第1話

 私たちはふたりとも、ピアノに青春を捧げてきた。

 

 先生によってすらすらと描かれた数式を見つめて、私から向き合おうとしても分からない、分かり合えない。

そんな補習の間、ずっと気になっていた。

「綺麗な伴奏。」

ここからは遠いはずの第二音楽室から不思議にも聴こえる音色の響きに思わず感嘆する。

「この曲は確か・・・」

練習した日々を懐かしみながら題名を思い出そうとしていると

「群青。」

ふと左隣から声がした。

「そうだそうだ!この曲の伴奏、私大好きなんだよね。」

「俺も。」

『でもどうして伴奏だけで・・・あ』

彼と共鳴したとき、私はやっと気がついた。

今隣にいる人が誰なのか、を。

それはこの一年間、私がずっと意識し続けてきた人。

遊佐藍(ゆさあおい)。

かっこ良くて、成績優秀で、スポーツもできる。それでいて飾らなくて、大胆なのに繊細で。慣れていないからか女子には無口だけど男子とは思いっきりはしゃぐからいつもクラスの中心にいる。そんなみんなが憧れる人。

そして私と同じ、ピアノを愛する人だった。

「遊佐くん、だよね?」

「そう。」

気まずい。

私たちは正真正銘のライバルだからだ。

「でもよく群青だって分かったね。」

伴奏のワンフレーズだけで曲名が分かるだなんて。この曲が大好きな私にしか気づけないと思っていた。

「三回ある伴奏がすべて違う。でもどれも凛としてて強くて、悲しいのにどこか穏やかであたたかい。」

思わず驚いた。私もこの曲のそんな風に優しく包み込んでくれる雰囲気が好きだ。

あなたと一緒だ。

同じ感情に満たされていただなんて、なんだか嬉しくて。

「私もそう思う。いつもこの伴奏を聴くと心があったかくなる。」

「うんうん。」

「あ、遊佐くんって今年も合唱コンクールの・・・」

「ちょっとそこ、授業に関係のない話だよな。」

近づきかけた私たちを先生が遮り、引き離した。

『すみません。』

あーあ。やっと初めてちゃんと話せたのに。

好奇心が満杯まで詰まった雰囲気はもうふたりの間からはなくなっていた。

目すら合わせられないまま授業の終わるチャイムが鳴って、会釈すら到底できずに解散となってしまった。

やっと苦手な数学から開放されたはずなのにどこか寂しい。

帰り道、傘を持っていない私に大粒の雨が降り注いだ。

頬を伝う雨はまだ残る冬の寒さを感じさせた。

「もう。朝は一日中晴れるって言ってたのに。」

天気予報のお姉さんには予測しきれなかったであろう雨。

「まぁ仕方ないか。」

今日は遊佐くんと話せた。これは私が、予測しきれなかったことだ。

別に好きなわけじゃないけれどずっと壁があるのも嫌だった。それに私なんかと話してくれることなんてないだろうと思っていた。だからなんとなく嬉しかった。

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