第33話 幸せすぎる恐怖(SIDE:ハロルド)
王都中央時計台から帰った後、ハロルドは自室のソファに座り、長い脚を組んで、青い瞳に憂いを浮かべていた。
――幸せすぎて怖かった。
ソファに深く座り直し、背を預けると、軋んだ音が響く。
正面のテーブルにある燭台の焔をなんとなく見据えてから、ハロルドは双眸を伏せた。
初めはただ、マリアローズを守りたいと思った幼少時。それだけだった。危なっかしい彼女を放っておけないと、庇護欲と友情と、僅かな胸の疼きがごちゃまぜの心で毎日、マリアローズの横にいた。
それが明確に恋に変化したのは、己が十三歳の頃だった。
魔狼の出現に、震えながらも彼女の腕を引いた後、倉庫で彼女はハロルドに腕を確かに回し返してくれた。怖がっているのに、他者を思う優しさが、胸に突き刺さった。だから、これからはもっともっと強くなって、マリアローズを守ろうと決意した。
十六歳から本格的に王太子としての教育を受ける事になったその日は、十四歳になり随分と大人びたマリアローズが見送りに来てくれた。もう暫く会うことが叶わない。それが無性に悲しかった。けれど彼女は、寂しさなんて一切感じさせない笑顔で、ハロルドを送り出した。それに傷ついている自分に、すぐにハロルドは気づいた。
そして母にいつか、「マリアローズの事が好きなのね」と言われた記憶を想起し、苦笑した。マリアローズは己の継母だ。叶うことなどありえない恋だ。
――忘れよう。
そう決意し、代わりに無心に勉学と鍛錬に励んだ。ただいつもどこかで、強くなればマリアローズを守れると考えていた。
そうして、再会したら、もうダメになった。心のたがが外れてしまったように、ハロルドはマリアローズに惚れ直した。まだあどけなさは抜けないが、大人らしい繊細な美を誇るマリアローズは美しく、流麗な声で、ハロルドに挨拶をした。
あの日も自室に戻り、右手で口元を覆い、自分の中の激情にハロルドは終始困惑していた。共に仕事をするようになれば、平静を保つことに躍起になった。
「……」
ハロルドは、己が猟師になれなかった時の事を思い出す。マリアローズが願った未来を確かに壊した。強くなると言うことは、時に冷酷になることだと、ハロルドは教育された。それが、国のためになる。だが――そんな己を知られたら? 嫌われてしまうだろうか?
ぐるぐるとハロルドは考える。感情と理性が混じり合った脳裏は、非常に騒がしい。
マリアローズのために強くなったはずだというのに、それが理由で嫌われる?
ハロルドは苦しくて、喉で酸素が閊えたようになる。
「マリアローズには、全てを受け入れられたいと想うのは、過ぎた願いか?」
今、幸せすぎて怖い現在を、ハロルドは絶対に手放したくなかった。けれど。
ハロルドはまごうことなき国王だ。そしてマリアローズは今後、その隣に並び立つ。
絶対に守ると誓ってはいる。だが優しく――だから弱い彼女には圧倒的に危機感が足りない。ツキンと頭痛がした。こめかみに触れながら、目を開けたハロルドは、再び正面にある揺らぐ焔を眺める。
彼女の前でだけ、昔のように笑うことが出来る己の事を、滑稽だとハロルドは考える。まるで子供時代に戻ったかのように純粋に、今は忘れてしまったはずだった自然な笑みが浮かんでくる。マリアローズを前にすると、感情が息を吹き返す。
「隠し事をしての婚姻など、誠実ではないな。やはり、俺は伝えるべきだろう。俺という人間が、どのような事を躊躇いなく行っているのかを」
それこそが、マリアローズのためだ。もし、嫌われ、離れられても――マリアローズがそれで幸せならばいいではないか。一人そう考えてから、ハロルドは何気なく焔を吹き消した。
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