シグルスの章:狭間を生きる騎士・4
「貴様、姿をっ……!」
「ケヒャッ……ワタシのことより、早く逃げた方がいいんじゃないですかァ? このジョウキョウで“ハーフエルフ”の言い分を聞いてくれるニンゲンなんていませんヨ?」
悪魔の言う通り、この国でもハーフエルフであるシグルスへの当たりはまだまだ強い。そして唯一この悪魔が姿を変えるところを見ていた王は失血で意識を失っている。
じわり、シグルスの胸中を苦みのようなものが迫り上がっていく。
「んんー、アナタの“澱み”もなかなか美味ですネ。あんなガキんちょを脅かしたくらいでは、やはりつまみ食いのお菓子程度にしかなりません。ヒメイはなかなか甘美でしたがねェ」
「なに……?」
「それでは、ワタシはこれで。楽しい楽しいお・しょ・く・じ・ターイムにさせていただきマス!」
「ま、待てっ!」
ぱちんと両手を合わせ、煙のように消えてしまった悪魔に放った一撃は一瞬遅く、虚しく空を斬るだけで。
声に呼ばれて近づいてくる足音。悪魔の言葉通りにするのは癪だが、王の治療は彼らに任せ、今は身を隠した方が良いだろう。
何より、すっかり平和になったこの世界であんな悪魔の存在は知られていない。王の意識が戻らない限り、真犯人を見た者は自分だけ……今捕まれば、真相は闇に葬られてしまう。
(くそっ……さっきの声のせいで、俺が犯人だと思われてそうだ)
ひとまずは、どこかへ……バルコニーに出たシグルスは躊躇なく飛び降り、木をうまく使って着地した。
「っと……これじゃまるで本当に侵入者だ」
茂みに隠れ、様子を窺う。街まで出れば、まだ騒ぎにはなっていないはずだ。
と、その時だった。
「……シグルス?」
「!」
耳馴染みのある声に思わず顔を上げると、月明かりを背にこちらを見下ろすブルックが、困惑の表情を浮かべていた。
「王が襲われたと聞いたが……」
「ブルック、隊長……これは、その、」
「とりあえずこれ着ろ」
ブルックは自分の黒いマントを手早く外すと、そのままシグルスに羽織らせた。
「フードで顔隠せ。話は俺の家で聞く」
「……え?」
言われるまま顔を隠したシグルスの手を引き、なるべく静かに城下町にある自分の家へと連れていく。
「ブルック隊長、どうして……」
「何もないが、とりあえず飲め。落ち着くぞ」
シグルスをテーブルに着かせると、ホットコーヒーをそっと置き、促すブルック。
カップから伝わる熱が、思考を静めてくれるコーヒーの香りが、今のシグルスには有り難かった。
「俺を、信じてくれるのか?」
「お前は陛下に信頼され、それに応えようと日々努力してるだろ。そんな奴が、どうして陛下を暗殺する理由がある?」
ハーフエルフの言い分を聞いてくれる人間なんていない。
悪魔に言い放たれた呪いが霞み、霧散していくのを感じた。
「お前のことが気になって城に来てみたんだが……なんだか騎士たちの様子がおかしい。何があった?」
「実は……」
真っ直ぐな眼差しを向けてくるブルックに疑念は感じられず、ぽつりぽつりとシグルスも口を開く。
昼間来ていた大道芸人の怪しい動き。ボールに化けた魔物に襲われた子供。嫌な予感がして城に向かえば、王の間で自分の姿をした悪魔が……
「……まんまと犯人に仕立て上げられちまった、ってか」
「そうらしい」
「まずはディフェットを出た方がいいな。陛下が目覚めれば、或いは疑いも晴れるかもしれない」
それまでは、ディフェットに身を置くのは危険だろう。
シグルスにとっても、それは同じ見解だった。
「だが、どこに行けば……」
物心ついた頃からこの街で過ごしてきたシグルスは、任務以外でほとんどディフェットの外に出たことがなかった。
学校で習った地理はある程度頭に入っているが、話に聞く知識ぐらいでしか他の国を知らない。
「輝ける都ルクシアル」
「え?」
ブルックが呟いた地名は、よく耳にする名前だった。
「ルクシアルって、中央大陸の?」
「困った時の神頼み……ってのもアレだが、あそこは女神様の総本山だ。何か情報が掴めるかもしれない」
単なる目撃情報か、どこか別の国の異変の話か。それともシグルスのように苦しめられた者が助けを求めに来る可能性だってある。
女神の都は、人々の祈りだけでなく情報が集まる場所でもあるのだ。
「そうと決まれば早速ここを出ないと……」
「そのマント、やるよ。あとはもうちょい騎士っぽさをなくさないとな」
騎士然とした鎧を外し、身軽な旅人風の格好になったシグルスに「似合うじゃねえか」とブルックが笑いかける。
「鎧は預かっておいてやる。ディフェットと陛下のことは俺に任せろ」
「何から何まで、すまない」
「なぁに、可愛い息子のためだからな!」
実の親子ではないシグルスに、たまにブルックがふざけてそう言うことがあった。
部下というよりも子供扱いされているようで少し不満に思っていたのに……
なのに、今はそれがとても胸に沁みる。
「ブルック隊長……ありがとうございます」
普段あまり無駄に開かない口から零れたのは、絞り出したような、震える声。
シグルスはフードを深く被り、目元を隠して俯くのだった。
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