第20話 悪徳の町・ラムラムにおける優しさとは……

――――奴隷市



 白い石畳が広がる広場……ここはエイラちゃんが処刑された場所。

 広場中央より少し奥に舞台があり、そこで奴隷たちが立たされ客たちから吟味される。


 その客たちは、左右と舞台正面に建っている上層階に備え付けられたバルコニーにいた。

 仮に奴隷が暴れても、客たちには絶対に危害が及ばない。

 安全が約束された場所から、客たちはオペラグラスを片手に商品を選ぶ。


 今日の商品には大人の奴隷も混じっているので、警備はいつもより厳重。

 私は売られていく大人や子どもの奴隷を舞台袖から見つめる。

 私の役目は万が一奴隷が逃亡したり、反抗を試みた時に取り押さえる役目。

 ですが、この警備を任されて二か月、そのような存在はいませんでした。

 

 奴隷の誰もが諦めているのでしょう。かつての私と同じように……。


 バルコニーからは数字たちが舞い降りて、次々に奴隷たちは競り落とされていく。

 その姿に心は痛む。でも、これはツツクラ様が望むこと。仕方のないこと。

 そして、この痛みは数をこなすことで少しずつ消えていく。

 やがては、何も感じなくなってしまうのでしょう。



 代わりに、嫌らしく吐き気の覚える感情が心に宿る。

 それは――安心感と優越感……。


 私の立場はツツクラ様のモノ。過ちを犯せば厳しい罰を受けることもありますが、大きな失態を犯さない限り、激しい暴力に晒されることもなく、命を奪われることはない。

 一方、彼らの今後はわからない。

 どことも知れぬ人たちに売られ、一体どのような扱いを受けるのか?


 そこに生じる安心感。そして、彼らよりも安全であるという優越感。

 それが気持ち悪い。抱いてはならない感情なのに、私の心を侵食していく。

 唾棄すべき感情なのに、この感情を心地良く感じて、身を委ねそうになる。



 同じ警備の人たちの中には、その思いを隠そうともせずに、奴隷たちとは違う安全な自分の姿に酔う人たちもいます。


 ですが……結局は何も変わらない。


 私たちの身も、何かの拍子であっさり変わる立場。

 だから、心地良さに酔うのは危険。


 そう、この感情は嫌悪感を覚える以上に危険な感情。

 身を委ねれば、自分の立場を勘違いし始めて、惨たらしく命を失う。

 エバさんのように……。


 私は上を見上げて、バルコニーから身を乗り出して競りに興奮する客を見つめます。

 あの方々も、安全から生じる優越感に浸っているのでしょう。

 だけど、中身は私たちとは違う。彼らは本当に安全なのです。


 視線を戻し、同僚を見ます。

 自分たちも安全な場所にいると勘違いをして、優越感に酔う彼らの姿を金色の瞳に宿し、私は心の中で膨れ上がる危険な感情に蓋をします。


 そして、役目に集中して、今日もまた慣れという経験で心の痛みを薄めていくのでした。



――廊下・昼下がり


 奴隷市は滞りなく終わり、朝早くから不届き者の捜索せいで手付かずだった事務仕事へ向かいます。

 その途中で、主任のラスティさんと新人の事務員さんを見かけました。

 新人さんはもちろん人間族です。事務方で人間以外の種族は私しかいません。

 二人に声を掛けます。



「ラスティさん、こんにちは」

「あ、ルーレン」

「申し訳ありません。今日の事務仕事を押し付けてしまった」

「いいよいいよ、気にしないで。ルーレンは複数の仕事を兼任してるからね」


 そう言って、ラスティさんは笑顔を見せますが、以前のラスティさんの笑顔よりもぎこちないです。

 その理由は、私を怖がっているからでしょう。

 彼女は戦士としての私の姿を何度か見ています。


 容赦なく不届き者を斧で消し飛ばし、大量の血の海に佇む私の姿を……。

 彼女は以前のような言葉遣い、以前のような態度を崩してはいませんが、心の中ではもう変わっている。

 私が危険で、怖い存在だと認識している。



 もう、以前のような関係には戻れない―――――それはラスティさんを慕い、友人のような関係のことでしょうか?


 フフ、いいえ違います。もとより私たちはそんな関係ではありません。

 彼女は私を利用して出世した。私の身が危険に晒されることを承知で。

 ですが、彼女はもうそのようなことをしない。


 肩書きはラスティさんの方が上ですが、立場は逆転しました。

 彼女は私を恐れ、罠に嵌めようなんて考えない。

 行えば、暴力による無残な最期が約束されているから。


 

 私はそのような思いを決してあらわさずに、以前の私のようにお礼を渡しします。

「お気遣いありがとうござます。ラスティさん」


 ラスティさんは手を軽く振って返し、気にしないでとアピールをした。

 すると、彼女の隣にいる新人さんが声を上げる。

 それは実に愚かな声。


「ラスティさ~ん、なんでドワーフの子どもが副主任なんですかぁ? 戦士ごっこにかまけてて事務仕事なんてほとんどしてないのに~」

「ちょっとやめなさい。ルーレンはとても優秀なんだよ。今は戦士業が忙しくてあまり顔を出せてないから、あなたはよく知らないんだろうけど」

「ええ~、ほんとですか~? でもでも、ラスティさんの方が凄いんでしょう。だって、主任さんですし~」


 彼女は主任であるラスティさんに取り入って、自分の立場を確保しようとしているようです。

 そのために、私という存在をダシにしようとしたのでしょう。

 そこにはドワーフに対する差別感情も見え隠れします……以前の私ならば、愛想笑いを浮かべて何も言わなかった。

 ですが、それでは駄目なのです。このラムラムという町では。



 私は新人さんに声を掛けます。とても低い声で。


「あなたは、私に不満があるのでしょうか?」

「え?」

「私の仕事に、不満があるのかと尋ねたんです?」

「えっと……」


 私は新人さんへ詰め寄ります。それをラスティさんが庇うように前に立ち、止めに入ろうとしますが……。

「ルーレン、この子はまだ来たばかりでよくわかってないから」

「だからこそですよ、ラスティさん。最初が肝心です。勘違いが大きくならないうちに、芽を摘んでおかないと」



 ラスティさんを押し退けて、新人さんの腹部を殴りました

 すると、彼女はみっともない声で鳴いて、その場でうずくまります。

「ひぐっ!」

「私が子どもであってもドワーフであっても、あなたより立場は上なんですよ。もちろん力も」

 彼女の髪を引っ張り上げて、無理やりこちらへ顔を向けさせます。

 

「痛い、やめて!」

「やめてください、ではありませんか?」

「は、はい、やめて、ください……」

「素直で良いですね。いいですか、よく聞きなさい。あまり生意気な真似をすると、この髪を全部毟り取りますからね」

「ひぃ、す、すみません!」


 私は髪から手を放し、小さなため息を漏らします。

「はぁ、もう行って。私はラスティさんと話がありますから」

「はい……それじゃ」

「ああ、そうだ。次は、忠告じゃ済みませんからね。斧で寸刻みにしてあげます。なかなか死ねないように、ゆっくりと」

「は、はい、もう失礼な真似はしませんからぁ~」


 涙目になって新人さんは声を震わせています。

 脅しはしっかり効いたようです。

「じゃ、行ってください」

「は、はい、失礼します!」



 新人さんは何度も足を絡めて転びながらも、事務室へと向かって行きました。

 彼女の姿が見えなくなったところで、ラスティさんが声を掛けてきます。


「やり過ぎじゃない?」

「あれくらいしておいた方が彼女のためですよ。私を見下して調子づいて、仕事に支障が出たらエバさんの二の舞ですから」


「ふふ、なんていうか、不器用な優しさね」

「素直な優しさなんて、ラムラムの町には合いません」

「あはは、それはそうかも」


「ラスティさんはあとで彼女を慰めてあげてくださいね。その方が良いでしょうから」

「ええ、フォローは入れるつもりだけど……良いって?」

「彼女がラスティさんを頼るようになれば、操りやすいでしょう」


「……前言撤回、あなた器用だわ」


「ふふ、ありがとうございます。それに新人さんの言葉通り、最近はあまり事務仕事に顔を出せてませんからね。その分、彼女には雑念を捨てて、しっかり仕事に専念してもらわないと」


「そのために私に傾倒させて、いいように操れるようにしようってわけね。ほんと、器用だわ」

「これくらいできませんと生き残れませんから」

「たしかに……」


「「ふふふふふ」」


 私たちは互いに笑い声を上げました。

 そこに声が飛び込んできます。


「なにやら楽しそうだね、二人とも」

 ツツクラ様です!

 

 私たちは襟を正して頭を下げます。

 ツツクラ様は事務室の方へ顔を向けてから、私たちへ戻しました。


「ルーレン、事務仕事は無しだ。ちょっと来てくれ」

「はい。ラスティさん、申し訳ありません。また、お仕事をお任せすることになります」

「問題ないよ」


 ここでツツクラ様が、にやりとした笑みを見せます。

「フフフ、早速新人をうまく操ってくれよ、ラスティ」

「へ? あ、はい!」


 ラスティさんはぺこりと頭を下げて、事務室へと歩いてきました。

 残った私は、ツツクラ様に話しかけます。


「聞いていたんですね?」

「途中からな。お前も中々小狡こずるくなったな」

「必要なことを行っているだけです」


「言うようにもなった。半年前はどうなるものかと思ったが、戦士稼業もおおむね満足だしな」

「ありがとうございます。あの、それで、何か御用でしょうか?」

「ああ、仕事のことなんだが……ルーレン、お前には辞めてもらうことにした」

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