目指した彼らがどのような冒険を繰り広げたのか、記録は残っていない。ただ、王子が持つ二つの剣が何処かに封じられていると言い伝えにある。




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