伝道 VIII

 エステスの勤め先であるテクスト―ル・スイミングプールが営業再開したニュースが地方新聞「フランクフルト・タイムス」で報じられ,同時に事故を防いだライフセーバー・929の武勇伝が再び話題となった。地方の小規模スイミングプールであるテクスト―ル・スイミングプールに一日500人の客が訪れたのはその歴史上初めてのことであり,一時は繁忙期のナバイオビーチのように人が密集した。

 その影響はプールだけにとどまらず,929行きつけの店である「レストラン・リストランテ」に聖地巡礼する人々が事故発生直後に増して多くなり,ルークはやや呆れながら今日も開店以来つぎ足し続けてきたビーフシチューをかき混ぜていた。


「おいエステス。お前のせいで忙しいじゃないか。どうしてくれる」

ルークはしれっと来店してカウンター席についた時の人に毒づいたが,当のエステスは我関せずという飄々とした姿勢を崩さず,輪切りレモンとミントが浮かんだピッチャーの水をコップに注いでがぶがぶと飲んで時折「これやっぱり美味い」とつぶやくばかりだった。

「ほら。シチューオムレツだ。食ったらさっさと帰れ」ルークは店内の待機スペースに収まらりきらず外に並ぶ人々を一瞥してエステスに言った。

「なんだよ,サラと同じようなことをいうなあ」

 エステスは冷たい態度をとるルークに上目遣いで不満をこぼしたものの,ルークはシチューを盛り付けて配膳にいってしまった。

 ルークが戻ってきたので,エステスはルーティからの依頼を彼に伝えた。

「ちっ,しっかり俺のシフトを把握してるんじゃねえよ......仕方ないから行ってやるけどさ,俺に頼むならお前も手伝えよ」

「僕料理うまくないよ」エステスはあっけらかんと言った。

ルークは呆れて「知ってるよ。野菜洗って皮向いて切ってりゃそれでいいんだよ」と言い放った。

「|わった」エステスはオムレツをほおばりながらもごもごと答えた。

「あとは食材調達な」

エステスはオムレツを飲み込んで一呼吸おいてから「ひとりでかい?」と尋ねた。

「んなわけないだろ。きゅうりとズッキーニの違いも判らねえくせに」ルークはエステスに「万が一今の職を失ったときのリスクヘッジ」と称して教えを請われ料理の手ほどきをしたときの悲惨な状況を思い出して言った。エステスはデータバンクの補助があってもてんで料理ができなかったのである。

「ピクルスにしたら一緒じゃないか。まあ良かった。君が一緒に来るなら問題ないね」

「新しい女を連れて行けばいいじゃないか。俺は作る係。雑用はお前の役目」

「サラか。断られそうだな」

「誰が何を断るって?」

 エステスが驚いて振り返ると,そこにはいつもの濃紺ジャケット姿のサラがいた。

「今日はプールの営業再開なんでしょ?こんなところで油売ってていいの?」

「驚いたなあ,サラ。昼休憩?」

 サラは自然にエステスの隣の席に着くとビーフシチューを注文し「そう,一時間しかないから走ってきた」と答えたが,エステスと違ってスチーム一つ出していない。

「朝出勤してみたら俺目当ての客が押し寄せてきてもみくちゃにされたもんで,今日は帰らされたよ。ほとぼりが冷めるまでは裏口出勤だ」

「裏口出勤って......どんな表現よ」サラは失笑した。

「ところで,明後日のパーティのことだけど,僕が買い出し役になったから手伝ってくれないかい?」

「いいけど,私は料理に関しては素人よ?」

「問題ない」エステスの代わりにルークが答えた。「メモ通りに買ってきてくれればそれでいい。こいつ,エステスはタイム《thyme》と間違えて置時計を買ってくる阿呆だ」

「そんなばかな......」サラは唖然としてエステスに否定を求めたが,エステスはおもむろにグラスにレモン水を注いで口を湿らせ,押し黙った。

「そういうわけだ。よろしく」

 顔を背けるエステスの肩を指でつつきながら「ほんとなの?」と問いただすサラを見てルークはふっと笑みをこぼし,片手でひょいとフライパンを跳ね上げオムレツをひっくり返した。




 夕方,ルーティを合わせて四人は初めてそろって対面した。

「買い出しまでしてくれるの?何から何まで助けてもらって」

「いえ,子供たちにはおいしいものを食べて欲しいですから」

「ふふ。ありがとう。あ,ルークさんですね。コックさんだとは聞いていたけど,まさかあのリストランテの方だとは思っていなくて......お忙しいところ申し訳ありません」

「ああいえ,お気になさらないでください。基本シチューをかき混ぜているだけですから。あ.料理はできますよ」

 やや緊張の面持ちだったルーティはルークの冗談で笑顔になった。

「ところで気になっていたのだが,エステス,その袋はなんだ」ルークはエステスが提げている買い物袋を指して言った。

「これ?タイムだよ。ちゃんと買えることを示そうと思ってね」

「結構気にしてたのね」サラはくすくすと笑った。

ルークはエステスの仕事に満足したようで,「まあ75点だな。ちゃんと瓶の奴じゃなくて葉っぱを買ってきたのが偉い。欲を言えば産地も気にしてほしかったところだが,まあ十分だ」と彼を称賛した。

「じゃあ,明日明後日の計画を立てるとするわよ」サラはエステスの背中をポンと叩いて会議を進行した。

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