六章 嵐の前(3)

 ちょうどそこに、少し先の様子を見てくると言って先に向かったシェリアが戻ってきた。その表情に奇妙な様子があった。


「なにかあったか?」


 頷いたシェリアは、先のほうを示した。


「あっちに、かなり広い平地があるんだけど……」


 ああ、とディノンは頷いた。


「岳裂き山道とシュベート城の中間あたりに築かれた野営地だな。――そうか。もうそんなところまで来てたのか。それが?」

「人間族の冒険者だと思うんだけど、かなりの数集まって、天幕を張ってるの。ざっと見ただけで五、六百以上はいたわ」


 ディノンは眉を寄せた。


「そんなに?」

「ソルリアムの冒険者は千人もいないと聞いております」


 リーヌの言葉にディノンは頷いた。


「ちょっと行ってみるか」


 ディノンたちは璇麒に騎乗して野営地へ向かった。野営地は周囲を山岳に囲われた荒涼とした平地で、そこを天幕や車、乗騎が埋め尽くしていた。あちこちに掲げられている旗はソルリアムの冒険者ギルドのものだった。


「あれ、カシオ様たちでは?」


 リーヌが平地の東側を示した。緩やかに下った山道から、二十騎ほどの騎馬の一団がやって来て、その中にカシオたちの姿があった。ディノンたちは彼らのもとに駆け寄り、ちょうど野営地の入り口あたりにできた広場で乗騎から降りたカシオたちに声をかけた。


「カシオ!」


 振り返ったカシオは、目を見開いて驚いた。


「ディノン? なんで君たちがここに?」

「それはこっちの台詞だ。なんだ、この集団は?」


 カシオたちは顔を見合わせ、奇妙な表情で首を振った。


「僕たちも詳しいことは分からない。ソルリアムに戻って報告のためにギルドに行ったら、至急ここに来るよう言われたんだ。局長もこっちに来てるらしい」

「局長も?」

「ここについたら局長のところに行くよう指示されている。一緒に来るかい?」


 ああ、と頷いて、ディノンたちは乗騎を引いて野営地の中心に進んだ。あちこちで煮炊きをしている冒険者はみな完全武装。緊張した表情でどこか殺伐としていた。まるでこれから戦に行くみたいな雰囲気だった。


 そんな中、驚いた様子で声をかけてくる者がいた。


「――カシオ! それに、お前、ディノンか?」


 振り返ると顔見知りの冒険者の一団があり、一様に驚いた顔をしていた。特に、ディノンが患っていた〈老衰の呪い〉の症状を知っていた彼らは、ディノンが若返っているのに気づいて嬉しそうに笑った。


「もとに戻ったのか?」


 ディノンは苦笑気味に顔をしかめた。


「まぁ、いろいろあってな。それより、この騒ぎはなんだ?」


 たずねると、彼らは笑みをおさめて硬い表情を作った。


「ソルリアム軍からの要請で、これからシュベート城に行くところだ」

「なんだそれ?」

「詳しくは局長に聞いてくれ。こっちだ、案内する」


 そう言って一団の頭目がディノンたちを導いた。野営地の中央、そこに張られた大きな天幕を示した。正面の広場で乗騎を繋ぎ、二重になった戸布を上げて中に入った。


 ディノンたちが入って来たのに気づいて、中央に置かれた広いテーブルを囲っていた冒険者たちがいっせいに振り返った。みなディノンやカシオより冒険者歴が長い熟練者たちだ。


「カシオ、来てくれたか!」


 最奥に立っていた男、ソルリアムの冒険者ギルド局長のケイロスはそう言って笑ったが、すぐに驚いた顔をする。


「ディノン⁉ お前、いままでどこに? いや、それより、その姿は……」


 ディノンは最後まで聞かず、手を振ってその先を遮った。野営地を抜けてくる間、ディノンの事情を知っていた冒険者たちから同じような反応をされた。治ったのか、と嬉しそうにたずねて来た彼らに対応してきて、すでに辟易していた。


「事情はあとで話す。それより、ここに冒険者が集められた理由を聞きたい」


 ケイロスは頷いて、集まっていた熟練冒険者たちを見た。


「では、ほかの連中にも知らせてくれ」


 ケイロスの言葉に熟練冒険者たちは頷いた。軽くあいさつを交わしながら天幕から出ていく彼らを見送って、ディノンとカシオはテーブルに近寄った。その背後から現れたメイアたちを認めてケイロスは瞬いた。


「はじめて見るな。彼女たちは?」

「最近できた俺の仲間だ。詳しい事情はあとで話すが、ここ数日は彼女らとあちこち旅しててな」


 ディノンはチラッとメイアたちを見た。彼女らは頷き、それぞれ自己紹介をする。


「ソルリアム近郊に住むメイアという。彼女は私の侍女でタルラ」


 メイアが言ってタルラがお辞儀をした。次いでリーヌがお辞儀をした。


「ディルメナ神殿のリーヌと申します」


 次にシェリアがマントのフードを背に下ろして頭を下げた。


「エルフのシェリアと申します」


 最後に兜を取ったウリが姿勢を正し、緊張した表情で言った。

「猫人族の都市ロワーヌから来ました。冒険者のウリです」


 ケイロスはエルフのシェリアと鼠人族のウリを見て驚いた顔をした。


「ディノン、お前、いったい、いままでなにしてたんだ?」


 いいから、とディノンは手を振ってテーブルの上を示した。


「それよりこれだ」


 テーブルにはシュベート城周辺の地形が描かれた地図が広げられ、その上には白と黒の駒がいくつも置かれていた。シュベート城があるところに白い駒が並び、その北に広がる平原に黒い駒が並んでいた。二つは対峙するように配置され、さらに黒い駒の後方からも、これよりも多い数の黒い駒が迫るように置かれていた。


「まるで、戦場みたいだが」


 テーブルの上の駒を眺めてディノンが言うと、ケイロスは硬い表情で頷いた。


「まさに、これから戦に行くんだ。シュベート城にヴォスキエロの軍勢が迫っていて、城の防衛に当たっていたソルリアム軍から救援要請が来た」


 ディノンたちは眉をひそめた。


「冒険者に救援要請を出すってことは、けっこうやばいのか?」

「絶望的な被害が出ているわけではない。だが、敵の動きが少々気になる」


 ケイロスは地図を眺めて言った。


「十日ほど前の晩だ。シュベート城に魔族兵が夜陰に乗じて攻めてきた。数は五百。たいした被害を出すことなく撃退できたそうだが、その後方からさらに五百が加わって、再び戦闘になった。これが二度ほど続いて、さらに後方から五千を超える軍勢が迫っていることが確認された」


 ディノンとカシオの表情がさらに険しくなった。


「もっといるな」

「やはりそう思うか」


 カシオは深く頷いた。


「間違いないでしょうね。おそらく一万、いや下手をすれば二万近い軍勢がいると思います。いまは確認できなくても、あとからやってくる可能性もあります」

「イワン軍団長も同じ意見のようだ。我々が出る前に、ソルリアムの兵士を率いてシュベート城に向かわれた」


 ケイロスは険しい表情で続けた。


「イワン軍団長は、軍を率いているのは獣魔将ではないかと言っておられた」


 ディノンとカシオは同時に頷いた。後ろに控えていたメイアたちは、驚愕したように目を見開いた。


「だろうな。少数部隊を数回に別けて敵陣営を小突き、相手の戦力を測ってから最後に本体が攻める。あまり策を用いることのない獣魔将がゆいいつ使う戦術だ」


 ディノンは鋭く地図を睨んだ。シュベート城のあたりに置かれた白い駒と対峙するように並んだ黒い駒、その後方から迫る黒い駒の集団、その真ん中に置かれたひときわ大きな駒は、敵の大将を示していた。


「厄介なのを出してきたな。連中、本気でシュベート城を落としに来てる」

「イワン軍団長が率いていかれた兵士は三千。もともとシュベート城に配属されていた兵士三千と合わせても、接近するヴォスキエロ軍には及ばない。敵が城を攻めるぶん、こちらのほうが多少有利ではあるが、敵が二万近い軍勢を率いてきたら耐えられるか微妙だ。シュベート城は城というわりに、かなり守りに弱いからな。だから冒険者に要請が来た」

「それでも足りねぇだろ? ソルリアムにいる冒険者は千もいねぇ。精鋭と呼べる奴はもっと少ねぇはずだ」

「最悪の場合、こちらはシュベート城を放棄することになる」


 そんな、とカシオが声を上げた。


「王都に救援は? 決戦に備えて、万単位の兵士が集められているはずです」

「報告とともに要請は出したようだが、間に合うかどうか。ビストリアにも救援要請を出しているようだが……」


 チラッとウリを見ると、ウリは暗い表情でうつむいた。


 多数の氏族によって形成された連合国家であるビストリアは対応が遅い。氏族間の意見が合わないことが多いからだ。特に彼らは人間族と魔族の戦争に消極的で、世論はフィオルーナに傾いているものの政府は中立を公言していた。


「もちこたえるしかねぇだろ。あそこを落とされたら、ヴォスキエロを攻めるゆいいつの道が途絶える。むしろ相手が勢いづいて、逆に攻め込まれる可能性だってある」


 そう言って、ディノンはシェリアを振り返った。


「レヴァロスの件は後回しになっちまうが……」


 シェリアは微笑を浮かべて頷いた。


「かまわないわ。あっちは私の部下が見張ってるし、こっちも放置はできないでしょ。もし、あなたたちがヴォスキエロに負けたら、私たちの里だって戦渦に巻き込まれる可能性だってある」


 そう言ったシェリアは、ケイロスをまっすぐ見た。


「いちおう、こちらも里に連絡して、兵を出してもらえないか頼んでみます」

「本当かね」

「ええ。でも、あまり期待はしないでください。知ってるとは思うけど、私たちエルフは内向的な種族です。それに長い間、森に引きこもっていたせいで戦闘の経験がほとんどなくて、期待でいるほどの戦力はありませんから」


 頭を振ったケイロスは、深く頭を下げた。


「それでもかまわない。よろしく頼む」

「それで、いつ出発する?」


 ディノンの問いに、ケイロスは即答した。


「明朝。夜明けとともに……」


 え、という声がいっせいに聞こえ、ディノンは苦笑した。彼らの反応に困惑するケイロスに笑ってみせて、ディノンは仲間を振り向いた。


「俺のことは……」

「わたくしが、身命を賭してお連れ――」


 嬉しそうに答えたリーヌを遮って、ディノンはタルラに言った。


「お前に頼んだ」


 タルラは無機質な表情で頷いた。


「畏まりました」

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