氷の街と砂の国――全てを凍らせてしまうと虐げられてきた水魔術の使い手ですが、砂の国で水を売ります。

水鳴諒

第1話 水葬樹の上の街



 火櫃の中からバチンと音がした時、ルファは目を覚ました。中に入る焔の魔石の効果が消えて、割れた音だ。まだ眠気が強いけれど、このまま横になっていたら凍死してしまう。早く、火櫃の中の焔の魔石を取り替えなければならない。


「はぁ、今日も寒いなぁ……」


 上半身を起こして、厚手の毛布を手で掴む。彼女のガリガリの細い指が、骨のように見える。ルファは栄養不良からか背も伸びず、体も薄っぺらい。両脚を黒炭色の床につくと、足の裏からひんやりとした温度が伝わってくる。


「冷たっ」


 慌てて靴を手に取り、しっかりと履いて紐を結ぶ。裸足でいたら、家の中だといえども、焔の魔石が一つも燃えていない状況では、すぐに凍傷になってしまう。


 ルファは木でできた、古く四角い火櫃まで歩み寄り、傍らの籠から新しい焔の魔石を取り出した。火櫃の中を見れば、やはり古いものが割れていて、効力を失ってただのひび割れた石になっていた。中に新しい焔の魔石を入れると、少ししてから火櫃の中で、新しい魔石が橙色の光を放ち始める。効果がある焔の魔石が入っていれば、火櫃は部屋全体を暖めてくれるし、お湯を沸かすこともできる。疎まれているルファにも、お情けで焔の魔石は、月に一籠分だけはもらえる。最低限の食料もそうだ。


 彼女の母親が生きていた頃、ルファが十三歳の頃も、既にこのような生活だった。亡くなってから早八年。今年でルファも二十一歳になった。


「いけない、早く街長まちおさ様のところにいかないと……」


 今日は月に一度の、魔石と食料を貰う日だ。だから、門番の仕事の前に行かなければならない。


 ルファはこの凍理とうりの街で、唯一地上に通じる門の前に立つ仕事をしている。侵入者がいないか確認する仕事だ。侵入者なんて来るはずもないのだが。なにせこの街は、水葬樹という巨大な木の上に広がっている街だ。雲の上にあるから、地上なんて見えもしないし、本当にそちらに人間が住んでいるのかも分からない。


 ルファは慌てて銀色の長い髪を梳かした。そして鏡で自分の青い瞳を見る。ルファの顔は母親に似ていて、目がとても大きい。それからシャツを着て、その上に白橡色の外套を羽織った。靴下と手袋も忘れない。首元でしっかりと紐のリボンで留める。この外套もそうだが、死なないための最低限の物品は、ルファにも与えられている。そうでなければ、とっくに凍死か餓死か、両方が原因で、ルファはここにはいないだろう。


 扉の前に立つ。火櫃はそのままだ。なるべく火は絶やさないようにしなければならない。気を抜いてはいけないのがこの街だ。ギギギと扉を開けると、一面には雪に覆われた街の姿があった。ルファの家は、門のすぐそばだから、少し低い場所にある。扉を施錠して、正面の雪段をのぼると、より一層、街の様子がよく見えた。


 鳴き声のような音を立てながら、凍えた風が吹き、一年で雪ではない日の方が少ないこの街を見渡す。屋根の形は全て三角形だ。雪が落ちやすいように造られている。


 ルファは雪を踏み固めて作られた歩道を左に曲がる。街全体に円形の雪道があり、その所々に中央に通じる大きな道に繋がっている。滑らないように気をつけて歩きながら、五分ほど進んだところで、ルファは右に曲がり、街の中央にある 公示塔こうじとうに向かう。焔の魔石や食料は、そこで街長様から配布される。公示塔は、立方体に球体が接合した形をしている。民家ではないから、三角屋根ではない。この街で他に屋根の形が違うのは、雪がどんなに降っても融かすことができる火魔術を使える者が暮らす、彼らを守護する施設だけだ。あそこは立方体の建物だ。


 公示塔の中に入ると、街長様が立っていた。時計を見ると、朝の七時。本来食料の配布は午前十時からだが、ルファだけは朝の八時までに来なければ渡さないと言いつけられている。それは、門番の仕事が八時半からだからという理由だ。


「遅かったな、ルファ」


 鋭い眼差しで、ルファを睨むように、街長のエインス様が彼女を見た。ルファとは違い、暖かそうな毛皮の外套を身に纏っていて、手には杖を持っている。街長には代々火魔術の使い手が選ばれるのだが、あの杖はその力を増幅させるための品だ。


「……申し訳ありません」


 ルファは深々と頭を下げた。時間より早く来たとしても、ルファはいつも怒られる。謝罪し、それ以上怒らせないことが、一番得策だとルファは理解している。


「焔の魔石は一籠分、食料はパンとチーズ、卵だ。水は自分で有り余るほど出せるだろう?」


 俯いたままでルファは小さく頷く。

 ルファは生まれつき、水魔術が使える。そのせいで、ルファが生まれてからは、亡くなった両親も疎まれるようになった。この街では、全ての物を凍り付かせてしまうからと、水魔術を使う者が生まれた時は、忌み子と呼んで皆が嫌う。火魔術が尊ばれるこの街では、うっかりそれを消して台無しにしてしまう可能性を孕んでいる上、寒い中で水魔術を用いて家屋を氷付けにしてしまうような事態を引き起こしかねない水魔術の使い手は忌み嫌われている。


 凍理の街では、火魔術で管理をしている施設の中でだけ、僅かな食料が採れ、家畜も生きていられる。だから火魔術の使い手は、ルファ達が生きるために必要不可欠な存在だ。だが火魔術の使い手よりもめったに生まれてこない水魔術の使い手は、不要もいいところで、数は少ないが、貴重でもなんでもなく、無用の産物扱いだ。


「とっとと門番の仕事に行くがいい。夜中の十二時になるまで、きちんと帰らずそこに立っているように。それがお前にはお似合いだ」

「はい」


 ルファは解放されたことに安堵した。運が悪ければ長々と説教をされ、嫌味を放たれ、その上で仕事に遅れた場合、ルファが悪いことになる。今、水魔術が使えるのはルファしかいないので、門番をしているのもルファだけなのだが、遅れれば街長様に叱られ、次の配給の際の食料を減らされる。


「ありがとうございます」


 籠と食料の袋を手に、ルファは公示塔を後にした。冷たい風がルファの頬を嬲り、髪の毛を乱していく。吹き付けてくる雪に耐えながら、ルファは一度、家へと戻った。


「はぁ……」


 焔の魔石の籠を、火櫃のそばに置く。それから食料庫へ向かい、棚にパンや卵をしまった。水は両手を合わせて広げれば生み出すことができるし、実際に飲み物には困らない。他の人々は、外から持ってきた雪や氷を、焔の魔石で溶かして水や湯に変えることが多い。


「誰も来るわけがないのに、門番をしろというのも……ただの嫌がらせなんだものね……」


 仕事に貴賤はないとは思うルファであっても、単刀直入にそう言われたことがあるから、たまに胸が痛くなる。この街で最も寒い場所に、無意味に一日中立っていることで、ルファをいたぶりたいらしい。ルファの前は母親が、その前は父親が、ルファが生まれたせいで門番をさせられ、酷い寒さの日でも病気の時でも休むことを許されず、流行病をこじらせて亡くなった。きっと己もそうなるのだろうとルファは思っている。


 手袋を填め直して外に出る。雪の降り具合が少しだけ穏やかに変わっていた。今度は雪道を右に歩き、円形に踏み固められた場所から、門へと向かう。高い氷の壁に、木の扉がついていて、ルファはそこから出て、あとは地上に続くという階段を見ていることになる。それが仕事だ。


 扉を開閉して氷の階段の前に立ったルファは、街の土台である水葬樹の幹に沿うように螺旋を描いているという階段を眺める。


「本当に地上はあるのかな?」


 すぐ下に灰色の雲があるから、全く分からない。それに水葬樹というけれど、これが本当に木なのかもルファには不明だ。絵本によれば、地上の国の元々は湖だった場所から巨大な木が生えたという。湖と同じ大きさの幹だと書いてあった。氷の大樹なのだという。


 ――カツン。


 その時、そんな音がした。何事かと思ってまじまじと正面を見ると、また、カツンと音がした。ルファが瞬きをしていると、少しずつその音が近づいてきて、金色の髪と枯草色の衣がルファの視界に入った。


「っ」


 思わず息を呑みながら、階段を上がってきた青年を見据える。狭い街だから住民は皆知っているのだが、金髪の者がそもそも誰もいないし、階段を下からのぼってきたのだから、彼は凍理の街の人間ではない。


「地上の人間……?」


 ルファが呟くと、緩慢な動作で青年が顔を上げた。そしてじっとルファを見ながら数歩進んできて、ルファの正面、階段の一番上に立った。長身で、ルファは見上げる形になる。青年の格好は、凍理の街で過ごすには、すぐに凍死してしまうことが疑えない薄手の服装に見える。


「ここが、《枯呪からのろの街》か?」

「え? ええと……ここは、凍理の街ですが……」


 唐突に話しかけられて、ルファは反射的に答えた。動揺から、心臓の音がドクンドクンと早鐘を打つ。ルファは冷や汗が浮かんできたのを感じながら、青年の緑色の瞳を見る。切れ長の眼差しで、彫りが深い顔立ちだ。


「っく」


 直後、青年が倒れそうになった。慌ててルファは抱き留める。目を伏せている青年の体は冷え切っている。こんなに薄着なのだから、当然だろう。低体温状態に陥っているのだとすぐに分かった。ルファは背後に振り返り、門を見る。ルファの仕事は侵入者を追い返すことだ。だけど倒れてしまった青年をここに放置したら、死んでしまう。街長様に知らせに行っている間にだって、命の灯は消えてしまうかもしれない。


「……」


 ルファは青年を抱き起こし、朦朧とした様子の青年の腕を肩にかけて、門をくぐった。そしてすぐそばにある、自分の家まで連れて帰った。





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