神は死んだ。我々が殺したのだ。
平澤唯
崩壊
ある日、世の秩序が音を立てて崩壊を始めた。天地はひっくり返り、空間のあちこちに穴がぽっかりと空くようになった。空は真紅に染まり、海はどす黒く渦巻くようになった。生物は異常行動を行うようになり、草食動物は肉を喰らい、肉食動物は己を喰らいだした。草花や木々は、足を生やして、どこかを目指すかのように歩き出す。親が子を食い、子が親を食い、異常な生殖行動が見られるようになった。ありとあらゆる秩序という秩序が、狂喜乱舞するかのことごとく狂っていった。そんな天地逆転が連立したこの世界で、たった一人、自室にこもり手記を書き連ねる男がいた。外界を遮絶するかのように、四隅の壁を本で埋め尽くした部屋に、その男はいた。男は、たとえ壁が、空間の穴にえぐり取られても、全く気には留めなかった。ただひたすらに、その筆を走らせていた。手記の冒頭にはこう書かれていた。
神は死んだ。我々が殺したのだ。
九月十日、神は死んだ。我々が殺したのだ。そして、我々は、それに対する罪を追求されることは無い。だがしかし、我々の行いは今、目の前に広がるこの光景となって、そっくりそのまま我々に帰している。この世界。これこそが、我々の報いであり、罰である。これがまさに、我々が求めてきた理想郷の行く末、ユートピアだったのであろう…
手記を書き連ねる手には、様々な感情が複雑に入り混じっていた。筆先から出るインクに、それら全てが漏れ出し、言葉となって紙に記憶されていった。この手記は男の物語であり、出会ってきた人や行ってきたことが書かれている。男が神を殺した一点を除けば、一般的な手記と代わりは無い。そんな手記を男は、崩壊をひた走る世界で、ただひたすらに書き続けていた。世に出そうにも、出す世はもう残っていない。だがたとえ、それが後世に残る見込みがなくて、どれだけ無駄なことだとしても、男は筆を止めることが出来ずにいた。止めたくなかったのである。これを書くことにより、男は自らを嘲笑っているのか、それとも懺悔をしているのか、それとも気持ちの整理をつけているのか。それは分からない。ただ、男の目は、その紙とインクの記号をじっと、だだひたすらに見据えていた。いや。紙でもインクの記号ではない。その眼は、若かりし日の男が、行った数々の反逆行為、そしてそれらを共に行った仲間、神の亡骸、そして唯一の友であった男を見据えていた。
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