48 最後の夏休み②
8月16日の明け方、陽菜乃はシャッターの閉まった商店街を散歩していた。
名前の知らない植物の絡まった信号機の前、神社の石段の一段目に腰掛けて、澄み切った空気を吸う。
こうやって叶歩が起きるまでの時間を潰すのが、最近の陽菜乃の朝だ。ぐっすり寝ていられなくて、こうやって黎明と同時にベッドを抜け出してしまう。
そうやって一日の始まりに浸っていると、ふと、背後から気配を感じた。
神社の石段。さっきまで誰もいなかったはずだし、こんな時間に人は普通いないはずだ。
それなのに、陽菜乃の背後から鳴る妖しげな足音は、どんどんと音量を増していく。
やがてその足音は、陽菜乃の背後で止まった。
そしてその刹那──陽菜乃の肩に、生温かい手が置かれた。
「わっ、わあっ!?」
「……驚きすぎ、なのです。おばけじゃないですよ?」
陽菜乃はおおきくのけぞって、肩に手を置いた人物の顔を確認する。
そこに中腰で立っていたのは、グレーの髪を垂らす少女。
彼女は、叶歩の幼馴染のヒメだった。
「きっ、キミは……こほん。なにしてるんだ?」
「ただの散歩なのですよ」
ヒメは少し含みのある笑顔で、そう答える。
そういえば彼女は叶歩が気を許した存在で──陽菜乃よりも先に、叶歩の
「えっと、その……ヒメはさ……叶歩がどうなるか……知ってるんだよな?」
気付いたら聞いていた。挨拶の後の第一声がいきなりこんな重い話題でいいのかって感じだが、今は叶歩のことしか考えられないのだ。仕方ない。
「ま、そーいうことになりますね」
ヒメはその答えを知っている割には、不思議にあっけらかんと答えた。少しも口ごもることない、澄んだ返事だった。
「ま、せいぜい叶歩ちゃんとうまくやることですねぇ」
「な、なんだよそれ、上からだなぁ」
「ちがいます!ただアドバイスしただけなんですけどー」
ヒメはそっぽを向き、靴のかかとを地面におしつけながらぐりぐりと揺らす。
(……もしかして、拗ねてる、のか?)
陽菜乃は、ヒメが叶歩にただならぬ想いを寄せていることにはなんとなく勘づいていた。明確に言葉にすることはなかったが、陽菜乃も同様に、ヒメと叶歩が親密になってしまうのを恐れていたので、その気持ちはわかる。
自分で言うのもすこしおこがましいけれど、ヒメにとっては、叶歩とどんどん深い関係になっていく陽菜乃のことが、少し妬ましいのかもしれない。
陽菜乃はヒメの立場になって考える。昔から思いを寄せていた幼馴染が余命を宣告された。叶歩ともっと仲良くしていたいけど、その横にはいつも陽菜乃がいて、その間に入るのが憚られるほどに、二人の世界は濃密に成長してしまった。そして、ヒメは大好きな叶歩に会いづらくなってしまった。
そう考えると、とたんに胸がきゅっとした。
もし、ヒメがこのまま叶歩に会う機会を失ったら。叶歩との強いつながりを確認しあえることができないまま、終わってしまったら。
これはただの一方的な同情なのかもしれないけど、陽菜乃はヒメのことが放っておけなかった。そして気付いたら、口が勝手に動いていた。
「……なぁ。叶歩に会いたいよな?今日、あいつとピクニックに行くんだけど、ついてくか?」
「……へ?」
ヒメは陽菜乃の提案を聞いてしばらく固まった後、突然首を振る。
「け、結構ですっ!叶歩ちゃんから誘ってくれるなら行きますけど! わたし、最近叶歩ちゃんからの連絡もからっきしですし。求められてないんですよ、今は。だから、叶歩ちゃんにとって、ヒメはいなくても大丈夫ってことです。今の叶歩ちゃんにはヒメのことを考えてられる余裕なんてないんです」
何を言うかと思ったら、卑屈に連ねられた言葉たち。気にしすぎだろ、と言ってやりたいくらいだ。自分も同じ立場だったら気にしすぎてしまう自信があるので、言ってやらなかったが。
陽菜乃はため息をついて「ほんとは一緒に遊びたいんだろ?ヒメがいま、迷ってたのが証拠だよ」と手を差し伸べる。
しかしその瞬間、ヒメは「うるさいですっ」と言ってその手を弾いた。
そしてしばらく沈黙が流れてから、ヒメは「……優しくしないで」と呟き、小走りでその場を立ち去った。
陽菜乃は、弾かれた感触の残る手を撫でながら、その場に立ち尽くす。
ヒメの意固地な態度には少しイラっとしたが、それと同時に彼女の立場を考えると、どうしても悲しくなってしまう。最近はずっとこうだ。叶歩との一瞬を楽しみたいのに、いろんなきもちわるさが邪魔をするんだ。
全部手遅れなのに世界が思ったより美しくないのは、自分が空っぽじゃないから、なのかな。
こんな気持ちになるなら、空っぽになれるまで自分を出し切ってみようか。
そういえば、まだもう一人、訪ねるべき人のことを忘れていた。……あいつの所にいけば、何かが、変わるかもしれない。
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