伝道編

伝道 I

 エッシェンハイマー駅近辺は火星に建設された第3のコロニーである新フランクフルトの丁度中央に位置し,かつては火星コロニー全体の金融の中心地として多くの高官・ビジネスマンが集まる経済都市として名高かった。無論いまもなお大きな都市であることに変わりはないのだが,かつて金融の聖地をなした輝かしい歴史を持つ立派なビルディングの数々(欧州中央銀行,スタインズ投資銀行,スタンダードその他)は今や金融という概念の墓標でしかない。街を覆う砂嵐の壁は,崩れ去った栄光を住人たちに見せつけるかのように巨大なビルディングの群れを朽ちたレンガのような鈍い錆色に染め上げてしたり顔である。

「シラーストリートに到着。ステップがございますのでお降りの際は足元にお気を付けください」大きな体躯の男がトラベルポッドから降りようとすると音声案内が彼の後ろから声をかける。「またのご利用お待ちしております」


 コックスーツ姿の大男が降りたのは,エッシェンハイマー通りに直行するシラー通りのアジア食品店前だった。ビジネス街に隣接するこのエリアはベトナムのヌードルや日本のスシなどの手軽に食べられるトゥ・ゴー・テイクアウトファストフードを提供する店が多く,その店に食材を提供する食料品店も必然的に多くなった。壮年のシェフが訪れたこのYYヤンヤンマートは中でも長い歴史のあるアジア食品専門店で,東南アジアから日本,オセアニアにかけての珍しい食品を数多く取り揃えており,周辺の料理人にとどまらず料理好きの一般客,さらには外部コロニーからの旅行客までもが訪れる有名店だった。

「お!1525イチゴニャンコきたね!今日も買っていくね!」豊かな黒髪を左右に分けてそれぞれ藍色と紅色のリボンで結んだアジア系の顔立ちのアンドロイドが右手にすっぽん,かたてに瓶詰のすっぽんの血を持ってイチゴニャンコもといロット番号MSR3415250SF,我々がルークと呼ぶところの男のもとに駆け寄った。

 首を伸ばしてルークを威嚇する巨大な亀におののいたルークは降参とばかりに両手を挙げ「すっぽんは遠慮するよヤンヤン。今日はヌードルが欲しい」と言い切ると,きょとんとした顔のヤンヤンの後方で包丁を持ったままルークの方を向いて固まるアフリカ系の青年に目をやって助けを求めた。しかし彼は包丁の刺さった切りかけのパイナップルを手に持ったままバックヤードに消えてしまった。

「だめだねイチゴニャンコ!これ食べないと精力つかないね!友達の929リャン・ニャインにも食べさせてあげるんだよ!ヌードル?どれがいいの?日本の?ライスヌードル?それともイカヌードル?フライドヌードルもあるよ?」激しく捲し立てるチャイニーズアンドロイドは,彼女を造った创意电气公司クリエイティブワークスに勤めていた日本人社員の趣味でMS社のOSに魔改造が施された特殊固体,ACWY9922yyCP(通称ヤンヤン)である。


 現在アンドロイドの製造・管理を担う組織はMS社のみとなったが,かつてはいくつか存在した。その一つが創造電工,ありし地球で設立され,その後本社を火星の第5コロニー「池袋」に移転した企業である。MS社が量産性と没個性を重視したとすれば,創造電工は耐久性とユニークさをアンドロイドたちに求めたといえる。OSやデータバンクなどのソフト面の多くはMS社のものを流用しつつも,ハードは親しみやすいキュートなものに,さらにパッチを導入して個性的なトークをする高いコミュニケーション性能を持つ存在に仕上げた。その結果として創造電工製のアンドロイドはMS社の保証対象外となり,寿命を迎えた多くのユニークなアンドロイド達は永遠に失われることになったのだが,ヤンヤンは製造から300年経った今も現役である。


 料理人のごつごつした手のひらを天に向けて指先を守りつつすっぽんから距離を取ろうとするルークになおも迫るヤンヤンは,「遠慮はいらないのに」と言いながらルークの横を通り過ぎ――その際すっぽんは巨大な獲物を見失わないようにキッと首を曲げてルークの方に向き直り,それはルークを恐怖させる――すっぽんの血をポケットに入れるとタモを持ち,水槽から慣れた手つきでコウイカを取り出す。

「ほら,本物のイカだよ!スクイッド!久しぶりの入荷だから一人一杯までだけど,イチゴニャンコは特別に二杯まで買っていいよ!」

「わかったから,そのカメをこっちに向けるのをやめてくれ。そいつは噛むじゃないか。そのイカと,Karaのココナツミルクをくれ」ルークは,わかったよとバックヤードに向かうヤンヤンを見てようやく安堵し腕を下ろした。そして,もうひとつのバックヤードの入り口から出てきたアフリカ系のアンドロイドに向かって手をふった。

「よう,フィードマンfeed man!」ルークの挨拶に遠慮がちに手をあげてこたえたフィードマンは,「せめてフィドマーンFedmahnと呼んでくれないかな。なんだかヒモfed manに聞こえてくる」とルークに注文した。

「なんだ。ヤンヤンのヒモなのは事実じゃないか」

「やめてくれ,私はウラマー*Ulemaだ」


 フィドマーンはMS社のウラマー・アンドロイドで,もとは新エスファハーン*で法学者として働いていた。人間のいるうちは主にイスラーム法に基づく裁判,子供たちの教育を担い,時に悩み相談もしたものだったが,大整理を経てそれら公職と宗教が分離されると彼は仕事を失うことになった。サーヴィスアンドロイド達にとって仕事は必要なものではなかったが,いたたまれなくなったフィドマーンはコロニー間鉄道に乗り込んだ。


 「こらフィードマン!くっちゃべってないで果物切るんだよ!」ヤンヤンがリサイカブルビニールに入れたイカとライスヌードル,ココナツミルクの缶,そしてスパイスを抱えて持ってくると,フィドマーンは店内作業台の前に戻った。



*ウラマー:イスラーム法の学者。広義のイスラーム法学者であり,裁判官,教師でもある。

**エスファハーン:イスファハーンとも。イランの都市。

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