第二話

 公園のベンチに並んで座って、消毒の仕方を教えてもらう。今日はワイシャツ一枚でちょうどいい。夏の終わりで秋の始まりが一番好きな季節だなぁ。


 教室と同様に放課後の公園も、夕日でオレンジ色だった。


 私は折りたたみ式の鏡をカバンから出して、耳を見る。時折、古屋くんの顔が映りこむので、意識してしまう。彼はまず消毒綿でピアスホールの周りをキレイにしてくれた。


「お風呂でゴシゴシする必要はないから、石鹸つけて優しく洗うじゃん。で、お風呂あがったら、ピアスの穴とバーベルの隙間にさっき買った消毒ジェルをこうやって垂らすの」


 耳を触られながらの鏡越しの指導は、声が直接鼓膜に届いてドキドキしてしまう。あんまりドキドキしているのを悟られないように、私は神妙な顔をした。


「いまは開けたてだから、ケアそれぐらいで大丈夫。消毒のしすぎも良くないから、一日一回か二回ね。とにかく早くピアスホールに皮膚が再生するように、清潔にそっとしておく感じ。かぶれて痒くなったりしたら、さっきも言ったけど絶対に病院行って」


 あんまり喋る印象がなかった物静かな古屋くんから怒涛のピアス講義をされ圧倒される。それにしてもピアスのケアとしてダメと言われたことを今まで全部していた気がする……。


「はい……わかりました」


 私が思わず先生に注意されたかのように、しょんぼりな返事をすると、「なんで敬語。ウケる」と古屋くんは笑った。


「それはそうと、三崎さん、右耳だけにしたの、理由あるの? なんとなく?」


 両耳じゃなくて、右耳にしか開けなかった理由は……。


「……左は自分で上手くできなさそうだったから。私、右利きだし」


「誰かに手伝ってもらえばよかったのに」


「え? だって、お医者さん以外の人に頼むのは法律違反になるって……」


「真面目か! 三崎さん、面白いな~。でも、それなら病院でちゃんと開けたらよかったのに」


「だって、お小遣いじゃ足らなかったし……」


「バイトは?」


「? うちの高校、バイト禁止だよ」


「ウソ。知らんかった。普通にバイトしてた、オレ」


 古屋くんはケラケラと笑っている。


「三崎さんくらいだよ、そんな校則に詳しいの」


 むぅと私は唇をとがらせる。


「ごめん。ごめん。怒らないで」


 彼は器用に消毒ジェルのふたを片手で閉めながら、眉を下げてニシシと笑う。私は手渡された消毒ジェルと一緒に鏡をカバンへしまった。


「でもさ、ほんと、なんでそんな真面目な三崎さんがピアスなんて開けたの?」


 私は自分の耳たぶに触ろうとして、さっき「あんまり触らない方がいい」と言われたのを思い出し、行先のなくなった指で耳のふちを触る。


「……別に……理由はないよ。なんとなく気分転換」


「気分転換、超わかる。オレもこの前ノリで軟骨開けた」


 そう言って古屋くんは両耳に髪の毛をかけた。さっき教室で見せてくれた左耳だけじゃなくて、右耳にも三か所透明ピアスがついている。合計六か所もピアスの穴が開いていた。


「たくさん開いてる!」


「あはは。オレ、中学二年生くらいまでチビでさ。あんまり面白いことも言えないし。でもピアス開けたら、なんかちょっと自信でたんだよね。まぁ学校じゃ隠してたし、同中の奴でもオレがピアスしてるの知らんだろうから、ただの自己満だったけど」


「男の子ってタケノコみたいだよね。夏休みとか少し会わないだけで、ワッと育ってる感じ」


 小柄だったという過去をあまり感じさせない今の古屋くんを見て、思わず親せきのおばさんみたいなことを言ってしまった。


「この前、家に帰ってきた姉ちゃんにもそれ言われた~」


「お姉さん、一人暮らし?」


「うん。東京で美容師してて。たまに帰ってくるんだけど、髪の毛めっちゃ実験台にされる」


 彼は毛先を指でつまむ。


「ヘアスタイル、いつもオシャレだよね。そっか、それでなんだ」


「三崎さんに髪型見られてたとか恥ずかしい~。でも姉ちゃんに褒められたって伝えとく。絶対めっちゃ喜ぶ」


「お姉さんと仲良しなんだね~」


「めっちゃイジられてきたけどね~。服装ダサいとか髪型ダサいとか眉毛がボサボサとか。三崎さん、キョーダイは?」


「うちもお姉ちゃんがいるよ~」


 私はベンチに座ったまま足を伸ばした。スニーカーのつま先を見ながら、両手の指の腹同士を合わせる。


「んー。あんまり仲良くないん?」

「ううん。別にそんなことないんだけど……」


 メガネをかけて優しく寡黙な姉を思い出す。一人で黙々と何かをするのが好きな姉は、小さい頃の私がまとわりつくのを嫌がっていた記憶がある。イジメられていたわけではないけど、心の距離はわりと遠い。


「……お姉ちゃんね、絵がすごく上手で。でもそれは趣味なんだろうなぁって漠然と思ってたんだよね」


 姉はいま高校三年生で受験生だ。普通に文系の大学を志望していたし、成績もそれなりに良かったと思う。実際に成績表見たことないけれど。


「そしたら、この前、お父さんとお母さんに突然『美大に行きたい』って言ってて」


 普段あまり自己主張しない姉の意思表示は、親だけでなく私にも青天の霹靂だった。しかも、もうすぐ十月。受験まで三カ月くらいしかないのに。でも、それだけ本気なのかもしれない。


「私さー。大学ね、指定校推薦狙ってたんだけど」


「え、まだオレら、一年生じゃん。もう、そんなことまで考えてるん?」


「そう。学校の定期試験はいいんだけど、受験みたいな一発勝負の試験すごい苦手だから、指定校推薦がよかったの」


 高校受験は想像以上に自分にはストレスだった。できれば、大学は生活態度や学内試験といった日々の努力が報われる方式で合格したい。なんとか第一希望の高校に合格した時、最初に考えたのは、そのことだった。


「でも指定校って私大じゃん?」


 お父さんはサラリーマンで、お母さんは扶養の範囲内でパートをしてる。別に貧乏ってわけじゃないけど、無尽蔵にお金がある家でもない。


「美大ってすごいお金かかるみたいだし、親から何か言われたわけじゃないけど、国立大学目指した方がいいのかなって思って、そしたら、だんだんモヤモヤしてきて……」


「なるほど。だから、ピアス開けたんだ」


「ん。そう……です」


「三崎さん、さっきからちょいちょい先生に怒られた学生みたいな喋り方になんのツボる。ブクククク……」


「もう! いじわる」


 私は笑ってばかりいる古屋くんの肩を軽く小突く。でも彼に話をしたらピアスを開けても全然解消しなかったモヤモヤが、少しだけ晴れた気がした。



◇◇◇



 その日は、古屋くんと連絡先を交換して別れた。お風呂からあがり、自室で鏡を見ながら今日買った消毒液を耳たぶにつけようとして、意外と難しくて四苦八苦していると、スマホが光った。


【古屋匠海】

『ちゃんとできた?』

『消毒』


 エスパー! と思いつつ、泣いてるネコのスタンプを返す。


【古屋匠海】

『意外と』

『不器用』

『うける』


 自分でも薄っすらと不器用だと思ってはいたが、そう指摘され「ガーン」と落ち込んでいるネコのスタンプを今度は返した。


【古屋匠海】

『明日もやってあげる』

『公園で』

『待ち合わせ』


 私は『ありがとう』という文字と、とっておきの可愛いウサギのスタンプを返した。

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