第3話 一目惚れが契機の旅路へ


 ギルベルトが訪れるようになって、三日目。

 メリルはいつもより早く起きて、普段よりも可愛いと思っている服を着た。ふんわりしたスカートのエプロンドレスだ。ふわふわの巻き毛には、何度も櫛を通して、本日はリボンをつけた。お気に入りの白いリボンだ。お洒落をしてしまうのは、一目見た時から、ギルベルトを格好いいと思っていたからに他ならない。


 扉の鍵の持ち主ということで驚きが先行したが、三日目となった現在、もう扉が開くのは当然のことのように思える。そうなると――ギルベルト本人のことを、どうしても考えてしまう。率直に言って、一目惚れに近い感情を、メリルは抱いていた。最初に見た時から、ギルベルトの風貌が好きだったのである。


「早く来ないかしら」


 そわそわしながらキッチンの椅子に座っていると、本日も午前十時にギルベルトは訪れた。やはり――格好いい。茶色い髪はさらさらで、形の良い緑の瞳が自分に向き、薄い唇を綻ばせて自分を見ているギルベルトは、とても優しそうだ。


「メリル、どうかしたのか?」

「え?」

「僕のことをじっと見ているものだからな」

「あ……ち、違うの! 別に、なんでもないの!」

「そうか? では、今日も扉の調査をさせてもらう」

「はーい」


 こうしてギルベルトは、扉の向こうに姿を消した。扉が閉まったのを見て、メリルは肩を落とす。あまり会話が出来なかったのが寂しい。今日も出てくるのは遅いのだろうかと考える。


「帰り際は、少し話せると良いんだけれど」


 ぽつりとそう零し、メリルはギルベルトが扉から出てくるのを待った。


 ――そんな日々が、一週間も続く頃には、メリルは完全に、ギルベルトにのぼせ上がっていた。雑談をするときに、優しい表情で視線を向けられる度に、胸が疼く。


「メリル」


 この日の帰り際、ギルベルトがメリルの顔をじっと覗き込んだ。長身の彼は屈んでメリルの顔のごく近い距離の場所に、己の顔を近づけている。あまりにも距離が近くて、メリルは真っ赤になって硬直した。ドクンドクンと心音が煩くなる。


「睫毛がついてるぞ」


 ギルベルトはそう述べると、メリルの目元に触れた。

 そういうことかと理解したが、メリルの胸の動悸は収まらない。


 容姿も好きだが、仕草や雰囲気、なにより会話をしている際の優しさが、メリルは好きになった。たとえば趣味の話、好物の話、好きな動物の話。沢山、メリルはギルベルトに問いかけた。話をしていたくてたまらないから、一人の時はずっと、雑談するネタを考えていたのだ。だから今は知っている。ギルベルトの好きな色は、ワインレッド。嫌いな食べ物はピーマン。好きなお菓子はスコーン。


 メリルはワインレッドの服を着る頻度が増えた。

 また、それとなく帰り際に、作りすぎたと述べて、スコーンを渡すようになった。


「おはよう、メリル」


 本日も優しく微笑して、ギルベルトが訪れた。最近は見るだけで緊張してしまうので、コクコクと頷いてから、メリルは用意した雑談ネタを放つ。


「おはよう、ギルベルト。あのね――」

「メリル。先に僕の話を聞いて欲しい。大切な話なんだ」


 しかし真剣な表情に変わったギルベルトに、言葉を遮られた。驚いてギルベルトを見ると怜悧な眼差しをしていて、いつもとは異なる真面目で、どこか緊迫した気配を醸し出していた。


「実は、いつ切り出すか迷っていたんだが」

「うん?」

「――秘宝を扉から出して、移動させたいんだ」

「え?」


 それを聞いて、メリルは驚いた。確かに祖父からも、移動は可能だと聞いていた。


「そのためには、番人である君に秘宝を持ってもらわなければならない。僕では移動できない。そこでメリル。僕と一緒なら扉の中へ入れるだろうから、一緒に来てくれないか? そして秘宝を君が持ち、僕と一緒に王宮まで運んでくれないか?」


 真摯な眼差しで、懇願するように、ギルベルトは語る。

 メリルは思案する。鍵を持っていたとはいえ、本当にギルベルトについていっていいのだろうか? ギルベルトのことは好きだ。だがそれとは別の話だ。


「秘宝は、何に使うの?」

「それは……言えない」

「そう」

「メリル、僕が信じられないか?」


 その時、非常に悲しそうな顔をして、ギルベルトがメリルの頬に右手で触れた。その感触と表情に、メリルはドキリとする。硬直したメリルの唇を、ギルベルトが右手の親指でなぞる。そして小首を傾げ、じっとメリルを見ながら言った。


「僕は、メリルと一緒にいたい」

「!」

「だから一緒に王宮に来て欲しい」


 メリルはギルベルトに頼まれたら、断るなんて無理だと発見した。


「わ、わかったわ! 私、王宮に行く!」


 反射的にメリルは答えていた。本当は、何に使うのかをもっと追求するべきだと思っていたが、恋心に負けてしまった。


 メリルの返事を聞くと、いつも通りの優しい笑みに戻ったギルベルトが、小さく頷き、姿勢を正す。そして顔を扉へと向けた。


「早速行こう」

「え、ええ!」


 頷いてメリルは、歩きはじめたギルベルトに、慌てて追いつく。

 そして、ギルベルトが開けた扉の中に、緊張しながら、飛び込むように進んだ。


 するとそこは、四方がどこまでも拡がっているように見える白い空間で、扉から少し離れた場所に、木の台座と、その上にガラスケースがあるだけの部屋だった。ギルベルトが迷わずその台座に歩み寄り、ガラスケースを開けた。


「見てくれ、これが秘宝だ」


 そこには、銀の鎖と装飾具のついた、不思議な宝石があった。透明にも虹色にも見える宝石だ。そしてその中で、赤い焔が揺らめいている。


「綺麗……」

「――そうだな。その観点は僕には無かったが」

「え?」

「なんでもない。その宝玉の中の火が、番人がそばにいないと消失するそうだ。王宮の古文書にあった」

「そうなの?」

「ああ。だから君にそれを首から提げてもらいたい。そうしたら、旅の準備を」


 ギルベルトの言葉に頷いて、メリルは宝石を手に取った。そして首から提げる。俯いて秘宝を見ると、やはりとても綺麗だった。


 村から出た事も無いし、王宮ということは旅をするのだろうが、無論旅だってした事の無いメリルは、秘宝を見るまでは不安もあった。だが、今その神秘的な秘宝を見た結果、隣の街に行ってみたいという思いはずっとあったのだし、宝玉は自分が持つのだから、盗まれるような心配もなし、これを持って外の世界へ行ってみようと決意した。


 なにより、好きな相手が、一緒に旅をしようと言っている。

 それもまたどうしようもなく嬉しい。


 これが、メリルが外の世界に出る契機となり、より深くギルベルトに片想いをするきっかけともなった。





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