八章 勝利と敗北(4)

 冒険者たちがシュベート城に戻ったころには、すでに陽は沈み空には星が輝いていた。


「静かだな……」


 暗闇の中、単眼鏡でシュベート城を眺めながらケイロスは呟いた。隣で同じように城を眺めていたディノンは頷いた。


 静か、というより襲撃があったというわりに、まったく様子が変わっていない。城壁の上部には篝火が焚かれ、ぼんやりと人影が見えた。外を警戒する様子だったが、殺伐とした感じはない。


 どうする、という問いにケイロスは単眼鏡を目から離し考え込んだ。


「ディノン、カシオ、ついてこい。レミル殿も。ほかはここで城を見張っていろ。なにか異変を感じたら、各々の判断に任せる」


 三人は頷き、ケイロスを先頭に城へと近づいた。城門の手前まで来ると「止まれ!」という声が見張り場から響いた。篝火に照らされた四人を認めて、数人の兵士が城門の潜り戸から現れた。姿勢を正し、敬礼する。


「レミル様。ご無事でしたか」


 ディノンはその兵士たちに見覚えがなかったが、レミルは彼らに頷いた。


「襲撃があったと聞きましたが」


 はい、と頷いた兵士の表情は兜の陰に隠れてうかがえない。ただ、声は緊張しているようだった。


「イワン軍団長が速やかに戻ってきてくださったおかげで、凶賊を撃退することができました」

「軍団長はどちらに?」

「議場におられます」


 どうぞ、と言った兵士にうながされて、ディノンたちは城内に入った。中は妙に閑散としていた。兵士の姿もまばらで、ディノンはそれに疑問を抱いた。


「――やられたな」


 やがて正殿の入り口を目の前にして、ディノンは苦く呟いた。カシオとケイロスも異変に気づいたが、身構えたところでなにもできないことを悟って、あきらめたようにため息をついた。武器を構えた兵士がディノンたちを包囲していた。――いや、彼らは兵士に扮した襲撃者だった。


 その中核と思われる二人組が正殿から出てきた。大小二つの影。一つは狼人族のリバル。もう一つは赤と緑のオッドアイをした魔族娘。


「……レヴァロス」


 ディノンの呟きにカシオとケイロスの表情がさらに険しくなった。


「こいつらが……」


 リバルはディノンを見て苦笑を浮かべた。


「また会ったな。エルフの里襲撃以来か。つくづくお前とは縁がある」

「城を襲撃したのはお前らか?」

「ああ。だが城を守っていた兵士と、あとから戻ってきた兵士は全員無事だ。多少怪我人はいるが、いちおう治療はさせてある。粗末に扱っていないから安心しろ」

「どうやってここを制圧した。兵は相当数いただろ。守備に残した兵士も、戻ってきた兵士も」

「俺たちには三万の仲間がいる。つっても、ほとんどが物資なんかを調達してくれる協力者で、戦える者は一万ほどしかいないが」

「三万?」


 と、ケイロスが声を上げた。


「そんなに大きな組織だったのか」


 ディノンは険しい表情でリバルを見つめ、不意に背後を振り返った。


「――お前も、こいつらの仲間か?」


 そう言ったディノンを、レミルは酷く驚いた顔で見返した。カシオとケイロスも困惑したようにレミルとディノンを交互に見た。


「なにを、言っているんだ? レミルが、レヴァロスの仲間?」


 カシオの言にディノンはレミルを見つめたまま頷いた。


「メイアが気づいたんだ。レミルから氷の精霊の気配がするって……」


 レミルは、はっと左腰に佩びた剣の柄に手をかけた。


「……やはり、それか」


 とたん、剣の形が変わった。氷が解けるように外装が歪み、エルフの里で見た霊剣が姿を現した。


「いつ、気づいたの?」

「メイアから聞かされたのは、城に着いた日の夜だ」


 それは、みなが寝静まったとき。メイアはディノンだけを起こし、人気のない場所に呼び出した。そして彼女の耳飾りに宿った精霊たちが、レミルの腰に佩びた剣に反応していることを語った。――あれは、エルフの里で奪われた霊剣だ、と。


 それを聞いたディノンは酷く取り乱し、本人に確認しようとしたが、メイアが厳しくいさめた。レヴァロスがなにを企んでいるのか明らかにする必要がある。事はディノンだけの問題ではない、エルフの里の、強いては世界の危機に関わってくる大事だと。


 少しだけ冷静になったディノンは、獣魔将との戦いにレミルを連れていこうと考えた。彼女を監視しつつ、レヴァロスがどういった反応をするかたしかめるために。


「まさか、一万を超える戦力でシュベート城を落としてくるとは思わなかった。しかも、立てこもってた廃坑町でエルフが監視していたはずなのに、どうやって抜け出したんだ?」

「それは秘密。長い時間をかけて準備したのに、君に知られたらいろいろ台無しにされそうだし」


 ディノンは、深く息をついた。


「あえて聞く。――なぜこんなことをした?」


 レミルは開きかけた口を一度閉ざし、しばらくして意を決したように言った。


「ディノン君のためだよ」

「俺?」


 レミルは頷いた。


「レヴァロスは、神団が提唱する『魔王は勇者の犠牲によって倒される』という予言に反発している。その勇者に最も近い人物は誰か……」


 ディノンは目を見開いた。


「まさか、俺が?」


 レミルは静かに頷いた。


「なにを根拠に」

「天啓があったんだよ」

「は?」


 レミルは苦笑した。


「本当だよ。神様からそう言われたの。もと神だけど……」

「もと、神?」


 まさか、とディノンの表情が強張った。


「女神エリュヒ?」

「正確には、彼女の身体から生まれた七姉妹の末の妹……。私は、その方の指示でレヴァロスを組織した。ディノン君以外の者に、魔王を倒させるために」


 ディノンの表情がさらに硬くなった。


「おい、ちょっと待て。末の妹って」


 レミルは頷く。


「ディノン君に呪いをかけるのに力を貸してくれた方」

「じゃあ、俺に呪いをかけたのは……」

「――私」


 ディノンは言葉を失った。口を開けたまま呆然と佇む。


「本当、なのか?」


 カシオがたずね、レミルは静かに頷いた。


「なぜだ!」


 カシオが声を荒げた。


「どうしてそこまでする必要がある! その呪いのせいで、ディノンがどれだけ辛い思いをしたか、君は分かっているのか!」


 レミルはカシオを鋭く見返した。


「犠牲になるよりいい」


 カシオは詰まった。レミルは痛みを堪えるように顔をしかめた。


「呪いでディノン君が戦えなくなれば、ディノン君が犠牲になることは無くなる。実際、ディノン君は冒険者を止めて、お爺ちゃんの故郷に帰るはずたった。なのに、こんなところにいるなんて……」


 ディノンは厳しくレミルを見つめながら静かにたずねた。


「エルフの里から霊剣を奪ったのは、魔王を倒すためか?」


 レミルは顔を上げて頷いた。


「そうだよ」

「『魔王は勇者の犠牲によって倒される』『魔王を倒した者が勇者となる』……。これが真実なら、魔王を倒したお前が、その犠牲になるんじゃねぇのか?」

「――その心配はないわ」


 答えたのは魔族娘だった。振り返ると彼女は感情のうかがえない表情で、しかし視線だけは力強く、ディノンをまっすぐ見つめていた。


「私が彼女に指示して、それによって魔王が倒されれば、アースィル神団が提唱する『魔王は勇者の犠牲によって倒される』という予言が違う形になる」

「どうして、お前が指示するだけで予言が変わる?」

「私が魔王になるからよ」


 彼女の言葉にディノンたちは驚愕と怪訝が合わさったような表情で首をかしげた。


「お前が魔王?」


 魔族娘は肩をすくめた。


「まぁ、いきなりそんなこと言われても混乱するわよね。正確には、私は先代の魔王の子孫なの。名前はゼルディア」

「先代の魔王の血筋が生き残っていたのか?」

「ええ。いまの魔王の誅伐から逃げ隠れしながらね。もう、私しかいないけど」


 そう言って薄く笑った彼女の目には、それまでの苦悩が表れたような暗い色が浮かんでいた。


「新魔王ゼルディアの采配で魔王を討つ。すなわち『魔王によって魔王を討つ』……。そうすることで予言を変えることができる。そのために同志を集め、戦力を集めてきた。この城を抑えたのも、ここを拠点に新たな魔王が起ったことを宣言するため。これに呼応する同志をさらに集め、本格的に魔王を討つ」


 そう言ったゼルディアは、訴えるような視線をディノンに向けた。


「私たちに協力してくれないかしら? あなたが魔王を倒す存在だとしても、私たちの仲間に加われば、あなたの運命は変わる。あなたが犠牲になることは無くなる」


 カシオとケイロスはディノンを振り返った。ディノンは複雑な表情でしばらく考え込み、やがて肩をすくめた。


「参ったな。たしかに、あんたらの言うことは理に適ってると思う。だが、すまん、協力はできねぇ」


 ゼルディアの目が険しく、しかし、どこか哀しみの色を滲ませながら細められた。


「悪く思わねぇでくれよ。あんたらの側についちまったら、俺はいろんなものを裏切ることになっちまう。アースィルの信仰や国の威信。霊剣を奪われたエルフ。一緒に戦ってきた多くの仲間。我が身可愛さに、それらを裏切ることなんかできるかよ」

「自分が犠牲になってもいいっていうの?」

「すでに多くの犠牲が出てんだろ。俺だけが免れていいわけがねぇ。多くの裏切りと、自分の命と、どっちを取るかなんか決まってる」


 その言葉にゼルディアは絶句し、リバルも目を伏せた。


 ディノンはレミルを振り返った。


「俺を犠牲にしねぇための行動だってんなら、むしろ俺はお前を止めなきゃならねぇ」


 レミルは悲しそうな表情でディノンを見つめ返したが、やがて目を伏せ、鋭い視線を向けた。


「じゃあ、仕方ないね。ほかの兵士たちと一緒に、君たちを拘束する」


 彼女がそう言った直後、城門のほうが騒がしくなり、怒号のような声が響いてきた。それにレヴァロスたちの意識が向いた一瞬、剣を抜いたケイロスがゼルディアに斬り込んだ。


 リバルがいち早く反応し、腰に手挟んでいた短めの太刀を抜いてケイロスの剣を受けた。


「貴様」

「さすがに反応が早い」


 ケイロスは苦く笑った。リバルはケイロスの剣をはじき返し、踏み込んで太刀を振るった。二、三撃打ち交わして二人は距離を取った。


 ケイロスはかすかに痺れた手で剣の柄を握り直し、苦い表情をする。


「強いな」

「ああ。あんたの歳じゃ十年、いや二十年遅い」


 ディノンの言葉にケイロスはため息をついた。


「歳は取りたくないな、まったく。――それで、これからどうする?」

「多勢に無勢だ。逃げるぞ」

「どうやって?」


 と、剣を抜いたカシオがたずねると、凛とした少女の声が響いた。


「――私たちが援護しよう」


 直後、熱風があたりを包み、炎が燃え上がった。炎は無数の蛇のように宙を踊り、ディノンたちを包囲していたレヴァロスたちを襲った。


 レミルは炎を避けながらゼルディアの近くに駆け寄り、霊剣を鞘から抜いて刃に意識を集中させ襲ってきた炎を斬った。青白く光った刃から冷気が放出され、霜の突風が炎を相殺した。


 顔を上げると笑みを浮かべた若い娘――メイアが立っていた。彼女の右耳の先についた円錐状の耳飾りが赤く光を放っている。彼女の背後にはリーヌが立ち、さらにウリとシェリアが現れ、ディノンたちを守るようにレミルたちの前に立ちはだかった。


「彼女らは、わたしたちがおさえる。きみたちは行け」


 おい、と声を上げたディノンを遮ってメイアは言った。


「この状況を立て直さなければならない。そのためにはきみたち、特にきみの力が必要だ」

「だからって、お前らを置いて行けるか」


 感情的に言ったディノンを、メイアは呆れ気味に見上げた。


「やはり、かなり取り乱しているな……。では、無理やり連れて行かせる」


 は、と振り返る前に、ディノンは後頭部に強い衝撃を受けた。昏倒したディノンを、手刀を作ったタルラが抱きとめた。


「頼むぞ」


 無表情に、しかし、目に哀を含んだ色を湛えながらタルラは頷き、ディノンを担ぎ上げた。困惑したようにこの状況を見守っていたカシオとケイロスも、我に返ったように瞬いてメイアを見た。無言で頷く彼女に険しい表情で頷き返し、タルラとともに駆け出した。これを追おうとしたレヴァロスをウリとシェリアが抑え、リーヌは二人に女神の加護を与えた。メイアも再び魔法を放つ。


 ディノンを担いだタルラを守るように、カシオとケイロスは前を走った。こちらに気づいた敵を斬り伏せ、城門へ向かって駆け抜ける。しかし敵の数は多く、次第に包囲されていった。


「くそっ。切りがない」


 歯噛みしたとき、目の前の敵が薙ぎ払われた。その背後には槍を構えたダイン、さらにルーシラとジュリが複数の冒険者を連れて駆けてきた。


 ルーシラはタルラに担がれているディノンを認めて声を上げた。


「なにがあったの⁉」

「説明はあとだ、すぐに城から離れるぞ」


 言いながらケイロスは城門のほうを見る。騒がしかったのは城外に待機させていた冒険者たちが襲撃したからだった。よく見ると、ソルリアム兵の姿もあった。


「撤収だ。大山脈の野営地まで退く」


 ケイロスの言葉に冒険者たちは頷いて、「退却!」と叫びながら城から飛び出し、そのまま大山脈のほうへと駆けていった。

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