第8話 王宮へ
星都ヒンメルから王都アンビシオンまでは、よく整備された街道を進むことになり、荷馬車や商隊の列、他の旅人達の姿もあった。それまでの田舎道と比べると、とても歩きやすく、周囲の風景を見回す余裕もある。
「ギルベルトは王都から来たんだよね?」
「ああ」
「王都ってどんなところなの?」
歩きながらメリルが問いかけると、ギルベルトが真っ直ぐ前を見て歩きながら、緑色の瞳に考えるような色を宿した。
「貴族の邸宅が多い。ただ、貴族と平民の間に、そこまでの垣根は無い。それはこの国全土でも言えることだが」
「私まだ、貴族様って見た事がないの」
「あまり気にすることはない」
そんな話をしながら歩く内、二人は途中で一つ街を通過してから、すぐに王都アンビシオンの門を視界に捉えた。門番が二人ほど扉の前に立っている。特に交通証などは不要だが、旅人が何名訪れたかと言った管理はしていると、メリルはギルベルトに教わった。
門を抜けた先には、白い石畳の街が広がっていて、突き当たりの少し高い位置に王宮があるのが、メリルにも見えた。王宮の後方や右手には、山へと続く森が広がっている。
いよいよ目的地が近づいてきたので、服の上からメリルは秘宝をギュッと握りしめた。
「不安か?」
「そ、そりゃあ、だって……あそこには国王陛下や王妃陛下がいるのでしょう? 緊張するよ。偉い人なんだから」
「気にすることはないさ」
「ギルベルト……そうは言うけど、どうして貴方はそんなに平然としているの?」
思わずメリルが言うと、ギルベルトは微笑するだけだった。
こうして二人は王宮へと続く坂道を登っていき、王宮の正門――ではなく、右手にあった騎士団の厩がある敷地のはずれの裏門の前に立った。
「ここから入るの?」
「ああ」
鍵を取り出したギルベルトが、門を開ける。
そして堂々と中へと入ると、近くに立っていた騎士が振り返り、最初は目を丸くしてから、呆れたような笑顔を浮かべて頷いた。
「ギル様。思ったよりも早かったですけど、俺は今か今かと待ち構えていたので、とても長い間待っていた気分ですよ」
「キース、客間は用意してくれたか?」
「ええ、ええ。勿論です」
キースと呼ばれた騎士は、黒い短髪をを撫でながら、青い目をメリルに向ける。
「その子が?」
「ああ」
ギルベルトが頷くと、口角を持ち上げてニッとキースが笑う。
「はじめまして。俺はキース。扉の番人にお会いできて光栄だ」
屈んで挨拶をされ、こくこくと慌ててメリルは頷いた。確か星都ヒンメルでギルベルトが手紙を書いていた相手もキースだったなと思い出す。
「お疲れでしょう。まずは客間に」
「ああ、悪いな」
ギルベルトが答えて、メリルを促す。こうしてキースに先導される形で、二人は王宮へと足を踏み入れた。三階に客間があるようで、メリルは豪奢な階段を上ってから、その内の一角へと案内された。キースが鍵を開けて中へと促す。中を見て、メリルは目を丸くした。自分の家の一階と同じくらいの広さが合ったからだ。
「暫くの間は、ここにご滞在を」
キースの言葉に、焦ってメリルは口をパクパクと動かす。信じられなくて、小首を傾げて、引きつった顔で無理矢理笑った。
「こ、ここに?」
するとギルベルトがなんでもない事のように頷く。
「ああ。不便があったら言ってくれ。また後で来る。まずは休むといい」
そう言うとギルベルトが出て行く。
「俺も後でまた来るからね。奥には浴室もあるし、寝室は左の部屋だ。旅疲れをゆっくりとるといいよ。テーブルの上のお茶とかは好きに飲んで良いからね」
キースも笑顔でそう言うと、部屋から出ていった。
残されたメリルは、床に荷物を置きながら、おろおろと周囲を見渡す。
確かに疲れてはいたが、こんなに高級感が漂う部屋にぽつんと残されても戸惑うしかない。恐る恐る窓の前まで進んでみる。下を見れば、鍛錬をする騎士達が見え、遠くを見れば、王都の街並みが広がっていた。
「す、少し眠ろうかな。実際疲れてるし……」
うんうんと頷き、メリルは奥の寝室へと向かった。
細かな刺繍が施された布団を見て、そして首を振った。
「まずい、汚したら怒られそう。先にお風呂に入ろう」
そう決意し、メリルは入浴後に、ベッドに体を預けたのだった。
「――メリル。メリル」
「ん……」
誰かに体を揺り起こされ、薄らとメリルは目を開けた。するとまじまじとこちらを見ているギルベルトがいたので飛び起きた。ぶつかりそうになったが、ギルベルトが避けたので、それは回避された。
「少し一緒に聞いて欲しいことがあるんだ。起こしてしまって悪いが、あちらへ」
そう言ってギルベルトが、視線で居室を示す。そちらには荷物も置きっぱなしだったと気がついて、メリルは立ち上がった。欠伸を堪えながら、ギルベルトについて隣室へと向かう。するとキースが長椅子に座り、紅茶の用意をしていた。ティースタンドには、美味しそうなサンドイッチやスコーンが見える。一気に空腹感を覚えて、メリルの目は輝くようなそれらに釘付けになった。
「座ってくれ」
ギルベルトの言葉で我に返り、メリルはキースの向かいの長椅子の、窓側に座る。するとその隣にギルベルトが腰を下ろした。キースが慣れた手つきで、二人の前にカップをそれぞれ置く。
「食べてもいい?」
メリルが思わず尋ねると、楽しそうな顔で笑ったキースが頷いた。
それを見て満面の笑みを浮かべたメリルは、紅茶はそのままに、サンドイッチに手を伸ばす。ギルベルトはメリルを一瞥すると、いささか申し訳なさそうな顔をした。
「先に食事を手配するべきだったな」
「んっく、あ、え、全然気にしないで!」
「もうすぐ夕食で、この王宮では七時からと決まっているんだ。話が終わったらすぐ運ばせる」
「へ、平気! その時間で大丈夫!」
昼前に到着したのだが、壁際の時計を見れば、まだ夕方の五時前だ。
元気なメリルの声に、キースが吹き出した。
「へぇ。番人様は、想像と違って明るそうだな」
その声にメリルがキースへと視線を向けると、彼はやはりとても楽しそうな顔をしていた。
「古文書によると、扉の番人の、王宮と交流があった最後の者は、とても気難しいと書かれていたんだよ」
「そうなの?」
自分のご先祖様だろうかと考えながら、メリルはもう一口サンドイッチを食べた。
「キース、それで何か分かったのか?」
「ええ、ええ。ギル様に手紙で指示されてから、俺はもうずぅっと、禁書庫に入り浸りで、資料を渉猟しつづけていたからな! 精霊関連の棚は全部見たぞ。本当に俺、頑張ったぞ」
ギルベルトは、キースと同じくらいの歳のようだ。どちらかといえば柔和で物腰が優しいキースと比べると、ギルベルトは野性味を感じさせる。
「まず間違いなく、精霊達の目的――二人を旅路で急襲したという者達の狙いは、秘宝の中の叡火を消すことだろうな」
それまで笑顔だったギルベルトの表情が、不意に真剣なものへと変化した。
キースの表情もまた険しくなる。
その場の空気が重くなったため、もう一つサンドイッチを食べようか思案していたメリルは、取りやめて手を膝の上に置いた。
「火を消すとどうなるんだ?」
鋭い口調で、怜悧な表情のまま、ギルベルトが問いかける。
「古文書によれば、例の――王宮に伝わる始祖王の力を込めた魔法陣が、完全に作動しなくなるようです。そうなれば、こちらはもう、精霊王の封印を解こうとする精霊達を止める術が無くなります。万が一精霊王が復活した場合は、倒すことは不可能です」
真面目な口調に変わったキースに対し、ギルベルトは腕を組んでから嘆息した。
「火を消す方法は?」
「……所持している番人の殺害です。持てる者がいなくなれば、自然と火は消え、秘宝はただの硝子の石ころに変わるそうですから」
その言葉に、ゾクッとして、メリルは思わず両腕で体を抱いた。
つまり、自分が精霊に狙われていたのだと、それも殺されそうになっていたのだと、やっと理解したからだ。これまでは、たまたま出てきたのだろうと漠然と考えていた。しかし違うのだと明確に理解した瞬間だった。
「……ギルベルト様。メリル様にお聞かせして構わなかったのですか?」
伺うようにキースが述べる。するとギルベルトが頷いた。
「ああ。彼女には知る権利があるからな」
それを耳にし、メリルはギルベルトの横顔を見た。もし村に居て、扉から秘宝を取り出さず、家にいたならば――確かにこのような危険には遭わなかっただろう。だが、メリルはここまでやってきた事に後悔はない。ギルベルトを信頼しているからだ。彼が理由なく危険な道に己を引きずり込んだとは思わないし、精霊が出た時は、ギルベルトもまた驚いていたことを思い出す。ただ、ずっと聞きたかったことを、尋ねる機会だと強く感じた。
「ねぇ、あの……どうして、ギルベルトは秘宝を王宮に持ってきたかったの……?」
そもそもの旅の理由。
言えないと言われた事柄であるが、到着した今なら、話してもらえる気がした。
するとメリルへと向き直ったギルベルトが、ゆっくりと頷く。するとギルベルトが語り始めた。
「王族は、創造神でもあった始祖王の末裔だというのは、聞いた事があるか?」
「ええ。有名なお伽噺だし……」
「お伽噺ではなく、事実なんだ。そして人と交わる内、現在の王族の、創造神としての血は薄れている。もうほとんど一般の者と変わらない。即ち、それだけ精霊に対抗する力が薄れたと言うことでもある」
ギルベルトはそう述べると、重く息を吐いた。
「始祖王である創造神は、そうなった場合に備えて、精霊に対抗するために、武器召喚する事が可能かつ、創造神の力を起動した者に再現する魔法陣を遺していた。魔法陣は特定の星の配置の日――星叡の日に、秘宝をその上に置くと魔法が発動する。力を身に宿したい王族がそこの上に立つと、始祖王の力を身に宿すことができ、武器も召喚出来るとされている。今、この国には、それが必要なんだ。だから僕は、秘宝を探していた。そしてこの王宮へと持ち帰りたかったんだ」
真剣な声で語るギルベルトを、メリルはまじまじと見ていた。
話し終えたギルベルトを見て、少しの間考える。多くの人々を守るために、必要だということなのだろうかと、熟考していた。きっとそうだと判断し、大きく頷いてから、メリルは笑顔を浮かべた。
「そうだったのね。私にできる事があるなら、手伝うよ」
するとギルベルトが、虚を突かれた顔をした。
「自分の身が危険に晒されているにも関わらずか?」
「ええ。それに私以外の沢山の人だって、危険なんでしょう? だったら、出来ることはしないとね!」
明るい声で元気よくメリルが述べると、驚いていた顔をしていたギルベルトが、いつになく優しい表情で、口元を綻ばせた。
「ありがとう」
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