見上げるほどの集合住宅。ぎっしり詰め込まれた人間保管庫のような住宅地

土地問題を解決するために前々総理大臣が打った無策なブロック住宅は老朽化が進行して外から見ると今にも崩れそうな風貌だ。その後も解決する名目は立たず歪な家は不法滞在者の温存となっている。錆びた手動ドアの前に立つ少女はノックを三回叩いて受け取り口から古いSDカードを三枚投入。


 ガッ、と開く受け取り口から覗く目玉にぎょっとして後退りする。


「合言葉は?」


「……」


「風」


「ビ、ビル」


「よし」


「ようこそ俺ん家へ」

 薄汚い小さい部屋。締め切ったカーテンはカビ臭く目を突き刺すような青白いLEDに粉砕された注射針が詰め込まれたゴミ袋。何日も積み上げられたカップ麺に機能を停止したキッチンは不衛生極まりない。

 光岡はソファに腰をかけて、「どっちだ。ガキの母ちゃんか」と。

「……私だ。しばらくこの子の体を借りる。私はすでに肉体的には死亡したことになっている」

「ゴーストハックてやつか。リスク高すぎて誰もやらねーと思ってたんだがな」

「私の血は特殊でね。この娘が堕ろしに来たのがきっかけでね」

「あーあー。世も末だよなぁ。ま、ゆっくりしていきなよ。どうせ見ることになるんだからさ」

「これは……」

「麻薬菜園。可愛いもんだろ。通称ピーナッツ畑。

これはごく一部

首都園にはゴマンとあるぜ。

最初は医務室から適当に見繕ってサイダーみたいなもんをつくたんだ。

それがヒットして、評判が評判を呼んで

海外支部の奴らが俺をスカウトした。

けど俺はその話を蹴った。

たりめーだろ。ここはサムライの国。好き勝手されてたまるかってね。

てーのは建前で本当はただ、デカくなりたかっただけ。海外のマフィアと対等に渡り合うためにはまだ戦力が足りない」

「俺が小さいながらもリーダーのメンツ張れたのもコイツの力が強い。みんなおれのクスリを欲しがっている。欲しいやつは死んでも買う。俺の仲間になれば、安く売ってやる、そういうふうに決めた。当然だ。仲間だからな。

今は両手で数える位程度だがいつかは両足使っても数え切れないくらい仲間を集めるんだ」

「一番人気はカプセル型だ。たまに色付きのクスリを一気にやる奴がいるが口ン中見れば一目瞭然。おまわりにショッピかれて病院送りよ。カプセルなら一口で終わるし、液体タイプよりも効果が強い。バレづらいしな。酒飲んでたってベンチに座ってで言えば誤魔化せる。保証しないけどな。

 ヤクはおしゃれじゃねぇんだよ」

「なぜこんなことを?」

「みんなが欲しがったから俺が作った。それだけさ」

「けど、潮時だな。

俺もいいもん作ろうと改良を重ねてきたが、需要が追いつかない。量産化させるなら場所と金が足りない。俺は一つ一つ大切に育ててきたが無駄だった。

よくよく考えりゃそうだよな。客はハイになりたいだけだ。品質の良いも悪いも知るもんか、ってね…………此処も燃やす。警察も俺の足取りを追っていたようだが、ククク」

「……」

「今日はそれをお別れに来たんだ。これがなくなったら俺は俺じゃない。俺を求めていた連中は以前の俺。俺は消える。チームはおしまいさ」

「君は? どうするつもりだ」

「俺? うーん最近流行りのデジタルポルノの転載サイトでも立ち上げるかな」

「一ヶ月十万円だ。俺はそこで得た収益をカバンや、うまい飯に注ぎ込む」

「今時は豊かさに反して社会人は精神が摩耗しておる。金に関しては財布の紐がきつい。特にバブル崩壊直後の世代とかはな。金の使い方をまるでわかっちゃいない。ありゃ異常だぜ。あんな息苦しい生活じゃあ回る金も溜まる一方。それじゃ独裁者と何ら変わりない」

「この世は結局どこまで行っても資本主義さ」

「俺は民主主義だ。金は天下の回り物」

「その日に給料をもらってその日にパァーっと使っちまう。しかし肝心の金持ちは出そうとしない。民衆は金を求めている。明日のパンを求めている」

「なら、俺がじゃんじゃん経済回すしかないだろー」

「英雄にでもなるつもりか?」


「まさか俺はただ、うまい飯を一緒に食いたいだけさ。」


「金がないから飯についていかないって奴がいた。小柄で細っちくてな。

まだ九歳だった。そいつは病気で死んだ」

「……」

「恨みはないさ。ただ、よくしたいんだ。人間社会に組み込まれた一、人間として」

「君が思ってるより世界は狭くない」

「うーん。ならぶっ壊すしかねぇな。」

「……私の意識はネットに漂う。これ以上はこの娘の体力と精神がもたないだろう」

「今度会う時は殺し合いでもしようや」

「なぜ」

「生きる実感を教えてやりテェからだよ」

「……早死にするぞ君は」

「どうせつまらない人生だ」

 少女はゆっくりと瞼を閉じて、目を覚ます。

 何がなんだがわからないと言った様子で周りをキョロキョロと見渡している。「ほい、ピーナッツ」

「あれ、……???」

「ハイになりすぎてなんも覚えてねぇか」

「?」

「心配すんなよ。俺はこう見えて純情だからさ。で、次いつ逢う?」

 ビンタ一枚で光岡は切れた。

「ばーか! ブスぅ! テメェなんかに二度売るもんはねぇ!!」

 塩を撒いて、光岡は部屋に戻る。

 ガソリンを撒いて、壊すのだ。何もかも。これでいいはずだと自分に言い聞かせて。

 「ヒュー」と軽い口笛でも吹いて作業を続ける。

 不意に、振動するデバイスに光岡は開く。柳田からだ。

「なにぃ松田が一人で行ったダァ!?」

『あいつ舐め腐ってるか勝手に一人で行きやがった! それとニュースみろ! 108チャンネルだ!』

「はぁ? ニュース?」

 光岡は旧型のテレビに電源を入れて108チャンネルを繋げる。

 絶句した。

 空から見下ろす街は黒煙が上がっておりヘリに搭乗したリポーターが早口で避難勧告と状況実況をしていた。緊迫した状況が頭の悪い光岡にも伝わった。

 そこには、異形と成り果てた松田の顔。地を這う巨大な肉塊は昔映画でみたクラーケンの触手のように振り回っている。

『予定より早く連合軍が動きやがった。切れたガキが変身して街は滅茶苦茶だ!』

 次々と薙ぎ払われる連合兵士。中には戦車で応戦するも空間圧縮にあっさり食われて爆発四散となって宙を彩った。倒壊するビル群に雨のように降りそそぐ硝子の雨に人々は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。熱く燃え上がるマシンの残骸に避難誘導に従う市民。

「松田は、どうした」

『……ガキに特攻仕掛けて、喰われた」

 光岡は、部屋を飛び出した。

 混乱する街、その間を縫うようにtypeTが走る。幸い光岡は町の地図をタイムアタックの際に覚え込んでいる。どこに人が集中するのか、どこを世とは避けて通るのか。

 しかし、それを省く者たちがいた。

「お前ら」

「俺たちも行くぜリーダー」

「……豊臣、阪田、山内、柳田。勢揃いじゃねぇか」

「役者が揃いましたヨォ」


 嬉しさ余って力半分。


「わりぃがお前ら。チームは今日までだ。あばよ」

「松田のことはどうすんだよ!」

「松田は、死んだ」

「死んだってお前、確証も証拠もねーぜ」

「みっちゃん。慌てんな」

「要はあのガキから引はなしゃいいんだろ!」

「まさか。あの状態から真人間に戻れるわけがない。解毒剤もない。作られたら最後、細胞が死ぬまで止まらない」

 指に食い込む痛みは光岡だけではない。

 メンバーの全員が感じ取っているやるせなさは、光岡が一番理解している。

「松田を、あのまま醜態を晒せってのか。生き返ったところで、あいつはもう帰ってこない。世界から餌にされて見せ物にされて道具に用に捨てられるあいつを見捨てろってのか」

 振り返って、いった。

「俺が殺せばあいつは、松田のままで死ねる」

 誰一人、メンバーは顔を見合わせない。

「できんのか。お前らに」

 沈黙。

 黙っているということは容認したという風潮があるが、彼らはそうではない。意に反する沈黙。

 光岡は歩き出す。


「おい光岡!」


 光岡はゆっくりと振り返る。面倒臭そうにしけたつらを晒して。

「なんで松田はあんな目に遭わなくちゃいけなかったんだ」

「……多分、そういう運命だったんだろうぜ」

 本当は誰でも良かったのだ。たまたまそこに松田がいたからそうなっただけ。それだけだ。

 そこに光岡、山内、阪田、柳田、犬猫猿狸。

 松田だったから光岡が動く。

 たった一人の人間を殺しに行くのだ。

 光岡を止めるものは誰もいない。

 けたたましく鳴る避難警報を背に佇む少年たちは目を見合わせた。

 待つことにしたのだ。


 

「いヨォ松田。久しぶりだな」

「ミツオ、カ」

「ちょーしどうよ」

「……寒い」

「……そうかい」

「光岡、ミツオカ。先輩。寒い寒い」

「その体にギッシリ詰まった血全部抜けば楽になるかもな」

 光岡は自前の鉄パイプを握りしめ、走り出す。

 迫り来る触手を駆け上り首筋に突き刺す。

 肉が厚すぎて届かない。

 突き刺す肉塊はぶちゅんと感触が返ってくる。パイプから噴き出る鮮血と汚物を浴びても光岡は手を離さない。瞼を閉じない。熱い赤い雨は光岡の白目を紅へと染め上げる。眼球との隙間に真っ赤なモノが流れ込み激痛が走り、開けれなくなる。一瞬だけ擦って、また突き刺す。

 悲鳴をあげる胎児のような肉塊、「死ねぇ死ねぇ!! 松田!」。

 振り解かれた光岡は、マシンに乗り込む。

 エンジンを回したままのマシンは、肉塊に突撃する。

 アクセルを踏み続けるマシンは白いボディを真っ赤に染めていく。

「死んでくれよぉ! 畜生畜生ちくしょぉ!!

 途端、エンジンが止まった。

「しまった! エンジンが!」

 頭に血が上りやすい光岡にエンジン回転数を見る余裕はなかったのだ。

「く、そお」

 間一髪大事を免れることができたがtypeTは、松田に喰われた。

「ほしけりゃくれてやる……」

 フラつく足を叩いて光岡は走る。

 助手席に乗せた火炎瓶は、もうすぐだ。

「あばよ松田ぁぁぁ!!!」

 ヘリウムガスを注入される風船のように膨らみ続ける

 やがて人の肌を下皮膚を引き裂き、赤い、紅い細い繊維が纏まった筋肉が露わになる。熱い熱気を背中で感じる光岡は思わず振り返った。見上げるほどに肥大化し続ける肉塊は無差別に虐殺と、破壊を繰り返す。もはや一人だけでは制御できなくなった力はどうすることもできない。

 膨らみ続ける肉塊が背中からほんのひとまわりだけ耐えきれなくなったところからぶっ、と凹んだ。

 そして、四肢を引き裂く内側からの爆炎に押されて肉塊は飛び散った。

 異臭と腐敗臭。卵が腐ったような世界に一人立つ男、光岡。

 彼はようやく見つけ出した。

 両腕が壊死、胴体と頭だけだ残っていた仲間を。

 ずいぶん軽くなった松田を背負って光岡は歩き出す。

「みろよ松田。俺一人で、お前を殺せたぞ。へへっ。すげぇだろ。何ほけっとしてんだ。帰ろーぜ、松田。家に」

 蔓延する悪臭に、ガスが溜まった肉塊。燃え盛る貧困街の火種は首都園には届かない。

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