第5話 闇青の森と悪意ある精霊


 暫く街道を進むと、鬱蒼と茂る森が見えてきた。右手に坂道があって、その先に森が広がっている。常緑樹が高く伸びている。葉の音が、次第に届き始めた。


「少し険しい道だ。ただ、次の都市に早く到着できるのは間違いない。僕はここを通り抜けたいのが本音だ。どうする?」


 森の入り口にさしかかったところで、ギルベルトが立ち止まった。

 メリルは己に選択権があるとは思っていなかったので、目を丸くしてから、少し嬉しくなって唇の両端を持ち上げる。すると頬もまた、持ち上がった。


「私は、ギルベルトに着いていく」

「そうか。ありがとう」


 凛とした声音でそう述べると、ギルベルトが歩きはじめた。メリルはその後ろに続く。細い道だったので、縦に並んだ。ギルベルトは、メリルがついて歩ける速度で進んでくれる。それがメリルには、どうしようもなく嬉しい。気遣いが格好いいと、ずっと感じている。こんな風にされたら、惚れないなんて無理だと考えている。


 凸凹した木の根が、土の上にあり、とても歩きにくい道だった。

 上を見上げれば、日の光は入ってこない。

 風が通り抜ける度、胸がざわつくようの草木の葉が囀り、メリルは次第に動悸がするようになった。なにか――嫌な気配がする。


 その時だった。

 突如、周囲の木の根や草が、蠢いた。

 ぎょっとしてメリルが硬直すると、ギルベルトが腕を出して、メリルを庇う。


「な、なにこれ!?」

「――草木をこのように操れるのは、精霊だけだ」


 ギルベルトの声が厳しいものに変化している。

 首だけでメリルに振り返ったギルベルトは、まだ動いていない大樹を視線で示す。


「あの木ならば、樹齢が長く、精霊でも操ることが、恐らく出来ない。メリル、あの幹の影に隠れていてくれ」

「わ、わかった……けど、ギルベルト、は?」

「僕は騎士だと言っただろう」


 そういうと、ギルベルトが剣を抜いた。

 細く長い、帯剣していた代物だ。


 いよいよ木の根が、鞭のように襲いかかってきた瞬間、前に出て、斜めに切り裂く形で、ギルベルトが剣を揮った。すると裂けた木の根が落下し、地に落ちると黒い霞のように変わって、宙に溶けるように消失した。


 ギルベルトは、次々と襲いかかってくる木の根や草花を、全て切り裂いていく。

 その速度の速さと、ギルベルトから感じる威圧感に、メリルは息をするのも忘れて、ずっと視線を向けていた。これまで、どちらかといえば柔和な表情ばかりを見てきた。だが今戦っているギルベルトの眼差しや気迫、横顔は、メリルの知らないものだった。


 胸がドクンと鳴り響く。

 自分を守り戦ってくれるギルベルトの事が、心配でたまらない。

 胸が張り裂けそうだった。邪魔になると悪いからと、心の中で、何度も何度も応援し、無事を祈る。


 それから少しして、ギルベルトが全ての敵を倒し終えた。


 安堵したメリルは、気が抜けてしまい、幹に背を預ける。そこへギルベルトが歩みよってきた。


「大丈夫か?」


 まだ真剣な面持ちのギルベルトに問いかけられた瞬間、メリルは己の両手の指先が震えている事に気がついた。ギルベルトの事が心配でそちらに気を取られていたのだが、本能的な恐怖で、俯けば全身が震えている。思わず右手で唇を覆う。正直、怖かった。と、今になって思った。


「ダ、ダメみたい……ね、ねぇ? 今のって、なんなの? さっき、精霊って……?」


 メリルは、『精霊』というものを、民間伝承フォークロアでしか知らない。

 お伽噺としてならば、精霊について聞いた事はあった。

 精霊は、非常に危険な存在だというお伽噺だ。

 元々この国は、精霊王を封印した創造神が、始祖王となって建国されたという伝承だ。精霊について、メリルが持つ知識は、それだけである。


「精霊なんて……お伽噺、じゃ……?」

「いいや、実在する。今、メリルも見ただろう?」


 ギルベルトの真剣な声に、メリルはすくみ上がる。


「精霊は、悪意のある存在だ。人間に敵対的だ。お伽噺の産物なんかじゃない」

「え……」

「昔は、王族とその仲間の術師が、討伐にあたっていた。その彼らが、騎士団を作り、今は騎士と王族が精霊の討伐を行っているんだ。ただし、民衆には知らせていない。混乱が起きるからだ。それに、精霊は基本的には、限られた場所にしか出現しない。なのに、何故ここに……」


 説明する途中から、ギルベルトの声は自問自答するような色を帯びた。

 メリルは怖くなって、両腕で体を抱く。


「とにかく、早くこの森を抜けてしまおう。位置的に、引き返すよりも、進んだ方が、早く森を出られる」


 ギルベルトはそう述べて剣をしまうと、メリルの手を握った。

 その温度と力強さに、頑張って歩こうと考えて、こくこくとメリルは頷く。


 こうして二人は歩きはじめた。

 早足で、ギルベルトに手を引かれるまま、メリルは息をきらしながら進む。

 急いで闇青の森を抜けた二人は、正面にある光が降り注ぐ街道を視界に捉えた時、どちらともなく安堵の息を深く吐いた。


 少し歩くと、街道に繋がる道になり、右手に野宿が可能な場所が見えた。

 右手には、小高い丘の先に、切り立った崖があり、そこに自然の洞窟があったのである。


「あそこは、旅人がよく野宿に使う洞窟だ。今日は、もう休もう」

「ええ……」


 メリルは疲れきっていたので同意した。


 二人で洞窟へと向かう。

 洞窟の前には、開けた場所がある。


「メリル、洞窟の中で、少し先に横になるといい」

「でも……ギルベルトは?」

「僕は火をおこす。それに、疲労も無い」


 そう言うと、やっとギルベルトが、いつもの通りの柔和な表情に戻った。

 それにほっとして、大きく頷いたメリルは、毛布を持って洞窟の中へと入った。

 毛布にくるまりながら、横になって入り口の方を見る。


 火をおこしているギルベルトが見えた。

 端整な顔立ちだなと、ぼんやりと見惚れる。


 たき火が出来て、それからギルベルトが、鍋をかけるのが見えた。

 お湯を沸かしているようだ。

 その傍らで、手際よくキノコを切っている。


 眺めている内に、食欲を誘うよい匂いが漂い始めた。そういえば、まだお昼ご飯も食べていない――と、メリルは考えつつ、気づくと微睡んでいた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る