14歳からのアンチワーク哲学 なぜ僕らは働きたくないのか?

@homo_nemo

プロローグ

「ええか、少年。労働は悪なんや。世の中から撲滅された方がええ」


「は?」


 寝転がっている僕の隣にしゃがみこんだ男は、僕と同じ空を見上げながら言った。うたた寝に片足を突っ込んでいた僕の意識は、男の言葉に手を引かれ、強引に公園の芝生へと連れ戻される。


「少年が働きたくないと思うのは、なんも間違ってない。正しいことなんや。少年は労働という悪に立ち向かう、正義のレジスタンスや」


 どうやら公園に来たのが間違いだった。マトモじゃない奴はたいてい公園にたむろするって知っていたはずなのに。しかも、受験のこととか、将来のこととか、見ず知らずの男に事情を打ち明けてしまったのもよくなかった。

 まぁいい。どうせ学校をサボって暇なんだから、多少は付き合ってやってもいい。無造作に空に向けていた視線を男の方へ向け、僕は返事をすることにした。


「いやいや、たしかに僕は『大人になっても働きたくない』って言ったけどさ。さすがにそれは言いすぎじゃない? 労働が撲滅されたら、ご飯も電気も服も漫画もゲームも、なにも手に入らなくなって、みんなが困るじゃん」


「あー、それは騙されとる。労働なんかなくても、ぜんぶ手に入れられるはずや」


「それって『AIが労働を代替してくれる』的な話? たしかにそうなるかもしれないけれど、AIを所有している企業やお金持ちだけが得をして、僕たちは結局働かないといけないんじゃないの? お金を稼がないと生きていけないわけだし」


「そんなわけあるか。AIが労働を代替するっていうのはおとぎ話や。『天の川で水遊びできたらいいなぁ』って呟いてるのと同じ、お花畑発言なんや」


「どういうこと?」


「要するにAIなんかゴミや。騙されてんねん、みんな」


「じゃあなに? 『霞を食べて生きていけば労働しなくていい』みたいな話?」


「あほか。そんなんで生きていけるか。美味いもん食って贅沢したいに決まってるやろ。ゲームもしたいし」


「だったらなに? FXとか仮想通貨で億り人になったらいいの? それともユーチューバーになって『好き』を仕事にしろってこと?」


「それやと一握りの人しか労働から逃れられへんやろ? そんなんじゃあかんわ。地球上の八十億人全員がニートになって遊んで暮らさなあかん。完全失業。GDPは〇ドル。それで世界は平和や。食べ物や家が行き渡るだけやなくて、漫画もゲームも楽しみ放題になるんや」


 ダメだ。らちが明かない。いったいこの男がなにを言おうとしているのか、僕には見当もつかない。いや、きっと見当がつくはずもないのだろう。

 この男は平日の昼間から公園で、なにをするわけでもなく過ごしていた。やけにダボっとした格好を見るに、サボり中のサラリーマンでもない。ラフではあるが、妙に清潔なのでホームレスでもない。


 僕の直感がこう告げている。この男はニートだ、と。


 しかも、おそらく四十代の高齢ニートだ。怠惰と無能力が原因で何十年も社会から爪弾きにされた男が、辛うじて勝ち目がありそうな中学生相手にマウントを取って、自尊心を満たそうとしているのだろう。でも、その言葉は普通の中学生でもわかるほどに破綻していて、支離滅裂だ。長らく孤独に暮らす中で頭がおかしくなったに違いない。


「おい」


「なに?」


「いま俺のことを頭のおかしい高齢ニートやと思ったやろ?」


「え? どうしてわかったの?」


「顔に書いとるわ。俺が五十年の人生の中で、何回同じような白い目で見られてきたかわかるか? 大人を舐めたらあかん」


 ニートのくせに、妙に鋭い。


「自覚あるんだね」


「まぁ、アンチワーク哲学がそういう風に見られがちなのは事実や」


「アンチワーク哲学?」


「まだ説明してなかったな。アンチワーク哲学っていうのは、労働が悪であることを論理的に証明する哲学のことや」


 労働が悪? 論理的に証明? どういうことだろう?


「この時代にはまだまだ注目度は低いけれど、いずれ世界をひっくり返し、三十年後には労働を撲滅して、アンチワーク哲学は常識になってる」


「それって誰が考えたの?」


「俺や。俺はカントも、ニーチェも、プラトンも霞むほどの天才哲学者や。ニートやけどな」


 その自信はいったいどこから来るのか? 僕は呆れ返っていることを隠そうともせずに、「ふふふ」っと笑ってしまった。


「なにわろてんねん」


「ごめん。でもさ・・・」


 バカバカしい。でも、男の顔はやたらとイキイキしているし、身振り手振りが大袈裟で、まるで演劇を観ているような気分になる。悔しいが、ついつい続きを聞きたくなってしまう。


 それに、もし本当にこの男が言う通り労働が撲滅されるなら、どんなにいいだろうか。満員電車に揺られる灰色のサラリーマンを目指すために、何年も机にかじりつくなんて僕には耐えられない。


 弱音を吐いたところで、親も友達も先生も、誰もマトモに聞いてくれなかった。「そうしなければ路頭に迷うのだから仕方がない」「大人になるとはそういうものだ」「社会は厳しい」。そんな言葉は呪いのようにまとわりついて、ベッドの中まで追いかけてくる。僕はきっと灰色のサラリーマンになる運命から逃れられない。


 だったらせめて、この胡散臭い男と話している間だけでも、労働がなくなった夢の世界を想像してみようかな。そんな気分で思わず返事してしまった。


「ちょっと詳しく聞かせてよ」


 意識ごと芝生に横たわっていた体を起こして、僕は男と並ぶようにして芝生に座った。バカバカしいけれど、アンチワーク哲学とやらは、どんな大人たちの説教よりも僕を勇気づけてくれるかもしれない。

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