42 早朝のおさんぽ

 商店街から少し外れた所にある、大きめの自然公園。木々の隙間から零れる日差しに照らされていた巨大な噴水はまだ稼働しておらず、ただ石のように静かにその場に佇んでいる。


 噴水の前の、朝露に濡れたベンチをハンカチで吹いて、ふたりは体を寄せ合った。


「この公園、ノコギリクワガタいるかな」

「叶歩、そういう遊びしたらかわいい服が汚れちゃうよ」

「んふふ、そうだった」


 叶歩はそう言って笑いながら、陽菜乃の肩に寄りかかる。


 陽菜乃は叶歩の体重を受け止めながら、やっぱ男の子っぽいところあるなぁ、と苦笑いした。


 そうやって隣にいる彼女の柔らかさを確かめながら、しばらく何も言葉を発さずに緑を眺めていた。


「……そうだ、叶歩。そういえばさ…………かほ?」


 陽菜乃が放った言葉に帰って来たのは相槌ではなく、寝息だった。自分にもたれかかる叶歩は、安らかなリズムですぅすぅと息を吐いていたのだ。


 陽菜乃の肩に押し付けられたほっぺたが、突かれた餅のようにぺたんと沈み込んでいる。糸になった目元からは、マスカラでコーティングされた長い睫毛がしなやかに垂れていた。


 陽菜乃はそっと叶歩の肩を掴み、彼女の頭が自分の膝元に来るように姿勢を整えた。


(……叶歩に夜更かしは向いてないなぁ)


 陽菜乃は叶歩の頭を一周するように撫で、この愛らしい寝顔を網膜に焼き付けようと眺め続けた。

 そして満足するまで叶歩の幸せそうな顔を堪能すると、彼女を置き去りにして立ち上がった。


(……まだ、やることがあったな)


 陽菜乃にはとある勘があった。さっき通った森林の道に、一箇所だけ異様に温度の低い階段があった。


 よく考えれば、ここはあの神社のちょうど裏側あたりだ。陽菜乃は生温かい唾を飲み込みながら、その階段の横の茂みをかき分け、荒れた道を踏みしめる。


 その先の森林は薄暗く、朝の日差しもほとんどが届かなかった。まるで追い詰められて自暴自棄になった人間が逃げるような、閉ざされた場所だった。


 陽菜乃は茂みをかきわけて進んでいく。そして目の前にあったのは、神社の裏側にある塀と、そこに座っている一人の少女だった。


「驚いたな。叶歩が言ってたまんまじゃないか」

「……なぜ来たのですか」


 荒れた塀の上に、彼女は静かに座っていた。鰭のようにボリュームのある着物を纏っていて、その着物の至るところが青白く燃えている。

 鬱蒼とした森の中で、灯火のように光っていた。


「……あんたがハルを誑かしたのか」


 陽菜乃はその存在を見た瞬間から、頭に血がのぼっていて、必死に抑えていた。でも、その言葉を発した瞬間、糸がぷつんと切れたように、怒りの衝動が決壊した。


 気付けば、目の前にいる神様に殴りかかっていた。しかし、体同士が合わさろうとした瞬間、陽菜乃の拳はなにかにぶつかることもなく、そのまますり抜けてしまう。


 彼女に、実体がないことを知った。


 神様は拳を外してバランスを崩す陽菜乃を、憐れむかのような目で見降ろす。

「あれは最終的に叶歩さんが決めた選択です。怒るのはあなたの勝手ですが、そうしたところで何も変わりませんよ」


 陽菜乃は膝から崩れ落ちる。


「頼むよ……あんた、叶歩から一番大事なものを奪うらしいけどさ……どうせ奪うなら、俺から奪ってくれよ」

「嫌です。あなたの願いは美味しそうじゃありません。対した苦しみも経験したことのない人間の願いは美味しくないんです。そもそも、私は叶歩さんを気に入ったんです」


 神様はそう言って踵を返すと、浮遊したまま森の奥へと消えてしまう。陽菜乃は、ただ俯きながらその様子を見つめていた。


「……俺は苦しみを知らない人間、か」


 ***

「えへへ、ボク寝ちゃってたね。ずっとここにいてくれたの?」

「ああ。俺もずっと一緒に寝てたよ」


 陽菜乃は何食わぬ顔で叶歩の隣に座り、あくびをする叶歩を眺めていた。


「ずいぶんたくさん寝ちゃったな。やっぱ叶歩に夜更かしは向いてないよ」

「いーもん。隣で寝るのも快適だったよ」


 叶歩は構ってくれと言わんばかりに陽菜乃の胸元で子犬のようにはしゃいでいる。仕方ないなぁ、と思いながらも、陽菜乃はそれを撫で続けた。


 叶歩が寝てしまった間にすっかり時間が経って、時計の針は午前十時を回っていた。街もすっかり活発になり、灼けたベンチの匂いを嗅ぎながら二人は抱き合って笑いあう。


「そうだ。ボク、クラスのみんなに謝りに行こうと思うの」

「謝る?」

「うん。みんなを巻き込んで女の子にしちゃったでしょ。みんな信じてくれないかもしれないけど、謝りたいんだ。それに、夏が終わったらみんな男の子に戻っちゃうし、混乱させたくないんだ」

「そっか。じゃあ会いに行こうか、みんなに」

「うん」

 叶歩は陽菜乃の肯定的な意見を聞いて、喜ぶように目を細めた。

 ふたりは立ち上がって、手を絡める。


◆◆◆

作者の温泉いるかです。読んでくれてありがとうございます!

宣伝になりますが、小説家になろう上で『TSしてチアガールになった元サッカー部の相棒同士が、女の子同士で付き合うまでのおはなし』という短編を投稿したのでぜひ見ていただけると嬉しいです。

作者のマイページに飛んで、ぜひ読んでみてください。

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