フォンドの章:英雄の背中を追いかけて・3

 夕方、買ってきた食材を調理している最中のフォンドの耳に、ガチャリと開くドアの音が届いた。

 鍋の中でぐつぐつと煮えるスープ。近づく足音。いつもの夕飯時だ、と。


「親父、おかえり」

「お、今日はトマトスープか? いい匂いだな」

「もうすぐできるから待っててくれ」


 さまざまな具材が混ざったスープの香りはやや強めの酸味が想像できるもので、ぐう、とラファーガの腹が鳴る。

 食卓には既にスライスしたバゲットやサラダの皿。調味料の瓶も置かれていて、あとはスープが来れば完成だろうか。

 ほどなくして肉も野菜もごろごろ入ったスープが二皿、湯気を立てながらそれぞれの席に。


「「いただきます」」


 食事は必ずこの一言から。さらりとした赤い液体で満ちた匙を口に運ぶと、隠し味にぱらりと散らしたハーブが香り、今日もうまくできたとフォンドがほくそ笑む。

 バターを塗りじゅわりとスープを染み込ませたバゲットをかじると、ラファーガも僅かに目元口元を綻ばせた。


「こっちも腕が上がったんじゃないか?」

「そりゃ、親父に料理は任せられないからな」

「む……これに関しては何も言い返せねえ」


 突然子供を引き取ることになったラファーガは家事が得意ではなく、中でも料理は「食えればいい」といった感じだった。

 幼いフォンドがラファーガに連れられてグリングランの町に来た時にまずやったことは、宿屋のおかみさんに料理を教わりたいと頼み込むところからで……


「あの時のお前は必死だったなあ」

「笑いごとじゃないっての……」


 なんてことない和やかな家族のだんらん。けど、とフォンドが目を伏せた。


「フォンド……ジャーマのこと考えてるのか?」


 今はいない、もうひとりの“家族”……ここにジャーマもいたら。

 心の内を言い当てられて、フォンドの心臓がどきりと跳ねた。


「なんでわかるんだよ」

「わしもそれなりに“親父”やってきたからな」


 がしがしと頭を掻きながら、ラファーガは長い溜息を吐き出す。


「ジャーマ……あいつは危なっかしい。わしの背中に“力”だけを見出し、追いかけた」

「力だけを……」

「だからこそ、一旦ここを離れて広い世界に触れた方がいいんじゃないか、と。あいつの選択なら、そうした方がとわしは思った」


 十三年前、両親が目の前で魔物に殺され、自分も……という時に助けに入ってくれたラファーガの大きな背中は今でもフォンドの記憶に鮮明に焼きついている。

 拳ひとつで魔物を薙ぎ払う圧倒的な力……だが、それ以上に印象的だったのは、


(優しさと、哀しさ……そんな目だった)


 ラファーガが振り返った時、フォンドと、そして既に事切れて横たわる両親に向けた、申し訳なさそうな、苦しげな目。

 全部、守りたかったんだ……幼いフォンドは、感覚でそれを理解した。


(だから、オレが目指すのは……)


 と、過去に引っ張られていたフォンドの思考を引き戻したのは。


「ん? なんだあの煙は……?」


 窓の外に目をやったラファーガの、怪訝そうな呟きだった。

 煙の方角は、グリングランの城下町。


「――ッ!」


 状況を理解する前に、ふたりはすぐさま席を立つ。

 緑の国を包む赤々とした不穏な光へ、弾かれるように飛び出していった。


 食卓に、まだあたたかい食事をそのまま残して……

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