魔法学校と義弟と殺人鬼

七瀬作

入学前編

第1話 二人の異端者

 本をめくった。私は見てるだけ。弟がめくる。

 二人で読んでるのは絵本じゃない。"前世"でいうところの魔術書ってやつ。


 謎の多い大天才の弟にはこの本は必要ないんだけど、ルシス君と違って私……エルにはこれを読む必要があった。

 まあ読めないから弟に手伝ってもらうんだけど。

……失われた記憶を、大切な記憶を思い出さないといけないから。


 羊皮紙っぽい紙じゃなくて、普通の日本の近代の文庫本みたいだなぁ。紙がところどころ傷んでて、古本の匂いがして、髪は黄色く劣化してるけど。



 本をめくった弟は、「これだ!」と元気よく言う。黒髪がサラサラしてて、すみれ色の瞳が可愛い。私は前世は黒髪だったけど、こっちではキャラメル色の髪をしていて、少しふわふわした髪の毛で、瞳の色は焦げ茶色だ。洗面所の大鏡で確認したとき、信じられないくらいびっくりした。


 まだ"この世界"では4歳でしかない私たちが本に印刷された黒インクの文字を読むことができるのは、完全に、大天才の弟のおかげだと思う。というか、弟は英語に酷似した"この世界のことば"を、初めて見た日から理解することができた。私はだめ。何書いてあるのか全然わかんない。


「ほんとに良いよね。私、日本でも英語できなかったからさ、ぜんぜん、読めない」

 フローリングがつるつるで、思わず指でなぞってしまう。だめだ。4歳児の集中力は現役高校生の何分の一なんだろ。


「良いじゃん。喋れてるし」

「なんていうか、日本語を皆が喋ってるみたいに聞こえてる」

「ふーん。あんたが今喋ってんの英語だよ? まあでも、ヒンドゥー語とか日本語とかロシア語だったら僕お手上げだったって。偶然に感謝ってやつ」

「…………」

「一応言っときますけど、僕がエルちゃんをこの世界に拉致ってきた黒幕とかじゃないから」

「そっかあ」

「ラッキーボーイなんだよね。前世がクソだったから」

「ママが聞いたら気絶しそう」

「かも。じゃあ読むねー?」

「うん……」

「失われた記憶をとりもどす、花の種のレシピ」


 この世界はまるで中世ヨーロッパの魔術がそのまま近世まで受け継がれたみたいに、科学じゃなくて魔法が発達した世界だ。現実では魔法なんてうそっぱちで、せいぜい映画とか漫画とかラノベとか乙女ゲームの中にしか魔法なんてなかった。


 でもこの世界には魔法が存在する。ちゃんと、地に足をつけた魔法が学問として体系だって存在するし、おふとんを干すのも、料理をするのも、掃除をするのも、移動するのも、ぜんぶ魔法を使う。暮らしに欠かせないものだ。


●︎︎ ●︎︎ ●︎︎ ●︎︎ ●


【失われた記憶を取り戻す花の種のレシピ】


 A オモイダシドリの清潔な羽根……一本

 B 大好きな食べ物……ひとつまみ

 C 嫌いな匂いのポプリ……手のひら分

 D記憶の果実を乾燥させたもの……ひとつまみ

 E 自分の髪の毛か爪……一房ひとふさか一欠片

 F 水をよく与えた植物の断片(枝・葉・花・種・茎など)……適量


 A~FをBCDAEFの順に混ぜて水を120mlくわえ沸騰させたら、できた液体にゼラチンを混ぜ基礎呪文ガイドブックP.15の魔法「エリシクドラス・ポッフ/種になれ」をかける。


 そうすれば、その鍋の中身は数粒の植物の種になる。


 その種を土に埋め、時短魔法(エリシクドラス・サイピウス/作物よ育て、もしくはエリシクドラス・カンローン/樹木よ老いよ、など)をかけ育てる。花が咲いたら香りを吸い込む。

 その花の香りは、大切な記憶を思い出させる。


 なお、香りを吸い込んでも、大切な記憶を思い出せない時は、解毒剤を用意して幻覚作用がある花弁を数枚齧ってみてもよい。


 え? 材料はどこで手に入れるのかって? オモイダシドリなんて飼ってない? なにをおっしゃいますか。全部最近は自分で集めに行かなくても、魔法雑貨店やレッドブリック・ティ駅前大通りのお店で売ってますとも。


 まあ、もっとも、あなたが高騰魔法使いならば、最初から自白強制呪文「セレ・ドクドム」を鏡の前でかけるというのも一興かもしれないわ。


(どうなっても自己責任ですけどね!)



 ●︎︎●︎︎●︎︎●︎︎●



 その時、弟が〈マルクダハ・メイハム女史の便利なお悩み解決呪文ベストセレクションシリーズ3〉の音読をやめた。


「ねえ、めちゃくちゃめんどくさいじゃん!」

 私が非難する。

「そうだね。ていうか、4歳児ってお小遣いとか貰えないしバイトもあたりまえだけどできないし、そもそも家から外に親同伴で出れないし、無理じゃない?」

「あ。でも、せれどくどむ? っていうのをかけたら話すんだって」

「そうっぽいけど、"どうなっても自己責任ですけどね!"って書いてるよ? やばいんじゃないの」

「でも他に方法ないもん」

「うーん。でもさ、失敗したら一生嘘がつけなくなって、思ってることを全部喋っちゃうようになるんじゃない? なんか、自白呪文って、自分でかけたら自分で解けなくなりそうだよね」

「うーん」

「諦めなよ」

「あ、ルッシーがかけてルッシーが解いてくれたらいいんじゃない?」

「ルッシーってなに。ラッシーみたいに言わないでよ」

「じゃあルシ」

「僕それ嫌い」

「なんで」

「父さんが俺の事そう呼んでたんだよねー」

「…………? えっと話を戻すね! 私に呪文をルシス君がかける。で、私が用意した質問を私にする。で、ぜんぶ終わったら、私にもういいよー! って解除呪文をかける!」

「僕、解除呪文とか知らないけど?」

「それは調べるのだよー!」

「失敗したら僕親に責任逃れで嘘ついちゃうかも」

「いいよ別に。でも魔法病院には連れて行ってね」

「OK。で、見返りにあんたは何してくれる?」

「ほっぺにキスしてあげる。おねえちゃんのハグつきだよ」

「要らねえ。そうだ、おやつのチョコレートバー、頂戴」

「えっ、だいじょうぶなの? ルシくんチョコ食べれないんじゃ」

「前世ではアレルギー。でも今は違うかもだろ」

 ルシスくんが目をきらきらと輝かせている。



「おっけー。交渉成立! キスとハグもしてあげるよ」

「なんでだよ。いらねーわ」

「だって、ルシくん、なんか寂しそうな目で夕日とか見る4歳児じゃん」

「センチメンタルにひたってみたい年頃なんでーす」

 どんな4歳児だよって思った。でも、ルシくんは我が家に来るまで王立養護院で暮らしてたらしいから、お父さんやお母さんと離れて寂しいとか、もしくはお父さんやお母さんは死んじゃってるとか、なんか、大変なのかもなって思った。


「……じゃあ、ほんとに交渉成立だよ? ちゃんと、私に、二人でこれから本棚から見つける解除呪文かけてね」

「うん。決行するなら夜中だな。父さんが帰ってくる前で、母さんが寝てる頃。ベビーシッターのマリーが帰ってから」

「了解」



「なんか、大作戦って感じで好きかも。こういうの。楽しいね」

 ニヤァ、とルシス君が笑って言った。

「え、そう?」

「うん。僕、おねえちゃん欲しかったし、忙しすぎて友達とかいなかったし」

「意外! ルシくん人懐っこいし、友達100人はかたいでしょ」

「……家庭の事情ってヤツ? で友達作れなかったんだよね。例外は死んじゃったし」

「……そうなんだ。厳しい親御さんだったんだね」

「ある意味ではそうかもね」

…………? ルシス君はふくみがある言い方をした。



「……えっとルシスくん」

「なに?」

「私たち、ヴァーミッド家の子供たちじゃん?」

「僕は正確にはまだウガパ家の子供なんだけど。明後日に書類申請が通過したぶんの金払いにあんたの親が役所に行くんだよ」

「…………」

「ごめん。話の腰折っちゃった。なに?」

「ほんとの名前教え合わない?」

「なんで」

「秘密を共有すると人は仲良くなれるんだよ」

「……笑いそうな名前だからなぁ」

「私も。私、しじみエル」

「……シジミー?」

「魚介類のしじみみたいだけど、漢字は違うんだよ」

「漢字の話は無し! 僕、中学で中国語クラス最低点だったし」

「ルシスくんは?」

「ルシス・ギルティ」

「…………。ふつうの名前じゃない?」

「どこが!? 俺この名前のせいでめちゃくちゃ苦労したんだからな! 芸名? って何回もかれたしさぁ」

「そうなんだ。私は好きだよ」

「これから、よろしく。おねーちゃん」

「うん!」



 そこへベビーシッターのマリーさんが「苺とバナナのパンケーキが焼けましたよぉ」と私たちに声をかけにきた。

「あら。……凄いですねぇ。ふたりとも。もうそんなに難しいご本に興味があるんだぁ〜」

「えへへ。すごい?」

 弟のルシス・ギルティくんこと、ルシス・ヴァーミッドくんが子供っぽい声と表情になる。まるで、演技に慣れた子役タレントみたいだ。一瞬、さっきまで私が話していたルシスくんは全部私の妄想で、これが本当のルシスくんなんじゃないかと思うほど、演技がうまい。前世では芸能事務所とかに所属するのが夢だったのかなぁ。


「凄いですよぉ。さすが、ルーくん! それにエルちゃんも凄いですねぇ」

 やたらと褒めてくる。すごいな……子供を相手にするのって大変なんだね……。絵を描いても喋っても歌っても偉いねぇすごいねぇって言わないといけないなんて、大変だなぁ……。


 私たちはパンケーキを食べるために、リビングに抱きかかえられて移動した。リビングには鹿の剥製が壁から生えてて、飾られていて、ハクビシンみたいな白いきれいな生き物も飾られてて、ちょっと怖いけど家具はすごくアンティーク感があって贅沢そうだ。


「まるで映画のセットとかみたいな家だよね」

 小声でルー君に言う。

「ていうか、マナーハウスと、アメリカの懐古趣味の金持ちの家を足して割った感じ」

「ルーくん、マナーハウスってなに」

「……えー? あれだよ。英国貴族のお屋敷みたいな」

「へえー」

「ルシスって呼んで」

「あーい」

「ぜってーパンケーキ食べたあとには忘れてるだろ」

「ルシス君って前世ではいくつだったの?」

「ティーンエイジャー」

「私も16歳だった」

「俺14」

「私、ルシスくんみたいな弟か幼馴染が欲しかったんだよね。家族でわいわいみたいなのにちょっとだけ憧れてたし」

 本当は義理の弟と恋愛するドラマとか、家の隣に住んでる幼馴染の子と恋愛するドラマの影響だけど。


「……げ。ママが帰ってきた」

 ルシスくんが言う。


「ルシス、エル、ふたりとも! お出かけしましょうねぇ!」

「どこに? ママ」

「レッドブリック・ティ駅前通りの市場よ」


 ふたりで顔を見合わせて、やったー! と言ったので、ママが笑った。

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