第6話 月長石の瞳(1)
初顔合わせの舞踏会から4か月ほど過ぎた。
ある日、肉親とは言いながら疎遠な実の姉に呼び出され、困惑しつつウェッジヒル邸を訪れる。
とはいえ、このタイミングなので大体の用件の見当はつく。個別具体的な理由はさっぱりだが。
姉の眉と唇が描いている剣呑な線に思わず背筋が伸びる。こんな表情の姉には極力近寄りたくない。召喚されている身では叶わぬ望みだけれど。
姉は皮肉たっぷり、丁寧かつ冷厳な口調で告げる。
「チャールズ。あなたのお友達のミスター・ライエルは常識というものを持ち合わせていらっしゃらないのかしら?」
ああ、やはりな。
天を仰いで大きくため息をついた。
先週末、二人は数度目となる一緒の外出だったようだが、問題はその目的地だった。
「ずいぶん帰宅が遅いけど馬車の事故でも、と気を揉んでいたら、夜に入って『スノードニアで地層をスケッチしてきた!』とロバートとメアリに意気揚々と報告されたのよ、卒倒するかと思ったわ」
「……」
「姉のキャロルやメイドではなく、敢えて弟のロバートを連れていく、動きやすい服装で、と説明された時点で行く先を疑うべきだったわ。けれど知り合って数ヶ月の未婚女性を庭園や劇場ではなく、登山と見紛うばかりの渓谷に案内する非常識な殿方がいるなんて予想しないじゃないの!」
「はい、仰る通り……すみません、姉さん。彼に注意しておきます」
ひたすら低頭して姉の腹立ちを鎮める。対応を間違うと二人の今後に影響しかねない。
全くもって世間一般の男性が女性の怒りを軽視する神経が理解できない。24時間、それこそ眠る間も役割と責任を忘れられない年月の積み重ねを、どうして無頓着に扱えるのだろう。
その凄みと重さに思いを馳せれば、好むと好まざると慎重に接さずにはいられない。男の気まぐれな自尊心など、比べれば紙のような軽さなのに。
あに図らんや、忠告のため呼び出したトーマスは、開口一番メアリがいかに素晴らしいか滔々と力説を始め、思い切り出鼻を挫かれた。
「ミス・ウェッジヒルは素晴らしい観察力の持ち主で、地層の特徴をあっという間に掴むんですよ。またそのスケッチの的確なのなんのって!彼女は芸術の女神にどれほど愛されているのかと!」
「はあ……」
「土壌や鉱石の標本を包み、識別用の略号を付けるのも精霊の加護があるとしか思えない素早さで!」
「……」
「文学的素養は全然ですけど、彼女の声が『湖のほとり、樹々の下、風に揺れ踊る、金色の水仙……』と呟くのを耳にすると、世界はこんなにも美しいのか、と」
いい歳の男性にうっとりされても扱いに困る。流れを断ち切るべく、ぶっきらぼうに口を挟む。
「ワーズワースだな」
「そうなんですか?」
「メアリと順調そうで何より。それはそうと君の豹変ぶりに二の句が継げないんだが」
「だって僕の話に心から興味を持ってくれる女性なんて、死んだ妹のほか世に存在しないと思ってたのに。しかもあれほど素敵な女性ですよ?」
「比較対象が限定されすぎじゃないか⁉どれだけ女性と縁がなかったんだ?」
ようやく本題に入れる。表情と口調を改める。
「ともかく、お出かけの内容が男性向き過ぎると彼女の母上がお冠だ。心証を害して交際に反対されてもいいのか?」
「それは……!!」
「なら悪いことは言わん、上流家庭のエチケットに詳しい……そうだな、メアリの義兄、トレヴァー氏の法律事務所はロンドンにあるから、彼に手紙で事前に相談したらどうだ?彼の奥さんはメアリと仲のいい姉妹だから具体的な助言も貰えるだろう。全く、道楽学者と一族中で悪名高い私にこんな忠告受けるのは君くらいだぞ?」
「……やはり生きてる世界が違うんですね」
「ん?」
「チャールズ、あなた自身は恐らく社交儀礼に無関心でしょう?にも拘わらず、必要な時は要求される振舞いができる素地はある。身についた教養が、有形無形の資質が、僕と住む世界が違うんだなと」
「なんだ、メアリを諦めるのか?」
「嫌です!!」
叫ぶような声だった。思わず目を丸くするほどの。
「答えはもう出ているじゃないか。言っとくがメアリと結婚したら、財産目当て、野心家の貧乏青年の求婚だとか、散々言われるぞ?良くも悪くも、ウェッジヒル家の富は社会で大きな意味をもつ。噂話が三度の飯より好きな連中はどこにでもいるしな。跳ね返そうと思うなら君自身が社会で認められるよう足掻くしかない」
「それに、メアリは父親っ子で理想が高いぞ。ジョサイア義兄さんは強くて聡明、教養と経済力、包容力、ユーモアがある。外見は熊みたいでも。無意識に内心で比べられるかもしれない。まあ、なんだ、頑張れ」
「……」
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