シバルリックロマンス〜魔光の騎士伝〜

ササキアンヨ

第一話 その光は妄執に近く……

 戦が終わったあとの始末と言えば、やることは決まっている。



 夕暮れの陽射しが地平線を赤く染め上げる。黒く蠢動する肉塊が屍肉を啄みにやってきたカラスたちを逆に食い荒らす。


 魔浄兵まじょうへい


 上官の判断で、自身の勇気で、部下の配慮で、自らを堕落せしめた騎士たちの成れの果て。ユグドラシルの尖兵どもを薙ぎ払い、コキュートスに勝利をもたらした功績者たち。彼らの活躍あって、女王アリアはこちらにとって有利な条件で和睦したという。



 結局のところ、戦争の本分は殺し合うことではない。互いの血を流したあとに交わされる政治の応酬こそが国の行く末を決めるのだ。



(くだらない。ここにオレが命をかける理由は無い。ならば、オレの死に場所は天国戦争ではなかったということだ。ましてや、後始末如きで死んでなるものか)



 筋肉を肥大させた紫色の巨腕が地面を抉り切り、昨日ともに焚き火を囲んで不味い糧食を食った仲間たちが弾け飛んでゆく。巧みにその攻撃を避けた黒髪の少年が剣を抜いた。



 腐った汚泥のような瞳の少年ではあるが、その刃は磨き抜かれている。刃に光が灯り、その祝光は強く爆ぜて魔浄兵を容易く切り裂いてゆく。胸に大穴が空き、両腕が落ち、その頭蓋は光で消し飛び、辺りに響くような音と共に魔浄兵は崩れ落ちた。



 ふと少年は自らに突き刺される視線に気付いて顔を上げる。共に戦ってきた騎士たちのものだ。今しがた潰えた仲間の命に対する慟哭と、傭兵風情が何故生き残っているのだという深い侮蔑。ここに仲間意識など皆無であった。戦友だと少なからず思っていたのは少年の方だけであったようだ。



(ちっ、オレはなんとお人好しなんだ)



 少年は無銘の剣を納め、立ち去る。魔浄兵をすべて討伐すれば仕事は終わり。仕事が終われば金が貰える。金が貰えればとりあえず明日からは生きていける。……醜く生にしがみついたとて、もはや自分という存在に意味は無いのだと理解していながら。



 それでも、彼は生き残ることを選んだのだった。



 ソウル・ティカ・ルシフェル。

 それが少年の名だ。コキュートス全土をその範囲に収めたとしても、非常に希少だと言える光属性を宿すルシフェル一族の長子ちょうしである。



 傭兵に身を落とした彼も、幼い頃は名高き武門の末裔として大いに自尊心を満たしていた。ソウルの父は、叔父は、祖父は、みな高名なる騎士であった。弱きを助け強きを挫く。コキュートスの護りを担う彼らの栄光はけして消えることは無い。



 ……7歳になるまで、ソウルは理解していなかった。栄光などという形無きモノがいかに脆く弱々しいモノであるかということを。



♦︎♦︎♦︎


 夜。4体目の魔浄兵を討伐したときに負った左腕の怪我の疼痛とうつうのせいでソウルは目覚めざるを得なかった。彼は忌々しげにボロ切れのような毛布をかぶる。医者に貰った鎮痛剤は既に切らしている。体に破魔はまの光を巡らせ、ソウルは痛みに耐えることにした。



(戦争は終わった。つまり、オレは金を稼ぐ手段を失ったということだ。今回の報酬で1年は遊んで暮らせるだろう。だが、そのあとはどうすれば良い? しばらくは戦争など起きはしないだろう。コキュートスから出て、戦乱の絶えぬという天ツ国あまつくにへ行くという手もあるが…………)



 ソウルを取り巻く懐事情の解決策はいつだって変わらない。屋敷を手放せば良いだけだ。ルシフェル一族が保有する武器を金属に変えれば足しになる。荒れ果てているとは言え、この広大な屋敷はまとまった金になる。


 

 だが、それだけは出来ない。



 居ても立っても居られないとばかりにソウルは毛布を払う。不安に駆られて向かうのはいつもの場所だ。部屋から出て、階段を降りる。豪華なシャンデリアの下、この屋敷においては広間となる部分にそれらはあった。



 永遠に凍てつく氷像。ジクジクと痛む腕を抑えながら、ソウルは変わり果てた父たちの氷像に縋り付く。如何なる炎を以てしても氷は溶けなかった。魔を打ち消す光の力でも氷は欠けなかった。何者の仕業でこうなったのか分からない。



 この状態になった父を、叔父を、祖父を死んだと諦めることが出来ればどんなに良かっただろうか。だが、淡い光が氷像から漏れ出て灯りの無い広間を照らしていた。死体が凍っているのであれば、こんな現象は起きない。彼らは仮死状態になっているだけなのである。



「父上……オレは必ず、この氷を溶かしてみせる。そして誉れ高きルシフェル家を再興する。そのためならば、どんな苦労も厭わない。そう誓ったんだろうが……!」



 立派な心意気だ。けれど、ソウルは解決策をいつまで経っても見つけることは出来なかった。

 


 ルシフェル家の財を投じてコキュートスのあらゆる医師や魔術師に見てもらえば氷は溶ける。それは幼さゆえの見通しの甘さだったのだろうか? 後見人すらいない貴族の子から財を搾り取ろうとする汚い大人たちに隙を見せたのが運の尽きだったのだろうか?



 何にせよ、事件から10年が経ち、いまのソウルには汚い大人すら近寄らない。傭兵業が無ければ硬くて不味いパンのひとつすら買えない有り様だ。無い袖は振れぬ。誇りで腹は膨れぬ。現実の厳しさに彼の精神は磨耗していた。つい死に場所を探してしまうほどに。



「父上。なぜ、オレをひとりにしたのですか」



 そんな風に氷像を叩く彼の姿は、子供のように力無く愚かで、ひどく寂しいものであった。



♦︎♦︎♦︎


 獄紀ごくき772年。コキュートスの秋に木枯らしが吹く。朝の冷たさに震えを押し殺しながら、ソウルは力強く剣を振るっていた。



 体を動かせば腹が減る。普段の彼であれば、ひもじい思いに駆られながら1日を耐え忍ぶだろう。しかし、ソウルには昨日得たばかりの金がある。料理人を雇うほどの散財は控えねばならないが、街へ行けば美味いものを食えるだろう。鍛錬のあとに褒美があると分かっているときの嬉しさたるや。



 汗を拭き、街へ行くための軽装に着替える。念のために剣を持って行きたいところはやまやまなのだが、騎士ではない者が街へ武器を持っていくとそれだけで厳罰の対象となる。



 ここはコキュートスの首都ジュデッカから程よく離れた郊外にあたる街、名をカイーナという。街には昼間から営業している飲食店が立ち並ぶ。ソウルは下戸だ。コキュートスでは16歳で成人となるのが決まりであり、試しに酒を飲んだこともあったのだが、二日酔いの辛さは筆舌に尽くし難いものだった。



 ソウルは気に入った店に入り、サイダーとチキンライスと川海老のサラダを頼んだ。米を食うのも久々である。テーブル席でゆっくり食事を摂る彼の耳に気になる情報が飛び込んできた。



「なぁ、知ってるかよ? 清廉白滅せいれんはくめつ騎士団が見習いを募集してるってよ。見習いでありながら、給金まで貰えるんだぜ」


「へぇ! そりゃあいいな。見習いってことはいずれは平民のおいらでも騎士に取り立ててくれるってことだよな!?」


「そうだ。しかも、コキュートスが戦乱に巻き込まれるような事態にはしばらくならない。命を賭けて戦うなんていうおっかない真似はしなくて済む。しかも、1日3食ついてて使用人までくれるらしい」



 普段のソウルならばあり得ないと切って捨てるところだ。だが、その魅力的な求人情報に聞き入ってしまった。清廉白滅騎士団はジュデッカを中心に活動している。仕事を終えたあと屋敷に戻ることが可能だし、使用人までくれるというのならば、屋敷の手入れも出来るはずだ。



 ダメで元々。急いで家に帰り、剣を腰に差す。士官の身とあれば、誤魔化しも効くだろう。



 清廉白滅騎士団の本部までやって来た。



 まず、ソウルの目に入ったのは丁寧に世話された色とりどりの花が花壇で咲き誇る様子であった。そばには錆び切った銀髪を肩までに揃えている美女がぼんやりと佇んでいた。彼女はそこらの男よりも身長は高いかもしれぬ。光でも背負っているかのような神々しさであった。



 彼女はこちらをチラリと見たが、ムスッとした顔を崩さない。その表情さからは正しく神気しんきが漏れ出ているような気迫があった。



 ソウルは美しい彼女を気にしつつも建物の扉を開いた。案内に従ってひときわ際立った防御の高さを誇る部屋を抜けると茶髪の武人が無骨な椅子に座っていた。顎髭が特徴の彼を見た途端、教本で覚えた礼儀作法などすぐ忘れ、立ち上がっていた。



「マルコ!?」


「あん? おまえはまさか、ソウルか!? これはこれは珍しい客人だ!」



 顎髭の武人はマルコ・デュマ・ベルフェゴール。剣術・槍術・弓術・馬術・魔術、いずれを取ってもコキュートス最強と謳われる騎士である。



 歳の離れた彼らではあったが、3年前に起きたヘルヘイム侵攻で互いに背中を預け合ってなんとか生き残ることが出来た。その彼が騎士団の団長にまで出世していたとは意外であった。



「なるほど。この好条件の士官に飛びついて来たってわけか。確かにここらでひとつ騎士になれば、傭兵よりかは安定した生活は送れるわな。よし。ソウル、おまえの騎士見習いの件は受諾しておこう。さっそく今日から仕事をしてもらうぞ」


「どんな仕事をするんだ?」


「野良魔浄兵の討伐だとか、犯罪者の確保だとか、イベントの警護なんかもするな。しばらくは副団長に付いて仕事のやり方を学べ。本来ならばここでどれくらい戦えるか試験も行うのだが、おまえには無意味だろう。そこは免除しておく」


「ありがたい」



 ソウルは強い。だが、昨日の怪我が少し後を引いているのは確かだ。騎士団にありがちな試験と言えば、騎士同士の一騎打ちだろう。負けた場合に採用されることはあまり無い。敗北を喫するなどとは微塵も考えていなかったソウルではあるが、自身を贔屓してくれたマルコには感謝の念が尽きなかった。



「なあに、気にするなよ。激戦だった天国戦争を僅かの傷で突破したやつがただの傭兵でいるのは勿体無い。よその騎士団に取られる前に優れた人材は確保しておかねーとな」



 マルコは顎髭をさすりながらにこやかに笑う。3年前のときよりも更に将器が増しているのを感じ、ソウルは胸の高鳴りを抑えられない。これからは最高の上官のもとで戦えるのだ。見習いから騎士へと昇格するのもけして夢物語ではないと、マルコの態度から窺える。



(オレは幸せ者だ。生きていて良かった)



「よし、じゃあさっそく任に就いてもらおーか。騎士舎の近くに花壇があっただろ。副団長はそこで花の世話をしているはずだ。見習いが来ることは話してあるから、そこへ行って指示を仰げ」


「了解致しました」



 騎士の礼を取り、退室する。よく見れば、廊下には多くの花が飾られており、華やかな印象だ。これも副団長が世話をしているのだろうか。



(もしかしなくとも、副団長とは花壇にいたあの美女か。首都を守る清廉白滅騎士団の第二席がお飾りであるはずはない。しかし、マルコに匹敵するほどの武術を収めているようには見えなかった。となると、魔術を得意とするのか)



 コキュートスでは騎士と言えば男であるのが普通だ。女は絶対的な筋肉量が男と比べれば落ちるのは当然として、月の障りによって体調が変化しやすいのはデメリットに変じる場合の方が多い。



 けれど、だからと言って女騎士が存在しないわけではない。高い魔力を有していれば、その程度のデメリットはお釣りになるような、そんな例もある。炎・水・風・雷・土を基本とする魔力による攻撃あるいは支援は戦場では当たり前のように飛び交う。



 力さえあれば、男であろうと女であろうと平等に評価される。それがコキュートスの気風であった。もっとも。



(それが“貴族”であるならば……だが)



 扉を開けたすぐ先に彼女はいた。朱色あけいろのドレススカートの上から漆黒の軽鎧を身に付けている美女。華美であることを意識したような装いに目が惹かれる。ジョウロを片手に持っているが、その腰にはレイピアが差してある。鞘の造りはシンプル。けれど、名剣であることが窺えた。



「失礼します。本日を以て騎士見習いとなりました、ソウル・ティカ・ルシフェルと申します。マルコ団長より、あなたの麾下きかに入るよう命じられました。よろしくお願い致します」



 そこで初めて彼女がこちらを振り返る。しかし、その目線は伏せられている。血潮の如き赤い瞳には何か凄みのようなものがあり、もし真っ直ぐソウルを射抜いていれば、気圧されていたかもしれぬ。揺れる銀髪にその瞳はよく映えていた。



「分かった。……私はエリス・ウィル・ジャッカロープ。清廉白滅騎士団の副団長だ」



 その名乗りにソウルは驚かざるを得ない。ジャッカロープ家はコキュートスの三大貴族の一角である。建国神話の中にも名を残し、その初代当主の顔は硬貨にも刻まれている。ここに比べれば歴史あるルシフェル家ですら新参扱いされるだろう。



 エリスは無表情を崩さない。その態度は堂々としている、と言って良いものかどうかはソウルには判断がつかなかった。ぼーっとしているようにも映るのである。しかし。



「ルシフェル家……魔氷まひょうに呑まれた悲劇的な一族。なるほど。貴公は傭兵堕ちしたというそこの子だな」



 知られている。ぼんやりした表情に気を取られていたソウルは平静を装いつつ油断していた気持ちを引き締め、「そうです」と短く答える。



「一族が滅びれば、もはや名誉に拘る理由も無いと思う。それなのに貴公はなぜ清廉白滅騎士団へ来た? その剣は何のために振るう?」


「……ルシフェル家を再興するためです。我らが一族はまだ滅びていない。氷より破魔の光が漏れている。つまり、氷を溶かせば彼らは蘇生するのです。その希望がある限り、オレは諦めたくはない」


「ほう。確かにそれは騎士が進む道。貴公なりの“正義”ということか。私も応援しよう」



 赤い袖に包まれたエリスの手が真っ直ぐ伸ばされ、ソウルの頭を撫でる。まるで慈母が幼子を褒めるときのような。彼女の言葉からは嘲りは感じられなかった。本心から出たものだと分かり、何やら複雑な感情に襲われる。



(……三大貴族の出身でありながら、何とも掴みどころの無い方だな。貴族らしくない)



 しかし、ソウルは悪い気はしなかった。自らの行いを肯定してくれたのは素直に嬉しく、その相手が絶世の美女であればなおさらだ。エリスは手を引っ込め、眠たげな顔のまま、ソウルを見据える。



「私がこの世で最も重視するのは“正義”。騎士はかくあるべし。コキュートスの法とそれらを執行する貴族の血。私が剣を振るうのはそのため。貴公が覚えておくか否かは自由だが」


「は。覚えておきます」


「では、まずは向こうにある井戸から水を運んで来なさい。花の世話は私の趣味ではあるけれど、貴公は見習いなのだから、従うべきだ」


「はぁ……。何故、花を?」


「これは私の“正義”の証。罪を糺したとき、魔浄兵を殺したとき。それは私の理想の世界に一歩近付いたという証拠。ひとつ善行を果たすたびに花を植えている」


「それは……とても素敵ですね」



 ソウルの率直な言葉にエリスは無感情に頷いた。その日、ソウルは騎士らしい仕事にありつくことは無かった。水を運び、土を平らにし、種を選別する。騎士舎に戻ったあとは大量の書類に囲まれて事務作業を行なった。しかし、体は充実感に溢れていた。



 給金は月払いということなので即座に金が手に入るわけではないが、天国戦争で稼いだぶんがまだまだあるのでその貯蓄で暮らしてゆける。しかも、情報通り、昼と夜は食堂でタダで食事を取ることが出来た。塩気の効いた鹿肉は非常に美味であった。



♦︎♦︎♦︎


 カイーナの自宅に帰り、ひと息ついた頃、玄関の鈴が鳴る。その珍しい現象に驚きつつ客人を出迎える。黒髪を後ろで括っているエプロン姿の少女だった。走ってきたのだろうか? 彼女の額には汗が滲んでいる。



「……初めまして、旦那さま。わたしはレイチェル・アンドロマリウスと申しますわ。清廉白滅騎士団より、旦那さまの身の回りの支度を担当させていただきます。以後、よろしくお願い致します」



(忘れていた。使用人が付くという話だったな。しかし、女か。男であれば適当に扱ってやればそれで良かったのだが)



「初めまして。ソウル・ティカ・ルシフェルだ。きみに頼みたいことはこの屋敷の掃除だ。見ての通り、荒れ果てている。広間と武器庫、ここに近付かなければ何をしても構わない。今日のところは自室の確保をせよ。客間であれば、どこを使ってもいい」



「承知致しました」



 ニコと笑う彼女の仕草に思わず自分の顔が赤くなっていないだろうか、威厳を保てているだろうか、と心配になるソウルなのであった。



(……オレはこんなにも女に弱かったのか)



 娼婦を抱いたことはある。だが、あれも所詮は金のやり取りの生じる仲に過ぎない。本当の意味で恋愛など、したことがない。



 脳裏に浮かぶのはかつて栄華を誇っていたルシフェル家で仲良く遊ぶ仲であった使用人の娘。それが初恋だったように思う。

 しかし、没落したあとは一度も会っていない。見習い騎士が所帯を持つわけにはいかないが、もし騎士となれたのなら、彼女を探してみても良いかと思う。



 ヴィヴィアン・バフォメット。年の割に低い背丈に淡い金の髪を流し、青空のように澄み切った蒼の瞳。元気いっぱいに毎日外で遊んでいるというのに焼けない白い肌。何よりその聡明さが強く印象に残っている。



 ふと、それにエリスの顔が加わった。不思議な雰囲気があり、何とも言えない魅力が確かに彼女にはあった。頭を撫でられたせいでもある。けれど、彼女は三大貴族出身だ。もし、何か彼女に対して愛を募らせていくような出来事があったとしても、高嶺の花である。



 ソウルはやがて目を閉じ、眠りの中に落ちていった。彼にとっては久しぶりである熟睡であった。

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