フォンドの章:英雄の背中を追いかけて・5
翌朝、フォンドが目を覚ますとラファーガの姿はどこにもなかった。
残されたのは冷たいベッドと、置き手紙がひとつ。
「親父……」
――黙って置いていくことになってすまない。
お前も気づいていると思うが、十三年前の事件と今回の事件は繋がっているだろう。
今回のことは、あの時わしがジャーマを追いかけなかったから起きてしまったことだ。
だからわしは、ジャーマを連れ戻しに魔界へ行くことにした。
危険で長い旅になる。当分は帰ってこられないだろう。
グリングランのことは、頼んだぞ――。
「……その旅に、オレは連れて行けないってのか」
ぽた、ぽた。落ちた涙のひとつが手紙の文字を滲ませる。
自分はまだ、足手まといでしかないのか。もしジャーマと会えたとしても、一度は膝をつかされた相手に、ラファーガはたった一人で……
「冗談じゃねえ。どうして一人なら行けると思ってんだよ……」
フォンドはぐっと眉間にシワを寄せ、唇を引き結ぶと、すぐに旅支度を始めた。
その時だった。コン、コンと扉を叩く音で、フォンドは一旦手を止める。
「はい」
「フォンド君だね。我々はドラゴニカのグリングラン警備隊だ」
「ドラゴニカの……?」
扉を開けるとそこには鎧姿で槍を携えた二人の女性。庭にはここまで飛んできたのか、竜の姿もあった。
「実は今朝、ラファーガ殿が挨拶に来てな。しばらく町を空けることになる、と。君と協力して町を守ってほしいと頼まれたんだが……」
「彼が発ったあと、町の人たちからは別のことを頼まれたんだ。どうせ君はラファーガ殿を追って飛び出そうとするから、と」
「え……?」
それまで力が入っていた紺桔梗の目が、虚を突かれてきょとんとまばたきした。
「昨夜の事件から傷が癒える間も惜しんでの旅立ち……きっとよほどの事情があってのことだろう。そして相当な危険が伴うことも容易に想像がつく。そんな旅に一人で行かせてしまうなど、フォンド君の性格ならできないはずだ……皆口を揃えてそう言っていたよ」
「そ、そうっすか……」
完全に考えが読まれていたことが気恥ずかしくて、フォンドの顔にみるみる熱が集まる。
そんな彼の様子に、竜騎士はくすりと微笑んだ。
「我々としても、英雄だからと一人に任せっ放しではいられない。だから、グリングランのことは我々に任せてくれ」
「は……はい。ありがとうございま……っ」
一度引っ込めたはずの涙が溢れて、慌てて拭う。
「よろしく、お願いします……!」
フォンドは彼女たちに深々と頭を下げると、震える声でそう告げるのだった。
「こんな形で旅に出るなんて、思いもしなかったな……」
準備を終えたフォンドは家を出て、グリングランのみんなに挨拶を済ませると、港への道を行き始めた。
なだらかな草原はそよそよと風で波打ち、昨夜の騒ぎなどなかったかのように穏やかで。
(魔界への行き方はわからないけど、魔界や魔族が絡むならまずはルクシアルに行くのが良さそうだな)
輝ける都ルクシアル。誰もが知るその名は、千年前の戦いでこの世界から魔界を切り離したという女神に深く関わりのある、大規模な信仰都市である。
港に行けばルクシアルのある中央大陸への定期便が出ているはずだ。
「ジャーマ……魔族になったんだか何だか知らないけど、オレのことはスルーしやがって。一発ぶん殴って目ぇ覚まさせてやる。それに、黙って出ていった親父も……」
ぱしん、と手のひらに拳を打ちつけ、気合を入れる。
「……待ってろよ!」
勢いよく大地を蹴って、フォンドは街道を走り出す。
手紙ひとつ残して出ていった義父の背中を追いかけるように……
――緑の国グリングラン城下町近くに住む若き拳士、フォンド・ループス……十三年前に魔物の大量発生により孤児となった彼はその時助けに入ったグリングランの英雄・ラファーガの養子となった。
ラファーガのもとで強く優しく真っ直ぐに育てられたフォンド。しかし同じ境遇ながら反発して家を出たジャーマのことがずっと気がかりで……
そんなジャーマとの再会は、十三年の事件をなぞるような炎と魔物に荒らされたグリングランの街中でのことであった。
ラファーガすらも圧倒した彼が残した言葉から、魔界へ向かうため旅立つ。
たとえその行く先が、どれだけ険しい道のりになろうとも――。
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