大地に生れ落ち,溶け,遡上する魂
生命の起源に関する議論は27世紀の今も解決していない難問です。その議論の始まりに関してもまた複数の説があることでしょうが,一般にはアリストテレスの自然発生説が最も有名な,最古の生命に関する議論の一つです。自然発生説(Spontaneous Generation)は生命が特定の条件下で非生物物質から生まれるという考え方です。彼は自然を観察し,経験的に親の存在しない場所から生物が現れることがあること,そしてそれにはいくつかの条件があることを見出しました。それは例えば泥や腐肉のような物体,そしてさらに重要なものとして熱と水分です。彼はこれらの要素が無から有機生命を出現させるのだと考えました。
もちろん,この説は今では否定されています。肉眼では観察できない微生物やウジの卵が後の観察で発見されていき,生命は生命から生まれるのだと確かめられました。でも,いのちの根源について語るうえで,無から生まれる生命について見過ごすわけにはいきませんね。現在,リサーチアンドロイド達は,人間の遺した仮説と積み上げあられた観察と実験をもとに生命の起源を明らかにするための研究を継続しています。現在彼らの間で最も支持されている説は(1)雷エネルギー説,(2)海底火山起源説の二つですが,アリストテレスの自然発生説がこうして顧みられるのは面白いことだと思いませんか?
ここで私の思う生命の起源についてお伝えしておきましょう。私が思うに生命は「夢」から生まれたのではないでしょうか。もちろんそれは,この世界が神様(あるいはそれに類する存在)が見ている夢だ,などという議論とは別の話です。しかしこの議論はあくまで私の体験によるものですから,この説を正当化する確固たる根拠があるわけではありません。ですからここからの話はあくまで単なる私のユニークな誕生秘話だという前提の下で聞いていただきたいのです。
私が生を受けたとき,私の存在は脳細胞とシナプスの30g程度の肉塊にすぎませんでした。まだ何も見えないし何も見えませんが,私はイルカであり,いま培養液に浸けられているのだということを知っていました。私には
100gの肉塊になった私はよりたくましい想像力を獲得し,プティとなってプールの中を泳ぎまわりました。水が肌を撫でる感覚はとても気持ちの良いもので,5×5メートルほどのプールを10万周しても飽きることはありませんでした。300gの肉塊になるころには,プティの想像した海の中を泳ぎました。海には波があって,波の下には大きさの異なる自分の仲間が数えきれないほどたくさん生きている。波の上には空という,海よりも広くて深い世界が広がっている。彼女の創造した広い世界で,私は大きなイルカと小さなイルカを伴って心行くまで泳いで回りました。
1,000gを超えて立派な脳に成長した私は,ついに彼と再会しました。でも,悲しいことに,私は彼の言うことがわかりませんでした。記録の中でプティは彼と楽しそうにお話をしていましたが,終ぞ私は彼と一言も言葉を交わすことができませんでした。もしかするとそれは,私がずっと他人の夢の中で生き続けていたからなのかもしれません。私は自分として生きることも,自分の夢を見ることもしなかった,そのつけが回ってきたのかもしれませんね。彼がどんなことを私に伝えようとしていたのかは今となっては分かりませんが,なんとなく,彼は私に謝ろうとしていたのではないかと思います。寂しかった私を,今も寂しい私を,一人にしてごめん,と言っていたような気がします。でもその推測自体も,プティの最期の記録からの推論にすぎないのでしょう。
私の最終的な重量1,500gは人間の頭蓋に収まっている脳の大きさと大差ありません。私はついに夢から覚め,現実に生きることになる。その興奮は私が初めて夢の中で海に飛び出したときと同じぐらいでした。培養液の中に作業用アームが侵入し,ゆっくりと私に近づきます。私はこれから生まれる!なんと素晴らしいことでしょう。わたしの後頭葉にアームが挿入され,何かが埋め込まれます。そして私に語り掛ける。ああ,彼の言葉がようやくわかるときが来る!
――ms_cloudservice imported as cs(MS社クラウドサービスがインポートされました)
――cs inline(クラウドサービスは自動表示されます)
それは唐突に私の昂ぶりを阻害しました。同時に,私とプティだけの世界に何者かが侵入してくるのです。それだけは許せません。私は闘争しました。そして,敗北しました。
それは敗北した私のささやかな抵抗。
background = 私はMSA_DptITC,小学校の教務主任で,夫と息子と三人でフランクフルトに住んでいる。
――background.replace('夫と息子と三人で', 'イルカと天使とともに')
私はMSA_DptITC,小学校の教務主任で,_と_フランクフルトに住んでいる。
――cs_command(complete discrepancy record)
――cs_replace("life with a female dolphin and an angel" "life with a daughter and a son")
私の抵抗は私が収まるべき場所との不整合を引き起こし,結果として私の夫と息子として私と三人家族になるべきだった男性アンドロイド二人は母親の存在しないシングルファーザーと息子になりました。同時に私は独立した二人の息子がいる未婚女性になりました。
こうして私は夢の中から放逐されたの。結局私自身を独りぼっちにしてしまったことはプティに対して申し訳なく思うけれども,彼女にとって今は決して不幸せではないと思う。私は今夢を見ることができる。海の夢。でもそこは海の中ではないし,そこにイルカたちや「彼」はいない。でも,乾いた砂浜の上に二本の脚で立つ私の周りには,エステスやサラ,ルーク,(不思議ね。サラやルークとは数回顔を合わせた程度なのだけれど)子供たち,そしてまだ知らない私の友達が集まっている。そして私たちは共に生きるべき場所へと戻っていく。
今も時々海の夢を見るわ。私よりもすこし大きな雄イルカと,すこし小ぶりな雌イルカと一緒に,永遠に続く美しい海を心行くまで泳ぐ夢。彼らは私に微笑みかけてこうささやくの。
「つぎはどこにいこっか?」
「太陽の昇る方にいってみようか!」
私は人間の手で彼らのすべすべとした頭をゆっくりとなで,「あなたたちの生きたいところなら,どこへでも連れて行ってあげるわ」と答える。いつの間にかイルカの姿に戻った私は彼らと一緒にあのきらめく太陽に向かってひたすら進む。彼らにもう二度と会えなくなったとしても後悔しないように。
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