第十二話 『師弟』

――多少手荒にはなりますが……覚悟はいいですか?


 なんて言うもんだから、一体どんなに辛い修行の日々が待っているのかと思いきや、次の日から俺に降り掛かったソレは、大きく予想から逸脱した苦難の毎日だった。


「むぅ……」


 キッチンに立ってお湯が湧くのを待つ俺の背後から、カウンターテーブルの席へ座るイロハさんの思考混じりな息遣いが聞こえてくる。続けてガサリ、またガサリと、ペン先が紙の表面を擦る滑らかな摩擦音が、断続的に鼓膜を撫でた。


 そして――。

 

「……残念、最後のテストも合格です。二週間、本当にお疲れ様でした」

 イロハさんが嘆息混じりにそう言うと、俺の肩にギッチリと凝固した披露と緊張が一気に溶け出て、喉から漏れた溜め息と共に空気中へと霧散した。


 振り返ると、俺の二週間分の汗と涙が詰まったノートをパタリと閉じたイロハさんが、此方へ向かって優しく微笑みかけていた。

 普段なら同じように笑顔で返すところだが、これまでの苦労を思えば……自然と表情筋が引き攣ってしまう。

 

「意外と、何とかなるもんですね……。初めの頃は、流石にちょっと無茶が過ぎたかなー……なんて思ったりもしましたけど」と、彼女は軽く伸びをしながら言った。


「一応、無茶苦茶な事させてるって自覚……あったんですね」と、俺が薄ら笑いを浮かべながら嫌味っぽく言うと、彼女は眉をハの字にしながら、「えへへ……」と顔にやんわり反省の色を浮かべた。


 次に俺はもう一度、”地の書”と表紙に書かれた先程のノートへ目をやった。そして、もはや懐かしさすら感じる程に濃密で充実した二週間分の出来事を、頭の中で順番に思い返した。



 二週間前――。


 彩音が入院したあの日の帰り道、イロハさんが俺を連れてまず向かったのは、繁華街でも一番大きな”書店”だった。

 何も聞かされないままに買い物カゴを持たされた俺は、彼女のおもむくままに店内を練り歩く。その時点で嫌な予感はしていたのだけれど、案の定……店を出る頃には、魔術に関する参考書や問題集が、大量に俺の手へぶら下がっていた。

 

「イロハさん、これってまさか……」と、俺が顔を真っ青にしながら分かり切った質問を投げかけると、彼女はあからさまなしたり顔で「文武両道ぶんぶりょうどうって言葉、ご存知ですか?」と言って、愕然とする俺に構わず、次の目的地へと足取り軽やかに俺の手を引っ張った。


 次の日の早朝、俺は生まれて初めて、音による爆撃で叩き起こされた。

 ベッドから跳ね起きると、部屋の入口に立ったイロハさんが「ほらほら、起きてくださーい!」と、宙へ浮かせた中華鍋に、金属製のレードルをカンカンと楽しそうに打ち付けていた。


 フィクションではよく見る在り来りなシチュエーションだけど、当然ながら、本当にこれを実践する人を見たのは初めてだ。

 ちなみに言っておくと、比喩表現とかそういうの抜きに想像の十倍はうるさかった。間違っても、「試しにやってみようか」などという考えは起こさないほうがいいだろう。住んでいるのが田舎町で本当によかった……と、後になって心底安堵した程だ。

 

 衝撃的なモーニングコールを受け、渋々居間へ降りた俺の目にまず飛び込んだのは、部屋の壁にいつの間にかピン留めされた大きな画用紙だった。

 そこには達筆な字で”九つの言いつけ”が綴られており、これを二人そろって声に出して読み上げる事から、俺達の一日は始まる。


 内容は以下の通りだ。


 一つ――よこしまな心を捨てる事。

 二つ――何事も進んで実践する事。

 三つ――剣に限らず、魔術やその他様々な物事にも目を向ける事。

 四つ――自身に限らず、他人の立場や職業、生い立ちにも関心を持つ事。

 五つ――経済や社会の仕組みを知り、損得を分別できる精神の合理性を養う事。

 六つ――全てにおいての判断力を身につける事。

 七つ――表面上には表れない物事の本質を見抜く眼を養う事。

 八つ――全てにおいて、些細な変化にも気を配る事。

 九つ――無駄な事はしない事。


「何をする上でも、この九つを心がけてください」と、イロハさんは念を押しながら、同時に俺へノートの束を差し出した。

 地の書、水の書、火の書、風の書と銘打たれたノートが各一冊ずつと、何も書かれていないノートが一冊。計五冊の真っ新なノートを四週間かけて使い切るのが、これから始まる鍛錬の最終目標だと彼女は言う。


 最初に手を付ける事となったのは”地の書”だった。

 主に魔術の勉強用として使われるノートなのだが、それに加えてもう一つ、別の使い道があるのだけれど……一旦それについては置いておくことにしよう。


 鍛錬開始から一週間、俺は家に缶詰状態で四六時中このノートへ齧りついた。イロハさんが隣で問題を作り、それを参考書や手持ちの教科書を駆使しながら俺が解く。その繰り返しだ。


「まずは……一般の学生さんが中学高校の六年間を通して学ぶ、一番大事な基礎魔術の必修範囲を――二週間で全部頭に叩き込んでください」

 そう告げられた時ばかりは、普段は極めて可愛らしい彼女の顔も、流石に鬼か悪魔のようにしか見えなかった。


「どう考えても無理だろ……」と途方に暮れもしたけれど、流石に自分から言うだけあって、イロハさんの教え方はとても分かりやすく、思っていたよりもずっとスムーズに勉強は進んでいった。

 

 そんな中、二日に一度のペースで、前日にやった勉強の範囲をテストとして解かされるのだが……このテストが少し曲者で、絶妙に教科書から内容をアレンジした物が出題される。

 百点満点中、八十点が合格ラインで、少しでも下回れば世にも恐ろしいとんでもない目に合わされる……らしい。

 

 ”らしい”というのも、意外にも俺は勉強が得意な方だったようで、一度たりとも不合格にはならなかったのだ。

 採点をする際、毎回のように九十点近くをキープする俺に対して、彼女は少し唇を尖らせながら退屈そうに表情を曇らせるのだけど……今となっては、一度くらいは不合格になってみてもよかったかもな――なんて思ってしまう。

 

 ここまで勉強の話ばかりしてきたけれど、剣の鍛錬ももちろん順調だ。

 二週目に入ると、魔術の勉強は午前中と夕食後に分散され、昼間は外へ出て剣の稽古をつけてもらえるようになった。

 

 うちの裏には、歩いて二時間ほどで登れる小さな山がある。山頂には森に囲まれた広場があって、そこを俺達だけの秘密の修練場にする事となった。

 最初の頃は、片腕しかない彼女に何処か遠慮してしまって、力いっぱい木刀を打ち込む事をためらってしまったりもした。しかし、すぐにそれが余計な心配である事を、俺は身をもって思い知らされる事となった。

 

 普通なら、剣を握って相対せばつば迫り合いの一つくらい起こるものだが、イロハさんとの打ち込み稽古ではそれすらも許してもらえない。

 もちろん俺は全力で二天を振るった――が、大小二本の木刀をいくら振り回そうとも、まるでかすみを相手にでもしているかのように、俺の剣尖けんせんは虚しく空を切るばかりだった。


 時たま彼女の持つ木刀へ触れられたとしても、その勢いは巧みに殺され、イロハさんの身体はまるで微動だにしない。

 それとは対照的に、彼女は俺が一つアクションを起こす間に二度も三度も打ち込んでくる。その度に思考が掻き乱され、次第に足運びもおぼつかなくなって、気付けば防戦一方というのが常だった。

 

「敵に対して、のんびり考える隙を与えてはいけませんよ? 要は拍子――リズムが大事なんです。自分のリズムを一定に保ちつつ、相手のリズムを如何にして崩すかを常に意識してください」

 余裕たっぷりな表情で説明する彼女は、その後も俺に一本たりともまともに打ち込ませてはくれなかった。


 最近では、実際に魔剣を握って魔力を検知する訓練も始めている。

 イロハさんが魔法で浮かせた葉っぱを、腰に差した魔剣の柄に手を添えたまま十分間避け続ける――という、単純な物だ。


 俺はてっきり、魔剣というのはその刀身に魔力を込め、刃に乗せて魔法を放つための武具だとばかり思っていたのだが、本質的には、人間の”呼吸器”に似た役割を果たす近接武具だと教わった。


「最初は落ち着かなかったり、気分が悪くなったりするかもしれませんが……次第に慣れてくるので、まずは違和感を身体に馴染ませる事から始めてみましょう」

 そうイロハさんに促され、”彩”を左手に握ってみる。すると、柄に触れた手の平から腕を傳って心臓の中心までを、ゆっくりと風が流れていくような感覚を覚えた。


 当然、刃が直接大気に触れているほうがその息遣いは強くハッキリと感じ取れる――が、この訓練において、魔剣を鞘から抜く事は固く禁じられている。


 何故か――なんてのは、恐らく語るまでもないだろう。


「簡単に避けれてしまったら、面白くないでしょ?」

 イロハさんは何時ものように悪戯っぽくそう言って、魔力を込めた葉っぱで俺の事を楽しそうに追いかけ回すのだった。


 彼女曰く――俺はプラーナの波長を持たない代わりに、周囲に存在するあらゆる波長を探る事に長けているらしい。

 その割には、魔剣を通して周囲を見渡すのに慣れるまで少し時間はかかったけれど……今では同時に三枚の葉っぱまで対応できるようになり、多少俊敏な動きにも遅れを取ることは無くなった。



 ……とまぁ、そんなこんなで、あっという間に二週間が過ぎていた。

 イロハさんと過ごす毎日は、これ以上ないくらいにはハードだ。けれど、逃げ出したいと思った事は一度たりとも無い。


 彼女が教えてくれる事は、どれも理にかなっていて無駄がない。それこそ、九つの教えの九つ目を体現したような内容だ。

 何故そうするべきなのか、どうしてそれが必要なのかが明確で分かりやすく、俺が質問すれば決まって優しく、それでいて親身に答えてくれる。そんな何気ない師弟間のやりとりが、どうしようもなく心地良かった。


 ずっとこんな日々が続けばいいのに……。

 なんて思ってしまっている自分に対して、今も病室で眠ったままの彩音の事を想いながら罪悪感を抱えつつも、一歩ずつ前へ進んでいる実感を噛みしめる毎日を過ごしている。


「明日は日曜日ですし、たまには休息日にしましょう。来週からは勉強を夜だけにして、午前中も外で剣の特訓です。あと二週間しかありませんし、今までよりも厳しめでいきますよ?」

「お手柔らかにお願いします……」

 少し縮みながら俺が言うと、それを見てクスクスと笑ったイロハさんは、再び地の書へ手を伸ばした。

 

「じゃあ、昨日から始めた”あっち”のほうも添削してしまいましょうか」

 彼女の言葉に、俺は思わず息をつまらせた。


 地の書にはもう一つ使い道がある――という話をしたけれど、彼女が言っているのは、その”もう一つ”の部分にあたる。


 再びページをめくり始めたイロハさんは、件の箇所を見つけるとそこへペン先を向け、視線の先で文字を左から右へとなぞっていく。

 

 俺は丁度お湯が沸騰し始めたのを良いことに、そそくさとコーヒーを淹れる準備を始めた。

 

 父親がコーヒー好きだった事もあって、家には豆を挽くためのミルから、ドリッパーに至るまでが完備されている。


 父が生前よくお世話になっていた繁華街にあるお店から、亡くなった今でもいつもの豆が定期的に届く為、家では毎日のようにミル挽きのコーヒーを朝と夜に淹れて飲んでいる。

 イロハさんがうちへやって来た日にそれを振る舞ったところ、どうやら大層気に入ったようで、今では二人揃って朝晩にコーヒーを嗜むのがちょっとした日課となっていた。

 

「あ、また三点リーダー足りてない……。ここはもうちょっと短く……。句読点はこっち……」

 彼女が呟くように言うと、その都度ペンの先端がピッと音を立てて跳ね上がる。

 俺の頭には、すぐに何処の事を言われているのかが浮かんで、「うっ……」とうめき声を漏らしながら、精神がすり減るのを必死に堪えた。

 

 構わず――俺はコーヒーへ意識を集中させた。

 ストッカーから豆をザラザラと容器へ取り出し、量りにかけておおよそ二十グラムになるように調整する。綺麗にメモリを合わせたら、魔石で動く全自動ミルに豆を投入して中細挽きのボタンを押す。二十秒もしないうちに豆は綺麗な粉末にされ、ミルのフタを開ければ、香ばしくも仄かに甘い香りがキッチンへと広がった。

 

 時を同じくして、「ふぅ……」とイロハさんが吐息を漏らしてペンを置き、此方へ顔を向けて口を開いた。

 

「ダメ出しはまた後にするとして……昨日に比べれば、だいぶ良くなりましたね」

 その一言に、再び俺は喉につっかえた溜め息を吐き出しながら、そっと胸をなでおろした。


「これって、一体何の訓練なんですか? ”一日の出来事を小説として書き出す”なんて……」

 素朴な疑問をぶつけると、彼女はいつものように優しい声色で答えてくれた。


「物語を書く力は、そのまま魔術の詠唱を組み立てる技術へ転用できるんです。要は人に伝えるか、アーキに伝えるかの違いというだけで、どちらもやっている事は同じなんですよ? 大事なのは、”短く”、”簡潔に”、それでいて”分かりやすく”、です」


 彼女は言いながら、またノートをパタンと閉じて続けた。

 

「将来、蘭さんにも魔法を詠唱する機会が必ず訪れます。でも、教科書や参考書なんかに載っている”公用詠唱”は、プラーナの波長有りきの文法に基づいているので、当然ながら使えません。そうなれば――」

「自分自身で、詠唱を組み立てる必要がある……って事ですか?」

 俺が付け加えるように言うと、彼女は唇の両端を持ち上げながらコクリと頷いた。

 

「あなたには、あなたなりのやり方が必ずあるはずです。すぐにそれが見つからなくとも……いつかきっと――」

 言って彼女は立ち上がると、食器棚からドリッパーとサーバーを順番に取り出して、紙フィルターを一枚手にとって俺へ差し出した。

 

「こんなふうに、私にはそこへ辿り着くまでのお手伝いしか出来ません。それでも……私の手助けで、あなたがこの先に希望を見出してくれるなら――私は、何だってやるつもりです」

「……ありがとうございます」

 俺が紙フィルターを受け取ると、彼女は今日一番の笑顔を作って此方へ向けた。


 ……と、そんな時だった。

 ズボンのポケットから、スマートフォンがブーッと震える音がした。画面を確認すると、”三島みしまみお”という文字と共に、通話の着信マークが点灯している。

 

「後は私がやっておくので、遠慮なく出てください」

 イロハさんはそう言うと、熱湯の入ったポットをそっと宙へ浮かべながら、大きな碧眼でパチリとウインクを飛ばす。

 

 軽くお礼を言ってから縁側まで出た後で、俺は画面へ目をやって通話開始のボタンをタップした。

 

「もしもし……?」

――蘭くん⁉️ もぉ……やっと出た……。ずーっとメッセ送ってんのに既読一つ付けんと、今の今まで何しとったん⁉️


 声色は可愛らしいが、芯の通った迫力のある少女の声が、スピーカーから溢れんばかりに飛び出した。

 咄嗟に耳からスマホを遠ざけたついでに、画面を切り替えてメッセージアプリを立ち上げる。すると、赤い文字で未読メッセージの通知がずらりと表示され、その数に思わずゾッとした。


「わ――悪い……。最近、ちょっと忙しくてさ」

――先週、一緒に彩音のお見舞い行った時もおんなじ事言うたけど、心配やから一日に一回くらいは連絡頂戴って、もーなんべん言うたら……


「一日一回って……別にカップルでもあるまいし――」

 スマホへ向かってそう漏らした刹那、画面の向こうから激しい雑音が突然発せられた後で、再び声が鳴り始めた。

 

――カ、カカカ、カップル⁉️ は、はぁ⁉️ 別にそんなんちゃうし‼️ 彩音があんなんなってもぉて、ウチ、蘭くんの事心配で……ってだけやし‼️

「ご――ごめん……。だから一旦落ち着けって。な?」

 言うも、少女は全く聞く耳を持たずに勝手に話は進み、ついには――。

 

――蘭くんのアホーッ‼️

 そう言い放って、一方的に通話はブツリと切られてしまった。

 

 ……と、その直後、今度は知らない別の番号から通話の着信が入った。

 

「もしもし?」

――ハロー、元気しとるかー?

 声変わり間近――という感じの、少ししゃがれた高めの男性の声が響いてくる。


「誰かと思ったらなぎさか……。お前いつ番号変わったんだよ」

――あれ、俺教えてへんかったっけ……? まぁええわ。それより、なんか澪がえらい騒いどったけど……何かあったんか?


 適当にはぐらかす彼――三島みしまなぎさへ、俺は先程のやりとりを極力簡潔に説明した。


――蘭……流石にそれはお前が悪いやろ。言うてうちの妹かて年頃女子やで? それこそ、彩音だってあいつと同期なんやし、なんちゅーか……ほら、あるやろ? トキメキィ‼️ みたいな?

「ねぇよそんなの……」


 相変わらずのくだらないノリに、最近こういうの忘れてたな……と少し癒やされながらも、俺は思い出したように本題を切り出した。

 

「そういや、お前から電話かけてくるっつー事は、俺に何か用事あったんじゃ?」

――あ、そうそう。ウチの爺さん、三島水面みなも大先生が、お前に伝えとけってさ。『明日の午前中に道場へ顔出せ』やと。えらい神妙な顔しとったけど、お前、なんかやったんか……?


 直近の出来事を思い返してみても、全くそれらしい心当たりは見つからなかった。


――あれやろ? 『たまには顔くらい見せに来い』的なやつちゃうか? 知らんけど。てか、お前が道場来ぉへんなってから、澪がうるさーてしゃーないねん。毎日のように蘭くん蘭くんって――


 彼がそう言いかけた直後、スピーカーの奥からドタドタと足音が聞こえたと思えば、またしても雑音がスマホから鳴り始める。そして、電話越しの彼の更に奥から声が聞こえた。

 

――うっさいのはお前じゃ‼️ このクソ兄貴‼️


 それは、さっき電話をかけてきた少女――三島みしまみおの怒鳴り声だった。

 

――分かった分かった‼️ もぉ余計な事言わんから……‼️ ちょ、お前、あかんて‼️ 木刀はやめー言うたやろ⁉️ あぁあもぉ‼️ 蘭‼️ 確かに伝えたからな‼️


 そこまでは聞き取れたが、それから少しの間雑音だけが鳴り続けた後、通話は途切れてしまった。

 

「相変わらず、やかましい兄妹だな……ほんと」

 俺は縁側から庭へ向かって呟くように言った後で、居間からキッチンへ戻ろうと踵を返した。すると視線の先には、カレンダーへ目をやりながら、コーヒーカップへ口を付けるイロハさんの横顔があった。

 

 すぐに此方に気づいた彼女は、手に持ったカップを掲げて「ちゃんと淹れられましたよ」と言わんばかりに、身振りだけで返事をする。

 俺はそれにニッコリと微笑んで返した。けれど脳裏には、先程カレンダーへ向けられていた、酷く愁いを湛えた瞳の輝きが焼き付いて、なかなか離れてはくれなかった。

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