第5話 忍び寄る影

 階段を下りてきたのは、肌が黒く光った筋肉もりもりの男性教師だった。短い逆立った髪にやや細い目をし、黒いジャージの上下に胸元をはだけさせ、そこからタンクトップと胸毛がのぞいていた。

 男性教師は磯虎太郎いそこたろう三十六歳。第三高校の体育教師だ。


「磯先生。おはようございます」

「温守! おはようじゃない。お前は先輩だろ? 騒いでるやつをきちんと注意しろ!」


 虎太郎はレイと悟に目を向ける。特にレイに対しては視線が冷たく睨みつけているようだった。彼は胸ポケットから小さなケースを取り出すと左手に薄水色の丸い錠菓を出して口に運ぶ。


「ごめんなさーい。ほら、レイ君も悟君もうるさくしたらメッだよ」


 甘菜は眉を少しあげ、怒ったフリ真似をしてレイと悟に優しく注意する。驚きあきれた顔をする虎太郎。甘菜は彼の視点などきにするこなく、二人に向かって階段を指さした。


「じゃあ教室に行こうか」


 三人は階段に向かって歩き出す。呆然とする虎太郎の前を三人が通過する。甘菜はにこやかで悟とレイは少し気まずそうに虎太郎に会釈をした。レイと目があった虎太郎は目を大きく見開いて我に返る。


「おい待て!!! なんだその注意は!」


 甘菜を怒鳴りつける虎太郎、彼女は振り返り首をかしげる。悟は気まずそうにしているが、レイは不機嫌そうに虎太郎を見つめていた。


「温守! お前は放課後に特別指導をしてやる。生徒指導室に来い!」


 にやにやと笑いながら虎太郎は、甘菜を足元からなめるように上へと見ていく。甘菜は自分に向けられた視線に気づいてないがレイは気づき虎太郎を睨む。


「ダメです。放課後はお仕事ですから。ねえ? レイ君」


 即座に虎太郎の言葉を否定し、甘菜は横を向きレイに顔を向けて同意を求める。


「はい。すみません。授業終了後に基地へ向かうように指示がでてます」


 虎太郎を見て小さくうなずきレイは淡々と答える。虎太郎はレイが口を開いたのが気に入らないのか彼を睨みつけた。


「黙れ! お前には言っていない! 温守だけが来ればいいんだ」

「いや…… 俺も温守なんですけど…… ていうか。生徒の名前も関係も知らねえのか? 俺もあんたの授業を受けてたはずだけど……」


 右の人差し指で自分を指してあきれて笑うレイだった。虎太郎は眉間にシワを寄せは彼を睨みつけた。


「なっ!? うるさい! 今すぐに指導してもいいんだぞ」


 つかつかと甘菜に近づき、虎太郎は彼女に向かって右手を伸ばす。とっさにレイは二人の間に体をいれた。虎太郎の手がレイの体に当たって弾かれる。虎太郎はレイを睨みつける。レイは冷めた目で虎太郎をみつめ静かに口を開く。


「姉ちゃんに触るな。触れたらどうなるかわかってるのか?」

「なんだと? 貴様は教師を脅すのか? ふん。やはり人殺しの軍人などのろくな者ではないな」

「人殺し? 悪いが俺の方から先に人を撃ったことはないね。だいたいその軍人の腕に抱かれてぬくぬく暮らしてやつがほざくなよ」


 虎太郎を見下してうっすらと笑うレイ、虎太郎はレイより十センチほど背が低く見下ろされている。レイの言葉には虎太郎も反論できない。町の外はレインデビルズによって埋め尽くされ、平穏な暮らしは番傘衆が体をはっているからなのは揺るがない事実だからだ。


「貴様!!!!!」


 言い返せない虎太郎は拳を振り上げた。レイは黙って拳を見つめていた。


「どうしたんですか? もう授業が始まりますよ」


 階段の上から誰が声をかけた。虎太郎の動きが止まり、レイは静かに視線を階段の上へと向ける。踊り場に廃寺でオークの襲われ、レイに助けられた陽菜乃が立って居た。彼女はレイ達がいる階段下へと向かってゆっくりと下りて来た。虎太郎は拳を下しごまかすように手を前後に振っている。レイは静かに虎太郎を睨みつけるように見つめている。拳を下した虎太郎に陽菜乃は声をかける。


「うちのクラスの生徒がなにか?」

「えっ!? あっ。こいつらが廊下で騒いでたので注意を……」

「そうですか。では、私が注意しておきます」


 そういうと陽菜乃は虎太郎に背を向け、レイに優しく微笑み小さくうなずく。


「よろしくお願いします。特に温守は……」

「はい。わかりました。あっ教頭先生がお呼びでしたよ」

「はっはぁ……」


 振り返り笑顔で陽菜乃は笑顔で虎太郎に答える。笑顔の彼女に頬を赤くし、階段から離れて校舎の奥へと去っていく。虎太郎が居なくなるまで陽菜乃はジッと彼の背中を見つめていた。虎太郎が見えなくなると、陽菜乃は振り返りレイに心配そうに声をかける。


「大丈夫? 何かされた? あの人は横暴ですぐに生徒を叱りつけるから……」

「あぁ。俺は大丈夫。ありがとう……」

「君は温守冷夜君だよね? そちらは甘菜さん。二人とも番傘衆なんだよね」


 レイは陽菜乃のことを覚えておらず、彼女が自分のことを知っていて驚いた。


「えっ!? なんで俺のことを……」


 驚いているレイの後ろから悟が、肩を組んで来て彼の顔を覗き込む。


「なに言ってんだ? レイ…… お前はもう担任まで忘れちまったのか…… あっ! 違うな。お前は根岸先生に会うの初めてだよな。矢部先生が急に辞めちゃったんだ」


 悟の言葉に陽菜乃がうなずく。


「ありがとう。杉田君。私は根岸陽菜乃。一週間前にあなたのクラスの担任になったのよ。初めまして」


 陽菜乃がにっこりとほほ笑む。彼女はレイに救われた直後に、この学校に異動してきたばかりだった。陽菜乃もレイが自分を助けた人間だと気づいておらず、互いに初対面だと思っていた。


「初めまして…… えっ…… あれ!?」


 レイは少し恥ずかしそうに挨拶をする。レイは陽菜乃に気付かなかったが、彼の頭に陽菜乃の記憶が少しずつよみがえってきた。


「あっ!」


 目を大きく見開いてレイは声をあげる。完全に陽菜乃のことを思い出したレイだった。自分の言葉で泣き出した女性を目の前にし、ものすごく気まずくなり呆然と彼女の顔を見つめる。


「どうしたの? レイ君…… ずっと根岸先生のこと見つめて……」


 甘菜がレイの様子に気付き彼の顔を覗き込む。未結からは救助した女性を泣かしたとしか聞いておらず、陽菜乃を救助した現場に居なかった甘菜は彼女の事は知らない。


「なっなんでもないよ! 行こうか…… 悟も! ほら授業が始まるぞ」


 気まずくなったレイは甘菜と悟に早く教室に行こうとうながす。


「レイ……」


 陽菜乃は甘菜がレイと彼を呼んでいるのに気づいた。


「待って! あなた一週間くらい前…… オークに襲われた高校生と教師を救助しなかった?」


 少し声を震わせレイに問いかける陽菜乃。自分を助けた軍人が、レイと呼ばれていたのを彼女は思い出したのだ。


「あっはい…… あの時…… パワードスーツの刀を持ってた方です……」


 観念したレイは、自分が陽菜乃を助けた軍人だと告げた。陽菜乃はレイを見てわずかに震える。

 

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!! ダメええええええええええええ!!」


 自分の受け持つクラスの生徒が、自分の失態を見たことにショックを受け、叫んで泣き出す陽菜乃だった。周囲の生徒がレイ達を見つめる。気まずそうにするレイと驚く悟。慌てて甘菜がレイに注意をする。


「レイ君!? 何をしているの!? 先生をいじめちゃダメでしょ」

「違う! 俺のせいじゃ……」

「何が違うの!? 先生は泣いてるでしょ! メーーーー!!」


 必死に説明するレイだったが、甘菜は彼の言い分を聞かず叱りつけるのだった。周囲の生徒はレイと泣き崩れる陽菜乃を見て遠巻きにひそひそとしている。

 人気のある甘菜をいつも一緒に居て、さらに赴任したばかりの先生を泣かしたことで、仕事であまり学校に通えないレイの名前が校内中に轟くことになった。

 その日の放課後…… 授業中や休み時間にレイは、悟以外から遠巻きにされ気まずい一日を過ごした。二人は下校をするために玄関へと戻って来た。レイは拳銃に弾を戻し上履きから靴に履き替えるためにロッカーの扉をあけた。隣に居る悟は深刻な顔してロッカーの前に立って居た。


「なぁ。今日はこの後は少し時間はあるか?」


 悟は小さな声で、レイに尋ねる。ロッカーで拳銃をレイは前を向いたまま悟に尋ねる。


「悪い…… これから勤務ですぐに基地に行かなきゃいけないんだ」

「ちょっとでいいんだ。実はお前に紹介したい女性がいるんだ……」

「えっ!? 彼女か?」


 少し恥ずかしそうにはにかみながら、悟はうなずいてレイの質問に答える。


「あぁ。俺もついに春が来たんだぜ」

「よかったなぁ。名前は? 何をやってる人なんだ?」

成瀬美波なるせみなみっていう第二高校の二年生で同じ工場に勤めているんだ」


 自慢げに彼女の名前と職業をレイに伝える悟だった。


「なぁ。頼むよ。彼女に親友のお前を紹介したいんだ」


 両手で拝むようにして頼む悟、レイは少し考えるが小さく首を横に振った。


「悪いな。今日はダメだ。また今度な」


 右手をあげ申し訳なさそうに、レイは悟の誘いを断り彼に背を向けた。手を下し悟はレイの背中に向かってつぶやく。


「そうか…… しょうがないな。仕事もだもんな……」


 レイは彼に視線を向けておらず気づいてないが、悟の顔は青ざめなにやら追い詰められたような顔をしていた。もしこの時、レイが悟の方を向いていたら彼の運命は変わっていたかも知れない……


「レイくーん! 準備できた? 早く行くよー」

「あぁ。わかった。悪い。今日は夜は家にいるから。話なら後でスマホにメッセージでもいれてくれよ」


 ロッカーの端から顔を出し甘菜がレイを呼ぶ。申し訳なさげに右手をあげ


「あぁ。じゃあな……」


 二人の背中をさみしそうに、見送った悟は小さくつぶやくのだった。


「ふん…… まったくけしからんな。聖獣様を愚弄するクソ傘どもが」


 夕日に照らされる教室の窓際で、正門を出て虎太郎が並んで歩くレイと甘菜の背中を見つめ悔しそうにつぶやく。彼は胸元に手を置いて何かを握る仕草をしその手に力が入っていく。

 直後に教室の扉が開かれた。虎太郎は静かに振り返った。彼は満面の笑みを浮かべ歓迎するように両手を広げる。


「やぁ。迷える子羊よ。ここに来るということは…… 君は決断したんだな」


 教室の扉に誰かが立って居る。放課後で証明が消え、奥までとどかない日差しのせいで、虎太郎がいる場所から扉に立つ人間の胸元までしか見えない。立って居るのは学ランを着た男子生徒のようだ。


「はい。今日…… 二人で聖獣様と夜会を行います」


 やっと絞り出したような、小さな声で虎太郎に返事をする男子生徒。彼の返事を聞いた虎太郎は明るい笑顔になる。


「頼んだぞ。全てはヘスティア様の御心のままに」


 虎太郎は胸のポケットからケースをだし、扉に近づくと男子生徒が両手を上にして彼に差し出す。虎太郎は男子生徒の手の上で、ケースを上下に動かし錠菓を彼に与えるのだった。

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