五章 罪業を司る女神(3)

 さらに二日の旅を経て、一行はうっすらと靄がかかった稜線の先に、全身に雪をかぶった高い山を見た。陽はまだ東側に位置し、斜めに差す光に照らされて片側は白く輝き、もう片側は黒く影にしずんでいた。


 周囲の峰を越えてその山のそばまで行くと、麓の岩壁を削って造られた巨大な髭面の男の像が二つ並び、その間にはさまれて大きな門が開いていた。レンデインの話によると、かつてこの山にはドワーフが暮らしていて、地下には彼らが築いた洞窟都市が広がっているという。


 璇麒を外の灌木に繋ぎ、装備を整えて中へ入った。門を潜ったディノンたちは、中の広大さに驚いた。手に持った松明の灯り――メイアとリーヌは杖に灯した光――が届かないほど中は広く、左右に並ぶ巨大な柱だけが整然とそびえていた。その柱に支えられた天井も高く、闇の中に消えて見ることができない。


 そんな暗闇に包まれた空間だが、奥のほうにぼんやりとした光が見えた。


「あの光はなんだ?」

「魔道具の類だな」


 光からかすかに魔力を感じてメイアが言い、シェリアは頷いた。


「ここにはドワーフによって作られた魔法の武器や道具が多く眠っているの。その中には常に光を帯びているものもあるらしいわ」


 その光を目指して先へ進んでいくと、さらに広大な広間が現れた。足がすくむほどの巨大な穴が、深く大地をえぐって広がっていた。幾重にも階層が重なり、ところどころ崩れ落ちてしまっている階段や橋がいたるところにあった。


 そして、目が眩むほど煌びやかな財宝が、そこら中に散らばっていた。そのほとんどが金で、ところどころに銀や宝石などが見られ、杯や皿といった容器、剣や槍、斧といった武器、鎧や盾といった防具、冠や髪飾り、首飾りや耳飾りといった装飾品、笛や竪琴といった楽器、像や碑などもあった。


 シェリアの言う通り、それらの中には燐光を帯びた品がいくつもあって、それを金や銀、宝石などが反射して、この空間をぼんやりと明るくしていた。


「きったねぇな……」


 穴を見下ろしてぽつりと言ったディノンの言葉に、シェリアたちは思わず失笑した。


「これだけの財宝を前にして、はじめて聞く感想だわ」

「いや、すげぇとは思うけど、散らかりすぎだろ。蛇竜は、片づけができねぇ奴らしい。――おっと、いまの蛇竜に聞かれたか? 怒ったりしねぇよな?」


 おどけたように言うディノンに、シェリアは呆れたよういため息をついた。


「まったく。緊張感がないわね」

「緊張したってはじまんねぇだろ。もう腹は括った。さっさと行って、やることやっちまおうぜ」


 笑って言ってシェリアの肩を叩き、ディノンは階段を下りはじめた。レンデインの話では、蛇竜はこの最下層を棲み処にしているらしい。巨大な穴には階層ごとにいくつもの大きな横穴があり、そこにも壁にそって財宝が散らばっていた。


「これらの穴は、どこまで続いてるんだ?」

「私も詳しくは知らない。ただかなり広く掘られてて、アリの巣のように複雑に広がっているみたい。穴が交わるところには大きな広間が設けられてるらしいわよ」


 へぇ、と呟いて横穴に一瞥をくれて、一行はさらに下った。階段を下り、崩れた階段を迂回するために橋を渡り、廊下を通り、さらに階段を下っていった。


 しばらく下ったときだった。ぞわっ、と悪寒を感じてディノンは太刀に手をかけた。階段と崩れた橋が交わるところ、そばに開いた横穴から、なにかがすさまじい勢いで迫った。


 目の端に捕らえたのは巨大な蛇のような生き物。長大な身体をうねらせながら、横穴を這ってくるのが見えた。


「避けろ!」


 ディノンの声に遅れて大蛇の接近に気づいたメイアたちが身構えた。しかし、すでに間近に迫っていた大蛇が大きく口を開けた。鋭利な牙を認めて、ディノンはメイアたちを押し退けながらその場から避けた。


 巨大な生き物が突風を巻き起こしながら通過する。目の前を横切った大蛇は向いの横穴の中に消えていった。迂回しているのか、穴の中から積み上げられた財宝が崩れる音と、うごめく気配がした。


 再び、うねりながら這ってきた大蛇が、顔を出した。身体はもちろんだが、その顔は視界から見切れるほど大きい。裂けるように開かれた口には鋭い牙が並び、猛禽類のように険しい青い瞳がこちらを観察するように見つめてくる。頭には大きな角がのび、顔の周囲には魚の鰭のようなものが生えていた。


 ――これが、蛇竜か……?


「ど、どうする……」


 大蛇を見つめ返しながら、そっとシェリアにたずねた。大蛇の規格外な大きさに臆したのか、シェリアは引きつった笑みを浮かべて硬直していた。


「ど、どうしよう……」

「おい」

「だ、だって、こんなに大きいなんて、聞いてない……」


 メイアがため息をついて、落ち着いた声で言った。


「とりあえず、我々が来た理由を伝えるしかあるまい」

「そ、そうね」


 こくこくと頷いたシェリアは、ゆっくりと深呼吸をした。レンデインから教わった口上を述べようとした瞬間、大蛇の様子が変わった。青だった瞳が真っ赤に変わり、ぐるる、と威嚇するように喉が野太く鳴った。全身を覆う鱗も心なしか鋭くなったようで、あきらかにこちらに敵意を向けていた。


 ディノンは、肩を落としてため息をついた。


「あー、マズいな……」


 と、呟いた瞬間、大蛇の口が大きく開かれた。ディノンたち全員を丸呑みできるほど巨大な口が迫る。


「飛べ!」


 ディノンが叫んで、いっせいにその場から飛び退いた。ディノンたちがいたところに大蛇の顔が突っ込まれ、大きく開いた口が石の床を噛み砕いた。


「穴へ!」


 メイアがそばの横穴へ入っていき、ディノンをしんがりにそのあとに続いた。


 背後から壁際に積まれた財宝を崩しながら、ずるずると身体をすべらせる音が響いた。肩越しに振り返ると大蛇が迫っていた。追いつかれる。と思ったとき、視界が開けた。そこはいくつもの横穴が開いたドーム状の広間だった。


 ディノンたちが左右に散ると、そこに蛇の身体が突っ切った。広間の中央まで進んで首を回してこちらを振り返り、そこでようやく大蛇の全体が見えた。


 身体を覆う鱗は青みを帯びた鋼色。長大な身体のところどころに魚の鰭のようなものが生え、そのうち二対四枚が翼のように大きく発達していた。猛禽類の趾のような四肢もあった。蛇というより竜。蛇竜と呼ぶにふさわしい姿だった。


 しかし、ディノンは目の前の大蛇を見て違和感を覚えた。


「こいつ、ほんとに蛇竜か?」


 シェリアたちはディノンのこの言葉に怪訝そうな顔をするが、ディノンと同じ違和感を覚えていたメイアが頷いた。


「たしかにすさまじい力を感じるが、眈鬼を封じたというほどの力は感じない」

「これくらいの奴なら、大山脈の地下深くにもいる。蛇竜ってのは、その程度の奴なのか?」


 まさか、とシェリアは首を振った。伝承では、眈鬼はエルフの里がある森を一瞬にして焼き払ったという。それを封じた相手が一介の魔獣や魔物と同等の訳がない。


 ディノンたちが困惑していると、大蛇が再び襲いかかってきた。


 はっ身構えたとき、背後から一筋の光が大蛇に向かって飛んでいった。次の瞬間、大蛇の顔面から爆炎が上がった。悲鳴を上げた大蛇は、周囲の財宝を撒き散らしながら後ろに倒れた。

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