第21話 正義の味方と悪の敵


 街の中で面倒ごとに巻き込まれてから二日。

 俺は山猫亭の部屋の中、ベッドの上に胡坐をかいて装備の手入れをしていた。

 ネコは俺の隣で体を伸ばして寝転がっていて、たまに手入れの邪魔をしてくる。タナットは俺の背にのしかかるようにしながら、肩越しに作業を見つめている。

 そんなふうにのんびりと過ごしているとドアを叩く音がした。

「アゼルさん。お客様でーす」

 それはテレサちゃんの声。

「はーい」

 と返事をしながらドアを開けるとテレサちゃんの後ろにアリアさんがいた。

 先日も思ったのだが、昼光の下で見て改めて思う。アリアさんは驚くほどの美人だ。

 ちなみに優羽として生きた前世の世界と比較して、この世界の人間の容姿はより平均化しているというか、整っている印象がある。ようは美男美女が多いのだ。

 しかしその中でも彼女は群を抜いている。まるで絵画の中から飛び出してきたような絶世の美女だ。

 そんなアリアさんが「おはようございます」と頭を下げたので、こちらも「おはようございます」と挨拶を返す。

「じゃあ、私はお仕事があるので戻るです」

 言いながらテレサちゃんは去っていく。

「やっぱり俺の証言も必要な感じですか?」

 俺がそう問うと、アリアさんは「違います」と首を振って言葉を続けた。

「あの、お話したいことがあって来ました。少しお時間をいただけないでしょうか?」

 何やら妙に改まった様子だ。

 キミッヒ兄弟が釈放されたとかいう話ではないかと勘繰ってしまう。

「はい。時間は大丈夫です。外に行きます? それとも部屋に入りますか?」

「では、お部屋に上がらせていただきます」

 部屋の中にあったイスをベッドの前に置いて、マリアさんにはそこに座ってもらい、俺はまたベッドの上に座る。

「それでお話というのは?」

「まず、キミッヒ兄弟はイグニスで指名手配されていたようで、しばらくこの町の教会で拘束し、イグニスへと引き渡すことになりました」

「えと……そのイグニスというのは?」

「ガナスの北にある国です」

 ガナスはアレイナさんとの話で出てきていたのでかろうじて知っている。母さんの出身地で魔術ギルドの本部がある国だ。俺たちが今いるルヴェリアから西にあるらしい。

「キミッヒ兄弟はイグニスで問題を起こして、東へ東へと逃げている最中だったようです」

 例えここではなくても、犯した罪が正しく裁かれるのなら問題はない。

 キミッヒ兄弟のことを伝え終えて、アリアさんは大きく息を吐いた。そしてさらに大きく息を吸い込むと、膝の上に置いていた手を強く握りしめて話を続けた。

「それで……ここからが本題になります。私をあなたの仲間にしてください」

「えっと……」

 予想もしていなかったその言葉に、返す言葉がなかなか出てこない。

「突然で、驚かれたかと思います。それでもどうか私をあなたの旅に連れて行ってください」

「どうして俺となんですか?」

「私は小さい頃から正義の味方になりたかったんです。だからこの町の騎士団に入りました。それでいいと思っていました。『この世界で起きている出来事で俺に関係のないことなんて一つもない』これはあなたの言った言葉です。でもこの言葉で私も気付いたんです。私が救いたいのはこの町に限ったことではないと。もちろん世界のすべてを救うことは無理だとわかっています。それでも旅に出ればもっと多くの人を助けられると思ったんです。そして旅をするなら、あなたと一緒に行きたいと思いました」

 そう言ってキラキラした迷いのない真っ直ぐな瞳でこちらを見つめてくる。

「何か勘違いしているみたいですけど、俺は正義の味方でも、誰かを助けるために旅をしているわけでもありません。俺はただ俺と妹のタナットとネコと、馬鳥のズズとココとみんなで幸せになれるようにと旅をしているだけです」

 タナットの名を言葉にしながら右手でタナットの頭に触れ、ネコの名を言葉にしながら左手でネコの頭を撫でる。

「それでも困っている人を見かければ助けるのでしょう?」

「それはまぁ、助けることができるのであれば助けになりたいとは思います」

 俺のその返答に彼女は大輪の花のような笑顔を浮かべた。

「どうかお願いします。私を一緒に連れて行ってください」

 彼女の決意は固い。そして浮かべている誰をもひきつけるような温かい微笑みは、微塵も自分の願いが叶わない可能性を考えてはいそうにない。

 しかしそんな彼女の笑顔に押し負けて受け入れるわけにはいかない。それは正義の味方になりたいと願う彼女のためにもならないだろう。

 だって俺は正義ではない。

 確かに俺はこれからも旅先で困っている人を助けられるのであれば助けるだろう。悪い奴を見つければ戦いもするだろう。

 でもそれはそれが正しいことだからそうするわけじゃない。気に食わないからそうするだけなのだ。

 悪が気に食わないから戦い。誰かが悲しんでいることが気に食わないから助ける。

 ただ俺は独善的で自分の欲望に、そして何よりも怒りに忠実なだけだ。

 俺は決して正義ではない。

 そもそも俺には正義というものがよくわからない。

 俺に……優羽に初めて善悪を教えてくれたのは研究所の科学者たちだった。

 彼らもまた自身の正義に基づいて行動していた。

 彼らには守るべきものがあった。それは自分の生命なのか財産なのか家族なのか国なのかは人それぞれだろうが、彼らはその守るもののために力を求めた。

 世界中で異能力者たちが現れ始め、いつかその力を使った犯罪が起き、軍事などにも利用されることになるであろうことは容易に想像できた。

 だから彼らはいち早く研究を始めた。

 そして研究のすえに生まれた異能力者の子供たちを彼らは厳しく育てた。

 能力を自在に操るための過酷な訓練はもちろん、道徳の教育にも力を入れていた。

 異能力者が生まれ持った力は他者を傷つけるためのものではなく、誰かを守るべき力であると教わった。国を守り、悪を許さず、正義をなすための力であると教えられた。

 俺たちはその言葉をを信じて、物心付いた頃からずっと過酷な訓練に耐え続けた。

 しかし俺が十二歳のとき研究所は閉鎖された。そして俺たちは研究所から救い出された。俺たちにとって研究所での扱いは生まれてからずっと続いた日常であって、それが酷いことだとは感じてもいなかったのに、かわいそうだと同情され救い出されたのだ。

 そして科学者たちと彼らに協力していた政治家は、非人道的な研究をしていた悪として裁かれた。

 その時、俺たちは教えられた。俺たちを育ててくれた人たちは悪人だったのだと。俺たちが教えられた道徳は間違っいだったのだと。その言葉だけで、俺たちがずっと信じてきた、生きる理由も善も悪もすべてが簡単に崩れ去ってしまった。

 そしてそれから俺たちは、科学者たちを悪だと罵りかわいそうな俺たちを救い出して正義を行った普通の人たちから異能力者と罵倒され迫害を受けた。彼らは科学者たちを非人道的だと罵ったその口で、異能力者だと俺たちを迫害したのだ。

 俺にはもう何が正義で何が悪なのかわからなかった。

 だから俺は正義という言葉が嫌いだった。

 もし俺が正しいと思ってしたことであっても、誰かにとってそれは悪であるのかもしれない。

 そうであるのなら、それは本当に正しいことであったのだろうか。わからない。

 正義や悪。それは人それぞれに違い、同じものを指し示すことはないというのに、言葉として定義する意味はあるのだろうか。

 俺にはわからなかった。

 だから正義を掲げる彼女と俺は相容れることはない。

「以前、博識な友と正義について語り合ったことがあります。正義、正しさとは何か。悪とは何か。結局大切なのは主語でした。例えば俺が妹の食事のために角ウサギを捕らえたとします。それは妹のためになる正しい行いであるはずです。しかしその角ウサギにだって巣には帰りを待つ子供たちがいたのかもしれません。その角ウサギにとって俺の行動は悪でした。視点をかえるだけで正義も悪も簡単に覆ってしまいます。正義なんてその程度のものでしかないんです」

 だから俺は、リヴァイアサンは正義を掲げはしなかった。リヴァイアサンは悪と敵対するまた別の悪として戦った。

「あなたの掲げる正義と対立するのが悪だけとは限りません。それはまた別の正義かもしれない。誰かにとっての正義かもしれない。そのときあなたはどうしますか?」

「そんなことは当たり前です。だから私は私の正義を信じて、私にとっての悪と戦うのです。それが他の誰かにとって正義であったとしても、私にとって悪であれば戦います」

 アリアさんは真っ直ぐに俺を見つめて笑顔でそう言った。

「あなたの正義とは?」

「私がこれが正義であると自分で自信を持って言えることのできるものであれば、それでいいと思っています。私の正義は私が決めます」

 あぁ……彼女に正義について偉そうに講釈したことが恥かしい。

 俺は正義が絶対的なものでないことに耐えられなかった。

 俺はたぶん自分の正義をみんなにも認めてもらいたかったんだろう。賛同してほしかった。それに今さら気付いた。

 本当は俺も正義の味方になりたかった。リヴァイアサンを作ったときも自分では正義の味方をやっているつもりでいたのだ。

 悪と敵対するまた別の悪。よく言ったものだ。そんなものはただの言い訳に過ぎなかった。

 自分では正義を行っているつもりなのに、他の誰かからそんなものは正義ではないと反論されるのが怖かった。

 だから正義を掲げなかった。

 俺は逃げたんだ。

 しかし彼女は正義が絶対的ではないと知りながら、それでも掲げることにした。

 彼女は俺なんかよりずっと覚悟を持っていた。

「わかりました。お手伝いさせてください。あなたが正義の味方をやるのを」

 少しだけ、わくわくした。子供みたいに胸が躍った。彼女となら俺も正義の味方をやれるかもしれないと、そう思った。



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