私のお父様とパパ様

@natsume634

短編版

0話


 クマ、ウサギ、ネコ。可愛いぬいぐるみに囲まれて眠る少女の瞼が震えた。ゆっくりとした動作で上げられた瞼の奥から現れたのは、深い青の瞳。何度か瞬きを繰り返し、手で目元を擦った。眠そうに起きた少女は小さな欠伸を一つ。前に垂れたプラチナブロンドの髪を後ろへやった。

 ピンク色の天蓋付きベッドの上には少女と沢山のぬいぐるみがいる。

 此処は少女の寝室。入れるのは、眠る事を許された少女と後二人。



「起きたか?」



 気配も音もなく、扉を開けて寝室に入ったのは長身の男性。プラチナブロンドの髪に深い青の瞳。



「はい、お父様」

「メイ。今日はお茶会に行く日だったな。朝食を食べ次第準備をするぞ」

「はい」



 メアリー=シルバニアは、此処帝国のシルバニア公爵家の一人娘。デューベイから足を晒した。細い足首には、汚れ一つない純銀の枷が嵌められていた。慣れた手つきで鍵穴に鍵を差し込み、枷を外した男性はメアリーの父ティミトリス=フォン=シルバニア。年齢不詳と名高いティミトリスの外見は十八歳の娘がいるとは思えない程若々しい。ベッドから降りたメアリーは、ティミトリスのエスコートを受けて食堂へ行った。髪の寝癖は移動しながら魔法で治されたので問題ない。広い食堂に入り、四人用のテーブルに置かれた朝食に目を輝かせた。

 家族で食事を摂る際に使用するので大食堂よりも狭いが、三人しかいない家族だけで使用する為余りある広さであった。

 隣同士で座ってメアリーは、朝食が二人分しかないことに気付く。メアリーが尋ねる前に「急用が出来たからとかで朝からいない」と告げ、パンを千切っていく。毎日多忙なのは知っているメアリーはティミトリスがいるのは、自分を気遣っての事だと理解する。彼も多忙なのにこうして朝食を一緒に食べられるのはとても幸福者だ。

 コーンスープを頂きながら、この後行かないとならないお茶会が嫌でならない。


 シルバニア公爵家は帝国で最も古い家の一つ。裏で魔王の棲む家と呼ばれているのは、初代当主のせい。何千年も生き続ける不老の公爵と名高かった祖父が息子に爵位を譲って祖母と共に隠居生活を送り始めたのは三百年以上の前の事。祖父曰く、不老なのは適当に使った魔法の暴走が原因らしく、衝撃のせいでその適当な魔法が何なのかを覚えていない。元から滅茶苦茶な人であるが、生まれたての新生児であった祖母に一目惚れをした挙句、誘拐し、成長したらとっとと自分の妻にしたと二人の馴れ初めを聞いた時はドン引きした。祖父の不老は濃い関係にある人にも移るらしく、祖母は八百年前以上の人なのだが、一定の年齢から外見は変わらず生きている。祖父と祖母の間に生まれた父も当然不老の血を受け継いでいる。

 かなり頑丈な体らしく、滅多に病気にはならない。

 不老なだけで不死ではない。心臓を刺されば、頭を潰されれば絶命する。傷を負えば痛みを感じる。不老以外は普通の人間と変わらない。

 異常に強い魔力を除けば。


 そんなシルバニア家にメアリーという娘が生まれた。

 帝国側が見ているだけ、な筈がない。すぐに同い年の皇子との婚約の打診があった。初め面倒臭がっていた父達は何度も断り続けたが、絶大な力と不老を持つシルバニアの血を欲する帝国側もしつこかった。

 なので、メアリーが嫌になったら婚約を消すという条件付きで皇太子との婚約が成立した。



(でも……)



 正直に言うとメアリーは皇太子が全然好きじゃない。

 歴代の皇族と同じ、月の光を浴びて神秘的光を醸す銀色の髪、公爵家出身の皇后と同じ黄金色の瞳。絶世の美貌を持つが故なのか、冷たい相貌の皇太子をメアリーは苦手だった。婚約者としての義務で毎月彼とお茶会をするが会話は弾まないし、何を言っても短い言葉しか返されない。彼自身メアリーを嫌っている節があるから余計。

 皇太子との婚約が嫌だと一言でも告げれば、過保護極まりない父達はすぐに婚約解消をするだろう。だが、これは公爵家と皇家が結んだ契約。個人の感情だけで我儘を言ってはならないのは、果てのない砂糖を注がれ甘やかされていると自覚するメアリーでも理解している。

 一言、たった一言でも父の前で漏らせば、すぐに皇太子との婚約は白紙になる。不老の一族なのでずっと屋敷に籠りきりも良いなあ……と抱くも、シルバニア家の一員としてちょっとは役に立ちたい。

 最後のデザートを食べ終えたメアリーを愛称で読んだティミトリスに頭の天辺をキスされた。



「準備をするぞ。今日は何色のドレスがいい?」

「皇太子殿下にお会いするのなら、彼の方の瞳と同じにします」

「メイに派手な金色は似合わん。ふむ……決めた、青にするか」

「もう。最初から青にするつもりだったのでは?」

「娘を気に食わない皇帝の息子にやらなきゃいけないお父様の気持ちを察してくれ」



 もう一度頭にキスを落とされた。

 果てのない愛を、甘さをくれる父がメアリーは大好きだ。

 自分から抱き着くとティミトリスが身に付ける香水の香りが鼻腔を擽った。安心する香り。

 大きくて暖かい手に数度頭を撫でられると甲高い音が鳴った。父が指を鳴らした。

 メアリーの私室にある青のドレスを魔法で一瞬にして着替えさせた。シルバニアの特徴とも言える深い青のドレス、腰には銀色のリボンが結んである。



「あいつと城で会ったらうるさいだろうからな。銀色も足しておかないと」

「パパ様はお城に行っていたのですか? 呼び出しですか?」

「図書館に行ってくるんだと。朝っぱらから行く場所でもないだろうに」



 いつの間にか手に持っていた青薔薇のブローチをプラチナブロンドに着けたティミトリスは満足げに頷いた。

 現シルバニア公爵は異例の二人体制。理由は二人が双子の兄弟で、どちらも桁違いの魔力を持つ。どちらにも帝国にいてほしい皇帝と皇帝を説得するのが面倒だった祖父が二人をシルバニア公爵に任命した。どちらも公爵であり、当主でもある。ティミトリスは双子の弟になる。

 メアリーにとって二人は父親となる。遺伝子検査をしてもどちらとも親子関係が出る。ずっと昔、母親がいないことを訊ねた。母親という存在を絵本でしか知らないメアリーは、どうして自分には母親がいないのかと抱いた。優しく、愛情深い父親が二人いる。十分幸せだがいない疑問が消える程度にはならなかった。

「ぼくとティッティだけじゃ不満?」と悲しげな顔をパパ様にされれば、お父様もパパ様も大好きなメアリーはそれ以降母親について質問しなかった。


 暫くティミトリスとお喋りを楽しんだメアリーは、城からの使者が迎えを知らせに来た侍女に頷いた。憂鬱な時間も我慢をすればなくなる。父と一緒に食堂を出て、玄関ホールまで行った。扉を開けてもらい、青薔薇が一面に咲き誇る向こう側には皇室の家紋が入った馬車が待機していた。使者の前に来ると立ち止まった。



「お待ちしておりました、シルバニア公女様。お城までお送りします」

「はい。ありがとうございます。ではお父様、行って参ります」

「ああ。嫌になったらすぐに帰って来い。無理はしなくていい」

「ふふ。大丈夫ですよ」



 本心は悟られてはならない。漏らすだけではなく、悟らせてもいけない。

 額にキスをされ、馬車に乗り込んだ。

 メアリーを乗せた馬車は何事もなく城に到着した。

 降りると皇太子に仕える侍女が皇太子が待つサロンまで案内をしてくれた。



(はあ……気を張らないと)



 メアリーが皇太子と会うのを内心嫌がるのは、相手からのイヤイヤオーラだけじゃない。

 魔法で動作する美しい水の演出が惚れ惚れとする皇太子のサロンには、婚約者の皇太子以外にもう一人いた。

 綿菓子のようにふんわりとした金色の髪には、白いレースリボンが結ばれ。位置がずれているのを気付いた皇太子が直していた。大きな空色の瞳を開くもすぐに楽しげに細め、愛らしいかんばせを綻ばせた。


 皇太子ミカエリスの黄金色の瞳がメアリーを捉えた。隣にいる少女マーガレットに向けていた優しげな感情は消え失せ、いつもの冷たい瞳になった。幼馴染のマーガレットには絶対にこの様な冷たさは見せないのだろうとぼんやりと抱きながら、彼等の近くまで来るとドレスの裾を広げて見せた。



「帝国の若き太陽、皇太子殿下。メアリー=シルバニア、只今参上しました」

「……ああ」

「……」



 婚約者に対する視線でも声でもない。本当に父達にこの婚約が嫌だと告げようか。吐きかけた言葉を飲み込み、メアリーは隣のマーガレットにも一応挨拶をした。誰に対しても礼儀は大切だ。



「レディ・ホワイトゲート。ご機嫌麗しゅう」

「こんにちはメアリー様! ミカってば、メアリー様を待つ間に紅茶を三杯もお代わりしたの。昔から紅茶好きなのは知ってるけど、飲み過ぎだと思わない?」

「……殿下の自由ですので私からはなんとも」

「ミカ。美味しいからって飲み過ぎは良くないわ」



 ……人に話を振っておきながら置いてけぼりに遭うのはいつものこと。

 メアリーは気にせず二人の前に座った。今日はマーガレットがいるのなら、居心地は悪くても無音ではないので幾分か気が楽になる。

 マーガレットは皇后と幼い頃から仲が良いホワイトゲート公爵夫人の娘。ミカエリスとは幼い頃からの付き合いで幼馴染。二人は非常に仲が良く、政治的思惑でミカエリスとメアリーの婚約が成立しても変わらなかった。こうしてメアリーが近くにいても遠慮の頭文字がないのは、舐められているのか、そもそも眼中にないだけなのか。両方だろう。



「メグだって毎日ホットミルクを飲むじゃないか」

「ミルクは体に良いのよ? ミカは砂糖も入れるから駄目」

「じゃあ、今度からは砂糖なしで飲むよ」

「もう」



 そっと侍女が淹れたお茶をちびちび飲みながら時間が過ぎるのを待つ。

 そういえばパパ様が城の図書館にいるとお父様は話していた。帰る時にでも寄ろう。会えなくっても適当に中を見て帰ろう。



「メアリー」

「!」



 いつもなら無視をするミカエリスが珍しくメアリーの名を呼んだ。視線を寄越すと麗しい顔には似合わない険しさが刻まれていた。隣のマーガレットは皺の寄る眉間に指を当てた。



「レディに怖い顔を向けないの」

「メグは黙ってて」



 マーガレットの手を眉間から離すと冷たい瞳がメアリーを見つめた。



「そのドレスはなんだ?」

「なんだ、とは? お父様が選んで下さったドレスですが……」

「……」

「?」



 正直に話すとミカエリスは黙った。険しさに苛立ちが追加された。お茶会の時でも、夜会の時でも、誕生日パーティーの時でもメアリーが着るドレスが全て父親達の選んだ物とは彼は知っている。知っているのに怒りを向けられるのが解せない。暫く見つめ合うも先に逸らしたのはミカエリス。マーガレットと目が合うと優しげに微笑んだ。婚約者が誰かを間違えてないだろうか。


 はあ、と小さく溜息を吐いた。

 二人が恋人同士なのは知っている。礼儀的なエスコートとファーストダンスを終えるとすぐにマーガレットの元へ向かい、一度ダンスを踊るとずっと側に居続ける。その間メアリーは一人壁の花……ではなく、お父様かパパ様のどちらかといるか、どちらかと屋敷に帰る。

 極端なまでの過保護っぷりを発揮する二人を優先するのは娘としても違和感なく、当然だと受け入れている。


 愛おしげに互いを見つめ合うミカエリスとマーガレット。早く時間にならないかと上の空なメアリーは無意識に溜息を吐いた。とても小さな音だがミカエリスは見逃さなかった。

 鋭い声色でメアリーに指摘した。面倒だと抱きながらも詫びを入れるもミカエリスはしつこく言いたい事を言ってくる。



「そもそも、婚約者とのお茶会で何故君は俺の色をしたドレスを着てこなかった?」



 そういうあなたは他の女性を隣に座らせて楽しそうではないですかと言いかけるも、火に油を注ぐのは目に見えていたので別の言葉を放った。



「お父様の選んで下さったドレスですから。私は何色でも構いません」

「っ……」

「?」



 憎々しげに、悔しげに表情を歪めたミカエリスが益々分からない。婚約者の色をしたドレスと言うが、彼がドレスを贈った事は一度もない。皇帝が主催するパーティーでは、女性は婚約者か夫から贈られたドレスやアクセサリーを使用するのが通常。しかしメアリーは一度もない。噂ではマーガレットの着るドレスや身に着けるアクセサリーは彼が贈っているとされている。実際そうだろうとは思う。彼が愛しているのはマーガレット幼馴染であって、メアリー婚約者ではない。



「メアリー様って嫌な方ですね」



 突然話題に入ったマーガレットに嫌味を言われるとは予想していなかった。



「どういう意味ですか?」

「いくらあのシルバニア公爵家の娘だからって、ミカの顔を立てないなんて最低だわ。あなたみたいな意識の低い人がミカの婚約者だなんて……」

「……」



 婚約者のいる男性にくっ付いて親しげなあなたにだけは言われたくない。ちらっと視界に映った時計にはお茶会終了の時刻が示されていた。ティーカップをテーブルに置いたメアリーは席から立ち上がった。

 驚く二人に会釈をした。



「皇太子殿下、レディ・ホワイトゲート。時間なので失礼します」

「待て。俺からの話はまだ終わってない」


「聞く価値もない」



 突然発せられた違う声。振り向くとメアリーははにかんだ笑みを浮かべ、嬉しげに駆け寄って行った。後ろから「メイ……」と呼ばれた気がしたが先に「ぼくの可愛いメイ」とパパ様が発したので全く気にしなかった。メアリーを受け止めた銀髪に深い青の瞳の絶世の美青年。ティミトリスは仏頂面に近い表情だが、彼は柔らかな相貌で腕の中にいるメアリーを見下ろした。



「メイ。お茶会はもう終わりでしょう? パパと帰ろう」

「はい、パパ様」

「ではね、皇太子殿下とホワイトゲート嬢」

「ま、待て!」



 愛しいマーガレットと引き続きお茶をしたら良いのに皇太子は焦った様子で帰ろうとする二人を呼び止め、席から離れると扉の前に立ちはだかった。



「まだ話は終わってない! 帰るのは駄目だ!」

「なんですか殿下、話って。殿下の話は私のドレスが気に食わないだけではありませんか」

「メイのドレスはティッティが選んだの?」

「そうですよ」

「あ、はは。とても似合っているよメイ。ぼくやティッティが選んだ物は全部似合う。それ以外の人間が選んだ物なんてメイには不要だよ」

「!!」



 輝かしい笑顔でさらりと口にされた台詞は皇族相手に対し大変不敬に当たるがシルバニア公爵だけは許される。歴代の皇帝達と現皇帝と良好な関係を築き上げてきた信頼は大きい。メアリーとミカエリスの婚約も周囲の声があまりにもうるさかったので仕方なく結んだのだ。皇帝は最初から反対だった。シルバニア家は帝国の守護神、敵国からは悪の貴族と恐れられる。不老の血は魅力的だが永遠の皇帝は必要ない。その時代に必要な者が皇帝になるべきだという初代皇帝からの考えの元やってきた。今回は娘が生まれた上に同じ歳の皇子がいたのが運が悪かった。



「皇帝に君とメイの婚約を白紙にしようと提案しても反対されない。メイが嫌になったら白紙にする約束だからね」

「メアリーは俺の婚約者のままだっ」

「君、メイよりもそこの幼馴染をいつも優先しているじゃないか。それにメイも君を特別どうこう想ってないから丁度いいじゃないか」

「っ……」



 絶大な力を持つシルバニア公爵家の後ろ盾がなくても皇后の実家も強い権力を持つ家であるし、ホワイトゲート公爵も皇帝の右腕と名高い男でマーガレットが皇太子妃になっても全く問題ない。ミカエリスは勝手に結ばれた婚約を嫌がり、メアリーに冷たく当たっていた。今婚約白紙の好機が目の前にぶら下がっているのに受け入れないのは理解不能。

 パパ様ことアタナシウス=フォン=シルバニアに指摘されたミカエリスは言い返せず、俯いてしまった。



「ではね皇太子殿下。皇帝にホワイトゲート嬢と婚約出来るよう言っておくよ。行こうメイ」

「はい、パパ様」



 メアリーは肩を抱かれ、皇太子のサロンをパパ様と出て行った。最後にマーガレットが喜びを隠そうともせずミカエリスの側に行っていた。

 隣に並んで帰り道を歩く。特別な感情は抱いていないと言われたが、ちょっとだけならミカエリスに好意を抱いていた。最初の内、何度かは短いながらも会話は成り立っていた。礼儀として相手をされていただけだとしても。何時から冷たい視線を浴び、嫌われしまったのか。理由は分からない。

 最後にまともに会話した内容は確か、どんな男性が好みかと訊ねられたのだ。メアリーは迷いなく「私のお父様とパパ様」と答えた。二人の父親以上に素敵で強い男性は――祖父を除いて――いない。そこからミカエリスは今のような態度になった。あの時の答えが気に食わなかったのかと抱くも、今日で婚約も終わり。個人的に会う機会もなければ望まないので永遠に知らないままでいよう。



「メイのドレス、とても素敵だ。ティッティってば、自分の服のセンスは駄目なのにメイに関しては抜群だ」

「お父様は動きやすい格好が好きだと仰っていましたから」

「家の中でもしっかりとしていなきゃ。何時誰に見られるか分かったものじゃない。屋敷に帰ったら仮眠を取ろう。メイもする?」

「はい!」

「じゃあ、メイの寝室で寝よう。久しぶりに親子で寝れるね」



 ちゅっと額にキスを落とされた。愛情の籠った口付けを落とすのが好きな父親コンビから、たっぷりと愛されているメアリー。私室はきちんとある。あまり使用されていない。ベッドもない。

 ベッドがあるのはティミトリスとアタナシウスの部屋の奥に作られたメアリー専用の寝室。双子の部屋は隣同士で奥に空間を造り上げ、そこにメアリーを寝かせている。

 瞬間移動テレポートで一気に屋敷まで戻ると眠そうなティミトリスと合流。三人でメアリーの寝室へと向かった。青いドレスから寝巻きに魔法で着替えさせられたメアリーはベッドに座り、足下に跪いたアタナシウスによって足首に枷を付けられた。今朝ティミトリスが外したあの銀色の枷だ。

 因みに、アタナシウスがパパ様なのは本人たっての希望。

 曰く、父上は嫌、らしい。



「お父様とパパ様が一緒でも付けるの?」

「そうだよ。念には念を。メイはぼく達にとって、とても大事な娘だからね。こうやって守ってるんだよ」

「ふわあ……寝るか」



 過剰なまでの心配ぶりは、一歳になった時誘拐されたのが原因だ。運良く外に連れ出された時にアタナシウスが見つけて難を逃れたが、それ以降心配度が爆上げしたアタナシウスがメアリー専用の寝室を造った。

 メアリーは聞かされてないが、誘拐犯はメアリーの母。

 シルバニア公爵家に仕えていた侍女の一人で晩酌を楽しむ双子の酒に強力な媚薬を仕込み、態と自分を襲わせた。更に妊娠しやすい薬を飲んでいたこともあり、その一夜でメアリーを宿した。無味無臭とは言え、媚薬を仕込まれ屈辱を味わわされた二人は激怒するも、腹の中に自分達どちらかの子が宿っていると知り態と見逃した。

 何も覚えていない風を装い、侍女が無事出産すると媚薬の件を持ち出しメアリーを奪った。侍女の実家はとんでもない事を仕出かした娘のせいで殺されると恐れ慄き、素直に二人の命令に従った。侍女だけは最後まで子供を返せと叫んでいた。

 どうやって侵入したか興味もないが侍女は一年後屋敷に入りメアリーを誘拐した。アタナシウスに見つかり、息の根を止められた。


 川の字になってベッドに倒れた。長身の男が二人と小柄な少女が一人寝ても十分に広いベッド。



「おやすみメイ」

「おやすみメイ」


「おやすみなさい、お父様、パパ様」



 皇太子妃になる教育を受けてきたがこれからはマーガレットが受ける事になる。お世話になった教師に後日今までのお礼の手紙を送りたい。ミカエリスとも、今後はパーティーなどの公式な場でだけ会うだろう。結局彼はティミトリスの選んだドレスのどこが気に入らなかったのか。

 分からないままでも、大好きなお父様とパパ様に挟まれたメアリーは穏やかな眠りに落ちていったのだった。




   


●○●○●○ 

 



 皇太子ミカエリスとの婚約は白紙――にはならなかった。毎月あるお茶会でパパ様ことアタナシウスが婚約を白紙にしてあげようと言っていたが、皇太子の粘りと粘りと粘りで婚約はこのまま継続となった。皇后の生家も幼馴染のマーガレットの実家も強い力を持つ公爵家。後ろ盾は盤石。

不老の血を持ち、先代公爵である祖父と現公爵であるお父様とパパ様揃いも揃って人外級の魔力を持ちながらも、政には干渉しないのが信条。理由は単純。面倒だからだ。祖父の面倒くさがりはしっかりと双子の息子にも流れている。

 メアリーは今日届いた一通の招待状は、婚約白紙にならなかったのが原因としか思えないでいる。ガーデンパーティへの招待状がマーガレット=ホワイトゲートから届いた。まだ婚約者であるミカエリスの幼馴染であり、恋人でもある。公の場でも堂々とマーガレットと愛し合うミカエリスが何故メアリーとの婚約継続を望むのか。シルバニア公爵家の力が欲しい、不老の身になりたいあたり。招待状を届けてくれた執事に向かって困ったように笑った。



「お父様やパパ様が知ったら絶対に破っちゃうね」

「もう知ってますよ。届いてすぐにティミトリス様にご報告しました」

「もう? パパ様は?」

「アタナシウス様は寝ています」



 好きな時に好きな事をするのがシルバニア家。帝国の一大事となれば、最前線で指揮を取るのが二人。最近は戦争もなく、周辺国との仲も良好な為平和そのもの。偶に騎士団に顔を出して騎士の士気を上げてくれと皇帝に頼まれて顔を出し、稽古をした騎士全員を数日はまともに動けないくらい廃人と化すのは毎度の事。その為、同じ目に遭いたくない騎士達は平和な世でも鍛錬を欠かさない。

「メイ」と聞き慣れた低音がメアリーを呼ぶ。手紙を持ったまま振り向くとお父様ことティミトリスが部屋に入ってきた。ベッドに腰掛けているメアリーの隣に座ると手紙を奪った。

「あ」とメアリーが抗議の声を上げかけるも手紙をあっさりと燃やした。



「折角の招待状を……」

「行く必要があるか? あの皇太子の恋人からの招待なんて」

「行かないにしても返事は出さないと」

「必要ないだろう。向こうだって、本気でお前が招待に応じるとは思ってない」



 メアリーが応じても過保護な父親コンビが許さない。



「でも」

「行きたかったのか?」

「そういう意味では。私と皇太子殿下が未だ婚約の関係が続いているのを気に食わないのは伝わりました。ただ、パーティにはひょっとしたら、皇太子殿下も参加なさるのではと」

「ああ。皇太子がお前との婚約継続を望んだ理由か」

「知っているのですか?」

「まあな」



 どうでも良さそうに口にするティミトリスだが、メアリーにしたら謎が大き過ぎて是非知りたい情報。期待を込めた深い青の瞳で見上げると微笑まれ額にキスをされた。絶世の美貌を誇るお父様の微笑みはメアリーにしか向けられない。世の女性達が目撃すれば、魅了されるのがおち。キスをされて嬉しい気持ちは本物だが、違うと首を振る。すぐに拗ねた面持ちをしたティミトリスがプラチナブロンドを指に絡めた。



「お前も知っての通り、皇帝はお前と皇太子の婚約は反対なんだ」

「不老の血は、皇族には必要ないからですよね」

「そうだ。事実、じじいの時から皇族に不老の血は必要ないと教え込んできた」



 一人の偉大な皇帝が不老を得て、永遠に帝国を統べると繁栄が続くであろう。しかし、時代の流れというものは適した者を生み出す。不老の血が皇族に流れれば、不老の者が増えていく。シルバニア以外に不老は必要ない。

 一見、魅力的に感じるだろう。美貌は保ったまま、ほぼ病気にならない頑丈な体、膨大な時間。だがこれらは時が進めば進むほど必要なくなっていく。心を許した友人や愛する人を作っても彼等は何れ年老いて死んでいく。祖母のように、祖父が気に入って深い関係になって不老になったのは例外中の例外。

 時間に取り残され、親しい者達が死んでいくのを絵画のように眺めるだけ。



「歴代の皇帝共は、じじいや俺達に普通の人間として生きられるのがどれだけ幸福な事かを叩き込まれる。そうすれば不老に対する認識もただの憧れとなる。

 メイと皇太子の婚約は、皇后や周囲の声があんまりにも煩かったから、条件付きで結んだんだ」



 それがメアリーが嫌になったら即婚約解消である。

 偉大な祖父や父達の役に立てるのならと、冷たく怖いミカエリスとも仲良くなろうと努力した。皇太子妃の教育もシルバニア公爵家の娘としての教育もメアリーなりに精一杯励んできた。教育は無駄にならなかったが、ミカエリスと仲良くは実現不可能だった。彼は何時だってマーガレットを気にしていたから。

 無理矢理結ばれた婚約が嫌だったのもメアリーは知っている。



「皇帝陛下は私が殿下に嫌われてるって知ってたの?」

「知ってるよ。何も言わなかったのは、俺やアタナシウスが何も言わなかったからだろうな。後、お前もちゃんと婚約者としての務めは果たしてた。皇太子がメアリー以外の女を側に置いても無言なのは、次の皇太子妃候補になれるかを見る為なんだよ」

「もしかして、あのお茶会がなくても私は婚約を白紙にされてたの?」

「当然だろう。なんで皇太子にメイを嫁がせないとならない。丁度いい感じにホワイトゲートの娘がいるんだから、とっとと結んじまえばいいのにな」



 面倒そうに溜め息を吐いたティミトリス。皇帝の思惑はさておき、やはりミカエリスの思惑が読めない。皇帝はメアリーとの婚約が白紙になっても咎めず、気に入った相手を皇太子妃候補にするつもりであるのなら、マーガレットは十分資格がある。家柄は申し分ない上、容姿も非常に愛らしく守ってあげたくなる庇護欲がそそられる。最も重要なミカエリスとの仲も良好。皇太子妃教育は今から学ぶのは大変だろうが彼の為を思うなら乗り越えて見せそう。

「ふわあ……」とティミトリスは欠伸を一つ。



「ねむ……」

「結局、殿下が私との婚約を続ける理由とは何なのですか?」



 一番知りたい情報を教えてくれない。服の袖を引っ張るとティミリトスは再度欠伸をした。



「ふあ……。下らん理由だ」

「殿下は皇帝陛下と違って不老になりたいのですか?」

「違うよ。知っても無駄だ」

「私は知りたいです」

「……」



 メアリーは知っている。お父様が押しに弱いと。もう一押しで話してくれる。諦めず問い詰めると諦めたティミトリスが燃やした手紙を復元した。物体を元の形に戻す、高等技法。詠唱もなく呼吸一つでやってのけるティミトリスの魔法に目を輝かせていると招待状を渡された。



「そんなに知りたいなら、ホワイトゲートの娘が主催するガーデンパーティに連れて行ってやる」

「本当ですか? でもお城に行って殿下に会えばいいのでは?」

「こっちの方が面白そうだろう」



 何が面白いのか不明だが、マーガレットのこと、きっとミカエリスも招待している。

 ミカエリスも招待を断らないだろうから、会場で会ったらこっそり訊ねてみよう。


 当日はどんなドレスにしようと悩むメアリーを眺めるティミトリスは小さな声で漏らした。



「メイが俺やアタナシウスしか見ないってなんだよ」



 当然だ。自分達はメアリーの父親で、メアリーは大事な娘なのだから。

 下らない嫉妬で意地を張って拗らせた挙句、別の女性を側に置いて嫉妬させようとしたらしいが、元々ミカエリスをどうとも想ってないメアリーが嫉妬するなど……馬鹿馬鹿しい。

 皇帝から婚約白紙をもう少し待ってやってくれと訳を話されたティミトリスとアタナシウスの反応は異なった。

 呆れ果てるティミトリスと腹を抱えて大笑いするアタナシウス。皇帝はティミトリスと同じ呆れ顔。

 このまま婚約白紙になって困るのは皇太子だけ。

 さっさと白紙にするか、とティミトリスは当日のドレスについてメアリーに提案をした。



 ――ホワイトゲート公爵家で行われるガーデンパーティ当日。

 青い薔薇の刺繍とサファイアがふんだんに使用された銀色のドレスを着たメアリーは、向かい側に座って上機嫌なアタナシウスと頬杖をついて外を見やるティミトリスの格好が普段とは違って何倍にも増幅された色気で女性達が魅了されるのではと抱く。

 アタナシウスは白、ティミトリスは黒を基調とした衣装。それぞれにメアリーと同じ繊細な青の刺繍が入れられており、色だけで言うと三人お揃いだ。

 今日のドレスは父親達の選んだ……いや、彼等が選んだのだろうが最終的に選んだのはメアリーである。

 今着ているドレスともう一着、どちらが良いかと訊ねられた。そのドレスはフリルとリボンが沢山着けられた淡いピンク色で、とても可愛らしいデザインだがマーガレットが招待してきた以上、気合を入れるなら青い薔薇のドレスにすると選んだ。


 その時のアタナシウスは何故か吹き出していた。理由を聞いても「メイはやっぱり可愛いね」と惚気られただけ。



(そういえば、前にも何度かあったわね)



 毎回メアリーのドレスを選ぶのはアタナシウスかティミトリスがするが、何度かメアリーにどれがいい? と選ばせた。

 最初はそう、デビュタントを迎えた日だった。選んだドレスを着たメアリーを、迎えに来たミカエリスが一目見た瞬間思い切り顔を歪められた。金色の瞳にはメアリーに対する怒りが宿り、意味が分からず困惑した。

 ファッションセンスがメアリーになくても用意された二着のドレスは父親達が選んだのだ、一級品の物ばかり。センスも良い。彼の態度の意味が分からず、馬車の中でも不機嫌なせいで会場に着くまで息苦しかったのを覚えている。


 数年の間、ドレスを選ばされる事はなかったのに今日突然戻ったのは、やはり理由がある筈。

 でも。



(今はお茶会に集中しましょう)



 マーガレットのことだ。きっとミカエリスも呼んでいる。ミカエリスもマーガレットの招待になら応じる。



「着いたよ」



 アタナシウスが告げると馬車が止まった。御者が扉を開き、先にティミトリスが降りた。外から差し出された手を掴みメアリーは降り、続いてアタナシウスも降りた。

 受付係の者は驚きを隠せないでいたが、ハッとすると気持ちを切り替え招待状を要求。確認後、三人を会場へ入れた。



「み、見て! シルバニア公爵達よ……!」

「二人揃って参加!?」

「メアリー様が参加するとは思わなかったけれど……公爵達がいればね……」



 他の参加者達はメアリーが参加した事にも、シルバニア公爵二人共もいる事にも驚愕する。主催者であるホワイトゲート夫人とマーガレットも彼等と同じだった。近付くと夫人は興奮を隠し切れておらず、頬を染めてティミトリスとアタナシウスを歓迎した。



「これはこれは公爵様方。ご参加いただきありがとうございます」

「メアリーの付き添いだ」

「メアリー様もありがとうございます。是非、楽しんでいってください」

「はい。ありがとうございます」



 招待されたのはメアリーであり、二人は同行者。夫人の態度は招待されたのは二人でメアリーはおまけ扱い。不快に思いながらも顔には出さず、微笑みで返した。

 マーガレットもアタナシウスとティミトリスに挨拶をし、次にメアリーにもした。やはりおまけのような扱いだ。



「そうだわ。今日はミカも呼んでるの! 遅れて来ると言っていたけどメアリー様は気にしないでね!」

「……ええ。殿下がいようがいないが私には関係ありませんので」

「まあ! そんな言い方良くないわ! メアリー様はミカの婚約者なんだから」

「……」



 一々癪に障る言い方をしてくる。挑発しているのは明らかだ。目が若干メアリーを馬鹿にしている。だが、乗ってしまえば相手の思う壺であり、父親達を怒らせてしまう。あ、と思い、チラリとアタナシウスとティミトリスを見る。一人は微笑み、一人は呆れた相貌をしている。意図が察せられない二人じゃない。



「マーガレット。慎みなさい。メアリー様の前で皇太子殿下を愛称で呼ぶなんて」

「私とミカは幼馴染よ? ミカだって良いって言うもの」

「マーガレット……!」

「良いのではないかな、夫人。マーガレット嬢は皇太子のお気に入りだ。仲が良くても皇后になれないから拗ねているのだよ」

「なっ!!」



 アタナシウスはメアリーの手を取ると歩き出す。ティミトリスも続く。

 どれだけ良好な関係でも立場ではメアリーが上。正式な婚約関係を結ばないと隣にはいられない。幼馴染と言えど限度がある。

 どちらが上かを指摘されたマーガレットは屈辱に染まった赤い顔でメアリーを睨むも向ける相手を間違えている。



「皇后になるのは私よ!! ミカとは婚約解消するとアタナシウス様が仰っていたのに、未だに継続なのはメアリー様が拒んでいるからでしょう!? ミカに愛されてないのに縛り付けるのは止めなさいよ!!」

「止めなさいマーガレット!!」



 背後からの叫び声に止まった方がいいのにアタナシウスの足は止まらない。戸惑いがちに見上げると口を押さえていた。今にも笑い出すのを堪えていた。



「ぷ……っ、お、面白いね……」

「パパ様……」

「あー面倒くせえ。帰るか」

「え」

「だーめ、ティッティ。飽き性も程々にね。ここは皇太子の反応を見ようじゃないか。今の発言を参加しているほとんどの貴族は聞いてる訳だし」



……絶対態と怒らせたのだ。


 人目を引く絶世の美貌を誇るお父様とパパ様は、立っているだけでも目立つ。二人の間に挟まれてエクレアを食べるメアリーは、グループを作って会話に花を咲かせる令嬢達へ羨望の眼差しをこっそりと向けていた。同い年の友人がメアリーにはいなかった。幼い頃は何度かお茶会へ招待されたが、どの家も目当ては保護者として同行するティミトリスかアタナシウス。メアリーは彼等を釣る餌にしか過ぎなかった。

 いざ、令嬢達と会話をしても元から出来上がっているグループの中で他人はメアリーだけなので、全く会話についていけず。王都の流行に疎いのもあり、途中乗っかる事も出来なかった。

 服も装飾品も家具も全部二人が選ぶ。どれもがメアリーの趣味に合う物ばかりで反対はなく、自分から欲しいと言わなくても定期的に贈られていたから不満もない。

 幼少期の友達作りを見事失敗し、そこへ皇太子ミカエリスとの縁談が持ち上がった。皇太子妃筆頭候補となったので余計友達は出来なかった。


 ただ、メアリーはティミトリスとアタナシウス両方に忠告を受けていた。

 普通の人間は長くても百までしか生きられない。悠久の時を生きるシルバニアの血を引いて生まれた以上、人間との別れは避けられない。親しい相手を作っても、後に襲う喪失感を乗り越えられないなら作るべきではないと忠告をされた。

 ティミトリスは狭く深く、アタナシウスは極一部を除いては広く浅くの関係を周囲と築いている。


 メアリーは今年で十八歳になった。親しい人との別れをまだ体験していない。


 エクレアを食べ終えると「次は何が食べたい?」とアタナシウスに問われ、テーブルに置かれる多種類のスイーツを見ていった。スイーツが大好物なメアリーは全部食べたいと言いたいがはしたないと思われたくなくて、エクレアの次はティラミスを選んだ。同時にデザートスプーンを受け取ってティラミスを掬おうとしたら、親しげにアタナシウスに話し掛けてきた男性の声に静止した。帝国を守護する騎士団の団長だ。お茶会に参加するなんて珍しいと眺めているとアタナシウスは、メアリーとティミトリスに一声残して彼と違う場所へ行ってしまった。



「珍しいな。あの熊がこんな可愛らしいお茶会に参加するなんて」

「熊って……騎士団長に失礼ですよ」



 見た目熊なのは間違ってない。が、ここは外。誰の耳があるか分からない。



「事実だろう。メイだって熊だって思ってるだろう」

「……はい」



 違うと言えば何に見えると問われ、同じ答えしか返せない。一見正反対な騎士団長とアタナシウスは、ああ見えて友人だとか。騎士達の鍛錬に偶に付き合う際、二人練習をするが鍛錬場が半壊するから止めてほしいと騎士達はいつも泣いている。



「皇太子はいつ来るんだか」

「皇太子殿下が私との婚約に拘る理由を考えてみたのですが」

「どう思うんだ?」

「シルバニア家の後ろ盾が欲しいか、不老になりたいから、としか浮かびません」

「は、はは! メイはそう思うか。良いんじゃないのか、それで。今日会ったってまともな理由さえ言えないだろうよ」

「何故ですか?」



 訊ねてもティミトリスは妖しく笑ってメアリーの頭を撫でるだけ。一人楽しそうなティミトリスの意地悪は、事実を知りたいメアリーからすると不満が溜まる一方。

 ティラミスを持ったまま、ティミトリスの側を離れた。追い掛けて来ないのを見る辺り、メアリー一人でも問題ないと判断されたのだ。



「パパ様もだけど、お父様はもっと意地悪だわ」



 大好きなのは変わりなくても過ぎた意地悪は頂けない。メアリーが怒っても可愛いと顔が緩むだけで効果なし。

 ティラミスを一口食べようと口に入れ掛けた時、横から声を掛けられた。またティラミスを食べる邪魔をされたと若干苛立ちを感じつつも、振り向くと先程アタナシウスに言い負かされた挙句ホワイトゲート公爵夫人に叱責されたマーガレットが数人の令嬢を引き連れてメアリーの前に。

 面倒な人が来たと抱くも顔には出さなかった。令嬢としての仮面をつけ、彼女達と向かい合った。



「楽しんでいらっしゃる? メアリー様」

「はい、とっても」

「それは良かったわ。勇気を出してメアリー様を招待して良かった」

「ええ! あのシルバニア公爵様達を見られるなんて幸運ですわ」

「メアリー様がいないと基本的に公爵様達とは会えませんもの」

「……」



 マーガレットの言葉に続き、周囲の令嬢達が紡ぐのはティミトリスとアタナシウス。メアリーのおまけ扱いは今に始まった事じゃなくても極めて不愉快。マーガレットの空色の瞳がメアリーを馬鹿にするように見つめていた。

 ふんわりとした金髪に庇護欲がそそられる愛らしい顔立ちと美しい空色の瞳。ミカエリスの好みの女性は知らなくても、どの男性でも守ってあげたくなる可憐な容姿は同性さえも味方にしてしまう。取り巻きの令嬢を引き連れてやって来たのは、側にティミトリスとアタナシウスがいないからだ。あの二人がいたら絶対に来なかっただろう。



「別の場所も見学したいので私はこの辺で――」

「まあメアリー様。そう急がずとも花は逃げませんわ」

「そうですわ。それともメアリー様は、わたくし共のような者の相手をしたくないのかしら?」

「……いえ、そういう訳では」

「だったら良いではありませんか。私、よくミカからメアリー様の話を聞いていたので聞きたい事が沢山あるんです」



 碌な事を言ってないだろう。

「ねえ、メアリー様」マーガレットの声色が一段と低くなった。



「ミカが贈ったドレスや宝石を捨てているのは本当ですか?」



 マーガレットの疑いに満ちた瞳は裏腹に、声は事実と言わんばかりの色をしていた。ミカエリスからのドレス? 宝石? 贈られた覚えがない。屋敷にメアリー宛の荷物が届く際、必ず執事の検閲が入り、次に父親達の検閲が入る。合格を貰えた物だけメアリーの手元に届く。贈り主が皇帝だろうが祖父母だろうが例外なく検閲をするが、気に食わなくても本人の許可無しに捨てられた物はない。



(いくら私が嫌いだからって、恋人に嘘を吹き込むなんて……)



 ミカエリスに期待していた最初の時を除いても、個人としては兎も角、皇太子としては尊敬している。皇帝と共に帝国の発展に尽くし、自然災害で被害が甚大な村や街があれば過酷な道程であろうと自分の目で視察をし、復興に力を注ぐ。学院でも平民の生徒が通いやすいよう、自分が先頭になって生徒達を率いていた姿を何度も見た。

 マーガレットが確証もなく訊ねているとは考え難い。経緯はどうであれ、ミカエリスが零したのは事実。


 マーガレットの発言で周囲の令嬢の声が大きくなるもメアリーは怖じけず、真っ直ぐマーガレットから目を逸らさず発した。



「捨てていません。そもそも、届いてすらいませんわ、皇太子殿下からのプレゼントなんて。それこそ、婚約の結ばれた最初の誕生日にさえプレゼントは頂いておりません」



 いつも誕生日プレゼントをくれるのは父親コンビと隠居生活を送る祖父母。皇帝からもあった。ミカエリスからはない。メッセージカードすらない。期待していた最初でそうなのだから、後の年はミカエリスに何の期待もしなかった。皇帝からは毎年届く上にメアリーの好きな物ばかりだったから不満はなかった。



「メアリー様。ご自分がシルバニア家の娘だからって傲慢過ぎではありませんか? ミカは毎年、メアリー様の誕生日が近付くと少ない時間を使ってプレゼント選びをしていたのに」

「聞きますがホワイトゲート嬢が知っているのは何故ですか? 殿下に聞いたのですか?」

「私はミカと昔から一緒にいる幼馴染だから、皇居へは好きに行っていいの。遊びに行った日に女性物のプレゼントを前にしているミカを何度も見ているもの」

「幼馴染といえど、限度があるのでは? お互いがどう思っていようが私と皇太子殿下は、お父様とパパ様、皇帝陛下によって認められた正式な婚約者です。幼馴染でしかないホワイトゲート嬢は下がるべきでは?」

「なんですって!?」



 今まで言わなかっただけで本来なら、もっと最初の頃に伝えておいた方が良かった。マーガレットは、二人の婚約が正式に解消されない限り、ただの幼馴染。部外者だ。

 事実を突き付けただけで過剰に反応し、顔を赤くするのは今日で二度目。悔しげに顔を歪めたマーガレットは口を大きく開いた。

 周囲にはいつの間にか人は居なくっていた。最初からマーガレットが人払いしていた。

 お父様とパパ様が来ない辺り、来なくても大丈夫だと置かれているのだ。だが、マーガレットがこれ以上の行動に出れば二人は相手が何だろうが容赦はしない。



「ミカからの好意を踏み躙っている挙句、シルバニア公爵様達に我儘放題のあなたなんかより、私の方が何倍もミカを愛してるの! 私の方が皇太子妃に相応しいんだから!」



 皇帝が不老の血が皇族に流れる事に反対していると知るのはどれくらいの貴族か今度聞こう。



「ええ、そうですわ! マーガレット様が皇太子妃に相応しいですわ!」

「一人じゃ何も出来ないくせに。シルバニア公爵様達が助けに来るのを待っているみたいですが、他の方々は違う場所に移動している頃なので誰も来ませんわ!」



 一人の令嬢が手を前に突き出した格好で近付く。咄嗟にメアリーは左に避けた。令嬢は派手に転んだ。今日の為に準備したドレスも顔も台無しだ。



「これ以上私に危害を加えるなら、あなた達全員の家に抗議の文を送らせていただきます」

「引き篭もりのメアリー様がわたくし達を知っている筈が……」

「レディ・アルビノーニ嬢、カゼラート嬢、カステッリーット嬢、チェステ嬢ですよね? 貴族名簿は覚えるように教え込まれましたので全員の顔と名前は覚えていますわ」



 守られてばかりのシルバニアの娘と周囲に馬鹿にされるのは屈辱で、同時に悔しかった。

 周辺国と良好な関係を築けているのも祖父や父親達の存在が極めて大きい。存在が抑止力となる偉大な彼等の少しでも良いから役に立ちたくて、必要な知識は全て頭に叩き込んだ。振る舞いも全身が筋肉痛になろうが目の下に隈が現れようがお構いなしに覚えた。

 やりすぎると途中でティミトリスとアタナシウスからの強制休養が待ち構え、数ヶ月は何も出来なくなったので以後は程々にした。


 顔を知られているとは予想していなかった令嬢達の顔が青褪めていく。

 一人強気な態度を崩さない彼女へ目をやった。



「あなたも例外ではありません、ホワイトゲート嬢」

「っ……!」



 綺麗な空色の瞳から透明な雫が沢山流れ落ちていく。悔しげに駆け出したと思いきや……



「ミカ――!」



 マーガレットは漸く到着したミカエリスに抱きついた。

 突然の事で困惑しているミカエリスだが、メアリーの姿を捉えた途端険しい顔付きとなった。



「……はあ……」



 メアリーは隠そうともせず、堂々と溜め息を吐いた。

 こっそり吐いたって耳が鋭いミカエリスには届く。なら、堂々と吐いてしまえと。

 マーガレットが泣いているのを自分のせいにされるのだろうと諦めに入った。



「メアリー」



 マーガレットを連れたミカエリスが開口一番放ったのは――



「そのドレスはなんだ?」



 予想外にもドレスだった。



「? パパ様とお父様が用意してくださいました」

「っ」

「?」



 先日のお茶会もだが、ドレスを贈った相手を正直に話すだけで睨まれる。

 ミカエリスのティミトリスとアタナシウスを嫌う感情は並大抵ではないようだ。


 先日のお茶会でもそうだがドレスを気にするミカエリスの真意が読めない。前回は婚約者とのお茶会だったから自分の色をしたドレスを着てこなかったメアリーを気に食わなかったのだろうが、今回はホワイトゲート公爵夫人主催のお茶会だ。彼の色をしたドレスを着なくても問題ない。

 険しい顔つきで睨んでくるミカエリスと向き合う。



「前の時もそうですが私がどんなドレスを着ようが殿下には関係ないではありませんか」

「ないわけあるか。君は俺の婚約者なんだぞ」

「ですが、今回は殿下には関係なく」

「……」



 関係ないと言われるとミカエリスもそれ以上は言えず。腕に抱き付くマーガレットが何か言いたげな視線をミカエリスに寄越しているが、向けないでメアリーから逸らさない。



「第一、殿下にドレスがどうだのと言われたくありません。婚約者と言うのならば、一度でも私に贈り物をしてから言ってください」

「な……」



 どうして驚くのか?

 最初は期待していたメアリーでも、その最初で相手にされなければ以降は期待を抱かない。婚約者に愛されなくても絶対の愛をくれる大好きなお父様とパパ様がいれば十分だ。皇帝も何れ義娘……というより、親戚のおじさんのようにメアリーと接する。ミカエリスの態度があんまりでも気にしなかったのはここが大きい。メアリーの言葉に絶句するミカエリスに首を傾げた。



「ま……待ってくれっ。そんな筈はない。俺は何度も君に贈っている。贈っても使わない、返事も寄越さないのは君じゃないか」



 青褪めた顔で話すミカエリスの声は嘘を吐いている人間の色ではない。事実を言っているのなら疑問が浮かぶ。ミカエリスの贈るプレゼントが何故メアリーに届かないのか。顎に人差し指を当ててメアリーは思案し、ちらっとマーガレットを一瞥してミカエリスと向き合う。



「……ホワイトゲート嬢と間違っていませんか?」

「なっ! 君は俺が相手を間違えて贈り物を贈ったと言うのか!?」



 事実、社交界ではマーガレットが身に付けるドレスや装飾品はミカエリスが贈った物だと囁かれている。引き篭もり同然の生活をしているメアリーですら耳に入るのだ。彼が知らないのは有り得ない。ただ、ミカエリスの様子を見るにマーガレットに贈り物をしているのは事実だろう。顔を赤くして怒気の籠った金色の瞳で射抜かれる。



「酷いですわメアリー様! ミカの気持ちを踏み躙った挙句、ミカが悪いみたいに言うなんて」



 先程から黙っていたマーガレットがここぞと言わんばかりに声を上げた。周囲の令嬢達もうんうんと頷く。



「事実、私は殿下から贈り物を頂いた事は一度もありません。皇族からのプレゼントは常に皇帝陛下から贈られていましたので」

「それはつまり……俺の贈った物が父上の名義で贈られていた、ということか?」

「いいえ。後日、皇帝陛下にお礼の手紙を出すとお父様かパパ様が返事を持って帰るのでそれはありません」

「では……本当に俺の贈った物は、君に届いていなかったというのか」



 ミカエリスの青い顔は益々酷くなる。メアリーに当たりがキツいのは何となく察した。贈ったプレゼントの話題を全く出さない上、一切使用しない婚約者に不信感を募らせるのは仕方がない。別の問題が浮上した。ミカエリスの用意したメアリーへのプレゼントが何処へいったのかだ。

 最初の態度から嫌われていると察し、好かれなくても自分さえ我慢すれば良いと思い込んでいた。現にミカエリスはマーガレットには優しげに声をかけ、親しげに瞳を細める。メアリーには険しい表情と短い会話だけ。態度から既に拒絶体勢に入られれば、父親達から溢れんばかりの愛情を一身に注がれ育ったメアリーは対処法が分からず――気にしなければいいという考えに至った。

 実際、憂鬱だったり、不快な思いを抱いた事は何度もあるがミカエリスに特別な感情を抱かなかったのでマーガレットと何をしようが気にならなかった。


 心配げにミカエリスに触れるマーガレットが空色の瞳を鋭くしてメアリーを睨んだ。



「メアリー様。正直に言ってください」

「何をですか?」

「本当は届いていたのでしょう? 届いていながら、ミカの気を引く為に嘘を言っているのではなくて?」

「嘘は言っていません。必要がありません。

 私は殿下を慕っていませんから」



 特別慕う異性はいない。尊敬している人はいる。

 メアリーがミカエリスを心の底から慕い、愛していたら、自分への仕打ちに毎日涙を流し枕を濡らしていただろう。が、理想の男性像がお父様とパパ様なせいでミカエリスが特別魅力的だと抱かなかった。



「……」



 顔から完全に感情が削げ落ちたミカエリスは呆然とメアリーを見やる。周囲の令嬢達は声を潜め、何事かを囁きあっているが内容は大体把握済みだ。マーガレットは「ミカ!」と声を掛けるも反応されず、一層敵意の込められた瞳でメアリーを睨んだ。



「シルバニア家の娘だからっていい加減になさっては!? 身分では皇太子であるミカが上なのよ!?」


「はい、そこまで」



 場に似合わない穏やかな声色が飛びかかって来る寸前のマーガレットの怒声を遮った。見ると途中騎士団長と消えたアタナシウスが微笑みを湛えながらメアリーの側に立った。温かくて大きな手に頭を撫でられ、気を張っていた体から力が抜けていく。顔が緩んでしまう。



「さっきからずっと見ていたけど言いたい放題だねマーガレット嬢。君が皇太子に懸想しているのは知っているけれど間違ってはいけないよ。確かに身分で言えば皇族が上だ。けどね、帝国は僕たちをこの国に留めさせる為には何だってするよ。例えば……メアリーにとって害でしかない君を殺せと僕たちが言えば、簡単に殺せるんだよ?」

「な……! な、そんなこと、できるわけがっ」

「出来るよ。まあ、僕やティッティが殺してもいいけどね。ホワイトゲート公爵家の娘である君を殺したところで帝国は僕たちを罰せない。シルバニアという存在自体が周辺国への抑止力となっているし、帝国の安全にも関わっている」



 帝国全土に貼られている結界の術式展開と定期的魔力供給、更に強度を高める結界の向上は現シルバニア公爵であるアタナシウスとティミトリスの役割。本来であれば、数百人以上の魔法使いが必要になる結界魔法をたった二人で管理している。二人の人外級の魔力でなければ不可能だが、その上をいく祖父は一人で管理していた。帝国を出て行かないのは祖父が帝国を気に入っているからである。これだけだ。

 当然シルバニア家が出て行けば、結界を維持可能な者はおらず、忽ち魔物の侵入や帝国の力を欲する周辺国が攻め入るだろう。



「君が帝国を滅ぼしたいのなら、僕たちは今すぐに出て行ってもいいんだよ?」

「そ、そ、んな……わ、私は……」



 美しいと評されるアタナシウスの微笑みを向けられて赤面する女性は数多くいるが、青褪めていく女性はほぼいない。自分の言葉や態度でシルバニア家が帝国を出て行ったらタダでは済まない。震え出し倒れかけたマーガレットを呆然としていたミカエリスが咄嗟に受け止めた。



(これが私なら避けられそう……)



 ドレスがどうの、贈り物がどうの、と言う割にやはりミカエリスにとって大事なのはマーガレット。メアリーとの婚約解消を拒むのも自分の為。

 ひよこ豆程度の期待もしなくて良かった。ほんのちょっとでも期待すると気分の落ち込みが激しいのは自分でよく知っている。

「メイ」と大好きなパパ様に呼ばれてメアリーは顔を上げた。



「皇太子の贈り物の件。僕も聞いていたんだけど」

「届いていませんよね?」

「うん、届いてないよ。まあ、メイに選ばれないものなんて必要ないからね。届いていても使わなかったでしょう?」

「いえ……それはないです。ちゃんとお礼の手紙を送りましたし、殿下に会う時には使用しますよ」

「ふ、ふふ……そうなんだ。メイは律儀だね」

「当然かと思いますが……」



 アタナシウスがこう言うのだから、現実ミカエリスからの贈り物はシルバニア家には届いていない。ならば、彼の贈り物は何処へ行ったのか? と抱くも。ふと、ミカエリスが気になって見てみるとアタナシウスを途轍もない形相で睨みつけていた。メアリーに向けていたものより凶暴さが増している。



「っ、そういうことかっ」

「殿下?」とメアリー。

「気にしないのメイ。さて、皇太子。これで分かっただろう? メアリーは君に期待していない。このまま婚約継続を続ける意味もない。第一、皇帝は不老の血は皇族に必要ないとこの前君に断言したんだ。そこのマーガレット嬢と婚約を結び直すことだ。メアリーを放ってずっっっと仲良くしていたんだ。まさかと思うけど当てつけで仲良くしていたんじゃないだろう?」

「皇太子妃になるのはメアリーだ!」

「はいはい。言っていなさい。帰るよ、メイ」

「は、はい」



 最後、面倒くさげに吐いたアタナシウスや恋人がいる前で堂々と婚約継続を望む言葉を放ったミカエリスに驚きながらもアタナシウスの手を取ったメアリー。瞬間移動テレポートでホワイトゲート公爵家の庭園から、シルバニア公爵家に戻った二人。メアリーはアタナシウスと食堂に向かった。定位置に座ると侍女に甘い飲み物をとアタナシウスが指示を出した。

 侍女が頭を下げて出て行くとメアリーは「パパ様」と呼んだ。



「お父様は?」

「その内戻るよ」

「どこから聞いていたのですか?」

「最初から」



 途中、止めなかったのはマーガレット達がメアリーに危害を加えなかった事とミカエリスとのやり取りを聞きたかった為。



「お父様にも言いましたがやっぱり殿下が私との婚約継続を望む理由が分かりませんでした」

「はは。じゃあ、そのままでも良いじゃないか。メイは分からなくて困るの?」

「それ程ではありませんが……。不老の血が欲しい……とは思えませんでしたが、後ろ盾欲しさだったのでしょうか?」

「違うよ。他には?」

「うーん……」



 問われて首を捻る。マーガレットとの仲を隠す為? なわけない。公式の場で堂々と仲睦まじい光景を何人もの貴族が見ている。マーガレットを嫉妬させる為? なわけない。相思相愛で他人が入る隙間もない。仮にそうだとしても好意的に接するのが普通なのに、ミカエリスは最初からメアリーに対し良好な関係を築こうという態度ではなかった。

 幾ら考えを巡らせても答えは見つからない。溜め息を吐いたメアリーにアタナシウスは苦笑した。



「そう気にしないの。明日、皇帝にメイと皇太子の婚約を白紙にするよう言いに行くから」

「また殿下が粘るのでは?」

「気持ちを折られたから、もう拘る真似はしないだろうさ」



 面白おかしく笑うアタナシウス。



 ――結局、ミカエリスの真意は謎のままに二人の婚約は解消された。最後までミカエリスが反対したとお父様ことティミトリスは話す。次の婚約者にマーガレットが持ち上がるが皇太子妃教育の出来次第だとティミトリスは言う。


 眠るメアリーの髪を撫でながら不意に笑ったアタナシウスを不気味だと指摘したティミトリス。拗ねた面持ちをしたアタナシウスは「しょうがないでしょう」と紡ぐ。



「メイの皇太子への無関心ぶりが面白くて意地悪を言ったんだ」

「お前や俺がメイへの贈り物を捨ててるとか言われたあれか」



 謁見の間で婚約解消の決定を告げられた時、ミカエリスが二人を詰った。

 アタナシウスは事実を言った。



「夜会やパーティーに出席するドレス類は届いていたのは事実だ。毎回メイに選ばせて選ばれなかっただけ。でも、他の場所では着ていると教えても良かったかな?」



 他の場所とは祖父母に会う時である。



「知るかよ。つうか、その他の贈り物とやらは何処へ行ったんだ?」

「どうも、皇太子の世話をする侍女の中にはマーガレット嬢贔屓の子がいるみたいで。その子がメアリーへの贈り物を密かに懐に入れていたみたい」

「皇太子は知ってるのか?」

「皇帝には知らせてあげたよ。処分はお任せだ。皇太子は……どうだろうね? 贈った割に感想を聞かなかった彼の自業自得だ。メアリーからの言葉を待っているようじゃまだまだだよ」



 メアリーの好みの男性が二人の父親だと告げられたミカエリスは大変なショックを受けたと共に、自分の事など眼中にないメアリーを絶対に好きになんてなるかと心に決めた。実際は年齢を重ねていくにつれメアリーは美しくなっていき、惹かれていった。気を引きたくて贈ったプレゼントが侍女の横流しと何も知らないメアリーに選ばれなかったせいで全く気付いて貰えず。気を引き作戦が別の女性と懇意にする様子を見せ付けるのに変わってもメアリーは振り向かなかった。

 婚約解消になっても諦める気配のないミカエリスに呆れていた皇帝だったが、時間の問題だろうと零していた。


 ミカエリスの真意を知らない、知ってもそれがどうしたと切り捨てるであろうアタナシウスとティミトリスは愛しい娘の寝顔に頬を綻ばせたのであった。




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