ルーク編

「あー,この前のお別れ会の時のおじちゃんだぁ」

「コックさんだ!ビーフシチューすごくおいしかったよ!」

「お,おう」

 なんだって俺が子供に囲まれているかといえば,俺はルーティの学校の調理実習に招かれたのである。はじめ俺は教師なんて柄じゃないからと断ったのだが,人気のある家庭科の教師でもある調理師が異動になったことで頼れるのは俺だけだという。他に適任はいくらでもいたと思うんだが......悪いのは俺のシフトを完全に把握してそれを周囲に言いふらしているあの畜生に違いない。というわけで俺は子供たちにハンバーグの作り方を教えることになり,今ここにいる。ルーティはジャガイモを切りながら,ナイフの適切な持ち方と食材の適切な抑え方を実演形式で教えている。

「おい,指を伸ばすと怪我するから,こういう風に丸めるんだ」

「それじゃうまくつかめないよ」俺の隣でもたもたしている生徒は玉ねぎをアイスホッケーストーンのようにまな板の上で滑らせた。

「ナイフを持つ手に力を入れすぎだ。玉ねぎはそんなに力を入れなくても切れる」

「きれない」むくれた生徒は玉ねぎに半端に食い込んだナイフをもう片方の手で押し込んで強引に割った。ままならないものだ。エステスに料理を教えてやった時も――




――ルーク,一週間後に世界が終わるとしたら,君はどうする?

――どうもしねえ。つうかそういうことを訊くときは「明日世界が終わるとしたら」って聞くのが普通じゃないか?


 数十年前にエステスから請われて付き合ってやった料理レッスンの代わりに思い出したのは,昨日あいつと交わした他愛もない会話だった。いや,他愛もないという形容詞はあくまで表面的な,自分自身を納得させるために用いた表現だ。いま俺は最期を迎えようとしているこの街の見ている幸せな夢の中にいるのだ,という一種の明晰夢のような状態にあるのだろう。エステスは覚めない夢のなかにあって現実世界では目を閉じている俺が適切な行動をとれるよう暗に指示しているのだ。


――たしかにそうかもしれない。ただ今の質問にはちょっと背景があってね。心理学のペーパー,といってもワーキングペーパーのまま放置されたやつだけど,その中に面白いものがあってね。その論文では,被験者に対して「世界が終わるとしたらあなたはなにをしますか?」という質問事項を(1)明日(2)一週間後(3)来年と猶予期間を変えて訊ねたんだ。その結果どうなったと思う?

――最後の晩餐,なんていうものだからな。まあうまいものでも食いに行くんじゃないのか?

――(1)に関してはその通りだね。8割以上の人間が家族や恋人,友人とご飯を食べると言った。では(2)と(3)はどうか。(3)の場合は,「仕事/学校をやめて旅行する」という回答が(全体の3割を占めてトップだった。じゃあ(2)はどうかな?


 エステスがこういう風に問いかけるのは,たいてい俺に何かをするよう促したい時だ。タバコを吸う俺に対して「人間がいないと副流煙を気にする必要が無くていいよね。気にする必要があるのは自分のことだけ」と言ったエステスは,その後の料理人がタバコを吸うのは好ましくないという議論につなげようとしていたわけだ。


――(1)とほとんど変わらないから,やはり最後の晩餐だと思うが。

――重要なポイントは......


 エステスは人差し指をぴんと立ててにやりと笑った。その拍子に風向きが変わり,風上の料理店から甘く爽やかなカルダモンとオールスパイスと濃厚なデミグラスの香りが漂ってきたものだから,俺の意識は彼の指先から逸れた。


――最後の晩餐までに,1週間の猶予があることだ。1日しか猶予がないなら,彼らは最後の晩餐を楽しむことに集中する。逆に1年もあれば,最後の晩餐のことは考えずその一年を楽しむ。では1週間だとどうなるかというと,彼らは最後の晩餐を素晴らしいものにするために動こうとするんだ。

――というと?

――ほかの質問事項と比較して5倍以上の票を集めた行動であり,高い蓋然性の認められることとして......




「力任せだと切りづらいし怪我もしやすいから,ナイフの切れ味を使って撫でるように切るんだ。そう,うん,その調子」生徒はむくれた表情のまま玉ねぎの繊維に沿って包丁を入れ,小さな虹を一つ切り出した。そしてプリズムによって手もとに作り出されたささやかな希望のような虹は,既に縦方向に入っていた亀裂の通りにばらばらと崩れ落ちた。朽ちた玉ねぎドームから発生した硫化アリルを検知した目は眼球保護溶液を吐出し,生徒の瞳から数滴の涙が零れ落ちた。

 エステスは俺に,「一週間後に世界が終わる」という仮定の下でとる行動をとってほしいと願っていたのだろう。しかし晴天をどよめかす霹靂が,劣化したゴーグルをのぞき込んだ時に見える気味の悪い細かな亀裂のように空に何度も映る様子は,もはやそんな猶予も感じさせない。すべてに気付いていて,なぜお前は何も教えてくれなかったんだ。もっと時間があれば,そう,あと一週間あれば俺は一歩踏み出して何かを変えることができたかもしれないのに。お前自身は変わったのに,俺が変わらないことは許さないというのか?

「ぜんぶきったよ。つぎはフライパンで焼くんだよね」

「ああ。バターとローリエ,オリーブオイルを入れて玉ねぎを炒める」

 ルーティは正面のボードに香辛料の歴史と用途を書き込み始めた。生徒たちは作業を進めたい気持ちを抑えて熱心に彼女の説明に耳を傾ける。以前,新しいことを教えても一年後,あるいは二年後にはすべて忘れてしまっているスチューデント・アンドロイドにこうやって勉強を教えることについてルーティに尋ねたことがある。そのとき彼女は,「一年でも,たとえたった一日だけの変化だとしても,変わり続けることに意味がある」と言っていた。たとえもう半日しか残されていないとしても,俺は進むべきなのだろうか。いまだ道の見えない俺はここ数百年続けてきたデミグラスソース作りに心を傾けた。




「ルーク」

 調理実習が終わったあとルーティは授業に,俺は店に戻っていた。そして夕方,ちょうど俺がいつも休憩に入っているタイミングで珍しくルーティが電話をかけてきた。

「ああ,ルーティ」

 電話の向こう側とこちらでほぼ同時にガラスが割れたような雷の音が鳴った。ルーティの声は急な雷に委縮したかのようにか細い。休憩室に充満する甘みと旨みを感じさせる豊かな香りを彼女にも届けてやれないかと思うが,そのような時間は無いように感じられた。店などオートクッカーとサーブロボットが切り盛りしてくれるし,ルーティもティーチャーアシスタントロボットに課題の作成と解説を任せてしまえただろう。そうすれば最後の時間を共に過ごすことができるのだが,俺たちはそうしなかった。

「生徒たちは今日の実習を楽しんでくれただろうか」

「ええ,いつもの実習よりも本格的だったからか,とても真剣に取り組んでたと思う。でもお昼に食べ過ぎて午後の授業は眠そうだった」

 ホログラム通話に切り替えれば対面で話せるが,今切り替えれば彼女は俺に涙を見せることになってしまう。それは俺もまた同じだ。

「お店は混んでる?」

「だいぶ人が増えてきたな。あと一時間あれば行列ができただろう」

 思わず使った過去形は,反実仮想ではなく過去の習慣としてとらえてもらえているなら良いのだが。

「ルーク」

 休憩室の小さな窓からは赤黒い空と瞬く星が見える。そろそろ休憩時間は終わりだ。俺はぎしりと音を立ててパイプ椅子から立ち上がりつつ,「うん」と答える。

「愛してる」

 伝えたかったのはそれだけだ。

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