第30話 宰相閣下の歓喜


 確認し合った翌日――二人はいつもの通り、ハロルドの執務室にいた。

 揃って各々の執務机に向き合い、万年筆を走らせている。


 年末は来年の予算の決定と、今年の収支報告があるため、なにかと多忙だ。現在マリアローズは、午後行われる財務大臣との会議の資料を作っている。ハロルドはその後に行われる文部大臣という新しい役職の侯爵との会談のための資料作りだ。文部大臣は、来秋から開講する王立学院の包括的な管理をする存在だ。


 昼食時は二人とも、侍従に頼んで運んできてもらったスモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチを口に運びながら、書類の最終確認をして過ごした。そして、まずは財務大臣との会議に臨むため、執務室を出る。


 急いで五階の会議室に行くと、恰幅の良い財務大臣が笑顔で出迎えた。彼もまた宰相閣下の派閥の人間だ。その中でも重鎮である。


「今回の議題は、後宮の閉鎖における総経費の削減と、王立学院への支援費とのこと」


 こうして会議が始まった。マリアローズの用意した資料をじっくりと財務大臣が読み込んでいく。マリアローズほど後宮の財政に詳しい者はいないので、その資料の信頼性は非常に高い。熟読した財務大臣は頷いて、頬の肉をたるませて笑う。美食家としても有名だ。


「承知致しました。財務府の総力を挙げて、この通りに致しましょう――しかし、後宮を閉鎖とは。思いきられましたな」

「ああ。俺には不要だからな」

「わしも妻を愛しおりますゆえ、よく分かりますぞ」


 財務大臣はそう述べてから、思い出したように手を叩いた。


「時にマリアローズ様の新しいお部屋は既に選定済みなのですか? 王宮に住まわれるのだと、小耳に挟んでおりますが」

「ええ。ハロルド陛下の隣の隣のお部屋がたまたま空いていたので、そちらへ移動させて頂きます。間のお部屋は、本日改装が終わるのだとか」

「た、たまたま……へ、へぇ。なるほど。そ、そういうこともあるかもしれませんね」


 うんうんと財務大臣が頷くと、ハロルドが頬に朱を差して顔を背けた。マリアローズのはその様子に首を傾げたが、今は会議中なので追求しなかった。


「侍女達はどうするのでございますか?」

「一部の侍女には、そのまま私の部屋付きになってもらって、残りの皆は、配置換えで王宮に務めてもらうことになりました」

「そうですか、それはようございますね」


 そのようにして、財務大臣との会議は和やかに進んでいった。

 それから会議の終了時刻が訪れたので、マリアローズとハロルドは、ほぼ同時に席を立つ。財務大臣に挨拶をしてから、二人は続いての会議へと向かった。六階の奥の会議室へと向かうと、既に文部大臣となったワーク侯爵の姿があった。白い顎髭が印象的な禿頭の老人だ。国内で最も歴史あるワーク侯爵家は、昔から慈善事業に熱心で、特に孤児達に勉学を教えてきた歴史もある。それを見込んでの抜擢だった。


「ようこそおいで下さいましたワーク侯爵」

「お初にお目にかかります、マリアローズ・エルバ・パラセレネと申します」


 頭を下げた二人に、好々爺は喉で笑った。


「これはこれは誠に恐れ多い、陛下達に頭を下げさせてしまうなど、忠実な僕たる侯爵家の恥となる、どうぞ頭をお上げ下され」


 ワーク侯爵の声に、二人は姿勢を正す。

 こうして話し合いが始まった。今度はハロルドが作成した計画書を元に話を進めていく。

ゆっくりと頷きながら聞いていたワーク侯爵は、時折ひげを撫でながら、鋭い質問を挟んだ。それに臆することなく、ハロルドは答えていく。その内に、真剣な二人の討論が始まると、マリアローズは口を挟む事が出来なくなった。難解すぎて、理解するので精一杯だったのである。彼らは初等教育の重要性から、高等教育の必要性まで、理路整然と語り合っていた。


 この日、会議が終わったのは、夜の八時の事だった。


「ああ、疲れましたわね!」


 一度ハロルドの執務室へと戻ったマリアローズは、己の席で両腕を上に上げ、背伸びをした。ハロルドは資料を抽斗にしまいながら、大きく頷き同意を示す。


「明日は午後からだ。午前中はゆっくり休め」

「ええ。明日は遅く起きると決めているのよ」

「俺はいつも通りに起きて、鍛錬をするが」

「鍛錬?」

「剣の腕は、使わないと鈍るからな」


 当然のことのように言うハロルドを漠然と見て、マリアローズは格好いいと思い――それから自分の思考にハッとして赤面し、俯いて誤魔化した。幸い、窓辺のシクラメンを見ていたハロルドに気づかれた様子は無かった。




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