第14話 「立て」
ーーージアンの意識をセオドアが惹きつけ、その間に新人冒険者がこっそりと抜けて、元々ギルドに向かっていたグロークロとその仲間に、カラントの危機を知らせた。
怒り狂うグロークロに、出入り口で待機していたギルド職員が先に音消しの魔術をかけて、奇襲をかけるーーー
突然攻撃をしかけてきたオークに、目を見開いて驚くジアン。
奇襲は見事成功し、その顔に、グロークロの拳がめり込んだ。
意識が一瞬飛び、体勢を崩すジアン。
カラントの髪を掴んでいた手が緩んだのを見て、青い肌の蜥蜴人が飛び出す。
そして彼女を奪い取るように抱えて、その俊敏さですぐにジアンから距離をとった。
カラントを抱えた蜥蜴人の前に魔術師と、治癒術師が庇うように前にでる。
「っ!この卑怯者がぁぁぁ!!!」
叫ぶ剣士。
猪さえ昏倒させたグロークロの拳を受けながらも、すぐに立ち上がり、剣を構えるジアン。美しい顔の鼻が潰れ、ダラダラと鼻血を流している。
グロークロは何も言わない、ただ黙ってジアンに向かいあう。
その腕には怒りで血管が浮き出ている。怒り狂うオークの殺気に、ジアンは怯む。
ジアン=ハウンドダガー。彼は間違いなく優秀な剣士ではあった。
剣術大会では優秀な成績を収めていたし、人間相手に負けたことはない。
ただーーー
「立て」
声ですら、ジアンの肌を焼くような怒り。殺意。
「貴様の脊髄を、ここに飾ってやる」
ーーージアン=ハウンドダガー。
彼は、ここまで冷静に怒り狂っているオークの戦士と、相対したことはなかった。
「よーし、全員さがりなさい。巻き添えになる。あぁ、しかし脊髄かぁ」
うーんと、セオドアが困ったように笑う。
「どこに飾ろうか」
*****
ジアンは、対人戦を知っていた。
その突きはいつだって相手の防御を突き破ったし、急所を狙う正確な連続攻撃は恐れられた。相手の刃をいなすことも得意だった。
だが、彼は。
ーーー飛んでくるテーブルへの対処法は知らなかった。
「っぎぁ!!!」
オークの剛力で、まるで皿のように投げ飛ばされる円卓。
それは乱暴者が多い冒険者の使用に耐えられるよう、頑丈で重い特注品で、そんな円卓を彼の力量では切り捨てることもできず、避けるには場所が狭すぎて、ジアンはそれを正面から喰らってしまう。
無様に転がるジアンを心配する冒険者は誰もいない。
むしろ『いいぞグロークロ!』『やっちまえ!!』と野蛮な言葉がかかるばかりだ。
今度は近くにあった椅子を掴み、力任せにグロークロは投げつける。
「ひっ!」
かろうじてジアンは身を捩って避けたが、その勢いで椅子は床に叩きつけられ、粉々になる。
「立て」
かつて敵対者を前に笑って戦ったイナヅほどの器は、グロークロにはない。
ただ許せなかった。
カラントを傷つけたこの人間が。まだ傷つけようとするこの人間が。
「こ、この下劣なオークが!」
ようやく立ち上がったジアンが剣を向け、その喉元を狙って、高速の突きが放たれる。
命中すれば、間違いなくグロークロとて絶命する必殺の突き。
カラントが悲鳴をあげてグロークロに駆け寄ろうとするのを、蜥蜴人と治癒師が抑える。
そんな心配は無駄だった。
グロークロはその剣の一突きをあっさりとかわす。
すでに攻撃を喰らい、決して万全ではない状態のジアンの直線的な攻撃、グロークロには簡単に太刀筋が予測できた。
そんな馬鹿な、と言わんばかりに驚愕する美貌の剣士の顔面に、グロークロは再び、右拳を叩き込んだ。
あれ?人間ってこんなに飛ぶっけ?と見ていた冒険者が一瞬考えるほど、綺麗に錐揉み回転して宙を舞い、床に落ちるジアン。
「いいぞ!そいつの髪!皮ごと剥いじゃえ!!」
普段は優しい女性の、治癒術師が拳を振り上げて声を張る。
「立て」
顔半分が赤黒い色に変わっている男に、グロークロはなおも続ける。
「ま、待て、何か勘違いをしている。あの娘は死なないんだ」
剣を構えながらも、ジアンはこの後に及んでグロークロを説得しようとする。
『なぜだ!?なぜこんな蛮族に私が押されている!?』
剣の技術なら確かにジアンが上だった。事実、オークの拳を受けてまだ立っている力も異常である。
だが、圧倒的に『殺意』と『経験』が足りていなかった。
「あの娘は王都に戻っ……!」
トンっ、とグロークロが床を軽やかに踏み、前に出た時には、ジアンの腹部に強烈な拳がめり込んでいた。もしも鎧がなければ内臓が容易く破裂していただろう。
再び、罵声と歓声の中で吹き飛び、先ほどのカラントと同じように、芋虫のような姿で床に転がるジアン。
「立て」
オークは告げる。まだ殴り足りないのは目を見て分かった。
「おっ!おいそこの!ギルドマスター!」
胸の中のブロッコリーを『おーよちよち』と宥めているセオドアに、ジアンが必死の形相で叫ぶ。
「止めろ!お前のところの冒険者だろうがぁ!」
グロークロを指差して叫ぶジアンに、セオドアは鼻で笑う。
「ただの喧嘩だろう?それに君は剣を抜き、彼は素手だ。もうちょいねばれよ。あ、それとも、クエストでお願いするぅ?『無抵抗な女の子をいじめてたらオークに殴られました。仕返しして欲しいでちゅう!ビエーン!たちゅけてくだちゃーい』って」
白目をむいてべろべろべろと舌を出すセオドア。
ドチャクソ煽りますやん、と山羊頭のギルド職員がクフっと笑い、動く鎧の受付嬢は困ったようにため息をつくが、ジアンを助ける様子はない。
「まず顔面」
グロークロが、ジアンに向かって歩いてく。
「次は顎を砕く。腕は折る。睾丸も潰す。」
その言葉は本気だった。オークの処刑宣告に、ジアンはとうとう腰を抜かし、立ち上がることもできなくなる。
周囲を見渡し、同じ人間に助けを求めるが、全員白い目で見るばかりだ。
「立て!!!立って戦え!!!」
最後、グロークロが吠え立てるが、もはやジアンに戦意はない。
ならばこのままジアンを殴り殺してやると、激昂したオークにかけられたのは
「ぐろーくろ」
か細い少女の声だった。泣いている声だった。助けを求めている声だった。
その声に、怒りから、焦燥に感情が即座に切り替わる。
思わず、グロークロは拳を下ろして、彼女をハッとして見る。
カラントは泣いていた。腫れた頬、踏み躙られ血だらけの手の甲。ボサボサの髪。
「ぐろーくろ、グロークロ、グロークロぉぉぉぉ」
タガが外れたように、わぁぁぁと少女は蜥蜴人と治癒師に抱きしめられたまま、子供のように泣きじゃくる。
先ほどまで怒り狂っていたグロークロは、急いでカラントに駆け寄る。
「怖いぃぃぃ、あぁぁぁ、怖いよぉぉぉぉ痛いよぉぉぉぉ」
カラント=アルグランの体に染み付いてしまった傷の記憶が、少女の心を苛んでいた。
刺された、切られた、焼かれた、汚された、そんな感情が、肌を肉を心を苛み、軋ませる。
「嬢ちゃん、どうした!?痛いのか!?」
「治癒魔法をかけます!大丈夫ですよ!私たちがいます!」
混乱して泣き叫ぶ少女に、蜥蜴人と治癒師が声をかける。
「カラント、落ち着け!カラント!」
グロークロの言葉に反応を見せるものの、少女は泣き続けて過呼吸を起こす。
「っ!おい、一旦眠らせてやれ!」
蜥蜴人の言葉に、治癒術師は頷いて、眠りの呪文をかける。
震え続けるカラントの手を、グロークロが握ってやる。
「すまん、すまない、すまない!」
オークは後悔する。
あんな人間を殴るよりも先に、この子の元に駆け寄るべきだった。
怒りに任せて動くべきではなかった。俺は大馬鹿者だ。
涙をボロボロ流したまま、少女は眠らされる。その泣き顔にその凶暴なオークは苦しそうな声を漏らした。
この隙に、ジアンは前のめりになる勢いで逃げ出していた。
誰かが止めようとするが、それを振り払い、ギルドの出入り口前まで出る。
ここでは失敗したが、カラントの場所はわかった。
これを聖女様に伝えれば!まだだ!まだ私は!!
光差す出口から身を転がす様に、飛び出た剣士に。
無言でふり降ろされたのは、銀貨や銅貨の詰まった布袋の鈍器であった。
*****
「やるじゃねぇか、商人」
「いやいや、運がよかっただけですよ」
褒めてくるサベッジに、タムラは謙遜する。
その手にはカラントが丁寧に縫って作った亜麻布の袋だ。
財布がわりに銀貨や銅貨を入れていたのだが、ちょうどいい鈍器になっていた。
それこそ、弱った人間の頭部めがけて振り下ろせば気絶させるぐらいの威力はあったようだ。
ギルドに邪魔者が入らないようオーク一団とタムラで見張っていたが、まさか逆に貴族様が飛び出してくるとは思いもしなかった。
「いいのかぁ?人間の、それも貴族様だぞぉ?」
ニタニタ笑うサベッジに、タムラも諦めたように笑い返す。
「馬鹿言っちゃいけませんよ。人間にだって『善悪の区別』はつきます」
昏倒している貴族の青年を見て、タムラはふぅむと考える。
「とりあえず、全裸にして、尻の穴に酒精の高い酒をぶちこんで、どっかの街道外れに放置がいいと思うんですが」
「『善悪の区別』どこいった人間!?」
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