一章 若返りの薬(4)

「――うまそうだな」


 いきなり近くで声をかけられ、ディノンは文字通り飛び上がった。顔を上げると正面に、十歳にも満たない少女が座っていた。


「な、なんだ、お嬢ちゃん。いつの間にそこに座ってたんだ?」

「ついさっきだ」


 ディノンは眉を寄せ、目の前の少女を眺めた。ずいぶんと変わった風貌をしている。恐ろしく長い髪は毛先が青い霞色、両方の耳には幼い見た目とは不釣り合いな耳飾りをいくつもつけ、嘲るようにこちらを見つめる瞳は琥珀色をしていた。子供の姿でありながら妙に大人びた、妖艶な雰囲気をまとった少女だった。


 ただ、服装は可愛らしものだった。灰色、黒色、紫色と暗い色合いのワンピースは、フリルやレースの飾りがいたるところについている。肩と胸もとは露出し、フリル状の袖とスカートは大きく広がり、丈の長いソックスと厚底の革靴を履いていた。彼女が座る席の隣には、丁寧に折り畳まれた毛皮のポンチョと、鍔の広いとんがり帽子が置いてあった。


 少女は勝手にフォークを取って海老に突き刺した。ひと口大に切り分けられた海老を頬張る。少女の奇妙な雰囲気のせいか、ディノンはそれを咎めることができなかった。


「何者だ、あんた」


 すぐに只者ではないと悟って、ディノンは挑むような視線を向けた。たずねられたほうは、ディノンの視線に威圧された様子もなく笑むように見つけ返した。


「まず名乗る気はないか?」


 少女らしからぬ大人びた口調に、ディノンは一瞬だけ言葉に詰まった。


「ディノンだ」


 少女は頷く。


「わたしはメイアという。察しのいいきみなら、わたしがどのような存在か、分かるだろう?」

「魔女ってことくらいしか分からん……」

「強いて言うなら、きみから発するきみょうな気配に引き寄せられた、学者気質のだ」

「学者?」


 メイアは、もう一度頷き、ボトルワインを示した。


「それをもらってもいいだろうか?」

「十年早い」

「ならば問題ない。わたしは七年も前に成人している」

「は? 冗談だろ?」


 メイアは薄い笑みを浮かべて勝手にワインをグラスに注いだ。濃い赤の液体がメイアをさらに妖艶に魅せた。


「もともとは、薬学をせんもんにしていた学者で、ある薬の、りんしょう試験でこうなった。実年れいは、きみより上だよ」


 ディノンは、うまそうにワインを飲むメイアを怪訝そうに見つめた。例の症状のせいで、ディノンの見た目は六十過ぎ。しかし、いまの彼女の口ぶりは、ディノンの実年齢を知っているようだった。


「なにを知っている?」

「なにも」


 メイアはグラスを揺らしながら答えた。


「きみがなぜ、そのような姿になったのか、わたしには分からない。ただ、とてもきみょうな力によって、きみの身体がゆがめられているのだというのは分かる」

「奇妙な力?」

「おそらく、の類だろう。きみの身体からは、きみのものではないを感じる。これは間違いなく、まほうのかんしょうによって引き起こされた、しょうじょうだ」


 メイアはいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「きみのことが知りたい」


 ディノンは苦笑した。


「はじめて会ったばかりの奴に、そんなこと言われてもな」

「きみのそのしょうじょうを、治せるとしてもかい?」

「あんたが?」


 ディノンは、首をかしげた。


「さっきも言ったが、わたしはある薬によってこのような姿になった。その薬を使えば、きみをもとのすがたにもどせるかもしれない」

「なんだ、その薬って」


 メイアは笑みを深くした。


「――〈若返りの薬〉だよ」


 ディノンはしばらくぽかんとしていた。そして、声をたてて笑った。


「それは面白い冗談だ。よりによって〈若返りの薬〉? それで俺の身体を治そうっていうのか?」


 笑うディノンの声に合わせて、メイアも笑った。


「そう。たしかに夢物語のような薬だ。しかし、わたしはその薬を作り、自分自身でその効果をたしかめた」


 まぁ、とメイアの笑みに苦い物がまじる。


「強力すぎて、若返りすぎてしまったが……」


 ディノンは、すっと笑みをおさめて身を乗り出した。


「本当なのか?」


 メイアは少し考え、静かな口調で語りはじめた。


「薬が本当であることのしょうめいになるか分からないが、わたしが薬を作るきっかけになった話をしよう。――三年ほど前、王都の大学で学者として働いていたわたしのもとに、ある貴婦人があらわれ『〈若返りの薬〉を作ってほしい』といらいしてきた。きみと同じく、当初はわたしもその話をばかげたものだと思った。しかし彼女は、どこで入手したのか、テフィアボ・フォンエイムの研究資料をわたしに見せてきた」


 酒と料理をいただきながらメイアの話を聞いていたディノンが顔を上げた。


「フォンエイムって、五百年くらい前に実在した有名な医術師か?」

の生みの親でもある。精霊の存在を学術的にしょうめいし〈万有の水銀〉を生み出した」

「〈万有の水銀〉? なんだそれ?」

「れんきんじゅつにおいて、しこうとされる伝説の物質だ。石ころを金や宝石に変え、万病をいやす酒を生み出すという。身におびていれば、寿命がのびるとも言われているな」

「本当なのか、それ」

「さて。わたしたちまほう使いの世界では事実として語られているが、実際のところは分からない。しかし、薬をいらいした貴婦人が持ってきたフォンエイムの研究資料はまぎれもなく本物だった。そして、その中にフォンエイムがたずさわった〈若返りの薬〉の製造方法が記されていた」


 メイアはディノンを見た。


「ここからは、きみも少し関わる」

「俺が?」

「〈若返りの薬〉を作るためには、あるきちょうな材料が必要だった」


 メイアは一度言葉を切り、ディノンをまっすぐ見つめたまま言った。


「――吸血鬼の血だ」


 ディノンは目を見開いた。


「おい、まさか……」

「みょうなめぐり合わせだな。薬を作るために吸血鬼の血のさいしゅをいらいし、それを受けてくれた者を今度はわたしが助ける」

「あんたが、二年前に『吸血鬼の血を求む』っていう依頼をした……?」


 メイアは首をかしげた。


「いらいぬしの名前を見なかったのか?」

「ロバートって名前だったぞ」


 ああ、と思い出したように声を上げてメイアは苦笑した。


「すまない。それは、わたしの祖父の名前だ。男の名前にしたほうがいらいを引き受けてもらえると思って、祖父の名前を使ったのだった。ほら、吸血鬼の血が欲しいなんて、かなりさつばつとしているから」


 メイアは表情を改め、微笑を浮かべた。


「話を戻そう。わたしは、きみがさいしゅしてくれた吸血鬼の血と、フォンエイムの資料をもとに、〈若返りの薬〉を作った。そして自分の身体でりんしょう試験をして、このような姿になった。多少……いや、かなり強力ではあるが薬は完成したわけだ」

「そいつを使えば、俺の身体は治る?」


 メイアは難しい表情をした。


「確実に治るという保証はできない。しかし、老いた身体を若返らせることは可能だと思う。どうだね、試してみるか?」


 ディノンは空になったジョッキを見つめながら考え込んだ。しばらくしてグラスにワインを注ぎ、ひと口飲んだ。


「可能性があるんなら、試してみたい」


 やがて、静かにそう言った。


「よかろう。ただ、一つだけ条件がある。きみの血を少しだけわけてほしい」

「血? なんで?」

「まず、のろいのしょうさいを知るために、きみの血を調べる必要がある。それと、薬の効果がどの程度現れたのか調べるために、そのあともう一度血をさいしゅしたい」

「ああ、なるほどな」

「そして、これは個人的な望みだが、わたしはこの身体をもとに戻したいと思っている。そのために、きみの血を使わせてもらいたいのだ」

「どういうことだ?」

「少し間抜けな話なのだが、わたしは〈若返りの薬〉が完成したこうふんで、を作る前にりんしょう試験を行ってしまってな。かんげんやくをあわてて作ったときには〈若返りの薬〉が完全にわたしに定着して、もとに戻ることができなくなってしまった。以降、わたしはもとに戻る薬の研究をしている」


 メイアはディノンを示して続けた。


「きみのそのしょうじょうから、きみの血は、わたしの身体をもとに戻す薬の開発に役立つ可能性がある。もしかしたら薬の成分に使えるかもしれない」

「だから俺の血が欲しい、と?」


 頷いたメイアは、苦笑した。


「無理だったら断ってくれても構わない。断っても〈若返りの薬〉をきみに与える」

「まぁ、少しくらいならやってもいいが」


 メイアは頷き、席から立った。


「ありがとう。では、わたしの住処まで来てくれ」

「いまから?」

「なにか用事でもあったか?」

「いや、特には。だが、こんな夜更けに……」


 メイアは薄く笑う。


「まじょに夜も昼もないよ。少なくとも、わたしの生活に昼夜の区別はない」

「そういうことなら」

「では参ろう。外に馬車がある」


 そう言ってメイアはポンチョを羽織り、帽子をかぶって店の外へと向かった。ディノンはサラに声をかけ勘定を渡すと、そのあとを追いかけた。

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