ぐうたら剣姫行ex08-1 「親衛騎士、死地へ」前編
【前書き】
何となく頭に浮かんで、一気に書いてしまいました。
「ぐうたら剣姫行」第298話「カラントつれづれ」内のあるエピソードをふくらませたものです。
1
(まずいっ!)
その場所に足を踏み入れた途端に、彼の理性も判断も本能も、すべてが最大級の警報を鳴らした。
死地だった。
やられた、はめられたという思いが頭をよぎった。
かたわらの妻を見た。
視線を
裏切られた、と悟った。
妻に誘われて顔を出すことになった、よくあるお茶会のはずだった。参加者は大抵夫婦。女性は女性たちで、男性は男性で談笑する。
もちろん彼がそうであるように他の者もみな貴族で、それぞれが家を背負い宮廷内のいずれかの派閥に属する身であるからこそ、笑顔の裏には無数の思惑があり、発言には必ず意図があり、相手のそれを探り、あるいはこちらの事情を必要に応じて披露し、表情や仕草から情報を瞬時に判別し吟味し思考し、さらにやりとりを重ねる……お茶会とはそういう、見えない刃を無数に交わす戦場でもある。
それはいい。
そういう場には慣れている。
特にこの数年、彼の境遇は大きく変わり、とてつもない情報を握っている身となってしまったので、その辺りの心得は骨の髄まで叩きこまれていた。
彼は、「グライル帰り」の「レイマール騎士団」のひとりである。
それも、レイマール太陽王ご本人に付き従いわずかな人数でグライルを突き進み、最強の巨大魔獣グンダルフォルムの襲撃を経てなお生き残った「最古参」六人のひとり。
その後は美麗にして偉大なるカルナリア女王陛下の最も信頼あつい親衛騎士となり、同僚五人と共に女王の尊き御身をお守りする役目を続けてきた。
過酷な日々だった。
幼き身で反逆者ガルディスに立ち向かうカルナリア女王を狙う者は多かった。
敵は、わかりやすく刃物を握って向かってくる者から物陰から矢を射かけてくる者から、何年もかけての毒殺を試みる周到な者まで、雑草も同然に、到るところから無数に湧いてきた。
仲間たちと力を合わせて女王陛下を守りに守り続けた。
成人、そして戴冠の日を迎えた時には涙が止まらなかったものだ。
その後は、カルナリア女王の身辺警護からは外れることが多くなった。
遠ざけられた、ということではない。
逆だ。
――カルナリア女王は、民や兵士たちからの支持はすさまじいものがあるが、成人前に即位することになったため自領を与えられておらず、すなわち領地の統治経験が皆無であるという弱点があった。
一方で豊富な経験を持つ各地の領主、大貴族の生き残りたちは、かつての十三侯家のように今度は自分たちの係累が権力を独占したいと狙い、女王の宮廷に欲望全開で入りこもうとしてきている。
その間に立つ人材として、自分たちは必要とされたのだった。
まず、女王を守り続けた功績ということで、各地の領主たちと対等に話し得る位階にまで引き上げられる。
その上で貴族たちの間を泳ぎ回って、民を大事にする女王と旧態依然たる彼らの間を取り持つ役目を担わされた。
剣を握り盾を構えて尊き身をお守りすることも大事だが、その前段階の、より広く大きなところで女王陛下のお役に立つこともまた同じかそれ以上に重要な任務である。そう心得て、六人全員で、必ずやカルナリア様の御為にこの長く過酷な任務を果たしてみせると誓い合った。
魔石にそれぞれ血を垂らした誓願石を用意し、それを神に――
――自分たちは、他に知られてはならないことを沢山知っている。
知りすぎている。
死神の化身のこともそうだ。
フィン・シャンドレンという美麗なる女剣士が反乱勃発時にカルナリア様を守ってグライルへ逃げこむまで護衛なされた、カルナリア様は彼女に深く感謝している――ということは広く知られているが。
彼女の真の力、本当の剣技を知っているのは、自分たちだけである。
それを下手に漏らしてはならないのは当然として、その本当の力が、いつ、何に対して放たれたのかについては、絶対に漏らしてはならない。
自分たちは全てを見ている。ひとりで国をも滅ぼし得る凄絶な剣技を、いや技というものを超えた「力」を目の当たりにしている。
だが言えない。言ってはならない。
カルナリア様がそう望まれているというのはもちろんだが。
帰国なされてから、レイマール兄君がグンダルフォルムを倒したということにして、その名声を利用して貴族たちを結集しガルディスを倒しカラント王国を立て直してゆくカルナリア陛下および周囲の謀臣たちのやりようを見ていれば、「真実」を告げるのがどれほど余計なことかはよくわかる。
自分たちも貴族だ、その辺りの機微は幼少期から身に染みついている。理解できぬ者が王子付きの騎士に採用されたり貴族として栄達することはない。
六人は、新たな戦地へ赴く前に、念入りに打ち合わせた。
言ってはならないこと、言ってもよいこと、そういうことになっている「真実」などの情報を整理し共有し、カルナリア女王や「覆面宰相」ライズや「風魔」のトニアなどグライルで起きたことを知っている方々にも確認をいただいた。
また自分たちの意志とは別なところへの警戒――「天地定め」すなわち正誤を判別する魔法具などで読まれないための防御魔法を施してもらった。捕らえられ強引に記憶を探られるようなことになった時には記憶自体が消えるような、禁術に属する呪法もあえてかけてもらった。
もっとまずい時には一瞬で死ねる用意も自分たちでととのえた。
そうして彼らは、社交界へ「出陣」していったのである。
レイマール王子殿下や騎士ディオン閣下の、巨獣に雄々しく立ち向かい
女王が信頼する自分たちを取りこみ、女王の身辺情報を得ようと、あるいは女王その人に近づこうと企む貴族も山ほどいた。むしろ接近してくる者はほとんどがその狙いだった。そうではない人物に出会うと驚いたほどである。
身体的には割と安全だが精神的にはきわめてきつい、武器を持たない地味で過酷な戦いを六人は延々と繰り広げて――。
おおむね、上手くやれたと思う。
仲間たちの誰かがしくじって、ひそかについているだろう影の者に処分されるということは起きなかった。
彼自身は、歴史はあるが実力はない貴族家の令嬢と結婚し、それに似た家柄の者たちを女王側に引き寄せることに成功した。
幸いなことに、結婚相手についてはそれだけではなかった。
貴族というだけで出世できるわけではなくなった新体制のもと、紹介された令嬢は、美貌はもちろん、女騎士としても十分な力量を備えていてくれた。
――そして、絶対に必要なある条件も
その上で彼と結婚し、初夜には夫婦ともにカルナリア様に命を捧げると寝台で誓い合ってから結ばれた。
ちなみに、自分たち六人のひとりは、レイマール王子付きの女騎士という立場から当主や係累が失われた大領地ラファラン家の女侯爵へと昇進したベレニス・ラファランの夫となった。
夜の営みの際には共にカルナリア様を崇拝し、その御名を唱えながらひとつになる極上の快楽を得ているのだという。
ひそかにそれを聞かされ、心からうらやんだ。
自分の妻はカルナリア様に忠誠を捧げてくれてはいるが、あのグライルで味わった、極限の恐怖と絶望を経た後の、自分のすべてを捧げる御方を得られた際の至高の感覚だけは持ち合わせていない。
運命神エルムのなせるわざでもあるので、望むだけ無意味とわかってはいるのだが……。
ともあれ、それ以外では何一つ不満のない、自分の身で望みうる最高の伴侶を得て、貴族界での活動を続けた。
だが、今日。
信頼していたその妻にはめられ、死地に陥ったのだった。
2
(これは………………まずいっ!!)
体裁としては、これまで幾度となく招かれた茶会と大差なかった。
自分の「貴重な経験」、「そこから得られた知見」、そして「その上でお仕えなされているカルナリア様について」情報を得ようとする欲望が見え見えの貴族たちがずらりと顔をそろえている、一種の戦場に踏みこむことにはとっくに慣れていた。むしろそういう面々を視界に入れた途端に心身が戦場の感覚に入りこむことを心地良くすら感じるようになっていた。
だがこれは。
この集まりは。
……ちがう。
まず、女性ばかりである。
男性が見あたらない。
しかも、年配者はごくわずか、妙齢の――未婚女性がぞろぞろ。
成人を迎えているのかどうかも怪しい少女すらいる。
そういう場に、既婚者で妻同伴とはいえひとりだけ男性が入りこむというのは、後日どのような難癖をつけられることになるのか、想像するだけで恐ろしい。
こういう場には、当然、座る位置にも重たい意味がある。
出席者それぞれの家柄や勢力関係を考えてテーブルや席順を調整するのは主催者の重要な仕事。貴族では常識で、会場に入った瞬間にすぐその辺りを見てとり、その場の振る舞いを決めるのはこの手の集まりの常識でもあった――が。
そういう目で見てみると。
妻から聞かされたこの茶会の主催者。
何度も面識のある、権力欲には乏しい穏やかな貴婦人――だからこそ自分も今回の出席を決めたのだが――その、最も中心にいるべき方が、別なところにいた。
代わりに、違う人物が、本来の主催者がいるべきところにいる。
恐ろしい存在が。
ご本人の性質ではなく、その立場、地位、現在の宮廷でのありようがとてつもなく危険な、危険すぎる御方が!
――アリアーノ・ペンタル・トリュ・カランタラ。
カルナリア女王陛下の、姉。
もとより病弱な上に、ガルディスの乱で精神も病み、
王家、カランタラ家は今や、カルナリア女王とその養子、反逆者ガルディスの孫であるナルドルしかおらず……もしその二人に何かあった場合、次のカラント王と誰もが認め得る――麗夕王ダルタスの実子であることに変わりはない。それもトニアと違い第二妃から生まれた『嫡子』だ。
今のカルナリア体制に不満を持つ者が最も
公の場に姿を現すことはめったにないそのアリアーノが、この場の中心に収まっていた。
しかも、以前に拝謁した際には、明日には亡くなっていてもおかしくない、痩せ細り生気がなく、この世の全てから目をそむけているような、良く言って
今ここにいるお方は。
姉殿下は。
「よく来てくださいました」
ひどく細身ではあるが、声に張りがあり、王家の一員たる美貌に浮かべた笑みには豊かな感情が乗っていて。
何よりもその「目」が――魂からの忠誠を誓うカルナリア女王陛下その人に勝るとも劣らぬ、とてつもない強い心と、向かう先をしっかり見据えた、前進する意欲に充ち満ちていた!
(まずいっ!)
貴族としての彼の判断力は、最強の警報を鳴らした。
王位を狙う陰謀、いや露骨な派閥構築に巻きこまれる。
「風魔」案件だ。
場合によっては彼と妻もろとも抹殺されかねない。
最悪、この場に親衛隊がなだれこんできて彼をも含めて拘束、尋問――粛清が行われても何の不思議もない。
それ以上に彼の、男性としていや人間としての本能が、警鐘を大音量で打ち鳴らしていた。
性的な意味ではないのだが、ここにいると、自分の尊厳に関わる何かが起きる。間違いなく起きる。その確信。
――背後で扉が閉ざされた。
グライルで見たあの巨獣にも匹敵する凄まじいものの
「ごめんなさい」
と、妻が小さく言った。
「どうしても、断ることができなくて……あの子の人生がかかっているの」
あの子。視線の先には、妻の妹がいた。
もちろん顔見知り、古家の品格を体現したような穏やかで上品な令嬢……だったはずなのに。
その少女が、貴族令嬢らしからぬ下品な――口元をやたらと歪め鼻孔をふくらませた興奮顔で、ニヤニヤと自分を見ていた。
似たような顔をした、同年代の令嬢が左右にいた。
彼の全身を冷たい汗が濡らした。
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