八章 勝利と敗北(2)

 異変に気づいたのは、星の瞬きが薄くなりはじめたころだった。


 今朝は妙に風が強く、陣を構えていた谷底には絶えず強い風が流れ込んできた。その風に乗って、煙と油が燃える異臭が漂ってきた。直後、一人の魔族兵が血相をかいて駆け込んできた。


「報告します! 第二工兵部隊の陣にて襲撃があったもよう……」


 工兵は土木や建築に特化した兵士で、陣営の構築、兵器の工作、罠の処理などを行う。第二工兵部隊は攻城塔や投石機などの攻城兵器を管理する部隊で、その規模は工兵部隊の中では最も大きい。


 攻城兵器は簡単なものであれば現場で材料を集めて作ってしまうが、大掛かりな物は、バラバラにしたものを車や船などで戦場まで運び、組み立てて使う。そのほとんどは木製で、第二工兵部隊の陣営には、まだ作りかけの攻城兵器が密集して置かれていた。敵はそこに油の入った壺を投げつけ、火矢を射かけた。谷底に流れ込んでいた風が炎を勢いづかせ、火災は爆発的に広がった。また、閉鎖的な谷底で煙が充満し、荷や攻城兵器を運ぶ大型の魔獣が炎に驚いて大暴れし混乱を極めた。


 この火災が鎮圧される前に、再び敵の襲撃を受けた。


 今回は三か所で同時に起こり、兵糧が狙われた。前回と同じように油の入った壺が投げつけられ、火矢を射かけられた。やはりここでも炎は勢いよく燃え広がり、兵糧の大半が灰と化した。


 ヴォスキエロ軍は消火活動をするいっぽうで、犯人の捜索を行ったが、周到な敵は痕跡をわずかに残しつつもその姿を一切見せることはなかった。


 そして、空を覆う黒煙の隙間からときおり見える陽が中天に差し掛かる時刻、いまだ燃え続ける火の鎮圧と犯人の捜索で兵力の半分が割かれた状態で、正面から五千の軍勢が攻め込んできた。浮足立っていた前線は消火活動による疲労困憊も相まって瞬く間に蹴散らされた。ヴォスキエロ軍は敵軍を迎撃するため、残った兵力を前方に集中させた。


「罠ですね……」


 獣魔将の隣で濃い青紫色のローブに身を包んだ女が呟いた。青い肌に湾曲した角、細長い尾を生やした彼女は獣魔将の腹心で、参謀の長であると同時に強力な魔女だった。


「正面から攻めてきた軍勢は、こちらの目を欺くための陽動。よろしいのですか?」


 女魔族は、部下に指示を出しながら自らも赴こうとしている武将たちを眺めながら獣魔将にたずねた。獣魔将の麾下のほとんどは主人に似て武人気質で、諸事を力で処理しようとする。


「構わん。行かせてやれ」


 獣魔将は笑い含みに答えた。


「むしろ、この場にあいつらがいると邪魔だ。さっさと準備を整えさせて迎撃に向かわせろ」


 女魔族は怪訝そうに主を見上げた。


「あの男が来ている」

「あの男?」

「覚えておらんか? 二年前に俺と戦った冒険者の男」


 ああ、と女魔族は思い出した。


「無謀にも将軍に戦いを挑んで敗北した、ディノンとかいう冒険者ですか。彼がなにか?」

「俺がゆいいつ討ち損じた男だ」


 女魔族の顔に険しいものが宿った。最強の武人と称される獣魔将は、これまでの戦いで討ちもらした敵は、たったの一人。それがディノンだった。


 獣魔将はすごみのある笑みを浮かべた。


「以前は討ち損じたが、今度こそは……」


 女魔族は呆れたようにため息をついた。


「せめて近習は残しておいてください。私も残ります」

「好きにしろ」


 やがておもだった武将が前線に向かい、二人の近習をはじめ獣魔将直属の兵士だけがこの場に残った。それでもまだ二千近くはいる。先遣隊の報告では城を守っていた敵兵は六千ほど。正面から攻めてきた軍勢は五千あまり。城の防備に千を残したとして、ほぼすべての兵力がそれに割かれていることになる。


 残るは新たに救援に現れたという冒険者たち。おそらく、先の火災はその者たちが起こした。ここを攻めてくる部隊があるとすれば連中だ。しかし、精鋭がそろっていたとしても数の上ではこちらが有利。はたして、どう攻めてくるか……。


「……来たか」


 じっと目を伏せていた獣魔将が顔を上げた。正面の谷間から無数の光が緩やかに弧を描きながら飛んできて、次の瞬間、大爆発が起こった。爆風に吹き飛ぶ魔族兵たちを飛び越えて、煙の中から冒険者たちがなだれ込んできた。


 仰天した魔族兵たちは、すぐにこれを迎え撃つため陣形を整えようとした。しかし、先ほどの爆発によって発生した煙が視界を遮り、敵味方の判別がつかず陣形はたちまちのうちに崩れていった。


 いっぽう単独で立ち回ることに長けた冒険者は、狼狽える魔族兵たちを次々に始末していく。煙が薄れ、視界が回復するころには倍近くあった戦力はほぼ互角にまでなっていた。


「陣形を立て直せ!」


 女魔族が部下に指示を出すため獣魔将から離れた直後、背後の崖からなにかが駆け下りる気配がした。振り返ると璇麒に騎乗した冒険者が六騎、急峻な崖を駆け下りてきていた。


 険しい山岳地帯に生息する璇麒は、通常の馬よりはるかに頑健で、人や重い荷を乗せた状態でも崖を駆け下りることができる。いったいどこで調達したのか、まさかそれを使って背後の断崖から攻めてくるとは思ってもみなかった。


 驚愕する女魔族と近習たちだが、獣魔将は嬉々として襲撃者を振り返った。先頭を駆ける男を認めて笑った。


 四本の腕を持つ獣魔将は、両腰部に帯びた幅広の湾刀と、そばに突き立てていた偃月刀を取り、こちらにむかってまっすぐ駆けてくる男に野太く吼えた。


「来い! ディノン!」


 ディノンを乗せた璇麒が高く跳躍した。谷底に着地して、跳ねるように駆けてくる。手に持った漆黒の太刀を構えた。


 獣魔将は偃月刀を二本の腕で持って構え、駆け出した。迫るディノンにむかって偃月刀を払った。


 重い手応えがあり、偃月刀は火花を散らせてはじかれた。その脇をディノンが駆け抜ける。直後、二つの白刃が迫った。獣魔将は湾刀でそれを受け、はじき返した。ディノンのあとを追うように駆け抜けていった相手を振り返った。


 一人はディノンと徒党を組んでいた剣士カシオ。ディノンと並ぶ剣の使い手だ。もう一人は見覚えがなかった。白銀の髪をした女の兵士で、先ほどの太刀筋からかなりの使い手だと察しがついた。


 獣魔将は笑う。ディノンに加えて手練れが二人。


 璇麒の首を回したディノンたちが、散開しながら再び突進してきた。三方向から攻めてくる彼らを獣魔将は迎え撃つ。敵は璇麒の機敏さを利用して波状に攻撃する。一撃を打ち込んでは離れることを繰り返した。まともに獣魔将と打ち合えば力負けすると分かっているからだ。しかし、それでも攻めきることはできない。


 獣魔将の武器は偃月刀と湾刀だけではない。頭に生えた鹿の角、鷲の前脚、馬の後ろ脚、蜥蜴の尻尾も敵を薙ぎ倒す武器となる。どの方向から攻めても獣魔将には一切の隙が無かった。


 ディノンたちは苦戦を強いられるかと思われた。ところが……。


「――英知を司る女神よ!」

「――豊穣を司る女神よ!」


 二人の女の声が凛と響き渡った。


「――我が同胞に、至高の加護を与えたまえ!」


 彼女らの声に反応してディノンたちの動きが乗騎ともども鋭敏になった。繰り出される斬撃も勢いを増す。ディノンたちとともに璇麒に乗って崖を下ってきた二人の女神官が、身体強化の加護を彼らに与えたのだ。二人は崖のそばで乗騎から降り、その正面には同じく璇麒に乗って崖を下りてきた小柄な戦士が、大きな槍斧と盾を構えて彼女らを守っていた。


「将軍!」


 女魔族は獣魔将を支援しようと駆け出した。しかし、その前に三人の敵が立ちはだかる。一人は二十過ぎの年長の魔女、一人は二十にも満たない年少の魔女、一人は短剣と投剣を持った無表情の女。二人の魔女から感じられる魔力の強大さに、女魔族は動くことができなかった。


 目の前の敵を警戒しつつ、女魔族は周囲を確認した。――近習はなにをしている。


 見ると二人の近習も足止めされていた。槍を構えた偉丈夫と弓と短剣を持ったエルフの娘が、近習たちと戦っている。


「どうした?」


 不意に、年長の魔女が薄笑いを浮かべて声をかけてきた。


「そのまま突っ立っているつもりか? 戦う気がないならそれでも構わないが」


 妙に挑発的だった。余裕そうに左手を腰に当てた魔女は、しかし、いつでも魔法が使えるよう右手に持った長杖に魔力を込めていた。


 女魔族は歯噛みした。


「調子に、乗るなよ」


 静かな声で、しかし、威圧するように言うと、女魔族の額に縦に小さな亀裂が入り、まるで開眼するようにぱっくりと左右に開いた。実際、そこには金色の瞳があった。女魔族が三人を凝視すると、どういうわけか彼女らは金縛りにあったように動かなくなった。


 対象の動きを止める魔眼。抑制できるのは身体の動きだけではない。発声すら抑え込むことができ、呪文詠唱を必須とする魔法使いにとっては天敵といえる力だった。ただ、魔眼は相手を凝視し続けなければならず、集中力と精神力を要する。普通は一人を対象に使用するが一度に三人を対象にして使うと、それ以上は何もできなかった。


(たいした力だが、愚策だな……)


 突然頭の中に年長の魔女の声が響いて、女魔族の集中が途切れそうになった。


「な、に……」

(そこまで驚くことでもあるまい。私の思念を君の頭に送り込んでいるだけなのだから)

「あ、ありえない。人の成し得る技ではない」

(そうか?)


 と、笑い含みに声が頭に響いたが、魔眼によって動くことのできない魔女の表情はまったく変わらない。


(魔族にも同じようなことができる種がいるだろう?)


 たしかに、と女魔族は思う。しかしそれは、そういった能力を持つ種だからであって、誰でもできるものではなかった。ましてや人間族にできるものでは……。


「お前は、人間ではないのか?」

(さて。それは私にも分かりかねる。私はかつて、吸血鬼エルザ・シュベートの血から生成した薬を服用して、幼児化してしまった。さらに〈老衰の呪い〉を受けた者の血から還元薬を作ってそれを飲み、一日で、もとの大人の姿から幼児化するというサイクルを繰り返すようになった)

「な、なにを、言っている……」

(ああ、すまない。この術は、制御が難しくてね。思ったことを次々に君の頭に送り込んでしまうから、かなり突飛なことを言ってしまっているかもしれない。――要するに、変化してしまったこの身体が人間かどうか判別できないということだよ。ただ、私自身は人間を止めたつもりはないから、人間だと思っている。――と、話がだいぶそれてしまっているな。君のその力、たしかにすさまじいが、いまの君にとっては愚策ではないかね? 君はいますぐにでも主を助けに向かいたい。だが、このままでは君自身も動くことができない。まさに本末転倒だ)


 女魔族は臍を噛んだ。


(まぁ、こちらにとっては都合がいいが。私たちの役割は、獣魔将の腹心で最も警戒しなければならない君を足止めすることだから)

「私を、足止め?」

(ディノンから、そう指示された)

「なぜ、私を警戒する。私と彼は、直接の面識はない。彼は私を知っているのか?」


 ふっ、と笑ったような声がして、実際に魔女が笑ったように見えた。


(ディノンの情報量を甘く見ないことだ。いや、彼だけではない。冒険者は魔界の情勢を熟知している。彼らの本業は魔界を探索し、情報を集めることだから。ちなみに、君たちが地下の坑道を通って、こっそりこの峡谷に兵を集めていたことも察していたようだよ)

「ま、まさか……」

(彼らには鷹の目がある。戦いにおいて、情報は勝敗を大きく左右することを知っているから、なによりも重要視している。彼らのその能力はどんな兵器よりも強力だ。情報を駆使し、策を講じ、敵の裏をかく)


 女魔族は慄然とする。


 勝敗は兵力で決する。それは戦においての基本で、その数値は兵の数、装備、地利、気候、士気、そして情報といったものも考慮される。当然、その数式に誤りがあれば、兵力の差は簡単にひっくり返される。


 実際、女魔族たちは見積もりを誤った。民を募って兵力を増強させたが、彼らは正規の兵士ではない。ゆえに軍全体の士気は低い。兵器を充実させたが、それに火をかけられ逆に大きな被害を出した。混乱と疲労を極めた瞬間、襲撃を受けた。七倍以上あった兵力はたちまちのうちに崩壊し、女魔族たちは窮地に追い込まれていた。


「こ、こんなことで!」


 憤慨した瞬間、動けないはずの年長の魔女が笑った。彼女の杖に込められた魔力に反応して薄い膜がはじけたような感覚があって、次の瞬間、彼女らの身体が動いた。


「しまった!」


 とっさに杖を掲げたが相手のほうが速かった。無表情の女が投剣を女魔族の腕にむかって投げ打ち杖を落とした。さらに年少の魔女が魔法で風の刃を生み出し、女魔族に攻撃した。


 女魔族は後ろに跳ねて避けたが、風の刃が太ももをかすめ、その場に崩れ落ちた。落とした杖に手をかざし、手もとに引き寄せようとするが、それよりも早く年長の魔女が魔法を放って杖を粉々に破壊してしまった。


 愕然とする女魔族に、年長の魔女が近づいた。


「まんまと挑発に乗るとは……。ディノンの言った通りになったな」


 女魔族は魔女を睨み上げた。魔女に表情は無かった。ただ琥珀色の瞳に暗い色が滲んでいる。そして、呪文を唱えようと口を開こうとしたとき、不意に振り返った。魔女の背後からなにかが飛んできて、それから守ろうと彼女の身体を無表情の女が押した。


 それは獣魔将の偃月刀だった。偃月刀は年長の魔女の左肩と無表情の女の背中をかすめ、地面に深く突き刺さった。鮮血が散り、二人は重なるように倒れた。


 女魔族は獣魔将を見た。ディノンたちとの戦闘の最中、傷ついた女魔族を助けるため己の武器を投げ打ったのだ。


 しかし、この行動で獣魔将に大きな隙が生まれた。ディノン、カシオ、女兵士がいっせいに突撃し、斬撃を浴びせた。さらに、近習を倒した偉丈夫とエルフ娘も、それぞれ槍を投げ打ち、矢を射込んだ。獣魔将はそれらを湾刀で防ぐが、続けざまに突撃してきたディノンの太刀によって脇腹を深く斬られた。


「畳みかけろ!」


 ディノンの声にカシオたちが再突撃しようとした矢先、正面の谷間から新たに魔族兵が現れた。冒険者の奇襲に気づいた将兵の一人が部下を連れて戻ってきたのだ。彼は負傷した獣魔将を見て血相を変えた。


「将軍をお救いしろ!」


 彼の指示に魔族兵はいっせいにディノンたちに突撃していった。巨躯の魔族兵が獣魔将のそばに駆け寄り、彼の身体を支えた。


「まだ戦える」

「なりません!」 


 押しのけようとする獣魔将に、巨躯の魔族兵は叱咤した。


「お許しを。しかし、戦況は絶望的です。将が二人倒れ、一人が重傷を負いました。参謀も負傷され戦うことができません。いまは引きましょう」


 獣魔将は女魔族を見た。駆けつけた魔族兵に守られている彼女は、大量の血を流している足を引きずっていた。獣魔将はうなだれるように頷いた。それを見て将兵は獣魔将の偃月刀を地面から引き抜いて声を張り上げた。


「退却! 森まで退け!」


 彼の声に生き残っている魔族兵がいっせいに退却をはじめた。ディノンたちは追撃しようとするが、獣魔将と女魔族を守る魔族兵たちに阻まれてしまう。それらを斬り捨てたときには獣魔将の姿はどこにもなかった。

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