第十話 『巡り巡って』

「――サイレンス」


 イロハさんが唇の前で人差し指を立てて唱えると、彼女の指先へ桃色の光る粒が生成され、それは次第に膨張して、消灯された暗い病室の壁を覆うように広がっていく。

 薄くピンクがかった膜はすぐに赤みを失って透明になり、同時に深い静けさがじっとりと部屋を満たした。


「これは……?」と、俺は病室を見回しながら訊ねた。


「所謂、”盗聴防止魔法”というやつです。これからお話する内容は、他の誰かに聞かれると少々厄介な事になっちゃうので……」

 そう説明した彼女は、壁際に置かれているテーブルラックから湯気の立つインスタントコーヒーのカップを手に取った後、「では、早速ですが――」と前置いて、短く、それでいて簡潔に言い放った。


「蘭さん、あなたは……この世界に居る限り、遅かれ早かれ必ず殺されます」


 唐突な宣告に、俺は呆気にとられて言葉を失った。


 次に彼女はコーヒーの入ったカップへそっと口をつけると、何故か少しだけ首を傾げた後、それをテーブルラックへと置き直してから続きを話し始めた。


「先程、手術室の前でもご説明しましたが……あなたと彩音さんは、昨晩あの黒い魔物――デブリスによって殺害されるはずでした。私が介入した事で多少のタイムラグが発生したものの、依然として、世界はあなたがた兄妹――特に、蘭さんだけでも何とかして排除しようと策を講じてくるでしょう」


 彼女の声は、発せられる内容とは裏腹に至って穏やかだった。

 

 そんな声を追いかけるように、再び重苦しい沈黙がやってくる。

 手術を終え、ベッドで横になって眠っている彩音の隣からは、心電図モニターが奏でる冷淡な電子音が鳴り続けていて、妙にそれが部屋の静けさを際立たせていた。

 

「特に――って、なんで……俺なんかが?」

 眉を顰めながら、俺は恐る恐る彼女へ訊ねた。

 するとイロハさんは此方へ歩み寄ってから、俺の胸元へ右手をそっと当てて問いに答えた。

 

「ご存知の通り、あなたには本来此処にあるはずの”プラーナ”が存在しません。それは、この世界にとっては重大な”脆弱性ぜいじゃくせい”――つまり、セキュリティホールそのものなんです」


「セキュリティホール……?」

 オウム返しに訊き返して、俺は彼女の言っている意味が分からず小首を傾げる。


「人には、必ずプラーナの”波長”が備わっています。その波は――例え血の繋がりのある家族であっても、決して同じ物は存在しません。だから、その……管理する側としては扱いやすいんです。戸籍や指紋なんかとも縄づいていて、例えばさっきみたいな入院の手続きをする際も、パネルへ手をかざすだけで情報の提示が済んだりします」


 言って彼女は一呼吸置いた後、変わらず穏やかな口調で「ですが――」と付け加えた後に続けた。


「そもそも”波”を用いて検知が出来ないあなたは、プラーナの波長を軸に据えた管理体制を敷く、この”深界しんかい”というシステムにおいては、疑似的なステルス状態なんです。メインプログラムは、そんなあなたを脅威であると判断し――現在に至ります」


「脅威って、そんな……」

 話のスケールが大きすぎて、俺は怯えからか、自らの胸に添えられた彼女の手を無意識に握っていた。

 

 しかし、心の中では「なるほどな」と納得もしていた。

 

 病院や役所での手続きで、たらい回しに合うのは日常茶飯事だ。交通機関や公共施設の利用なんかでも、普通の人なら手を端末へかざすだけで身分証明が済むところを、俺は王都から発行される専用の住民カードを提示した上で、場合によっては一筆署名を書かされたりもする。

 重ねて厄介な事に、そのカードには有効期限が設けられていて、年に一度は王都へ出向いて更新手続きを行わないといけない。

 

 俺はずっと……そういう日常に蔓延る理不尽さに、不満や憤りを感じながら生きてきた。

 当然だが、別に好き好んでこんな体質になった訳じゃない。なのに、何故俺だけがこんな面倒事ばかりに見舞われなければならないのだろうか。


 言ったって仕方の無い事だというのは、自分が一番よく分かっている。だからといって、それを日常として受け入れて穏やかに暮らしていける程、人間という生き物は精巧に出来てはいない。


 結局、俺はどうするのが正解だったのだろう。最終的にはこの問いへ辿り着く。そして、恐らくは答えなんて何処にも存在しないのだ。

 

 ……と、さっきまでの俺なら、過度な自己憐憫じこれんびんにどっぷりと浸って、色んな物事から目を背けていただろう。


 本当なら、今だってそうしていたい。けれどそんな事をしてたって、妹は――彩音は帰っては来ないのだ。

 可哀想な俺はもう死んだ――と、心の中で自分に言い聞かせ、俺は次へ進む為にイロハさんへ問いかけた。

 

「……でも、あるんですよね? この状況を打開する方法が」


 訊きながら彼女の瞳へ視線を向けると、イロハさんは張りつめた表情を和らげながらそっと俺から手を離し、「やっと――その気になってくれましたね? その調子です」と言ってニッコリと微笑んでから、テーブルラックの方へと戻っていった。


 次にコーヒーのカップを手に取った彼女は、「では、これからの話をしましょう」と再び前置いた後で話を進めた。

 

「まず初めに、二つ程守って頂きたい事があります。一つ目は、私の素性についての詮索はしないこと」

 

 俺は黙ったまま軽く頷いた。

 

 これについては、概ね想像がつく。

 時間遡行物の映画や小説に出てくるお決まり事として、”親殺しのパラドックス”という物がある。


 かいつまんで説明すると……過去へタイムトラベルした主人公が、何かしらの理由で自身が生まれる以前に両親を殺してしまった場合、そもそも未来から来た自分が存在し得ないという矛盾が生じて、現実の事象にも影響が出てしまいかねないという物だ。


 イロハさんは未来から俺を助けに来たと言っていた。恐らくは、何等かの形で未来の俺とも接点があったに違いない。

 ここで俺が、下手に彼女が一体何者なのかを知ってしまえば、今後の俺の未来――延いては、イロハさんが暮らす未来にも影響を与えてしまうだろう。

 

「その表情を見るに、なんとなくお察し頂けたようですね」

 そう言って、彼女は続けてもう一つの注意事項を告げた。


「二つ目は、今から私がお話する事は、絶対に誰にも喋らないと約束してください。例えそれが親しい友人であっても――です」


 俺はまた一つ頷く。すると、彼女も同じくコクリと首を縦に振った後で、俺達の”これから”について話し始めた。

 

「私は先程、マルメロへ差し出した髪の中へ、偽装させた”毒”を混ぜました。その毒は簡単には気付かれない代わりに、効果が発現するまで四週間ほどかかってしまいます。私達はそれが起爆するまでの間……彼女達に怪しまれないよう、普段通りに日々を過ごします」


「普段通りに……ですか?」

 訊き返すと、彼女は再び頷きながら続けた。


「毒が回りきれば、マルメロは管理者としての権限を一時的に失うでしょう。その隙を突いて、私達がこの世界の主導権を奪い取り、根幹から仕組みを書き換えます」


 言った彼女は、残りわずかとなったカップの中身を飲み干すと、備え付けのゴミ箱へひょいと投げ入れた。

 

「そんな事が、本当に可能なんですか……?」

 俺が訊ねると、自信に満ちた表情で彼女は「出来ますよ」と簡単に言ってのけた。

 

「……とはいえ、私一人の力ではどうにもなりませんけどね。有り難い事に、私には優秀なお仲間さんがついてるので――」

 イロハさんは言いながら、手で狐の形を作って此方へ向けると、それを軽く揺らしながらにんまりと笑顔を作る。

 

「狐……?」と、見たままを口にしながら、俺も真似をして右手で狐を作ってみる。すると、彼女は何故かクスッと笑って、それについては何も言及しないままに話を進めた。


「仕組みが改変されれば、当面の間はあなたに脅威をもたらす存在も居なくなるでしょう。……先程は、彩音さんを差し出すような真似をしてしまって、本当にごめんなさい。でも、必ず助け出します。あなたも含めて――」


 真っ直ぐに此方へ向けられた彼女の碧眼は清らかに澄んでいて、嘘の色は何処にもうかがえなかった。けれど、心の中に妙な違和感を感じた俺は、この際――と、彼女へぶつけてみる事にした。

 

「お気持ちは、嬉しいです。すごく……。ただ、その……イロハさんは、何で俺達にそこまでしてくださるんですか?」


 俺の問いかけに、一瞬ハッと目を見開いた彼女は、すぐに穏和な顔に戻って答えてくれた。


「中学生とはいえ、さすがに冷静ですね……。確かに、片側にだけメリットが集中するやりとりには、往々にして裏がある物です。お察しの通り、私にも少なからず目的があります」


 そう言って彼女は少し溜めを作ると、途端に表情をキュッと引き締めた後、今度はゆっくりと口を開いた。

 

「私の本当の目的は、毒が回るまでの四週間で、蘭さん――あなたを、一人前の魔剣士へ育て上げる事です」


「俺を……魔剣士に……?」

 少し眉根を寄せながら、俺は再びオウム返しに言った。


 確かに、俺はさっき彼女へ”魔剣士になりたい”と打ち明けた。けれどそれは、どうひっくり返っても叶わない夢だ。何故なら、魔剣は……。

 そんなふうに俯いた刹那、「扱えますよ? あなたにも」と、俺の思考を先読みしたように彼女は言う。


「……え?」

 俺は驚きのあまり、声を漏らしながら目を見開いた。


「実は、この作戦が成功したとしても、あなたの戦いはそこで終わりではありません。恐らく束の間の平穏は得られるかもしれませんが、メインプログラムは別の手段を用いて襲いかかってくるでしょう」


 彼女はそこまで言ってから、「その為にも――」と付け加えた後で、胸元で留められた楓の葉の飾りを解いて羽織を脱いだ。すると、肩から先の無い二部式の着物からは、縫合痕の目立つ痛々しい左肩が顔を出していた。

 

「既にお気付きかとは思いますが、私は、事故で左腕を失ってます。こうなる前は、あなたと同じ”二天一流にてんいちりゅう”の剣士でした」


「に――二天って、まさか……」

 俺がそこまで言いかけると、彼女はまた俺の憶測を察したように頷いた後で答えた。


「そうです。私に剣を教えてくれたのは、蘭さん――あなたです」


 驚きと、悲しさと、何故か少し嬉しいような、そんな複雑な気持ちが胸の中でぐちゃぐちゃに混ざりあって、次に心臓が忙しなく脈を打った。


 二天一流――と言っても、あまり聞き馴染みの無い名前だろうけれど、所謂ところの”二刀流”の一種だ。大小二本の刀を用いる兵法の一つで、剣道の公式戦でも使用を認められた二刀流である。


 両親に勧められて、俺は幼少の頃から中学生になるまで、ずっと二天を練習し続けた。

 この戦い方は、幼い子供には特に人気がある。単純に”竹刀を二本構える”というだけで、二倍強いように思えるのだろう。しかし、はっきり言って……このスタイルはデメリットだらけで、お世辞にも強いとは言えない。


 そもそも、竹刀でさえ二本も構えれば自由に振り回すのは至難の業だ。ましてや真剣ともなれば、その難しさは計り知れない。

 加えて、俗に”正眼せいがん”と呼ばれる、竹刀を両手で握って中断へ構えるお馴染みの姿勢は全てが完成されていて、わざわざ重い剣を二本も構える必要なんて無いのだ。


 なら、何故両親は俺に二天を勧めたのか。最初は全くわからなかったけれど……両親が亡くなった日、遺品として手元に返ってきた二振りの折れた刀を目の当たりにして、俺は涙ながらに、ようやくその想いを噛み締める事となった。


「蘭さん、あの刀に見覚えはありませんか?」

 イロハさんがそう言って、部屋の隅に立てかけられた彼女の刀を指さした。

 

 俺は視線を刀へと向け――目を疑った。

 今まで全く気が付かなかったけれど、そこにあったのは間違いなく、俺の両親が使っていた二対の魔剣だったのだ。

 俺はおもむろに刀の直ぐ側まで近づいて、それらを両手で抱えながら細部に至るまでをよく確認した。


「嘘だろ……。これって、父さんと母さんの――」

「その通りです。あなたのご両親の名前がそのままつけられた、大太刀『ふう』と、小太刀『あや』です。私の身体に合わせて、当時のサイズからは一回りほど小振りになってしまってますが、私は、未来のあなたからその刀を譲り受けました。あなたが亡くなる直前に――」


 俺は咄嗟に踵を返すと、彼女は哀愁を顔に纏わせながら此方を見つめていた。

 

「残念ながら、私にはもう……二天は振るえません。だからせめて、生前お世話になったあなたにお返ししに来ました。その刀と、私がつちかった二天一流の全てを――」


 彼女の言葉は、俺の喉元へズンと重く響いた。

 何故両親が俺に二天を勧めたのか。それは恐らく、俺に魔術を教えてやれない代わりとして、せめてもの贈り物がしたかったのだろう。

 もし、俺が立派な剣士になれたなら、自分達が握るこの刀を譲ってやりたい――と。


「本当に……俺なんかに扱えるんでしょうか。魔法が使えない俺に、魔剣なんて――」

 彼女へ今一度問うと、言葉無しに頷いた後でイロハさんはにっこりと笑顔を作った。


「安心してください。一度は五輪ごりんを極めた私が教えるんです。四週間で、必ず立派な魔剣使いに育てて見せます。ただ……本来武術というのは、短期間で爆発的に上達するような物ではありません。その為、多少手荒にはなりますが……覚悟はいいですか?」


 不適な笑みを作って言う彼女に怯えながらも、俺は一つ息を飲んだ後で「お願いします」と頭を下げた。

 

「そうと決まれば、少し仮眠をとりましょう。今日からは忙しくなりますので」

 言ってすぐ、彼女は何かを思い出したようにハッと表情を凍らせて、テーブルラックに置いてあったメモ帳をひょいと宙へ浮かせた。

 

「どうかしましたか……?」と俺が訊ねると、彼女は眉間に少ししわを寄せながら「ちょっと待ってくださいね」と片手間に返事をして、パラリと開いたページ上を指でなぞりながら何かをブツブツと呟き始めた。


「……ア……ス……タ……ム……カン――ト……ネ……」


 詠唱……なのだろうか? その後もイロハさんは、おおよそ言葉とは思えないブツ切りの文字列を淡々と読み上げていく。そして一頻りそれが終わると、何度か一人で頷きながら俺のほうへと視線を戻した。

 

「蘭さん、私が合図をするまで、目を瞑って何も喋らずに静かにしててもらえますか?」

「構いませんけど……」


 俺は二つ返事で了承したものの、先刻のキスの件を思い出して少し萎縮しながら、言われた通りに目を閉じて口を噤んだ。


「では、いきますよ?


     あ  拗  タ  無   観

     と  ね  イ  視   測

       、  ち  ミ  し   者

     キ  ゃ  ン  て   さ

     ス  っ  グ  い   ん

      、  て  が  た   へ

     ご  た  見  訳   。

     ち  ら  つ  で

     そ  ご  か  は

     う  め  ら  な

 イ   さ  ん  な  い

 ロ   ま  な  く  ん

 ハ   で  さ  て  で

 よ   す  い  |  す

 り   。  。  |  よ

 。         。  ?    

                   

    ……はい、目を開けてください」


「一体、今度は何の詠唱だったんですか……?」と、俺は訳も分からずにとりあえず訪ねてみた。すると彼女は、「よく眠れるようになるおまじないですよ」と、何故か半笑いで悪戯っぽい笑みを浮かべながらクスクスと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る