第10話 もう、壊れている

――事務室



 ツツクラ様がいらっしゃり、朝の挨拶をして、彼女が事務室奥にある広々とした机に座ると仕事が始まります。

 ツツクラ様はずっとこの部屋にいるわけではなく、必要な事務仕事を終えるとどこかへ行ってしまいます。

 また、来ない日もあります。


 今日も午前中には事務仕事を終えて、そのあとは何かの会合に出席して午後に戻ってくる予定です。



 私は私語を一切行わずに、黙々と仕事をこなしていきます。

 書類に書かれているのは大量の数字たち

 すると、主任のエバさんが資料を取りに行く途中で私の背後で止まり、こそりと話しかけてきました。


「この数字は奴隷であるドワーフたちの値段よ。あなたは同胞のドワーフを数字に置き換えて、生き延びてるってわけね」

「――っ!」

 

 エバさんはツツクラ様がご在席しているときは、このような感じで目立たぬように言葉で嫌がらせをしてきます。


 私は数字を見つめます。

 そこにあるのはただの数字ですが、その先にはエバさんの言うとおり、同胞であるドワーフの命があります。


 私は同胞を数字に換算して事務処理を行い、生き延びている。

 それは彼女に言われなくてもわかっている。だけど、言葉として形にされると、やはり心が痛い。


 そして、痛みを覚える自分を恥じる。

 だって、どれだけ恥じようとも、私は生き延びるために同胞を数字として処理しているのだから。


 私は眉をひそめることで痛みを表し、きゅっと奥歯を噛み締めます。

 その姿にエバさんは満足したようで、足取り軽く資料棚へと向かいました。

 


 ずずっとお茶を啜る音が聞こえます。

 音に瞳だけを寄せます。

 ツツクラ様はこちらへ顔を向けて、小さな嘆息を生み呆れるような仕草を見せていました。


 あのご様子だと、エバさんの行いを知っているようですが……今の呆れた仕草は、どちらに向けて行ったのでしょう。

 嫌がらせを行うエバさん? それに立ち向かえない私? あるいは両方?

 なんであれ、ツツクラ様は仕事に支障が出ないかぎり、どうでもいいご様子です。



 午後になり、事務仕事が終わり、鍛練の時間。

 ディケードさんとパーシモンさんに指導をしてもらい、戦士として体力と技を磨いていきます。


 鍛練を終えて、メガネをかけたちょっと痩せ型の戦術官のティンバーさんが、汗だくの私にタオルを渡してくれました。


「お疲れさん。いやぁ、ルーレンはちっちゃいのに頑張るねぇ」

「そ、そんな。私はティンバーさんと違って戦術の素人ですから、こうやって身体を張るしかできませんし」

「そんな風に僕を評価してくれるのはルーレンだけだよ。ここじゃ、戦えない奴はゴミ扱いだしね。はい、そんな可愛いルーレンには飴を上げよう」



 ティンバーさんは胸元のポッケから数個の飴玉を取り出して、私に渡します。

 この方は、鍛練に参加しているときは必ずと言っていいほど、私に飴をくれます。


「ありがとうございます」

「あっはっは、ルーレンは可愛いなぁ。殺された娘を思い出すよ」

 さらりと重い過去を漏らして、頭を優しく撫でてくれました。

 そこにディケードさんとパーシモンさんの声が混ざってきます。


「別にゴミ扱いしているつもりはないがな。お前の戦略には助けられている」

「ああ、そうだぜ。だがまぁ、あんまりなよっちいと、俺らの中じゃ馬鹿にされるからなぁ。自衛くらいはできないとな」


「だからそう思って、来たくもない鍛練場に顔を出してるんだけどね」

「よく言うぜ! ルーレンに会いに来てるだけだろ!! ガハハハ」


 パーシモンさんはティンバーさんの背中を叩き、そのせいでティンバーさんは大きくむせています。

 私はその二人の姿にクスリと笑い声を立てました。

 同時に、心がぐにゃりと捻じ曲がります。



――ここにいる戦士たちは、私の両親の仇。惨たらしく命を奪った人たちの仲間。



 私の両親だけではなく、多くの命をもてあそび、奪い、笑い、今も殺し続けている。

 そんな人たちと一緒に私は笑っている。

 いえ、それどころか奇妙な親しみさえ覚えている。


 これは正しいことなのでしょうか?

 彼らに憎しみを抱き、怨み、復讐を遂げることが正しいことではないでしょうか?

 ですが、私はあの日の夜に憎しみを殺された。


 父と母を殺害した無精ひげを生やした男への恐怖。

 ディケードさんへの畏れ。

 そして、ツツクラ様から与えられた絶望によって……。


 だから、彼らを憎むなんてできない。ただ、嫌悪と湧き上がる吐き気が心を捻じ曲げるだけ。

 心は表情に滲み出て、顔を捻じ曲げようとした。

 私は誰にも悟られないように、汗をぬぐう振りをして顔を隠します。



 するとディケードさんが、パーシモンさんやティンバーさんには聞こえない小声で話しかけてきました。


「余計なことを考えるな。己を壊したくないならな」


 彼はそう言葉を残して、パーシモンさんとティンバーさんを連れて鍛練場から出て行きました。

 一人残された私は、捻じれた心に語り掛けます。


(壊したくない? ううん、すでに壊れていると思う。生きる目的もなく、ただ死を恐れて、同胞を数字に置き換えて、憎むべき相手と笑っている私はもう壊れている……)

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