3章 容易く飛ぶは紅の翼
19.遠回りでは伝わらない
マリアナイトとの共同生活は、お世話の連続だった。
朝はなぜか、元気を持て余しているときが多く。
昼は空気を読まない腹の虫を飼ったり、やたらと体を動かしたがったり。
夜になれば甘えん坊の芽が出て、ココアを飲まないと寝れないとか、間食が多かったりとか。
夢見が悪かったときは、夜中に私のベッドへ潜り込んできたときもあった。
苦労は他にもある。
生まれつき足が弱いらしく、何もない所でよく転ぶ。
方向音痴で迷子になりやすいし、気になるものを見つけると前方不注意。
その上、他人に対して警戒心の薄いところがあり、
たった数日と短い期間で少女の危うさを体感した私は、慣れないことによる疲労も溜まっていた。
「流石に疲れた……」
木製で設えたベンチに座り、私は更地に茂った芝へ力を抜いた足を投げ出す。
頭上には青い空、見渡す先の風景は標高のある山々。
私が今いる所は憩いの場として用意された広場だが、建物が一つも見えないのは、この塔の造りの都合によるもの。
リングを横倒しにし、それを何百層と重ねた構造をしている首都を兼ねた魔法の塔。
実はどこの層からも隣接部に新しい輪を作り出すことができ、この広場もその一つ。
二十層辺りにできた場所のため、同じ高さの建物はほとんどない。
そうなると問題となるのは、広場へと吹く風に転落事故。地上にできる大きい影だろう。
けれども強風と転落防止については、不可視の壁による保護があり。
地上への影響も外部からは広場が見えなくされていて、下から見ると変わらず青空が拝めるよう工夫されている。
「お疲れ、ユノ。マリアは迷惑を……かけてるみたいだね」
「迷惑って程じゃない。昔の仲間たちに比べたら、大人しいでしょ」
「ああ。あの時と比べたらそうだね。今思うと、みんな無茶しかしてない」
疲れで重くなった体を支えてくれるベンチに、一緒に座っているのは正式に学院生となったノエル。
私とは違って余裕を持っていて、昔話にもそういうこともあったねと気楽に相槌を打ってくる。
私たちからすれば無防備だが、マリアナイトは本人なりに気をつけているのは分かっている。
けれども十年前──私とノエルが貧民街にいた頃は、周囲の子供たちにそんな知恵はない。
流れ星を二人で見に行ったあの日も、無事に丘へ着いたのは運が良かったとしかいえない。
「ところでマリアが今やっているのって、何の遊び?」
「見ての通り、魔法の練習。アンタが苦手な基礎のやつよ」
ノエルで視線で示した先にいるのは、広場に転がされた大小様々なボールと遊んでいるマリアナイト。
右手に指環を用意し、遠巻きに念を込めてはボールを弾き飛ばしている姿は、言われなければ遊んでいるようにしか見えない。
これはラザフォードとラズラピスがみせた、念力の練習。
基礎中の基礎とされる魔法の練習で、指環を持っている人で出来ない人の方が珍しい技術だ。
「ボールをどこまで操れるかって事だね。……でも、学院の授業ってコレでいいの? ユノが付き合ってくれるのは嬉しいけど、本当は先生たちの役割なんだろう?」
「自習というなら構わないでしょ。教師といっても学者ばかりだから、研究に没頭したくて院生任せなのは、いつもの事」
「いつもの事って……。まさか語学や数学とかも自主的にとは思わなかったよ」
「魔法も適当なのよね。専門的に学ぶ場所なのに、何でもかんでも自分からって」
マリアナイトが念力でボールを上手く掴めず、弾き飛ばしては追いかけて転んで。
それを繰り返す様子を眺めながら、私とノエルは学院の講習方法について話していく。
まず一般の学校で教わる基礎的な教科は、学院においては必修を免除されている。
多くの院生は貴族の
そのため改めて教育をする必要はないと、義務教育が廃されている。
その代わりに自主参加の講習会は、より濃密で最先端のものが学ぶことが可能。
次に本命の魔法については、これも各分野の基礎以外は大々的な講習会を開かず、師として仰ぐ先達を見つけることを
これについての言い分は、私にとっては納得のいくものだ。
波長の合う人、関係性はどうあれ理屈は飲み込める人、理論さえ知れば体得できる人。
教わる側も教える側も相性があり、魔法はもっとも影響を受けやすい分野。
願いを、祈りを、欲望を形にする以上は、学ぶ過程で起こった感情と意思の波風も重要になる。
「まあ、今は私が教えるわ。マリアに助けて欲しいって言われちゃったし」
「ありがとう、ユノ。……本当は僕から話そうと思ってたんだけどね」
「そうね。初対面の相手にする話じゃないわ、あれ。でもあの子、私とアンタがどうやって指環を手に入れたのか。本当の事を言っても信じなかったわよ」
「しょうがないさ。僕たちだって初めは信じられなかったし」
ノエルは頭に、私は胸に。
降ってきたアイテールの原石が突き刺さり、死んだと思ったら指環が
そんな
こんな話をするから私たちは自分の傷跡が気になり、さすり、苦々しく笑い合った。
「そうだ、ユノ。キミの方には、僕たちに手伝って欲しい事とかある? とはいっても、出来ることは無さそうだけど」
「手伝って欲しいこと……? そう、ね」
タダで手伝って貰うには気が引ける。
そう言い含めるノエルの顔を見て、私はポカンとそれまで考えていたことが抜けてしまった。
少女の母親を助ける魔法は具体的に何なのか、探し出す指環をまずはどう調べるか。
二人に教える魔法の練習内容、家のしがらみ、貴族としての表面的な振る舞い。
何もかもが無色に帰り、一人の少女として目の前の少年に対する要望は、心の底からあっさりと顔を出した。
「これからもずっと、一緒にいて」
願うまでもなく、祈るまでもなく。
当たり前として出た言葉を、私は
だが、遅れてやってきた心の熱は
思わず言ってしまった、字面通りの愛の告白。
一生としなかったところで言い逃れを試すこともできるが、友人以上の意味があることは伝わってしまう。
そもそも一緒にいて欲しいは、手伝うことではない。
彼に見惚れて何を口走っているんだと、自分を責めながら弁明の言葉を考えていると、ノエルはにこやかに答えを返してきた。
「分かった。──そんなことで良いの、ユノ」
マリアナイトがボールを打ち上げている側で、私の言葉を気軽に受け取ったノエルは幼い時の印象そのまま。
あるがままに手紙を手に取り、裏を見ず、書いてある文面そのままでしか読まない。
想いは込めずに、直接渡してほしい。
そうとも取れる態度。だからこそ頬が赤くなるのを自覚する私は、別の赤い感情も同時に沸き上がってきた。
それは苛立ちだ。
「言われなくても、もう離ればなれは僕も嫌だよ。だからこうして、今も一緒にぃ……いたっ、痛い。いたいよ、ユノ」
「うるさい、バカ。今のなし。だからもう一度言うわよ」
爽やかに笑っている顔をどうしても崩したくて、私はノエルの頬をつねって自分の方へと引き寄せた。
抵抗なく近くに来た彼は、訳が分からないとばかりにキョトンとしていて、半目の私と目が合ってもそれは変わらない。
お互いの表情が全体的に見える所まで引っ張った私は、そのままの体勢で言い直す。
心臓が痛い、変な汗が背筋を伝う、きっと耳も頬も赤一色。
それでも言わないとって、怖気づいた心に平手打ちをして私は突き進んだ。
「私のパートナーになりなさい、ノエル。ずっと、ずっとね」
言い切った。
私の頭の中は真っ白で、見えるのは目を見開いたノエルの顔と、彼の瞳に映った
呆けている今の彼の顔を見ていると、傷跡からではない
少しずつ、あと少し。
彼を寄せているのか、私が引かれていっているのか。
お互いの口先が距離を縮めて──
「あっ!!」
転んだ音に続く、マリアナイトの悲鳴。
それを聞き取ったときにはもう遅く、視線をそちらへ向ける間もなく、少女の身に起きた結果が私の顔に衝突した。
グキリと鳴る首、ひき逃げするボール。
この場に流れる沈黙は重く暗い青に染まり、間近で見ていたノエルも言葉を無くしている。
「ユ、ユノ。平気……じゃないよね」
「ユノっ、ユノさん! ごめんなさい、わざとじゃないんです!」
痛む首を押さえて
どうしようと騒ぐ二人だが、横顔と首を負傷した私に構う余裕はなく、平気と声を出すこともできない。
一方で体の痛みには耐えられても、雰囲気を壊された事の方が私には
マリアナイトがわざと邪魔をする子ではないのは、この数日で分かっている。
だからこそ、高まった期待を打ち砕かれた悲しみを当てる相手はおらず、治まる痛みと共に底へ落とし込むしかなかった。
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