皇帝アーレントとシルバニア家1
皇帝アーレントは、昨日謁見を申し出た商人から買い取った幾つかの箱を横に置き、外套と王冠を脱いだ。皇族特有の神秘的な輝きを醸し出す銀髪を後ろに流し、先代皇帝と同じ紫水晶の瞳に魔法をかけて色を変えた。今日は天気もいいのもあって、空色にした。簡易な服装に着替えたアーレントは容姿が良すぎるせいで全く平民感がない。平民として外に出る訳ではないので出なくてもいいのだが。
箱は全部で四つ。全て、シルバニア公爵家へ持っていくプレゼント。重力魔法で箱の重さを消した。軽々と持ち上げたアーレントは扉のノック音に対し「入れ」と返事を飛ばした。
「失礼します」と入室したのは息子のミカエリス。
「父上、その荷物はなんです?」
「これか? 今からシルバニア家に行くんだ。双子やメアリーへの土産だ」
「……」
ミカエリスの眉間に濃い皺が刻まれた。気に食わないと視線だけで言ってくる。アーレントはミカエリスに構う事なく、空間魔法の呪文を唱えた。足元に刻まれた魔法陣を見てミカエリスが焦ったように「待ってくださいっ」と迫った。
「なんだ、私は今から」
「先程聞きました。俺の話を聞く時間くらいはあるはずです!」
必死なミカエリスに仕方ないとばかりに魔法陣を消した。荷物を抱えたまま、用件を問うた。
「メアリー……シルバニア公女ですが」
「メアリーがどうした」
「彼女は、シルバニア家の娘であるのを良いことに、皇太子である俺を全く敬いません。そればかりか、俺が誘いの手紙を送っても返事をしないばかりか公爵と――」
「そうか。そんなことなら、私はもう行くぞ」
「父上!」
アーレントは一旦荷物を床に置いてミカエリスに向いた。置かなくても重さはないのだが、持ったまま話すとミカエリスは更に機嫌を悪くしてしまいそうだ。
「ミカエリス。私は昔も今も、お前に何度も言っているな。メアリーを好きになるな、友人にはなっても恋人には決してなるなと。お前は私の言い付け通りメアリーとではなく、別の相手を選んだ。私からお前に言うことは何もない」
「ああ、そうだ。父上は昔から俺にそう言ってきた。だが、理解出来ない! シルバニア家以上に力を持つ貴族はいない。皇太子と同じ年齢のメアリーがいる今が、シルバニアの力を皇室に組み込む絶好の機会なのですよ!?」
「これもお前に何度も言ったな。皇室は、決してシルバニアの血は入れない。歴代の皇帝は、先代公爵フラヴィウス=フォン=シルバニアとの約束を守ってきた。私やお前も守る義務がある」
「……っ」
「第一、メアリーがお前をどうとも思ってないのは、お前にアタナシウスやティミトリスを超える魅力がないだけだ」
「な……」
限界まで目を見開き、言葉を失ったミカエリスに思う事はなく。アーレントは淡々と事実を述べていく。
「お前がメアリーに見せ付けるようにマーガレットと仲良くよろしくやっても、アタナシウスやティミトリスがいるからメアリーはどうも思わん」
「……」
「それより、マーガレットとの関係は良好そうだな。家柄的にも申し分ない。皇太子妃としての能力は……まあ、後で如何様にもなる」
「……メグを俺の婚約者にする気なのですか?」
「はあ……何度も言わせるな」
覚えの悪い息子に言い聞かせるように、アーレントは紡ぐ。
メアリーとの婚約が決まっていると最初にミカエリスに話した際、告げていた。メアリーではなく、別の相手を見つけておけと。
将来的に二人の婚約は解消される。表向きはメアリーが嫌になったら即婚約解消。実際は、時が来たら婚約解消。もしもメアリーがミカエリスを好きだったなら難しかったが、アタナシウスとティミトリスがずっとミカエリスの事に関する全てを遮断していたから好きにならずに済んだ。
ミカエリスはといえば……皇后や周囲の者達から、シルバニア家の力を更に自由に出来るようメアリーを縛り付ける術だけを学ばされた。お陰でメアリーは冷遇し、メアリー以外の女性には紳士的になった。特に、幼馴染のマーガレットには。皇后と友人であるホワイトゲート公爵夫人の娘、というのが最大の理由であろう。
皇后がシルバニアの力を思うがままにしたい欲を出し、メアリーを自分達の言いなりになる人形にしようとした。アタナシウスとティミトリスの造った箱庭で大切に育てられてきたがシルバニア家の一員として、皇太子の婚約者として立派に役目を全うしようとするメアリーの気持ちを踏み躙る行為だ。当然、アーレントの耳にも皇后のメアリーへの仕打ちは耳に入った。
早々に処理をした。アタナシウスやティミトリスの耳には入っていたが、メアリーを癒すのを最優先にし、処理はアーレントに任せた。
信用のないミカエリスだったら、何もかもを自分達で処理しただろう。
「俺はメアリー以外と結婚する気はありません」
「ミカエリス、お前には無理だ。第一、ずっとメアリーを放ってマーガレットと仲良くしていただろう」
「っ、それは、……メアリーが公爵達から離れるのを待っていただけで」
「お前みたいな、誠意の欠片もない男を取るか、信用のある父親を取るか。誰に聞いても後者を選ぶだろうな」
「メアリー以外の相手を探しておけと言ったのはあなただ!」
「ああ。もしお前がメアリーと友人としての関係を築けていたなら、公爵達には私から話を通してやる事も出来た。だが、お前は婚約者としての義務を何一つ果たそうとしなかったな」
「果たしてないのはメアリーの方です! 彼女は」
「お前が果たしていないのだ。メアリーは果たしている。責任転嫁も程々にしろ」
「っ!」
ぎりり、と歯を噛み締めたミカエリスの金色の瞳がアーレントを射抜く。拳を握る手が震えている。怒りからくる震えだろうか。反論の余地もないとはこういう事。ミカエリスと長く話してしまった。そろそろ約束の時間が迫っている。
アーレントは再び魔法陣を床に描いた。ハッと顔を上げたミカエリスが口を開く前に転移した。
「……」
一人残されたミカエリスは拳を壁に叩きつけた。手を下にずらすと鮮血が白い壁を染めていた。
「父上は昔からメアリーを特別可愛がっていた……皇子である俺には、興味がなかった」
ミカエリスは皇帝と皇后の息子じゃない。
皇弟と皇后の息子だ。
不貞の末に生まれたミカエリスの出生は極一部の者しか知らない。
皇帝と皇后の不仲説は有名だった。皇后の地位にしか興味の無かった皇后はアーレント自身に何の興味もなかった。何なら、アーレントの弟に皇位を継がせようと暗躍するもシルバニア家の双子公爵が皇后と生家を脅して大人しくなった。
アーレントが自身の弟と皇后の息子ミカエリスを自身の子として発表したのも、皇后と皇弟を黙らせる為。不貞が公になってしまえばどんな目に遭うか……己の保身に走った皇弟は、遠い辺境の地を与えられミカエリスが生まれてから一度も帝都に戻っていない。皇后も皇弟と接触をしていないようだ。
ミカエリスが自分の出生の秘密を知ったのは、母である皇后が教えたからだ。その時納得した。息子としても、皇子としても、ミカエリスに対して興味がなく事務的な対応しかしない父の態度に。
同時に憎らしくなった。シルバニア家の娘というだけで、双子公爵の娘というだけで父に気にされるメアリーが。
最初に会った時はとても可愛いと女の子だと思った。何故父は他の相手を見つけろと言うのか、母の言うように絶対に手放してはならない相手だというのに。
母はメアリーを気に入ってはいるが、立場は皇太子であるミカエリスが上だと分からせる為に過度な教育をメアリーに施した。そのせいで双子公爵の逆鱗に触れた。現在はメアリーに何もしないが、代わりにマーガレットや周囲を焚き付け牽制している。
項垂れて部屋に戻ったミカエリスは手に作った傷の手当てもせず、椅子に腰掛けた。
何日も前から用意していたメアリーへのプレゼントがテーブルに置かれていた。数種類のピンク色の花で造られた髪飾り。誘いの手紙を送っても返事は来ず。何度も催促の手紙を送ったのにメアリーは何も返して来なかった。行き場のない激情をマーガレットに癒してもらおうと彼女を誘った。出掛けた先でアタナシウスとケーキを食べていたメアリーに激しい怒りを抱いた。
ミカエリスの誘いには一切の返事を寄越さないのに、父親とは一緒に出掛けるのかと。
嫌いだ。
何度面と向かってそう言いたかったか。
けれど、メアリーを見ると言えなくなってしまう。
アタナシウスに、ティミトリスに、父に向けるその優しい表情も愛らしい笑みも――自分に向けてほしい。
「メイ……」
アタナシウスとティミトリスだけが呼べるメアリーの愛称。
ミカエリスは直接呼んだことはない。
呼んだってメアリーはミカエリスの声に応えないだろう。
自分という存在はメアリーにとって大したものじゃない。
――一方、転移魔法でシルバニア公爵邸の正門前に飛んだアーレントは門番に「アレンが来たと公爵に伝えてほしい」と取り次を頼んだ。慣れた様子で門番は邸内へ飛んで行き、すぐに戻った。開けられた正門を潜り、両手に重力魔法で重さを消したプレゼントを抱えたアーレントは執事に迎えられた。
「お待ちしておりました、アレン様。旦那様とお嬢様がお待ちです」
「ああ」
頷き、先導する執事の後を歩く。
最初にミカエリスの言っていた誘いの手紙。多分それは、メアリーの目に触れる資格なしとアタナシウスかティミトリスのどちらかが判断して捨てたのだろう。
メアリーが良いと言うなら、返事が来ない手紙を待つより、直接公爵邸に突撃したらいい。
子供の頃、魔法を覚えたくて双子の元へ押し掛けた自分のように。
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